表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第四章 ウッジャイン 覚醒編
148/222

34 スシーマ王子の決意

 翌日の昼過ぎに目を覚ましたミトラは側に付き添うスシーマに驚いた。


「スシーマ殿! ずっとそばに?」


 憔悴した顔が徹夜でついていたのを物語っている。


「ようやく目を覚ましたか、ミトラ。

 気分はどうだ?

 どこか違和感はないか?」


 スシーマは安堵すると同時に矢継ぎ早に尋ねた。

 みんなの話を繋ぎ合わせ、昨夜の詳細はだいたい分かった。


 ミトラは夕べ聖大師としての何かに目覚めたのだ。

 その驚くべき神通力は、想像していたよりもずっと強大だった。


 直接見ていたのはラトラームだけだが、ミトラは死んでいたソルを生き返らせた。

 そしてその目に見つめられた者は、意志を奪われ、命じられるままに動いた。



「違和感? 体は少しだるいが……」

 ミトラはもそもそと起き上がり目を見張る。



「アッサカ!!!」


 スシーマ王子の背後にはひざまずいたアッサカとナーガがいた。


「夢ではなかったのだな。

 迎えに来てくれたのか?」

 ミトラが破顔する。


「アショーカがアッサカと騎士団三人を送ってウソンを見張らせていたようだ」

 スシーマが教えてくれた。


「ウソンを? どうして?」


「あの者は騎士団を抜け出し、ミトラ様を追ってこの地に潜んでおりました。

 アショーカ様は、私にご自分が迎えに来るまでウソンを見張れと命じられました」



「迎えに……来てくれるつもりなのか?」

 ミトラは恐る恐る尋ねる。


「もちろんでございます。

 政務が片付けば、こちらに向かわれるつもりで……。

 もう向かっておられるかもしれません」


「そ、そうなのか……」

 ミトラはほっとして、笑顔を浮かべた。


 忘れられていたわけではないのだ。

 それが嬉しい。



「ミトラ、そなたはゆうべウソンをそなたの第五のマギにと指名したらしいが、覚えているか?」

 スシーマは尋ねる。


「第五のマギ?」

 ミトラは首を傾げる。


「ゆうべの事は……なんだか頭の中にもやがかかったようにぼんやりとしか……。

 ただ、なんだか無敵になったような……」


「無敵?」


「自分に出来ない事などないような……。

 全能の神になったような気がした」


「全能の神か……」


 確かにその通りだ。

 死人を生き返らせたのだから……。



「そういえばソルは?

 ソルは元気か?」

 ミトラは部屋を見回して姿がない事に不安を感じた。



「ソルなら別の部屋で休んでいる。

 ゆうべ随分出血したようだから当分動けぬがな」


「そうだ! 背を切られたのだ。

 ソルは無事なのか? 怪我は?」


「何も覚えてないのか?

 そなたがソルの傷を癒したと聞いているぞ?

