21、ミカエル王妃の告白②
「大きな罪?」
ミトラは目を見開く。
「ある日チャンドラグプタ様への思慕を問い詰められた私は、苦し紛れに否定の理由を探して、ヒンドゥの黒肌は好きではないと……。
故郷の白肌の人しか好きになれぬと……」
ミカエルは後悔に歪む顔を手で覆った。
その言葉にすべての合点がいった。
いつも女達に白粉をはたかせて、白肌に異常なこだわりを見せていたのは……すべてこのミカエル様に好かれたいがため……。
「王は白肌のバラモンに傾倒するようになり、黒肌のシュードラを虐げるようになりました。
自分の子でさえ黒肌の子が生まれると、その場で殺してしまったのです」
「まさか……そんな一言のために、そこまで残酷な事を……」
「それが愛です、ミトラ殿」
断じる一言に息をのむ。
愛とはそんな恐ろしいものだったか……。
「私は気付いてなかったのです。
ビンドゥサーラ様は従順でない私をいつも言葉汚く罵り、時には乱暴で、時には追い詰め、ずっと嫌われているのだと思っていたのです。
だから私の一言がそれほど重いなんて考えもしなかった。
すべてがあの方の激しいほどの愛ゆえなのだと……気付くのがあまりに遅すぎました」
愛とはもっと清らかで美しいものではなかったか……。
こんな狂気のような愛があるのか。
「アショーカとビンドゥサーラ様の対立を作ったのは私です。
そして民を顧みない王にしてしまったのも私。
多くの尊い命を奪ってしまったのも私のせい……」
「そんなこと……」
なんと言葉をかけていいかも分からない。
青ざめたままのミトラにミカエルは静かに微笑んだ。
その笑顔はすべてを懐に抱き止める聖母のように温かかった。
「私は今、この国のすべての人に償いたいと思っています。
そして何よりビンドゥサーラ様に」
「ビンドゥサーラ王に?」
「ミトラ殿には信じられないでしょうが、私は今、あの方を愛しています」
「え?」
あの気味の悪い王を?
残酷でアショーカを虐げる王を?
まさか?
「もちろん若かりし日にチャンドラグプタ様を想った情熱に焦がされるような愛とは違います。
静かに粛々と、あの方の凍りついた心をゆっくり溶かすような、そんなおだやかな愛です。
でも、それも確かに愛です。
若いあなたには信じられないでしょうが、愛の形は人それぞれに違い、年を重ねてもまた、違う愛の形を見つける事が出来るのです」
「違う愛の形……」
「不器用にしか愛せないあの方を……それでも哀しいほどに一途に私を想って下さるあの方を……今は愛しいと思えるのです。
支えて差しあげたいと心から思っています。
それは他の人の愛には当てはまらないかもしれない。
そんなのは本当の愛ではないと言う人がいるかもしれない。
でも、これは私にとっては生涯を捧げる愛なのです」
「生涯を捧げる愛……」
「ミトラ殿。
あなたは神の縛りを受け、およそ普通の愛を見つけられぬ運命なのかもしれません。
されど、あなたにもあなたらしい愛の形がある。
人とは違っても、あなたがそれを本物だと思うなら、それで良いのだと私は思いますよ。
時には妥協や絶望の中に見つける愛もあるでしょう。
あなたがどこに折り合いをつけるかです。
そして、そこにアショーカがいれば、あの子を選びなさい。
でも違うと思ったのなら、遠慮する事はありません。
全力でお逃げなさい。
まだ決められないというなら、アショーカの側にいればいいのです。
あの子は守るべきものは全力で守り、それで、もし振られたからといって恨み言を言うような気持ちの小さな男ではありません。
大いに利用して構いませんよ」
気持ちがストンと楽になる気がした。
アショーカのそばにいていいのだと……。
ミカエル様がそう言って下さるなら……。
(アショーカのそばにいたい。
苦しいほどにそう望んでいる)
今すぐその胸に飛び込んで会いたかったと叫びたい。
そう結論づけた所に、まさしく懐かしい声が聞こえてきた。
「何度言ったら分かるのだ!
出迎えなどしなくて良いと言ってるだろう!」
玄関口が騒がしい。
数人が応じているようだが、アショーカの大声だけが聞こえる。
「体調が良いからと無理をして悪化したらどうするのだ!」
なんだか一人で怒鳴っているのがアショーカらしくて可笑しい。
「来い! 俺が寝所に連れて行く!」
「アショーカ!」
ミトラは立ち上がって部屋の外に駆け出した。
ずっと待ち望んでいたその声に胸が高鳴って、座ってなどいられなかった。
今すぐ駆け寄って、懐かしいその胸に飛び込む。
会いたかったと抱きしめる。
「あ、ミトラ殿……」
呼び止めるミカエル様にも気付かなかった。
その衝動はあまりに幼く何の疑いもなく……。
だからアショーカの言葉が誰への言葉で、何を意味しているのかなど考える余裕すらなかった。
次話タイトルは「最悪の再会」です




