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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
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18、思いがけない珍客

 約束通り、次の日からさっそく桂香けいかがミトラのゲルにやってくるようになった。


 この村の中では珍しく小柄な彼女は、しゃべる事が出来ないのだと紹介された。

 三十を過ぎて結婚適齢期は終わったと見なされた彼女は、子供用のゲルでその世話をしながら暮らしている。杏奈が絶対嫌だと言っていた末路だった。


 しかし刺繍と縫製の技術は見事なもので、骨を削った針で繊細な図柄を次々描いていく。

 ミトラが感心すると、桂香は遠慮がちに微笑んだ。


 針仕事が初めてのミトラは、不器用で少しも思った通りに出来なかったが、静かで淡々とした時間はとても充実していて楽しかった。


「私はこういう細やかな仕事は嫌いではない。上手ではないが、毎日練習すればいつか桂香のような服が作れるようになるだろうか?」

 ミトラが尋ねると、桂香はうなずいて微笑んだ。


「では頑張って、みんなが喜ぶような服を作る職人になるぞ」

 ミトラは顔を輝かせる。


 にこにこと黙って聞いてくれる桂香は聞き上手だった。

 その笑顔にいやされ、ミトラは刺繍をしながら一人であれこれ話し続けた。


「……でね、アショーカというのは初めて会った時は、たぶん側近達と一緒に、何かとんでもないイタズラをして謹慎させられてたはずなんだけど、その部屋を抜け出そうとして三階の手摺りから飛び降りたんだ。あの男は最初から滅茶苦茶で、会うたびろくな事をしていない」


 気付くとアショーカの事ばかり話していた。


「アショーカには側近が三人いてサヒンダというのがすごく怖い男なんだ。サヒンダに睨まれると真夏のヒンドゥすら、このトルファンの冬より冷たく凍りつく。アショーカですらサヒンダが怒ると逆らえないんだ」


 でも今ではそのサヒンダさえも会いたい。

 元気にしているだろうか?


 また怒られるんじゃないかとビクビクしていた日々が懐かしい。

 でもサヒンダは厄介なミトラがいなくなって清々(せいせい)している事だろう。

 満足気な顔が目に浮かぶ。


「ヒジムというのは女よりも美人なんだけど剣の腕が凄いんだ。よく気が付いて、何をしても器用なんだ。きっと刺繍をさせても上手だろうな。アショーカをからかうのが大好きで、二人の会話を聞くとアッサカさえ笑ってしまう。ああ、アッサカというのは私の護衛をしてくれる恐ろしく強面こわもての男なのだが、本当は謙虚で優しいんだ」


 一人一人思い出しながら、話はどんどん飛び火する。


 桂香がどこまで理解しているかは分からないが、丁寧にうなずいて、時折いいタイミングで笑ってくれるので、ミトラの口もよく動いた。


「……でね、ウッジャインではソーマという酒を飲まされて、何だか私は無敵になったような感じになって、その時烏孫に初めて会ったんだ。そしてなぜだかマギに選んでしまったみたいなんだ。何故そんな事をしたのか自分でも分からない」


 気付けばそんな話までしていた。


 本当はずっと不安や疑問を誰かに聞いてもらいたかったのだ。

 以前はアッサカが黙って聞いてくれていた。


 口数の少ないアッサカはほとんど口を挟む事なく、黙々と聞いてくれる。

 その感じが似ているから、初対面の桂香にこれほど気を許すのだろうと気付く。


 桂香に吐き出した事で久しぶりに心が軽くなったような気がした。



「おーい、帰ったぞ、ミトラ!」

 いつの間にか烏孫が帰ってくる時間になっていた。


「なんだ、まだ針子をやってたのか?」


 桂香は慌てて拝礼して帰り支度をする。


「烏孫、見てくれ! この刺繍は私が刺したんだ!」

 ミトラが駆け寄り、今日の成果を見せた。


 烏孫は、そのつたない作品よりも、今朝出かける時よりずっと晴れやかになった笑顔の方に顔をほころばせる。


「楽しい一日だったみたいだな、ミトラ」

「うん。桂香とはいっぱいおしゃべりもして楽しかった」


「おしゃべり?」


 桂香はしゃべれないから一人でしゃべってたのかと烏孫は可笑しくなった。


「桂香、良い時間を作ってくれたみたいだな。礼を言うぞ。明日からも毎日来てくれ。子供の世話は免除するから、明日からはミトラ専属の針子係りになってくれ」


 桂香は驚いたような顔をしてから、深く拝礼する。


「い、いいのか? 桂香殿の迷惑では?」

「子供の世話より針子の方がいいに決まってるだろう? お前専属という事は、俺の側近にも準ずる立場だ。立派な出世だぞ」


「桂香殿が迷惑でなければ私は嬉しいが……」


 一抹いちまつの不安を感じる。


 しかし桂香は首を振ってから嬉しそうにうなづいた。


 

 桂香が出て行くと、烏孫は待ちかねていたように口を開いた。


「ミトラ、今日はお前に珍しい土産を持って帰ったぞ!」


 しかし、ミトラは顔を曇らせた。


「烏孫、宝飾などいらぬと何度言えば分かるんだ。翔靡しょうび殿だって……」

「宝飾じゃない。その宝飾を売って手に入れたんだ」


「今度は何を?」


 衣装やお菓子だろうかとミトラは不安を浮かべる。


「ちょっと待ってろ!」


 烏孫は一旦ゲルから出て、外に置いていた物を持って戻ってきた。


 途端にミトラの顔に驚きが広がる。



「ハヌマーン!!!!」




 白毛に王冠をつけた猿がかごに入れられて、出してくれと暴れていた。


「なんだ、この猿を知ってるのか? 通りがかりの隊商が持ってたんだ」

「スシーマ王子の猿だ。どうしてこんな所に?」


「スシーマ王子の?」


 烏孫はすぐに警戒の表情を浮かべる。


「まさかハヌマーンもさらわれて売られてきたのか?」


「王子の差し金か?」

 道理であっさり譲ってくれた。


 烏孫は猿に不審な手紙でもつけられてないかと、篭の外から注意深く観察する。


「出してやってもいいか? ストレスをためてるみたいだ」

「構わんが大丈夫なのか? 逃げるんじゃないのか?」


「大丈夫だ!」


 そう言ってサヒンダに手ひどく怒られた事があるが黙っておく事にした。

 ミトラが篭を開けると、案の定ハヌマーンはゲルの中を飛び回って、物を倒し布を引き裂いて暴れ回った。


「うわっ!! どこが大丈夫なんだよ!」

 烏孫が慌てて追い掛け回す。


 しかし以前と違ったのは、暴れきった最後にミトラの首に抱きついて大人しくなった事だ。

 そしてミトラが頭を撫ぜると、安心したように体を寄せてきた。


「ハヌマーン、可哀想に。怖い思いをしたんだな? もう大丈夫だぞ」


 ハヌマーンはキイと鳴いて、スリスリと柔らかな白毛をミトラになすり付けた。


「ありがとう烏孫! ハヌマーンを連れて来てくれて。今までで一番嬉しい贈り物だ」


 スシーマ王子の猿というのが気に食わないが、ミトラに初めて贈り物を喜んでもらえたのが、烏孫は嬉しかった。


「そうか。気に入ったか。ならばいい」



 そうしてささやかな幸せの日々を僅かばかり過ごした。




次話タイトルは「知らなかった現実」です

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