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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
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5、トルファンでの生活①


 女達は散々愚痴ぐちをこぼしてから、ようやく少し大きなゲルにミトラを連れて行った。


 ゲルの中は思ったよりも広く、二十人ほどの若い女達が自分のスペースを持って暮らしていた。一番外側はゲルの枠に物を掛けられるため、古株の女達が陣取っている。


「あんたは私の隣にするといいわ」


 杏奈に指定された場所はゲルのほぼ真ん中だった。

 足を伸ばしてギリギリ眠れるぐらいの広さだ。

 外に行くほど広く、杏奈はミトラの隣りだが、もう少し広かった。


「子供が出来たら夫のゲルに移るから、そのうちもう少し広い所が空くわよ」

「子供が出来なければずっとここなのか?」


 まるで王の後宮のようなシステムだ。


「そうよ。ほら、外回りの女達は年がいってるでしょ? 一番古株のあの人なんて、もう三十を過ぎてるのよ。子供を産める年齢を過ぎたら、親のいない子供用のゲルの世話係りになって、それも過ぎたら老人ばかりのゲルに移るの。ああはなりたくないわ」


「では、そなたは誰かの妻になるのか?」


「そなた?」

 杏奈はミトラの大仰たいぎょうな物言いに、少しひるんでから続けた。


「も、もちろんよ。私は烏孫様の子供を産んで第一夫人になってみせるわ」

「第一? やはりここも一夫多妻制なのか?」


 生活習慣が違ってもこういう所は同じらしい。


「男達は自分がやしなえる範囲の女を妻にするわ。強い男は多くの妻を持つの」


「烏孫はまだ夫人を持っていないのか?」

 意外な気もする。


「そうなのよね。女遊びはするけど、まだ子供も妻もいらないんですって」

「真面目なのか不真面目なのか分からぬな」


「分からぬなってあんた、なんでそんな偉そうな物言いなの? 嫌われるわよ」

「え? 偉そう?」


 指摘された事もなかった。

 これが普通だと思っていた。


「まあいいわ。とりあえず、それ男物の毛皮でしょ? 服をあげるから動きやすい服に着替えなさい。ほら、脱いで」

 杏奈は帽子と毛皮を脱がせて、ようやく珍しい風貌ふうぼうに驚いた。


 帽子の中は腰まである月色の直毛で、烏孫に借りた毛皮の下は東宮殿の侍女の服だった。

 遠巻きに見ていた女達も珍しさに再び集まってきた。


「なあに、この服? 薄くて寒そうだけど綺麗ねえ」

「私知ってるわよ。南方のヒンドゥのサリーでしょ? 前に見た事あるもの」


「それより何このサラサラの直毛。絹糸みたいね。ヒンドゥの人ってこんな髪なの?」


 黒髪の直毛はたまにいるらしいが、月色の直毛はどこに行っても珍しい。


「あんた何者? そういえば名前も聞いてなかったわね」

「アサンディーミトラ。みんなはミトラと呼ぶ。母国はシェイハンだ」


「シェイハン? 聞いた事ないわね。ヒンドゥの近くなの?」

「そうだ。今はマガダの属国になっている」


「マガダ? それはヒンドゥとは違うの?」


 南方の情報は伝わってこないらしい。


「ねえところでさぁ、私のお気に入りの服をあげるからさあ、その衣装、私にくれない?」

 杏奈がそんな事どうでもいいという風に擦り寄ってきた。


「これは借り物だが……」

 スシーマ王子の母、ラージマール王妃に借りたものだ。

 だが、もはや返す方法もない。


「たぶん返す事も出来ないだろうから、別に構わぬが……」

 ミトラの言葉に、また女達に一騒動が始まった。


「ずるいわよ、杏奈! あんたったらホント図々しいんだから」

「そうよ。年下のくせに出しゃばりすぎよ。烏孫様の夜伽よとぎに着るつもりでしょ」

「そうはさせないわよ。私がもらうんだから」


 ギャーギャーと服を脱がされ、結局みんなで順番に着まわす事で話はまとまったらしい。


 ミトラは女達が出してきた服を着てみたが、どれも大き過ぎて腕も足も引きずるほどで、結局、子供用の膝丈の上衣に耳当てのついたフエルト帽、それから足筒型のズボンを着た。足筒型の衣装は初めてだったので、足周りが落ち着かなかったが、暖かくて動きやすかった。


