表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第五章 パータリプトラ 後宮編
164/222

16、カールヴァキーとアショーカの出会い①

 吐き気がするような汗と異臭を放つ腕が、逃れても逃れても羽交い絞めにする。


(怖い。怖い。誰か、助けて!)


 ショックとむせ返る獣臭で気を失う寸前……。


 ブサリッ!!


 ……と生々しく肉を裂く音がした。


 次の瞬間にはカールヴァキーを掴んでいた男がグラリと体を傾け、馬車から転がり落ちた。


 引きずられるように馬車の床に膝をついたカールヴァキーの目前に青いマントがひるがえる。

 爽やかな風を乗せて馬車に飛び込むと、舞うように剣を持つ右手が次々弧を描いた。


「ぎゃあああ!!」

 と叫ぶ男達の姿は、ヒラリと舞い落ちるマントに隠れて見えない。


「おい、姫君達の目汚しだ。

 死ぬなら外に出て死ね!」

 マントの男は言うなり、血まみれの男達を馬車から蹴り出した。


「やれやれ、馬車の中が血で汚れてしまったな。

 おい、大丈夫か?」

 マントの男は呆然と見上げる妹二人のヴェールを覗きこむ。


「おお、こっちにもいたな」

 背後のカールヴァキーにも気付いて振り返った。


 青いマントを大粒の宝石で留め、同じ青のターバンを横結びにしている。

 金細工の剣をスラリと腰にしまい、カールヴァキーのヴェールを覗き込んだ。


 実直な父よりだいぶ砕けた服装だが、身なりはいい。

 浅黒い肌に勝ち気な眉。

 その瞳は灰緑に澄んで、傲慢と温かさを兼ね備えている。


「怪我はないか?

 ヴェールごしだと表情が分からぬな」


「だ……だ……大丈夫でございます……」

 消え入りそうな声が震える。


「大丈夫って声じゃなさそうだな」

 ふっと男は微笑んだ。

 その笑顔に救われる。


「そなた、どこの姫だ? 

 名を申せ。家まで送ってやる」


「こ、近衛部隊、象隊長コルバの娘でございます……」


「おお、コルバ隊長の娘御か。

 隊長の屋敷は確かこの丘向こうだったな」


「は……はい……」


「俺はマガダの王子アショーカだ。

 もう大丈夫だ。安心するがいい」


「お、王子様……!」

 雲の上の人だ。


「おい、ヒジム。外の男達は片付いたか?」

 王子は馬車の外に声をかけた。


「二・三人逃したけど、もう大丈夫さ」

 女のように軽やかな高い声が返事する。


「トムデク、衛兵を呼んできて賊の始末をさせろ!」

「うん、分かった」

 まだ声変わりしてない少年の声が聞こえる。


「サヒンダ、コルバ隊長の屋敷まで姫君達を送り届けるぞ」

 サヒンダと呼ばれた青年が険しい顔で馬車の中を覗きこんだ。


「衛兵達に任せたらどうですか?」

 面倒そうにため息をつく。


「冷たいヤツだな。

 血しぶきを浴びてこんなに怯えているのだ。

 早く家に連れ帰ってやらねば、可哀想じゃないか」


「誰が切った血しぶきですか!

 面倒事に首を突っ込まぬようにとあれほど申しましたのに」


「仕方ないだろう。

 俺が切らねば、この姫達はあの獣のような男達の餌食になってたんだ」


「……ったく! これだから王子と祭りに行くのは嫌なんです!」


「そう怒るな、サヒンダ」


 なんだか従者にひどく怒られている王子にカールヴァキーは不安を浮かべる。


「あの……ご迷惑をおかけして……、申し訳……」

 か細い声が消え入る。


 王子はカールヴァキー達に向き直ると、にっと笑顔を作った。


「こいつは、いつもこういうヤツなんだ。気にしたら負けだぞ」

 王子はマントを外すと、血で汚れた馬車の椅子に敷き詰めた。


「これで少しはマシになっただろう。

 ほら、座れ。俺達が馬車を先導してやる」

 そう言うが早いか、馬車を飛び出て行ってしまった。


 馬車がゆっくり動き出すと、カールヴァキーは窓から見える馬上の王子の後ろ姿を見つめた。


 父や兄以外に初めて見る男性。

 雄々しく軽やかで……。

 異臭を放つ獣のような山賊を見た後では、奇跡のような美しさ。

 何よりその笑顔がもたらす安心感。


(世の中にはこんな方がいらっしゃるのだ)


 カールヴァキーは一目で恋に堕ちた。




 その日からカールヴァキーの心はアショーカ一色になった。


 コルバ隊長は娘三人を救ったアショーカを大層気に入り、王宮で見かけるたびに娘三人にその様子を語って聞かせた。


 反乱討伐にも何度も同行し、十五で総大将になった時の見事な采配を褒めちぎった。


 カールヴァキーは日ごと想いを募らせ、いずれは王子の妻になる事しか考えられなくなった。

 コルバ隊長も娘の夢に夢を重ね、いつかあの見事な王子の舅になる日を夢見て時は流れた。


 しかし、その夢は、ある日唐突に打ち砕かれる。


 父の私室に呼ばれたカールヴァキーは苦渋に歪む父から思いがけない言葉を告げられた。


「最高顧問官のパンチャーラ王がお前を側室の一人として迎えたいと、王を通じて申し出てこられた」

 苦しげに言ったまま頭を抱えた。


「な! そんな! 私は十二の時よりアショーカ様ただ一人を想って……」

 カールヴァキーはわなわなと震えた。


「分かっている。されど王を通じての申し出。

 それも最高顧問官だ。断る事など出来ぬのだ。

 すまぬがカールヴァキー、私にもどうにも出来ぬ」


「嫌です! アショーカ様以外に嫁ぐぐらいなら死んだ方がマシです!」

 従順なカールヴァキーが初めて言葉を荒げ、父に反論した。


「ワシとてアショーカ王子が婿になって下さったらどれほど嬉しいか……。

 されど、あの方はそなたの顔を見た訳でもなければ、妻にと望んでおられる訳でもない。

 十二のあの事件など、アショーカ様はもう覚えてもおられぬのだ」


「そんな……」

 カールヴァキーは目の前が真っ暗になった。


 自分がこれほど想っていても、それは片想い。

 自分の運命は、父より年上のパンチャーラ王に結びついていた。


 その日からカールヴァキーは笑わなくなり、食べなくなった。

 一人神に祈りを捧げ、運命を呪った。


「気持ちは分かるがカールヴァキー、それが女の努めなのだ。

 諦めて嫁に行くのだ。

 パンチャーラ殿は年はいっているが、一国の王だ。

 なに不自由ない暮らしを与えてくれる」


「嫌です。嫌なのです……」


 カールヴァキーはその日毒草を飲んで自殺を図った。

 すぐに侍女が見つけ一命は取り留めたものの、目覚めたカールヴァキーは心を無くした亡霊のように虚ろに天井を見つめるだけだった。


次話タイトルは「カールヴァキーとアショーカの出会い②」です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