 血は失ったが、傷は嘘のように跡形なく消えている」


「私がソルの傷を?」

 ミトラは唖然とする。


 どうやらほとんど肝心の部分を覚えていないようだった。

 そして昨日纏っていた翠の光も消えうせ、全能感ももう無いらしい。


 いつものミトラに戻った事に安堵する。



「ミトラ、そなたをタキシラに帰してやる」

 スシーマは穏やかに告げる。


 そばに控えるナーガは驚きを浮かべる。


「アショーカが迎えに来るのを待って一緒に帰るがいい。

 それがそなたの望みなのだろう?」


「スシーマ様。本当に?」

 アッサカすらも驚いた。


「だがそなたを妃にするという望みを捨てた訳ではない。

 当初の予定通り私はパータリプトラに戻り、公務の報告を済ませたなら、改めてそなたを迎えに行く」


「え? で、でも……私は……」


「聖大師の謎について、私は幾分の知識を得た。

 そなたはやはり聖大師になるべきではない。

 それはそなたの存在の破滅を意味する」


「私の……破滅……?」


「そなたが自らの手でシェイハンを守りたいと思うなら、私は全力で力を貸そう。

 そなたの思うように治めればいい。

 だが、ミスラの神には嫁ぐな。

 人が全能になどなってはいけないのだ。

 共に一番いい未来を探そう。

 その為に一旦そなたを自由にする。

 思う場所に行き、思うように生きてみよ。

 そして、その上で私の差し出すものを吟味してみてくれ」



「スシーマ王子……」



 ◆   ◆


 その後、ミトラの目が覚めた事を聞きつけたパトナとユリが謝罪に現れ、その真摯な態度にミトラは快くすべてを水に流した。



 スシーマは昨夜の事件の後処理のため、先に部屋を辞した。

 側近たちも昨晩の処理にそれぞれ飛び回っているため、ナーガと二人きりになった。



「どういう心境の変化ですか?

 巫女姫様をわざわざ恋敵に渡すなど。

 諦めたのですか?」

 ナーガはすぐに先程の言葉を言及する。



「バカを言うな。

 諦めるどころか、本腰を入れて向き合う事にしたのだ」


「本腰を入れて?

 それが恋敵こいがたきに渡す事なのですか?」


「今のミトラはタキシラにいる事を望んでいる。

 その望みを摘もうとしたから、ミトラは危険に身を投じ命を脅かされた。

 今の私はミトラを不幸にしている。

 ミトラの為と言いながら、自分の幸せしか見てはいない」


「それでいいではないですか。

 いつか、そのスシーマ様の幸せを、自分の幸せと感じてくれる時がきますよ」


「本当は分かっているのだろう、ナーガ。

 ミトラはそんなまやかしの愛など認めてはくれないと。

 アショーカはとっくにその事に気付いていたと……」


「アショーカ王子にはそうする事しか勝ち目はないとは思いましたが、スシーマ様は皇太子ですよ?

 国中の姫が憧れるモテ男ですよ?

 いつか心を開いてくれると私は思いますが……」


 スシーマはふっと笑った。

「他のすべての女はそうかもしれぬな」


 しかしゆっくり首を振る。


「だがミトラはダメだ。

 あの者は本物しか相手にはせぬ。

 金も権力も容姿もすべてを取り除いた後の、真実の真心しか見てくれぬ」


「スシーマ様には真心も充分あると思いますがねえ」

 ナーガはため息をつく。


「アショーカと比べてもか?」


「当たり前ですよ。

 あちらはチャンダ(暴虐の)アショーカの異名を持つ男ですよ?

 大勢の民の命を奪い、悪行の限りを尽くしてきた王子ではないですか?

 バラモンの神々を崇め殺生せっしょうを嫌い、聖人君子のように生きてこられたスシーマ様の比ではありませんよ」


「されど私は女を殴ってしまった……」


 スシーマは悔恨の目で自分の手を見た。


「昨夜のユリ殿の侍女の事ですか?

 あれは向こうが悪いでしょう。

 ミトラ様が無事だったから良かったものの、何かあれば死罪でもおかしくない罪ですよ」


「アショーカも同じ立場なら殴ったと思うか?」

 スシーマは手を握り締める。


「殴るどころか切り捨ててますよ」


 それもありえるかもしれない。



 しかし……。



「私は時々無性にあいつが羨ましくなる時がある」


「アショーカ王子をですか?」


 ナーガはヒンドゥいち、すべてを手にしている男が何を言うのかと思った。


「最近だけじゃない。昔からだ。

 あいつが父上に悪態をついた話を聞くたび、反乱を治め凱旋した噂を聞くたび、心のどこかで羨んでいた」


「ご自分もしたかったのですか?」

 ナーガは驚く。


「そうではない。

 私が同じ事をしたら、罪の意識に心を病んでいただろう」


「そうですよ。

 それほど罪深い王子です」


「されどアショーカは陰謀と策略渦巻く腹黒い連中の中にあっても、血にまみれた地獄の底であったとしても、その醜き闇のすべてを見尽くしながら、ただ一欠ひとかけらの綺麗な物を手にして浮かび上がってくる。

