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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第五章 パータリプトラ 後宮編
167/222

19、カールヴァキーとアショーカの出会い④

 森の中にひっそり建つ隠れ家の前では一人の男が恐ろしく不機嫌な顔で待っていた。


 付近の動物達はあまりの冷え込みに冬眠したのか、シンと静まり返っている。


「おお、サヒンダ。

 その顔なら森に潜む悪魔も追い払えたな。助かった過ぎてぞ」


「やっぱり……」


「ん?」


「やっぱり大バカものじゃないですかあああ!!!!」


 森に怒声が響き渡る。



 アショーカと側近達は耳を押さえて馬を降りる。

 相当怒り狂っているようだ。


「あれほどダメだと申しましたのに!

 どうすんですかあああ!!!」


「今更返して来いと言っても聞かぬぞ」

 カールヴァキーを抱いたままズカズカと戸口に向かう。


「今更返したって、もうどうにもなりませんよ!!」


「そういう事だ。今更言っても仕方がない。

 部屋は整ってるか?

 警備の騎士団は配置についているか?」

 よく見ると黄色に黒の縦縞の衛兵があちこちに立っている。


「すべて命令通り整えてますよっ!

 私を誰だと思ってるんですか!」

 文句を言いながらも、律儀に完璧に仕事は仕上げてくれる。


 アショーカは戸口に入りながら頼りになる側近に振り返った。


「ご苦労、ご苦労。では俺は今から忙しい。

 もう帰っていいぞ」

 しれっと言う。


 怒り心頭のサヒンダに、他の側近二人は笑いを堪えている。


「帰りますよっ!!

 とっとと十人でも二十人でも子作りに励んで下さいっっ!!」


 サヒンダはバンッと戸口を叩き閉めて行ってしまった。

 他の二人も笑いながら立ち去る。



「あ……あの……やはり……王子様にご迷惑をおかけしたのでは……」


 カールヴァキーは二年前と同じように、ひどく叱られている王子を不安気に見上げた。

「あいつはいつもあんな感じだ。

 俺を怒るのが趣味みたいなもんだ。気にするな」


「で、ですが……」

「余計な事は気にするな。さあ、子供を作るぞ!」



 ◆◆



 かいつまんで話すカールヴァキーと補足をつけるデビに、ミトラはその時の情景が見えるような気がした。

 あまりにアショーカらしくて想像にかたくない。


「私は自分の我儘でアショーカ様を不利な立場に立たせてしまいました。

 その後の会議で烈火のごとく怒ったパンチャーラ様の一票もあり、皇太子様はスシーマ様に決まってしまいました。

 ただただ申し訳なく、そして感謝致しております。

 この西宮殿でミカエル様の下、デビ様とお子達とこうして暮らせる日々は私には過ぎるほどの幸せでございます。

 いつこの命が果てようと悔いはございません。

 ただ、私はどんな事でもいいからあの方のお心に報いたいのでございます。

 この幸せを下さったあの方に、ほんの少しでもお返しをしたいのです」


 カールヴァキーに頷くようにデビも口を開いた。


「ミトラ様、私も同じなのです。

 私はアショーカ様がウッジャインの反乱討伐で負傷された際、父ボパルの屋敷に匿われているあの方を手当てしておりました。


 酷い手傷を負われ、意識も朦朧もうろうとされていたのです。

 私は雲の上の存在である王子様の看病が出来るだけで幸せでした。


 この通り大柄で並みの男よりも力持ちの私は、ヴァイシャの男にも敬遠され、もはや嫁ぎ先などないだろうと、とうに諦めていたのです。お美しい王子様を看病出来たという、そのロマンスだけを胸に、生きていくつもりでおりました。