「そういえば足筒型はアショーカが好んで着ていたな……」

 ふと思い出した。


 もっと薄手の更紗さらさ織りの衣装だったが、派手な色に染めて奇抜な恰好ばかりしていた。

 ただの目立ちたがりだと思っていたが、着てみると思いのほか実用性に優れていた。


 胸がチクリと痛み、あわてて思考を切り替える。


「あの……何か手伝う事があれば手伝うが……」

 動いていれば忘れていられる。


「あら、そう? じゃあ今から夕餉ゆうげの準備なの。手伝ってちょうだい」



 料理は村の真ん中にある大鍋で作って各ゲルに運ぶ。寒風の吹く野外の調理は想像以上に厳しい。しかし女達は慣れた感じで手際よく火をおこし、粉をひいて平餅を焼く。


 調理場の近くには薄い天幕を張った中に、牛やヤギが飼われていた。


「ミトラ、じゃあヤギの乳をしぼってきて」

 杏奈に木椀きわんを渡されミトラは困惑した。


「あの……私は搾った事がないのだが……」


「ええ――っ? 乳搾りが出来ないの? 信じられない」


 そばで調理をしていた年配の女達がすぐに聞きとがめる。


「あんた、家の手伝いもしなかったのかい? 親はどんなしつけをしてたんだかねえ」

「子供を捨てる親なんだから、そんなもんさね。でもここじゃ、なまけ者は許さないよ」


 女達に囲まれ、あーだこーだと注意を受けた。

 悪気は無いらしく面倒見がいいのだろう。


「ほれ、そこの子供達に教えてもらって乳搾りを覚えなよ」


 ミトラの背後には十人ほどの子供達が同じような木椀を持って、珍しい新入りを好奇心いっぱいの目で見つめていた。


「あの……」

 ミトラが話しかけると、一斉にキャーと叫んで散っていってしまった。


 一人だけ、ミトラと同じぐらいの背丈の少年だけが逃げずにとどまっていた。

 短い白髪が珍しい。大きな瞳は赤みのある灰色だった。透けるような白肌に、ヤギ色の毛皮をまとい、全体に色素が薄くてはかない印象がある。

 背丈は同じでも、自分より幼い感じがする。


「僕は、神威かむい。なんて名前?」

 やっぱり声があどけない。


「ミトラと呼んでくれ。神威、乳搾りを教えてくれるか?」


「いいよ。ミトラこっち」

 神威はにっこり笑ってミトラの腕を引っ張っていった。


 少し照れた様子が愛らしい。


 五頭のヤギの両脇に子供達が座って、それぞれキャアキャア騒ぎながら乳を搾っている。

 もっと小さな五歳ぐらいの子供達は、順番に大きなたるに差した棒をひたすらかき混ぜている。


「これは何を混ぜているんだ?」

 中を覗くと、ドロリとした白い液体がなみなみ入っていた。


「馬のお乳だよ」

 子供は手を止め、あどけない顔で得意げに答える。


「馬の? 馬の乳も飲めるのか?」

 ヒンドゥでもシェイハンでも飲んだ事はない。


「こうやってたくさん、たーくさんかき混ぜたら美味しくなるんだよ」

 胸を張る。


「次は僕だよ。早く代われよ!」

 三人の子供が自分の働く雄姿を見せようと順番を争う。


「こら、順番だよ。けんかしない」

 神威はこの中では年配らしく、子供達は素直に従った。


「こうやって何日も混ぜると馬乳ばにゅう酒というお酒になるんだよ。酸っぱくて美味しいんだ」

 神威はミトラに丁寧に説明してくれる。

 しっかり者のお兄さん的な立場らしい。


 子供達もみんな自分の役割を持って生き生きと働いている。

 その姿が新鮮だった。


「ミトラ、こっち。ほら、こうやって順番に指に力を入れるんだよ」

 神威は一頭のヤギの傍に腰掛け、木椀にシャーっと音をたてて上手にミルクを搾っていく。


「こうか? あれ? おかしいな……」

 ミトラがやると何故か全然出ない。


 他の子供達が遠巻きに様子を見て、プププと笑っている。


「こうだよ」

 神威がミトラの手に自分の手を添えるとシャーっと乳が出た。


「うわっ! 出た。すごい!」

 はしゃぐミトラの背後でくくっと笑う声が聞こえた。



烏孫うそん!」



次話タイトルは「トルファンでの生活②」です

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