 あいつはいつも迷いなく一番美しいものを選び取るのだ」


「……」


「なぜあいつはあれほど罪にまみれているのに綺麗なのだろうか。

 その心がけがれなく崇高なのだろうか……」


 スシーマの言いたい事はナーガにもよく分かった。

 すべてにおいて我があるじの方が勝っていると自負しているが、その一点においてだけ、ナーガも敵わないと思う。


 しかし一点だけだ。


「迷いがない訳ではないと思いますよ。

 たまにはアショーカ王子も間違いますよ」



 気休めのつもりで言ったはずだった。


 しかし、その三日後、アッサカからの報告を聞いて、二人はアショーカがその間違った選択をしたのだと驚いた。



 アショーカはウッジャインにミトラを迎えに来るのを止め、王都パータリプトラに向かって出発したのだという。


 二人はその選択が、アショーカの迎えを指折り数えて待つミトラをどれほど傷つけるものだったか、よく分かっていた。

 

  ◆    ◆


 その三日前、アショーカはイスラーフィルのただならぬ様子を見て、さらに自分は以前、前聖大師の第七のマギであったと告白を受け、その知りうる限りの情報を手に入れたため、翌日にはウッジャインに向け出発するべく、留守中の指示を大急ぎで済ませ、まさに今出発しようとしていた。



 アショーカとヒジムとイスラーフィル、それに騎士団十人を連れただけの早駆け部隊だ。

 二日でウッジャインに着くつもりであった。


 しかしアショーカが馬に乗ろうとしていると、そこにパータリプトラからの伝者が切迫した様子で駆け込んできた。


「アショーカ様、すぐに王宮にお帰り下さいますよう、ミカエル王妃様からの知らせでございます」

 伝者は息を切らし伝える。



「母上から? 何事だ?」


「カールヴァキー様、危篤きとくとの知らせにございます」


「なに?! カールヴァキーが?」


 アショーカの側室の一人だ。


 それでもミトラの危機とどちらが優先か決められぬまま、ウッジャインとの分岐点まで早駆けで辿りついた。

 アショーカは、そこでウッジャインの間者と出会い、ミトラが事件に巻き込まれたものの、無事であったというアッサカの報告を聞いた。

 だからイスラーフィルだけをウッジャインに向かわせ、 自分はパータリプトラに行く事にした。



 アショーカは知らなかった。


 ミトラが自分の迎えを心待ちにしている事を……。


 自分で思うよりもずっと、アショーカがミトラの心を大きく占めている事を……。


 そしてこの選択が、自分とミトラとを大きく引き離す事になってしまう事を……。


 スシーマと共にパータリプトラに向かうだろうミトラを、その時取り戻せばいいと、高をくくっていた。

 誰もが想像していない方向に、運命が動き出そうとしている事に、この時気付いた者はいなかった。



  ◆       ◆


 紀元前三世紀のアジアは激動の時代を迎えようとしていた。


 秦の始皇帝が中華を統一する数十年前、その南のインド大陸は、偉大な王アショーカによって、ほぼ全土を統一していた。


 しかしそこに至る道は平坦ではなかった。


 内部の後継者争い。

 そして周辺国との様々な駆け引き。

 すべては伝説という怪しい物語でしか伝えられていない。


 そのアショーカの王たる生涯を左右する、敬虔な巫女姫の存在が語られた事はない。



 ウッジャインに連れ去られた巫女姫。

 迎えに行けなかったアショーカ。


 二人の運命は大きな分岐点の別々の道を歩もうとしていた。


 その道がどこかでまた繋がる事があるのか……。



 それは……。


 

 まだ……誰にも分からない……。



引越しにともないご迷惑をおかけしました。


来週より第五章「パータリプトラ 後宮編」を再開します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