32 第五のマギ
「烏孫!」
ウソンは突然名前を呼ばれ、驚く。
それに先程から小娘のくせに偉そうだ。
「私の前に!」
命じられ、自前の反抗心が沸き起こる。
「な、何だよ、偉そうに!
俺様に命令など出来ると思って……」
「烏孫!」
遮るように再び名前を呼ばれ、はっと口を閉ざす。
名を呼ばれただけなのに、自分の正体をすべて悟られた気がする。
「烏孫、私の前へ」
抗いたいはずなのに、体は操られるようにすごすごとミトラの元に進み、片膝をついて拝礼の姿勢をとる。
「どうやら我が未来にそなたは必要な男であるらしい。
我が第五のマギを命ずる」
「な、何だよ、それ!
第五のマギって何だ」
ウソンは慌てて反論する。
「我が真名を呼べ!」
ミトラは反論など、聞くつもりもなく更に命じる。
「何を言ってやがる!
俺はそんな訳の分からんものになったりしないぞ!
断る!」
「烏孫、我が真名を呼べ!」
翠の瞳がじっとウソンを見つめる。
あわてて目をそらそうとしたが、一度合った目は縫いとめられたように離せない。
瞳の奥に引き込まれる。
心を吸いとられ、取り込まれ、その翠の海に溺れる。溺れる。溺れ堕ちる。
そして……。
支配される……。
「烏孫!」
もう一度ミトラが名を呼ぶと、ウソンは意志とは無関係に口を開いた。
「アサンディー……ミトラ……様……」
答えた途端、ウソンの体に雷に打たれたようなビリビリとした痺れが走った。
抗えない。
感じた事もない見えない呪縛が体を包む。
ミトラの手がそっとウソンの頭に添えられる。
「そなたは今より我が使徒。
我が意に従う事がそなたの第一の使命だ」
「な……なにを……した……。この……女……」
ウソンは必死に逆らおうとするが、体の自由がきかない。
その時になってバタバタと大勢の足音が外の階段からなだれ込み、スシーマ王子とラーダグプタ、それに側近と大勢の衛兵が地下の広間に入ってきた。
そしてすでに捕り物が終わり、静まり返った広間の空気に驚く。
「ど、どうなっている……?」
スシーマは呟いて、すぐに部屋の中心に立つミトラに気付いた。
「ミトラ!!!」
叫んで近付きかけて、その光に包まれた様に驚く。
ミトラのはずなのに何かが違う。
しかしラーダグプタは、ようやく出会えた女神の姿に懐かしさを浮かべたままひざまずいた。
「ミトラ様……」
ミトラはスシーマとラーダグプタを見止めると、穏やかに微笑んだ。
「我が身を安全に託せる者が現れたようだ。
仮妻の身でありながら力を使いすぎた。
しばし眠る事にしよう」
そう告げると足元のウソンを見下ろす。
「我が使徒とその従者よ。
そなたらに逃げ道を授ける。
すぐにこの場を立ち去るがよい」
それだけ告げるとミトラの体が傾いだ。
「ミトラ!!」
スシーマが駆けつけ、ギリギリその体を受け止める。
その瞬間、ウソンの体が自由になった。
他の者達も同じだ。
「に、逃げるぞ!」
ウソンは従者三人に命じて、外に向かって駆け出す。
ミトラが告げた通り、衛兵達は何故かウソン達に手が出せず、するすると目の前に逃げ道が開いた。
スシーマは走り去るウソンを目の端にとらえながら、ミトラを抱き上げた。
腕の中におさまる少女はいつの間にか翠の光を失い、危なげないつもの巫女姫に戻っていた。
無事な様子にほっと息をつく。
「何がどうなってる。角端、報告しろ!」
いらいらと命じる。
角端はすぐにスシーマの元にひざまずき、分かる範囲の出来事を報告する。
しかし、角端にもよく分からなかった。
今、目にしたものが何だったのか……。
あの神々しい翠の光は何だったのか……。
スシーマは、もはやミトラの側を動くまいとするアッサカに気付いて目を止めた。
「アッサカか。お前は何を知っている?
ミトラの側にいる事を許すゆえ、知ってる事を全部申せ!」
アッサカは素直に応じたが、角端以上に知ってる事はそれほど多くはない。
「ラトラームがどこかにいるはずだ。探せ」
スシーマは命じて、隅で縛られているマンドサウル太守の元にミトラを抱いたまま歩み寄る。
マンドサウル太守はワナワナと震えたまま、スシーマを見上げた。
「ス、スシーマ王子……、これは誤解なのだ。
私は悪事の噂を聞いて、この娼館を調べる為わざと協力していたのだ。
私は何も知らん。無関係だ」
この期に及んでシラを切ろうとする太守にスシーマは激しい怒りを覚えた。
「なるほど、太守自ら間者となって探っていたと……」
「そ、そうだとも。我が甥の王子よ」
「それで何故、私がお連れした賓客の姫がこんな所にいるのだ?」
ぎょっとしてマンドサウルはスシーマの腕で眠る少女を見た。
「そ、その姫は一体なにもの……」
「シェイハンの聖大師だ。
ミスラの神妻となりし、このお方に何をした?
正直に申さねば、ミスラの神の天罰が下るぞ!!!」
「ひ、ひいいいい!!!」
マンドサウルは青ざめて、床にひれ伏した。




