5、トルファンでの生活①
女達は散々愚痴をこぼしてから、ようやく少し大きなゲルにミトラを連れて行った。
ゲルの中は思ったよりも広く、二十人ほどの若い女達が自分のスペースを持って暮らしていた。一番外側はゲルの枠に物を掛けられるため、古株の女達が陣取っている。
「あんたは私の隣にするといいわ」
杏奈に指定された場所はゲルのほぼ真ん中だった。
足を伸ばしてギリギリ眠れるぐらいの広さだ。
外に行くほど広く、杏奈はミトラの隣りだが、もう少し広かった。
「子供が出来たら夫のゲルに移るから、そのうちもう少し広い所が空くわよ」
「子供が出来なければずっとここなのか?」
まるで王の後宮のようなシステムだ。
「そうよ。ほら、外回りの女達は年がいってるでしょ? 一番古株のあの人なんて、もう三十を過ぎてるのよ。子供を産める年齢を過ぎたら、親のいない子供用のゲルの世話係りになって、それも過ぎたら老人ばかりのゲルに移るの。ああはなりたくないわ」
「では、そなたは誰かの妻になるのか?」
「そなた?」
杏奈はミトラの大仰な物言いに、少し怯んでから続けた。
「も、もちろんよ。私は烏孫様の子供を産んで第一夫人になってみせるわ」
「第一? やはりここも一夫多妻制なのか?」
生活習慣が違ってもこういう所は同じらしい。
「男達は自分が養える範囲の女を妻にするわ。強い男は多くの妻を持つの」
「烏孫はまだ夫人を持っていないのか?」
意外な気もする。
「そうなのよね。女遊びはするけど、まだ子供も妻もいらないんですって」
「真面目なのか不真面目なのか分からぬな」
「分からぬなってあんた、なんでそんな偉そうな物言いなの? 嫌われるわよ」
「え? 偉そう?」
指摘された事もなかった。
これが普通だと思っていた。
「まあいいわ。とりあえず、それ男物の毛皮でしょ? 服をあげるから動きやすい服に着替えなさい。ほら、脱いで」
杏奈は帽子と毛皮を脱がせて、ようやく珍しい風貌に驚いた。
帽子の中は腰まである月色の直毛で、烏孫に借りた毛皮の下は東宮殿の侍女の服だった。
遠巻きに見ていた女達も珍しさに再び集まってきた。
「なあに、この服? 薄くて寒そうだけど綺麗ねえ」
「私知ってるわよ。南方のヒンドゥのサリーでしょ? 前に見た事あるもの」
「それより何このサラサラの直毛。絹糸みたいね。ヒンドゥの人ってこんな髪なの?」
黒髪の直毛はたまにいるらしいが、月色の直毛はどこに行っても珍しい。
「あんた何者? そういえば名前も聞いてなかったわね」
「アサンディーミトラ。みんなはミトラと呼ぶ。母国はシェイハンだ」
「シェイハン? 聞いた事ないわね。ヒンドゥの近くなの?」
「そうだ。今はマガダの属国になっている」
「マガダ? それはヒンドゥとは違うの?」
南方の情報は伝わってこないらしい。
「ねえところでさぁ、私のお気に入りの服をあげるからさあ、その衣装、私にくれない?」
杏奈がそんな事どうでもいいという風に擦り寄ってきた。
「これは借り物だが……」
スシーマ王子の母、ラージマール王妃に借りたものだ。
だが、もはや返す方法もない。
「たぶん返す事も出来ないだろうから、別に構わぬが……」
ミトラの言葉に、また女達に一騒動が始まった。
「ずるいわよ、杏奈! あんたったらホント図々しいんだから」
「そうよ。年下のくせに出しゃばりすぎよ。烏孫様の夜伽に着るつもりでしょ」
「そうはさせないわよ。私がもらうんだから」
ギャーギャーと服を脱がされ、結局みんなで順番に着まわす事で話はまとまったらしい。
ミトラは女達が出してきた服を着てみたが、どれも大き過ぎて腕も足も引きずるほどで、結局、子供用の膝丈の上衣に耳当てのついたフエルト帽、それから足筒型のズボンを着た。足筒型の衣装は初めてだったので、足周りが落ち着かなかったが、暖かくて動きやすかった。