 だから、屋敷に刺客が現れた時はこの命に代えてもお守りしようと、アショーカ様を抱えて逃げたのでございます。


 なんとか逃げ延びたものの、不覚にも胸を少しばかり切られてしまいました。

 しばらく床から出る事は出来ませんでしたが、何の後悔もございませんでした。


 ただ、私が臥せっている間に、王子様が従者に伴われ王宮に戻られたと聞いた時は、最後に一目お会いしたかったと、それだけを残念に思っておりました。


 その後、胸に傷は残りましたが、どちらにせよ嫁ぐ相手もおらぬ身なれば、ただいつも通りに父の手伝いをして日々を暮らしておりました。


 されどそんな私に奇跡が起こったのでございます。


 半年後、傷を完治されたアショーカ様は信じられぬ事に私を迎えに来て下さったのです。

 胸に傷を負った女など、ましてこのように大柄な私など一生嫁ぐ先もなく、日陰の身として生きなければならない事を分かっておられたのです。


 そしてやはり子供を作ろうと。


 子が生まれれば、たとえヴァイシャであろうと、王子の妻に迎えられると、信じられない事をおっしゃって下さったのです。

 父も私も天に昇るような気持ちで、ただただ感謝致しました。


 だから私もカールヴァキー様と同じ思いでおります。

 この身がいつ果てようと悔いなどございません。

 ただ、アショーカ様に報いる事があるなら全力でお助けしたいのです」



 この二人の側室は、ただ同情して妻に迎え入れられたのだと思っているようだが、ミトラはそうは思わなかった。


(アショーカはきちんと、心からこの二人を愛している)

 この誠実で愛らしい二人を愛さない訳がない。


「私達はもう一生分の幸せをアショーカ様から頂きました。

 今度はアショーカ様に幸せになって頂きたいのです。

 だからどうかミトラ様、アショーカ様の正妃になって下さいまし」


 当然の結論のように二人は頭を下げた。


「私が正妃になる事がアショーカの幸せとも思えぬが……」


 戸惑うミトラに二人の側室は、もう一度顔を見合わせて頷き合った。


「では綺麗事はここまでに致しましょう。

 ただ、純粋にアショーカ様の幸せを願っているというのも本心ですが、ミトラ様に正妃になって頂きたい理由はもう一つございます」


「もう一つ?」


「はい。実はアショーカ様にはもう一人妻がいらっしゃいます」


「ああ、この西宮殿に神殿を建てて暮らすと聞いた、ティシヤラクシタ殿ですね。

 確かヒンドゥでは珍しいゾロアスターの信者だとか……」


「はい。アショーカ様よりも十歳も年上の妖艶な方だという噂です」


「噂?」

 ミトラは首を傾げた。


「はい。私達もお会いした事はございません。

 神殿から滅多に出られぬのです」


「最高顧問官、ヴァッサ王の娘であられるティシヤラクシタ様は、私達が足元にも及ばぬ身分と後ろ盾をお持ちで、お子のジャラウカも我が子達より半年早く生まれた長子にございます」


「聞いたところによりますと、まだ十五だったアショーカ様をゾロアスターの魔術でたぶらかし、お子まで作ったという話でございます。

 お子が出来たのはアショーカ様の本意ではなかったと、そのように噂されております」


「ゾロアスターは、それほど悪しき信仰ではなかったと思うが……」


 別名、拝火教はいかきょう


 善と悪の対極の二神をいただくおごそかな宗派だったはずだ。


「このままでは身分からいってもティシヤラクシタ様が正妃になるのは必至。

 私達は、それだけは避けたいのでございます」


「何故ですか?」

 権力を欲しがる姫達ではない。

 ならば、なぜ……?


「これはあくまで噂でございますが、ティシヤラクシタ様はゾロアスターの生贄いけにえとして、多くの若い姫をさらっては火に捧げていると言われております」


「ま、まさか……」

 それでは西欧の黒魔術のようではないか。


「もちろん私達も真偽は知りません。

 ですが、一つ分かる事は、他の側室やお子達を良く思っていないという事です。

 母上様にすら年始の挨拶さえ来た事がありません」


「もしもあの方がアショーカ様の正妃になって妻達を支配する立場になったなら、おそらくは私達もお子達も無事では済まないでしょう」


「私達はどうなっても構いませんが、アショーカ様が授けて下さったお子達だけは何があっても守りたいのでございます」


「ティシヤラクシタ様に対抗出来る身分と寵愛を持つ方はミトラ様をおいておられません」

「だから、どうか正妃になって下さいまし」

「ミスラ神のご加護のあるミトラ様ならゾロアスターの魔術にも対抗出来ます」

 側室二人は交互にミトラの手をとり懇願する。


「わ、私は巫女とは言っても、大した神通力も……」


 巫女の力もアショーカの寵愛も、この二人は存外に高く評価し過ぎている。

 後ろ盾の国もまだ危うく、アショーカの寵愛などは風前の灯火のようだ。


「お、お二人は思い違いをされています。

 アショーカは私の事など……」


 この愛らしく一途な側室二人の髪の先ほども想われてはいない。

 そう考えると何もかも辻褄つじつまが合うような気がしてきた。

 ウッジャインに迎えに来なかったのも、パータリプトラに到着しても音沙汰のない事も。



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