14、烏孫の側近たち
日が落ちると、酒と料理を携えた翔靡達がやってきた。
翔靡と蘭靡に狛爺、それから烏孫の側近の地位を持つ、ヒンドゥに付き従っていた二人の従者と神威。
そしてシャーマンのボーの総勢七名の来客だった。
ボーがゲルの中に入ってくると、ゾドが駆け寄ってその体を撫で付けた。
「珍しいな、ゾドが烏孫以外に懐くなんて……」
ミトラは驚いた。
烏孫以外には誰にでもそっけないのかと思ったら、気に入った相手にはちゃんと懐くのだ。
「ゾドはボーがお気に入りだからな」
「私は昔から動物に好かれるタチらしいので」
ボーは人のいい笑顔で応じる。
中央では位の高いシャーマンの家系だというボーは、腰の低い壮年の男だ。
偉い立場のはずなのに、甲斐甲斐しく食事を運び、酒をついで回って酒席の準備を整えてくれた。
神威と側近二人も手伝って、ゲルの真ん中に竈を囲んだ宴席が整った。
「では乾杯といきますか」
狛爺の音頭で賑やかな夜が始まる。
ボーは乾杯だけ済ませると、隅に座って馬頭琴を心地よい音量で奏でた。
騒がしい喧騒にも、熱い議論にも、会話の途切れた沈黙にも邪魔にならない不思議な音だ。
神威は初めての酒を呑まされ、散々に酔い潰された。
そうして夜半も過ぎた頃、話題はミトラに集中し始めた。
「しっかし驚いたよ。烏孫がこの手の女が好みだったとはな」
「村中の年頃の女達がすっかり意気消沈で辛気臭いったらないぞ、なんとかしろよ」
翔靡と蘭靡はミトラをジロジロと眺め回す。
「おい、あんまりジロジロ見るな! お前らの視線でミトラが穢れる」
烏孫に牽制され、二人の親友は呆れた顔をする。
「やれやれ、一番穢れた男が何言ってやがる」
「しかし穢れると言えば、あの熊切の野郎がすっかり改心したらしいぜ」
「もう女遊びはしないと宣言したらしいじゃねえか。今じゃすっかり清らかな男になっちまった。一体どんな魔法を使ったんだ? シェイハンの女神様は」
ミトラの素性はここにいるメンバーには知らされている。
「お前らもミトラに不埒なマネをしようとすれば、清らかな男になるぞ」
烏孫がニヤニヤと親友二人に釘をさす。
「どれどれ、清らかになるかどうか試してみるか」
蘭靡がずいっとミトラの目を覗き込む。
「よせよ。お前が清らかになったら村の女達が悲しむ」
烏孫はミトラの隣りから身を乗り出して蘭靡の顔をぐいっと向こうにやる。
「はん。お前がここまで女に溺れるとはな。家畜まですぐ宝飾に変えようとするしな」
やはり最近の烏孫の浪費は問題になっているようだ。
「実はすげえ悪女なんじゃねえのか? 傾国の姫ってやつさ」
「あんた、何を企んでる? 烏孫に宝飾をおねだりしてるのか?」
「気前のいい烏孫をたらしこんで何をするつもりだ?」
二人はすっかり酒が回ったらしい。
からみ酒だ。
「おい、いい加減にしろ! ミトラはいくら宝飾を贈っても受け取らない。俺が贈った物は全部そこに積みあがってるだろうが」
烏孫が指差す一角には宝飾が乱雑に散らばっていた。
「ふーん。宝飾じゃないのか……。だったら尚更何を企んでるんだ?」
「ヒンドゥの間者か? それとも月氏の差し金じゃないのか?」
「バカ言うな! ミトラが望んでここに来た訳じゃない。俺が連れて来たんだ」
「うまく誘導されたんじゃないのか? マギだかなんだか変な魔法をかけられたんだろう?」
「そ、それは……」
親友二人に問い詰められて烏孫も言葉をにごした。
どうやらミトラを良く思ってないのはゾドや女達だけではないらしい。
烏孫の側近たちも快く思ってないようだ。
ここからも出て行けと言われたら、どこに行けばいいのだろうか……。
ミトラは不安気にみんなの顔を見回す。
「この方は単于様が奉じておられる弥勒様と瓜二つでございますね」
庇おうとする狛爺よりも先に口を開いたのは、シャーマンのボーだった。
「ミロク様?」
ミトラは久しぶりに聞くその名に目を丸くする。
「ええ。私は単于様が聖なる石に描いた弥勒様の肖像画を見た事があります。ちょうどこの姫のような月色の直毛に翠の瞳の少女の絵でした」
「私も見た事がございますよ」
狛爺も応じた。
「俺も見た」
烏孫も続いた。
「だから最初は先の短い爺さんを喜ばせてやりたくてシェイハンの聖大師を攫うつもりでアショーカ王子の騎士団に潜り込んだんだ」
「シェイハンの聖大師を?」
翔靡が訝しむ。
「そうだ。なぜなら弥勒というのは……」
烏孫は確認するようにミトラを見た。
「先々代の聖大師様の真名だ」
ミトラが答えた。
聖大師となって神に嫁いだ後はその名は封印される。
滅多な事で口に出す事は出来ない。
マケドニアのアレクサンドロス大王やマガダのチャンドラグプタ王、それにシリアのセレウコス王にも対峙した歴代随一と云われる神通力を持っていた聖大師様。
激動の時代にシェイハンを守りきった偉大な方だったと聞いている。
そのミロク様と匈奴の王が繋がっていた……。
ボーが続ける。
「今の単于様が勢力を伸ばされたのは、弥勒様を奉じてからと聞いております。何でも噂では弥勒様の加護のある単于様には月氏が手を出さないとか……」
「確かに。今の単于様になってから月氏は我らに東の地を譲り、西方に移動している」
翔靡が頷いた。
だからこのトルファンも容易に手に入れる事が出来たのだ。
「あんた、月氏と何か関わりがあるのか?」
蘭靡がギロリとミトラを睨んだ。
「し、知らない。私はこの村に来て、初めてその名を聞いた」
ミトラは首を振る。
「本当かよ? 実は裏で月氏と何か企んでるんじゃねえのか?」
「実はこの数日、月氏の動きが怪しいという情報が入っております」
ボーの言葉に全員が顔色を変えた。
「怪しいとは? どういう事だ? 詳しく話せ、ボー!」
「まだ不確かな情報ゆえ、烏孫様のお耳に入れるのもどうかと思ったのですが……」
「いいから知ってる事を話せ!」
ボーは頷く。
「赤谷城に見知らぬ軍隊が入って行くのを見た者がおります。それから鷹が……」
「鷹?」
全員が蒼白になった。
「鷹が群れをなして飛びまわっているのが各地で報告されております」
「鷹が群れをなしたら何か問題でもあるのか?」
ミトラが尋ねる。
「昔から鷹が群れをなすと戦が始まると云われている。しかもただの戦ではない。夜闇の中に赤い悪魔が無数に現れ、一瞬にして滅び去る。目覚めると兵士だけが一人残らず死に絶えている。鷹の群れは滅びの前兆だ」
「精霊の一族と呼ばれる月氏の仕業だとも噂されている」
「精霊の一族……」
ミトラには初耳の事ばかりだ。
どんな書物にも書いてなかった。
月氏とは一体……。
疑問だけがミトラの心に残った。
次話タイトルは「月王の正体」です




