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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第五章 パータリプトラ 後宮編
160/222

12、スシーマの母、王妃ラージマール

 その夕刻、ミトラはユリの馬車に乗せてもらい、侍女に紛れて東宮殿に到着した。


 東宮殿に入ると、中庭に大勢の出迎えの人々が待っていた。

 麗しいスシーマ王子の帰りを乳母や侍女達は指折り数えて楽しみにしていた。

 命じられた訳でもないのに、宮殿中の従者達がほぼ全員、スシーマの前に拝礼していた。


 ミトラはユリと共に最後尾に近い列に加わったため、気に留める者は誰もいなかった。

 ミトラがここにいる事がバレたら、妃に迎えるしかないとスシーマに言われ、ユリは全面的に協力する事を誓った。


「お役目ご苦労さまでしたね、スシーマ」

 一番先頭でスシーマを出迎えたのは、静かな威厳をたたえるサリー姿の女性だった。


 さりげなく金糸で縁取りした出しゃばらない濃紺のサリーが、節度ある人だと思わせる。


「長らく留守をしました、母上。

 こちらは変わりありませんでしたか?」


「ええ。そなたの代わりに出来る執務は、私がやっておきました」


 スシーマの母、ラージマール様だ。

 噂通り、賢母の落ち着きがある。


「ありがとうございます母上」

 スシーマはうやうやしく頭を下げた。


「王が明日の最高顧問会議には出席せよとのご命令です。

 無事公務は済みましたか?」


「はい。すべて問題なく片付いております」

 母親というよりは上司のようだ。


「パトナをウッジャインにやりましたが……、役に立ちましたか?」


 後ろにいたパトナが緊張しながら、さっと前に出た。

 スシーマはチラリとパトナを見る。


「ええ。いつの間にか頼もしくなりました」


 パトナは恐縮して俯く。

 自分は役に立つどころか、混乱に陥れてしまった。

 パトナの様子にすべてを悟ったラージマールはため息をつく。


「コーサラのユリ殿も確か同行したのでしたね?」

 ラージマールは最後尾を見やる。


「は、はいっ! お久しぶりでございます。おば様」

 ユリが慌てて前に進み出る。


 ユリとラージマールは縁戚だった。

 だから幼い頃から東宮殿に出入りが許されていた。


「深窓の姫が僅かな供で実家を離れるなんて感心しませんよ、ユリ」


「も、申し訳ありません」

 ユリもパトナも歯が立たない相手らしかった。


 ラージマールは一通りの小言を言うと、ふと顔を上げ、ユリの侍女達を見やった。


「そなたの侍女はいつも四人だったはずだが……一人多いですね」


 その場の全員がギクリと青ざめた。

 恐ろしく目ざとい。


「と、遠出のため、一人多く連れて行きました」

 ユリが必死で取り繕う。


「そう? コーサラ殿はそんな事おっしゃってたかしら?」

 首を傾げる。


「母上、立ち話もなんですから、旅飾を解いて部屋で話しませんか?

 ユリ殿にもしばし東宮殿にて一休みしてからコーサラ王の元に帰るように言っているのです」

 スシーマがはぐらかす。


「そうですね。旅の疲れもあるでしょう。では後ほど」


 スシーマはもう一度頭を下げて足早に立ち去ろうとする。

 パトナとユリも付き従った。

 ミトラも侍女に紛れて続く。

 その背にラージマールが思い出したように言葉をかける。


「ああ、そうでした。

 アショーカ王子がタキシラから戻っているそうですよ」


 はっとミトラは振り返った。


(アショーカが……)


 久しぶりの名に胸が高鳴る。

 しかし、ラージマールと目が合ったような気がして、あわてて前に向き直る。


「聞いています。側室が危篤だとか。

 容態はどうなのですか?」

 スシーマは平静を保ったまま答える。


「詳しくは知りませんが、回復に向かっているとの事ですよ」


「そうですか。それは良かった」

 ミトラもほっと胸を撫で下ろした。


(良かった。カールヴァキー殿は回復されたのだ……)


 明らかに安堵しているような背にラージマールの鋭い視線が降り注ぐ。

 スシーマは嫌な予感を感じて、逃げるように自室に向かった。


「まずいな。何か感づいたかもしれぬ。

 母上は恐ろしく勘のいい方だ」

 スシーマは部屋に入るなり、ナーガと側近を集め、対策を練る。


「まさか、いくらラージマール様でもここにシェイハンの姫がいるとは思いますまい」

 側近の一人が冷や汗を拭く。

 老獪の側近でも王妃たるラージマールには緊張する。


 アショーカの母ミカエル様も威厳があるが、慈悲深さが全面に出ていて安らぐ雰囲気をかもす方だ。

 一方のラージマール様は謹厳実直を絵に描いたような女性だった。


「いや、母上を侮るな。

 ミトラはすぐに東宮殿の侍女の服に着替え、私の部屋の侍女部屋に隠れろ。

 私の侍女はすでに言い含ませてあるゆえ、しばらく不便だろうが我慢してくれ。

 明日になればアショーカが迎えに来る。

 西宮殿のミカエル様なら事情を理解してかくまってくれるはずだ」


 つまりはラージマール様は事情を理解して匿うような方ではないという事だ。


「母上は筋の通らぬ事を決して許さぬ。

 ある意味父上より恐ろしい方だ」

 律儀で生真面目なスシーマとパトナは、まさにあの母に育てられて今に至っているのだ。


「今日は目立った動きをせぬ方がいいな。

 おそらくアショーカには、今頃私の到着が伝わっているはずだ。

 明日の顧問会議の前に西宮殿に出向いてアショーカと話をつけておこう。

 それまでミトラ、侍女部屋で大人しく待っていてくれ。

 決して部屋から出るな」


「分かりました」



 ようやくアショーカに会える。

 何日ぶりだろうか。

 スシーマの心配をよそにミトラの心は弾んでいた。


 すぐそばの西宮殿にアショーカはいるのだ。

 笑顔で迎えに来てくれるだろうか。

 いや、あの男の事だ。

 とんだ手間をかけさせられたと、怒鳴り上げる事だろう。


 それでもいい。アショーカらしい。

 話したい事がたくさんある。


 ソーマを飲んでしまった事。

 とても恐ろしい目にあった事。

 同性の友達が初めて出来た事。

 そして…。


 アショーカに会いたかった事。

 危険に合うたび、その名を呼んだ事。

 二度と会えないかもしれないと思うたび、心が悲鳴を上げた事。


 どんな風に言えば、この気持ちのすべてを伝えられるだろうか。

 どんなに怒鳴られても、きっと最高の笑顔でその手をとる。

 もう離さない。



次話タイトルは「ミトラとラージマール王妃」です

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