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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
195/222

13、烏孫との暮らし


 烏孫のゲルは下に台車のついた移動式のものだった。


 スシーマ王子が持っていたゲル馬車をもっと大型にして、頑丈な造りにしたような感じで、敷布はクッションが厚く、フエルトの幕は幾重にも重なっていて、とても暖かかった。


 真ん中にはかまどがあって、煙突が中央を貫き、天窓から外に煙を出すようになっていた。竈は乾いた牛糞ぎゅうふんが燃料になっていて、牛糞用のフタ付きの壺が横に置いてある。しっかり乾燥させた牛糞は匂いもなく、思ったよりもよく燃えて便利だった。


 家族用のゲルはだいたい同じ造りらしく、一人暮らしの烏孫には広過ぎるようにも感じた。

 そして、ゲルの一角には紗幕で囲ったミトラのプライベートな空間も作ってくれた。


 女達のゲルよりも、ずっと広いスペースがあり過ごしやすかったが、一つ問題があった。


「いたっ!」


 紗幕から出て、珍しい調度でも眺めてみようかとゲルの中をウロウロすると、途端にユキヒョウのゾドがやってきて、長いしっぽでミトラの背やお尻をペンっと叩いていくのだ。


 よそ者が部屋を動き回るのが気に入らないらしい。


「もう、ゾド! ちょっと見てるだけじゃないか! 別に烏孫の物を盗んだりしない」


 烏孫は昼間は大抵、男達と放牧に行くか他部族との話し合いに出掛けている。

 ゲルの外に出る事を禁止されたミトラは一人留守番をする日々だった。


「ゾド、別に外に遊びに行ってもいいのだぞ。私は別に逃げないし、烏孫のゲルを荒らしたりもしないから」


 ゾドはいつもなら烏孫について行くか、気儘きままに山を駆けていると聞いた。

 どうやらゲルに残って信用ならない女を見張っているらしい。


 その時、ゾドがピクリと耳を立て、ゲルの入り口に顔を向けた。

 すぐに入り口の幕が開けられ、杏奈あんなが顔を覗かせた。


「杏奈!」

 ミトラは久しぶりに会った杏奈に喜んで駆け寄る。


「元気だったか? みんなはどうしてる?」


 しかし杏奈はチラリとミトラを見てからプイッと目をそらし、洗濯した烏孫の衣類をゲルの中に運んだ。


「烏孫の服か? 私が片付けよう」

 ミトラが受け取ろうとすると、さっと身をそらせた。


「結構よ! 私の仕事だもの。烏孫様の奥方になる人はゆっくりお茶でも飲んでなさいよ」

「杏奈……」


 当然といえば当然の態度だ。


「すまない……」

「謝らないでよ! もっと惨めな気分になるわ!」

「すまない……あ……」


 また謝って口を押さえるミトラを憎々しげににらんだ。


「あんたなんか現れなきゃ良かったのに!」

 杏奈は叫んで出て行った。


 いつもこうなる。

 執着する男達と敵視する女達。

 ミトラの周りはいつも激しい感情が交錯する。


「ゾド、私はどうしてこんなに嫌われるんだろう……」


 ミトラはそばにたたずむユキヒョウになぐさめを請うように寄り添った。

 しかしゾドはすっと避けて、ミトラの体は支えを失い床に転がる。

 その脇腹をペンっと尻尾で叩いて距離を空ける。


「ゾドも私を嫌うのか……」

 落ち込むミトラの所に待ち人が現れた。


「ミトラ様、入ってもよろしいですか? 神威かむいです」

 ゲルの外から声が聞こえた。


「神威! どうぞ、待ってたんだ」


 まだあどけなさの残る明るい笑顔がそっと中をうかがう。


 神威はミトラの従者となって、烏孫の側近の地位を与えられたため、覚える事が山ほどある。

 成人男子の基本として放牧も覚えなければならない。

 完全なミトラ付きになるのは正式に結婚してからの話だ。

 今はあちこち駆けずり回って知識と経験を積んでいる段階だ。


 しかし、その忙しい合間をぬって日に一度はミトラの所にやってきて、村の出来事や噂話を聞かせてくれる。この村で唯一気を許せる相手だった。


「今日はミトラ様の衣装が出来たので持ってきました」

「衣装?」


 神威の両手には純白のフエルトで出来た真新しい服が乗っていた。


「烏孫様がミトラ様のサイズに合わせた成人女性の服を作らせていたのです。今夜はゲルに翔靡しょうび様達、中央の方々が飲みに来られるので、これに着替えておくようにと申し付かっています」


