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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第五章 パータリプトラ 後宮編
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20、ミカエル王妃の告白①

 カールヴァキーを少し休ませようと、側室の部屋を辞したミトラは、まだ現れないアショーカを待って、もう一度ミカエルの部屋で軽い昼食をご馳走になった。


「アショーカは今日はいつもより遅いですね。

 何をしているのかしら」


 顔を見るまで不安でたまらない。


 笑顔で歓迎してくれるだろうか?

 もしも迷惑そうな顔をしたらどうしよう。


 タキシラで別れてからもう随分経った。

 その間にどんな心変わりがあるかなんて誰にも分からない。


 アショーカはもしかしたら行き場のない自分を哀れんで側に置こうとしてくれているだけかもしれない。

 側室二人の話を聞く限り、充分ありえる話だ。


 ミトラもアショーカの立場を悪くする事はあっても、利益になるとは思えない存在だ。

 もしかして自分はアショーカの側にいてはいけないのではないか。

 そう考えただけで足元をすくわれるような気がする。


 自分も側室二人と同じなのだ。


 何も望まない。

 ただ、側にいたい。

 それだけが今の支えなのだ。


 でも、それがアショーカを苦境に立たせるならば……。


 それはもっと望まない。


 早く会って笑顔が欲しい。

 バカを言うなと笑い飛ばして欲しい。

 くだらぬ事を言ってないで側にいろと高飛車に言い切って欲しい。


「いろいろ聞かされて驚いた事でしょう、ミトラ殿」

 不安気に沈むミトラにミカエルが優しく問いかける。


「ミカエル様も私にアショーカの正妃になって欲しいとお望みですか?」


「……」

 ミカエルは考え込むように視線を落とした。


「アショーカの正妃は並みの覚悟の女が務まる立場ではないでしょう。

 ティシヤラクシタの問題もありますがアショーカ自身が安定とはほど遠い所に生きています。

 王になってもならなくても、今後どのような役職に就こうとも、あの子は常に争いの渦中にいて、騒乱の火種となるでしょう。

 それでもアショーカと共にありたいと、そう願うだけの愛がなければ、到底耐えられない。

 ミトラ殿、あなたにもしそれだけの気持ちがあるならば、私はもちろん歓迎致します。

 でも、もしそこまで想わぬのであれば悪い事は言いません。

 アショーカからお逃げなさい」


「逃げる……?」


 思いがけない言葉に驚く。


 息子から逃げろと……。

 そんな母がいるのか……。


「冷たい母だと思いますか?

 されど心通わぬ妻を持てば必ず災いとなります。

 それは、この私自身がまさに証明しているのです」


「ミカエル様自身が?」


 そういえば当初はビンドゥサーラ王から逃げ回っていたと聞いた。


「偉そうな事を言って、一番覚悟なく嫁ぎ国を乱れさせたのは、この私なのです」


「国を乱れさせた?」


 この聡明な方が?