「そういえば足筒型はアショーカが好んで着ていたな……」
ふと思い出した。
もっと薄手の更紗織りの衣装だったが、派手な色に染めて奇抜な恰好ばかりしていた。
ただの目立ちたがりだと思っていたが、着てみると思いのほか実用性に優れていた。
胸がチクリと痛み、あわてて思考を切り替える。
「あの……何か手伝う事があれば手伝うが……」
動いていれば忘れていられる。
「あら、そう? じゃあ今から夕餉の準備なの。手伝ってちょうだい」
料理は村の真ん中にある大鍋で作って各ゲルに運ぶ。寒風の吹く野外の調理は想像以上に厳しい。しかし女達は慣れた感じで手際よく火をおこし、粉をひいて平餅を焼く。
調理場の近くには薄い天幕を張った中に、牛やヤギが飼われていた。
「ミトラ、じゃあヤギの乳を搾ってきて」
杏奈に木椀を渡されミトラは困惑した。
「あの……私は搾った事がないのだが……」
「ええ――っ? 乳搾りが出来ないの? 信じられない」
そばで調理をしていた年配の女達がすぐに聞き咎める。
「あんた、家の手伝いもしなかったのかい? 親はどんな躾をしてたんだかねえ」
「子供を捨てる親なんだから、そんなもんさね。でもここじゃ、怠け者は許さないよ」
女達に囲まれ、あーだこーだと注意を受けた。
悪気は無いらしく面倒見がいいのだろう。
「ほれ、そこの子供達に教えてもらって乳搾りを覚えなよ」
ミトラの背後には十人ほどの子供達が同じような木椀を持って、珍しい新入りを好奇心いっぱいの目で見つめていた。
「あの……」
ミトラが話しかけると、一斉にキャーと叫んで散っていってしまった。
一人だけ、ミトラと同じぐらいの背丈の少年だけが逃げずにとどまっていた。
短い白髪が珍しい。大きな瞳は赤みのある灰色だった。透けるような白肌に、ヤギ色の毛皮を纏い、全体に色素が薄くて儚い印象がある。
背丈は同じでも、自分より幼い感じがする。
「僕は、神威。なんて名前?」
やっぱり声があどけない。
「ミトラと呼んでくれ。神威、乳搾りを教えてくれるか?」
「いいよ。ミトラこっち」
神威はにっこり笑ってミトラの腕を引っ張っていった。
少し照れた様子が愛らしい。
五頭のヤギの両脇に子供達が座って、それぞれキャアキャア騒ぎながら乳を搾っている。
もっと小さな五歳ぐらいの子供達は、順番に大きな樽に差した棒をひたすらかき混ぜている。
「これは何を混ぜているんだ?」
中を覗くと、ドロリとした白い液体がなみなみ入っていた。
「馬のお乳だよ」
子供は手を止め、あどけない顔で得意げに答える。
「馬の? 馬の乳も飲めるのか?」
ヒンドゥでもシェイハンでも飲んだ事はない。
「こうやってたくさん、たーくさんかき混ぜたら美味しくなるんだよ」
胸を張る。
「次は僕だよ。早く代われよ!」
三人の子供が自分の働く雄姿を見せようと順番を争う。
「こら、順番だよ。けんかしない」
神威はこの中では年配らしく、子供達は素直に従った。
「こうやって何日も混ぜると馬乳酒というお酒になるんだよ。酸っぱくて美味しいんだ」
神威はミトラに丁寧に説明してくれる。
しっかり者のお兄さん的な立場らしい。
子供達もみんな自分の役割を持って生き生きと働いている。
その姿が新鮮だった。
「ミトラ、こっち。ほら、こうやって順番に指に力を入れるんだよ」
神威は一頭のヤギの傍に腰掛け、木椀にシャーっと音をたてて上手にミルクを搾っていく。
「こうか? あれ? おかしいな……」
ミトラがやると何故か全然出ない。
他の子供達が遠巻きに様子を見て、プププと笑っている。
「こうだよ」
神威がミトラの手に自分の手を添えるとシャーっと乳が出た。
「うわっ! 出た。すごい!」
はしゃぐミトラの背後でくくっと笑う声が聞こえた。
「烏孫!」
次話タイトルは「トルファンでの生活②」です




