表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第六章 トルファン 遊牧の民 烏孫編
186/222

4、スシーマ王子の使い

 パータリプトラの東宮殿では盛大な親子喧嘩が勃発ぼっぱつしていた。


 母ラージマールがミトラを追い出したと知り、おまけに西宮殿に逃げ込んだミトラがアショーカの妻に殺されかかり、訳の分からない男に連れ去られたと聞いて、スシーマは周りのすべての人間に腹が立った。


 そして何より一番許せないのは自分だった。


 ナーガと側近を使ってミトラの最後の足取りである奴隷商人を捕えたまでは良かったが、すぐに捜索に出ようとしたスシーマをラージマールが全力で阻止した。


 皇太子であるスシーマには長らく都を空けていた間にたまった雑務もあれば、日々こなさなければならない公務もある。

 王宮の外に出るには王の許可と細かな手続きが必要だった。


 こんな時、自由な立場であるアショーカがうらやましかった。


 いや、アショーカなら皇太子であったとしても、仮病を使ってでもミトラを追いかけたのだろう。

 しかし根っから実直で生真面目なスシーマには難しい。


 その上ラージマールに、もし王宮を出るようなマネをしたら、王にすべてをバラし、ミトラ暗殺の隠密おんみつを送ると告げられ、スシーマは身動きがとれなくなっていた。


「ナーガ、まだ五麟ごりんは動けぬのか?」


 スシーマは落ち着かない気持ちで自室の椅子に座り、ため息をついた。


「はい。ラージマール様が朝に夕に点呼をとって見張っております」


 せめて五麟だけでも送れたら烏孫うそんから救い出す事も出来たのに、ラージマールに牛耳ぎゅうじられ、成すすべも無かった。


 つくづく自分の無力を噛みしめる。


 皇太子といってもアショーカのように自分の騎士団を持たないスシーマは、王と母の許可が無ければ兵士一人動かす事も出来ない。


「反乱討伐には十万の兵士を動かせる私が、みじめなもんだ」

 スシーマは自嘲じちょうした。


「ラーダグプタ様の話では烏孫というのはミトラ様のみどりの呪にかかった男だそうです。ミトラ様の使徒となった烏孫は、一切の手出しは出来ぬという話でございます。きっとアショーカ王子が無事連れ帰ってきますよ」


「アショーカ任せか。皇太子とは好きな女一人、この手で守る事も出来ぬのだな」


 今の自分にとって、ひどく価値のない権力だけを持つのだ。

 こうなってみて初めて気付いた。

 皇太子の自分がからっぽであると。


 アショーカには商売で得た莫大な金と、鍛え上げられた騎士団がある。

 王に迎合げいごうせず苦難の道の上に手に入れた紛れも無いアショーカの財産だ。


 スシーマは王になればヒンドゥのすべてを手に入れるかもしれないが、皇太子であるうちはすべて王のおこぼれでしかない。


「ナーガ、私は力が欲しい。自分で動かせる軍隊と、権力が……」


 ナーガは王子が初めて見せる野心が嬉しかった。

 ミトラに出会ってから、この主君は自分では気付いてないが一歩ずつ王の資質を育てている。


「伝説の英雄ラーマ王子もシータ姫がさらわれた時は弟のラクシュマナしかいませんでした。それでも魔王ラーヴァナから姫を奪還しましたよ」


「……」


 スシーマはしばし考え込み、「そうか」と思いついた。


「今の私が唯一自由に動かせるのはハヌマーンだけか……」

「猿の将軍ですか? しかしスシーマ王子のハヌマーンは本当にただの猿ですよ?」


 山をひとっ飛び出来るわけでも、風神ふうじんの息子でもない。


「ハヌマーンが私の神獣しんじゅうだと言われているなら、きっと何かの役に立つはずだ」


 しかし、シータ姫の奪還に大活躍した猿の将軍とは似ても似つかぬ小さな猿だった。


「本気でございますか? 北の極寒で小さな猿など簡単に死んでしまいますよ」

「防寒具を整えて、北の大地に明るい者を雇って、ミトラのそば近くに送り込め」


「わかりました。もしハヌマーンが皆が言うように王子の神獣であるなら、なんらかの成果を上げてくるやもしれません。やってみましょう」


    ※  ※


 烏孫の馬に乗せられ、毛皮でくるまれたミトラは、ようやくトルファンに到着した。


 日当たりのいい谷あいには手頃な川が流れ、まばらに草木も茂っている。

 暖かそうな羊毛の幕で覆われたゲルが幾つも張られていて、思ったよりも大きな集落だった。


 烏孫達の四頭の馬が目に入ったと同時に村人達が出迎えに駆け出し、それぞれのゲルに伝達されては女子供がゾロゾロ集まってきた。


「烏孫様! お帰りなさい!」

「あなたの帰りをみんな首を長くして待っていたのよ」

「わーい、烏孫様、烏孫様!」

「抱っこして! 烏孫様」

「寂しかったよお」


 どうやら村で人気者だというのは本当らしい。

 烏孫の周りには子供と女達が押し寄せ、ミトラはあっという間に狛爺こまじいの所に追いやられてしまった。


 シェイハンでもヒンドゥでも、王家のおごそかな出迎えに慣れていたミトラには、王子と村人の近い関係にまず驚いた。

 まるで血を分けた家族のように抱きつき喜んでいる。


 そしてヒンドゥの男達がミトラに必ず着けさせた頭からのヴェールも、必要ないとフエルト地の帽子だけを被らせた訳もすぐに分かった。


 人種が雑多で、髪の色一つとっても金色から赤毛、黒髪まで様々だ。


 瞳の色も青が一番多いようだが、黒目も灰色もいる。

 ただみどりの瞳のものはいないようだった。


 でも、これだけバラエティに富んでいると、月色の髪と翠の瞳のミトラも珍しくはなかった。

 実際、烏孫の出迎えに色めきたって、ミトラに気付いたのは一騒ぎ終わってからだった。


「あら、何? この子? 烏孫様ったらまた子供を拾ってきたの?」


 茶髪に青い目の、やけに胸の大きな少女がようやくミトラに気付いて叫んだ。

 するとたちまち、みんなの興味がミトラに移り、取り囲まれる。


「顔、ちっちゃーい」

「目がみどりだわ」

「綺麗な子供ねえ」


 ヒンドゥよりも大柄な女が多いらしく、小柄なミトラは小さな子供だと思われたようだ。


「あなた何歳? お父さんとお母さんは?」

「捨てられたの?」

「かわいそうに、こんな小さな子供を」

「安心なさいね。この村は捨て子がたくさんいるのよ。私も烏孫様に昔、拾われたの」

「私もよ。大丈夫すぐに慣れるわよ。あなた何歳? 十二歳までの子供用のゲルと、十二歳以上の男女別の未婚の若者のゲルがあるのよ。あなたは子供用の方かしら?」


 最初に声をかけた少女が尋ねると、そばで聞いていた烏孫がぷっと吹き出した。


杏奈あんな、その女は小さいが、それでも十四だ。お前と同じ年だぞ」


 烏孫の言葉に全員が驚いた。


「ええっ? この子十四なの? だって胸も無いし……」


 やはりそこが重要らしい。


「ま、まさか烏孫様ったら、こんな子供みたいな子に手を出したんじゃないわよね」


 一瞬、今まで好意的だった女達が敵を見る顔になった。


「バカ言うな。だれがそんな貧乳女! 俺様の巨乳好きはお前らも知ってるだろう」


「そ、そうよね」

 女達は再び好意的な、そして哀れみの表情に変わった。


「十四でこの胸じゃあ、一生かかっても巨乳にはならないものね」


 誇大して言ってるのかと思ったが、本当にこの村では貧乳は価値がないらしい。


「野郎どもは、まだ放牧から帰ってないのか?」


 そういえば女子供しかいない。


「ええ。今日は少し遠くまで行くって言ってたから」


翔靡しょうび蘭靡らんびが戻ったら俺のゲルに来るように伝えてくれ。それから、その女の世話は杏奈に任せる。いろいろ教えてやれ」


「分かったわ。ねえねえ、じゃあ今夜、烏孫様のゲルに行ってもいい?」

 杏奈と呼ばれた少女が烏孫の腕にまとわりつくと、ぬけがけだと他の女達が一斉に非難する。


「ずるいわよ、杏奈! 一番最初は私の約束だったじゃない」

「その次は私よ。杏奈はずっと後のはずじゃない。順番は守ってよね」


「いいじゃない。その子の世話をするご褒美ほうびよ。ねえ、烏孫様」


「何の順番だ?」

 女達に尋ねるミトラに気付いて、烏孫はがらにもなく狼狽ろうばいする。


「き、今日は旅の疲れもあるし翔靡達と大事な話もあるからダメだ。また今度な」


「え――っっ!!!」


 ぶーぶー言う女達から逃れるように烏孫は行ってしまった。


 狛爺こまじいと二人の側近もついて行ったのでミトラは見知らぬ女達の中に一人残された。


次話タイトルは「トルファンでも生活①」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