「私の事も少し話しましょう。

 私がこのマガダに嫁いだのは、ちょうどあなたと同じくらいの年でした。

 若く、幼く、結婚に夢も抱いておりました。


 だから聞いた事もないヒンドゥに嫁ぐと決まった時は絶望しました。

 東の野蛮な民のところになど嫁ぎたくないと、泣いて父を困らせました。


 マガダに来てからも泣き暮らし、連れて来た侍女と部屋に籠もって月日をかせぎました。

 されど、そんな私を当時の王、チャンドラグプタ様は珠玉の宝石のように大事に扱い、なれぬ言葉も一つ一つ丁寧に教えて下さいました。


 ヒンドゥの名所に連れて行っては、美しい景色と珍しい風習に触れさせて下さり、この西宮殿に西欧風の石造りの宮殿を建てて下さいました。


 たくさんの興味深い書物を読んで下さり、多くの事を学びました。

 私は少しずつ心を開き、ヒンドゥが好きになっていきました」


 ミカエルはそこで少し苦しげに息をついた。




「そうして私は父ほど年の離れたあの方を愛してしまったのです」



 信じられない告白に、ミトラは驚いた。


「チャンドラグプタ王を?」


 ミカエルは寂しげに頷いた。


「されど、片思いです。

 あの方のお心は別のところにあったのです」


「別の?」

 この美しいミカエル様以上に心惹かれる女性がいたというのか……。


「シェイハンの当時の聖大師様です。

 歴代で一番長生きされた方ですね」


 そういえばシリアとマガダの戦に巻き込まれそうだったのを回避したと聞いた事がある。


「今までで一番強い神通力をお持ちだったと聞いていましたが……」

 会った事はない。


「チャンドラグプタ様は私の緑の瞳を通して、いつも聖大師様を見ておられたのです」

 遠い日を思い返すように呟いた。


 微笑む顔はもうすべて吹っ切っているようだった。


「チャンドラグプタ様は、私を大事な娘のように扱い、指一本触れようとなさいませんでした。

 数年そうして過ごした後、私の恋心に気付いた王は息子のビンドゥサーラ皇太子に嫁がせたのです。

 おそらく王は自分の死後、安定した立場で私が暮らせるようにと思って決めたのでしょう。


 でも……私は、絶望しました」


 この美しく聡明な方にそんな悲恋があったなんて思いもしなかった。


「私は嫁いだ皇太子から逃げ、顔を合わさぬように西宮殿に閉じこもりました。

 チャンドラグプタ様も私の心が受け入れられるようになるまで待てと、皇太子を諭してくださいました。

 されどビンドゥサーラ様も若く血気盛んで、自分をないがしろにする妻を許せなかったのでしょう。

 ついに腹立ちのあまり、私の侍女に手を出したのです」


 その辺の事はアショーカにも聞いた事がある。


「仕方なく私は侍女を守るため、ビンドゥサーラ様を受け入れる事にしました」

 そしてアショーカが生まれたのだと聞いていた。


「されど、それで事は納まりませんでした」


 その続きは知らない。


「ビンドゥサーラ様は苦悩する私を見て、チャンドラグプタ様への思慕に気付いていたのです。

 だから父王と私に裏切られていると思い込んだのです」


「まさかアショーカを……」


 チャンドラグプタ王の子だと?


 ミカエルは頷いた。


「誓って言いますが、チャンドラグプタ様は私に指一本触れた事もありません。

 でも不思議にアショーカはビンドゥサーラ様よりチャンドラグプタ様によく似ていて、我が子のように可愛がる王の方になついていました」


「それで誤解を?」

 だからあれほどアショーカを嫌っているのだ。


「ビンドゥサーラ様は昔はもっと真っ直ぐな温かい目をした方だったのです。

 私はチャンドラグプタ様に恋してた故に逃げていましたが、決して嫌な方ではなかった。

 今のように疑り深い方に変えてしまったのは私なのです」


「変えてしまった……?」

 今の王は控えめに言っても気味の悪い嫌な男だ。


「愛する者に裏切られたと憎み続けたならば、人は悪魔にでも変わるのです」

「でもそれはミカエル様のせいでは……」


 勝手に誤解して勝手に憎んだだけだ。


「いいえ。国を動かすほどの権力を持つ男の妻ならば、よこしまな恋心など決して気取られてはならなかったのです。

 大きな責務を背負う男は、それに見合うだけの愛に支えられてなければならない。

 充分な愛に支えられていない王は、いずれ道を誤るのです」


 確かにアショーカの強さはたくさんの愛に支えられてるからかもしれない。


「王に嫁ぐ女は全力で持てる限りの愛を注ぐ覚悟がなければダメなのです。

 ラージマール様が息子の妃に唯一無二の愛だけを条件にしているのは、それをよくご存知だからでしょう。

 私はその覚悟が足りなかった。

 そして……更に大きな罪を犯してしまったのです」




次話タイトルは「ミカエル王妃の告白②」です

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