「そうなのか」


 広げてみると凝った刺繍の入った美しい長衣だった。

 子供用より薄手だが足筒型の下穿したばきもあって、暖かそうだ。


「それからこれを……」

 神威はもう一つ白いモコモコを差し出した。


「これは……」

「成人の祝いにいただいた兎の毛皮で作ったえり巻きです」


 そのつややかな毛を見ると、生前の兎の愛らしい姿がまぶたに浮かぶ。

 受け取る事を躊躇ためらうミトラに神威は不安を浮かべる。


「どうか受け取って下さい。そしてあの兎の命を生かして下さい」

「命を生かす?」


「はい。ミトラ様を暖め、その尊い命を守り、兎は価値ある命に昇華するのです」

「そんなのは……命を奪った者の勝手なこじつけだ……」


 ミトラは俯く。


「でもミトラ様が受け取らなければ、捨てられ、忘れ去られるのです。それならば、その命に感謝して命をつなぐ方が兎も浮かばれるのではないでしょうか」

 懇願するような神威の眼差しを受け止め、ミトラは自分に言い聞かせるように呟いた。


「身につけるたび、その命に感謝すれば……か……」


 この辺境の大地で生きて行くと決めたからには、一つ一つ受け入れていくしかない。


「分かった。朝夕、感謝して身に着けよう」

 受け取って、ふと神威の手に無数のアザや傷がある事に気付いた。


「神威、この傷はどうしたのだ?」

 よく見ると顔にも小さな傷がある。


 神威は傷を隠して、恥ずかしそうに微笑んだ。


「慣れない放牧で転んだり、落馬したりしたので……」


 辺境の男達の教育は容赦ないのだろう。

 まだ十二歳だというのに……。


「大変だな。無理してないか?」

 その上ミトラの従者としての訓練まであるのだ。


「大丈夫です。烏孫様の側近に大抜擢だいばってきされたのです。人の何倍も頑張らなければ……」


 心配する反面、羨ましくもあった。

 自分の進む道に精進出来る神威が……。


 ミトラもゲルに閉じこもるぐらいなら、乳搾りでも炊事でも織物でも人の役に立つ事を覚えたかった。しかし杏奈の態度を考えると、女達の輪に入るのは難しいのだろう。



 夕方過ぎになって、ようやく烏孫が帰ってきた。


「おかえりなさい! 烏孫」


 人恋しさに思わず笑顔で駆け寄る。

 烏孫はそれに満足を浮かべる。


「おお、帰ったぞ。今日一日、何事も無かったか?」


 所帯を持ったような暖かさがこそばゆい。

 しかし、ミトラが答えるよりも先にゾドが二人の間に割って入り、烏孫にじゃれつく。


「ゾド、今日も山に行かずミトラを守っていてくれたか。よしよし」

「守るというより……」

 見張ってたんだと言おうとしたミトラを、ゾドは烏孫に見えないようにペンっと尻尾で叩いた。

 むっと睨み合う。


「おっ、その服は俺が桂香けいかに作らせていた服だな。よく似合ってるじゃないか」


 ミトラは神威に渡された純白の長衣に着替えていた。

 サイズもぴったりで、神威にもらった兎の襟巻きと揃えたように合っている。


「ちょうど良かった。今日はお前が喜ぶ物を手に入れたんだ。ほら、見ろ」

 烏孫の手の中には金細工の花のブローチがのっていた。


「見事な細工だな」

 ヒンドゥの物とも見劣りがしないほど精巧に出来ている。


「男物の動物の意匠いしょうは多いのだが、花の意匠は珍しい。羊二頭と交換してもらった」

「羊二頭と?」


 ミトラは驚いた。

 羊はこの村の大事な財産だ。


「気に入ったならば、もっと作らせるぞ。どんな意匠が好みだ?」

「い、いらない。これも返して羊二頭を戻してくれ」

 ミトラは青ざめて首を振る。


 途端に烏孫の機嫌が悪くなった。


「なんだと? 俺がせっかくお前のために手に入れたのに、いらないと言うのか!」


 烏孫は他の村に出かけるたびに何かしらミトラに土産を持って帰る。

 たいがいはチーズなどの食べ物だったが、宝飾の類も目に付けばすぐに家畜と交換してしまう。


 ミトラが受け取らないと言うたび喧嘩になって投げ捨てるというのが日課になっていた。

 ゲルの一角には、投げ捨てられた宝飾が日ごとに積みあがっていた。


「烏孫、何度も言うが私は宝飾などいらない。無駄な買い物はやめてくれ」

「何故だ! 女は宝飾を贈れば喜ぶものと聞いている。何故お前は喜ばない! 俺の贈り物だからか? アショーカ王子なら喜んだのか? そうだろう? 言ってみろ!」


「違う。アショーカに贈られた衣装や宝飾も断った。誰にもらっても関係ない」

 ただ一つラピスラズリの額飾りをのぞいてだが……。


「ではどうすればお前は喜ぶのだ? 何を贈れば笑ってくれる?」


 はっとする。

 そんなに自分は寂しい顔をしているのか?

 知らず知らずため息ばかりをついていたのかもしれない。


「では一つお願いがある」

「なんだ言ってみろ。どんな高価な物でも手に入れてやる」

「この、そなたがくれた衣装の刺繍が気に入った」

「衣装か。それは桂香が仕立てた物だ。ではすぐにもっと作らせよう」


 ミトラは慌てて首を振る。


「そうじゃない。私は自分で作ってみたいんだ。その桂香殿に仕立て方を教えてもらいたい」

「仕立て方を?」


 烏孫は思っていた返答ではなかった事に不機嫌な顔をする。


「烏孫、私はもうここで生きて行くと決めた。シェイハンの民の事を考えれば心残りはあるが、私に帰る手段などないのだと充分分かっている。そなたが妻にすると言うならば、私に出来る限りの誠意で答えるつもりだ」


「誠意……」


 愛ではないのだと烏孫は思った。


「それならば、どうかこの国の人のために役立つ何かを身に付けさせてくれ。私がこの北の大地で生きる意味をくれ。お願いだ」


 烏孫はしばらく考えた後「分かった」と呟いた。


「明日から桂香を寄越そう。あいつなら他の女のような敵意はないだろう」

「ありがとう、烏孫」


 烏孫は嫌な男ではない。

 口でどんなに意地悪を言おうとも、多分精一杯の好意を示してくれている。

 だからミトラも誠意で答えたいと思う。


 ただ……誠意でしか答えられない事が申し訳なかった。


次話タイトルは「烏孫の側近たち」です

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