表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第五章 パータリプトラ 後宮編
170/222

22、最悪の再会

「アショーカ!」


 出迎えの人波を掻き分け、ようやく見つけたその姿は……。



 予想していたものと違っていた。



 飛び込むはずの逞しい胸には、大事そうに抱きかかえられたカールヴァキーがいた。


 虚を突かれたように立ち止まる。

 思考が停止する。

 頭の中が真っ白になる。


 現実が唐突に突きつけられる。

 その腕も胸も自分のものではなかったと思い知る。



「ミトラ?」

 アショーカも驚いて呆然としている。


 まさかこんな所で会うとは思いもしなかった。

 ミトラにとって一番危険な場所。

 間もなくビンドゥサーラ王が帰ってくるかもしれない。

 昨日まさに罰を与えるとまで言われたばかりだ。

 こんな所にいると知れたらどんな目に合わされるか。


 それに、この最悪のタイミングはなんだ。


 自分の腕には妻が抱かれていて、好きな女に見せるにはあまりに気まずい。


 久しぶりの再会には大きな花束を用意させ、狂おしいほどに抱きしめてやるつもりだった。

 どれほど会いたかったか怒鳴り散らしてやるつもりだった。


「どうして……ここに……?」

 辛うじて搾り出す疑問の言葉。


 それがミトラにはひどく迷惑そうな声音に聞こえてヒヤリと心が凍る。


 何を思い違いをしていたのだろう。

 なぜ相手も自分に会いたかったのだと疑いも無く信じていたのだろう。

 こんな愛らしい妻達がいるというのに……。


 なぜ、自分こそが一番の存在のように思い込んでいたのか……。



「私は……」


 言葉が出てこない。

 何を言っていいのか分からない。


 傷ついたように見上げるミトラにアショーカは気まずさが全開になった。

 あまりに望んでない状況での再会に無性に腹が立った。


 カールヴァキーを腕に抱いたこの状況で、どんな熱い想いを伝えようと茶番にしかならない。

 再会の喜びに沸き立つ、たぎるような感情を、表現出来ないままに押し込めなければならないこのストレス。

 そんなすべての不満が一言に凝縮されて出てしまった。


「こんな所で何をしているっ!!」


 気付けば怒鳴っていた。


 言葉にするとますます怒りが募る。

 自分が何のために毎日走り回って計画を進めていたのか。

 昨夜はビハールの森深くに入って、急ごしらえで整えた隠れ家に泊まり最後の仕上げを急いだ。

 その所為せいでミトラの到着は今の今まで知らなかった。

 知っていれば、こんな危険な場所に来させるはずがない。


 だいたい何故安全な東宮殿を出てこんな所にいるのだ。

 スシーマは何をしている。

 あの聡い兄がこの危険を分からぬはずがない。


 まさか、また無謀な事を考えて勝手に東宮殿を抜け出したのか。


「お前は、なぜいつも勝手な事ばかりするのだ!

 もう少し考えて行動しろ! バカものが!」


 激しい気性が苛立ちのままに口からこぼれ出る。


 なんとかビンドゥサーラ王に気付かれる前に大急ぎでタキシラに連れ帰ろう。

 そのためだけに必死で駆けずり回っていたというのに、そんな自分の心も知らず、こんな最悪の再会。


 あまりに不本意で報われない。

 考えれば考えるほどいらいらが募る。


「すぐにスシーマ兄上の所に帰れ! 

 西宮殿から出ろ! 阿呆あほうが!!」



 ミトラは何を言われたのか分からなかった。


 ずっと再会の第一声を想像していた。

 甘い言葉や喜びの言葉。


 会いたかった。

 もう離さない。

 ずっとそばにいろ。

 おまえが必要だ。


 いや、そんな甘い言葉を吐く男ではない。

 きっと、こうだ。


 バカもの。こんな所まで迎えに来させおって。

 今度こそ縛り上げて部屋に閉じ込めるぞ。


 どんな最悪の想像にもスシーマの所へ帰れという言葉はなかった。

 その言葉のどこにも喜びの余韻も愛情の欠片も見つけられなかった。



「私は……」


 嗚咽おえつが洩れそうになって慌てて口を押さえる。


 会ったら言おうと思っていた言葉の数々がちりとなって消えていく。


 溢れる言葉が出る場所を失ってミトラの心に黒い渦を巻き、別の感情になって溢れ出す。


「私は……」


 ただ会いたかったのだと……。

 言えるはずのない言葉だけが虚空を過ぎ行く。


 その傷ついた表情に、アショーカはしまったと、今更ながら我に返った。

 まずいと思った時には、周り中から突き刺さる非難の視線を浴びていた。


 呆れたような母と青ざめるデビにカールヴァキー。

 ティッサまでもが非難を浮かべている。


 極めつきに、柱の陰からすっと姿を現したアッサカは非難を超えて殺意が芽生えている。


「アショーカ様……、私なら大丈夫でございます。

 おろして下さいませ」

 カールヴァキーが申し訳なさそうに腕の中で見上げる。


「な、何を言っておる。

 お前は人の心配などせずとも良い。

 こ、これしきの事で泣きそうな顔をするミトラがどうかしておるのだ。

 いつものように言い返せばよいではないか。

 お、俺がひどく悪者になった気がするだろうが!」


 どうつくろっていいか分からない。


「兄上様、そんな言い方をしては月色のお姫様が可哀想です」

 幼いティッサの方が、よほど女心が分かっている。


 どうにも立場がない。


「こ、子供が余計な事を言わんでいい!

 こやつが人の気も知らずバカな事ばかりするから悪いのだ!」

 追い詰められて、ますます余計な事を言ってしまう。


 およそ素直に謝るなどという行動パターンのない男だ。


「アショーカ様……、どうか私の事など構わず……おろして下さいませ……」

 カールヴァキーはどんどん悪くなる事態に、もがいて腕から下りようとした。


「こ、こら無理をするな! 

 寝所に運ぶゆえ大人しくしていろ!」

 アショーカは気まずいまま、ミトラの前を素通りしていった。


 ミトラは前を過ぎ行くアショーカを、ただ呆然と見つめる。


 アッサカは堪えきれずに身を隠す事も忘れ、呼び止めた。


「アショーカ様っ!!!」


 アッサカの存在に初めて気付いた侍女達がぎょっとしてざわつく。

 アショーカは非難顔のアッサカにも腹が立った。


(お前がついていながら何をしている!)


「アッサカ! なぜミトラを西宮殿に連れて来た!

 すぐにスシーマの宮殿に連れて行け!」


 ミトラの目前でアショーカは迷惑そうにアッサカを叱り付けた。

 そして、目の前で浴びせられた罵声がすべての答えなのだとミトラは悟った。



 ―― お前はもう必要ではない ――



次話タイトルは「森の精霊」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