29 ウルシャ国王
その同じ頃、タキシラの宮殿にはカシミールのウルシャ国王がルジアナの兄二人を連れて、アショーカと対面していた。
説得が難航すると思っていたルジアナの女官就任だったが、思いのほか上機嫌の国王は二つ返事で了解した。
ひと月も前から姿をくらまし、どこかに攫われたと思っていた王女が、何故だか大国マガダの王子に女官として請われたのだ。
死んだものと思っていただけに、充分に喜べる結果だった。
しかもマガダの切れ者の王子の噂は聞いている。
器量が良いとは言えないルジアナが、女官とはいえ王子と繋がりを持てるのは、カシミールの国にとっても有難い。
うまくいけば側室にでもなれぬだろうかと少し欲も張ってしまう。
アショーカ王子の側室にはルジアナのような大女もいると聞いている。
可能性はある。
「いやはや、無調法な娘でございますが、どうかアショーカ様の良きように使ってやって下さいませ」
さすがに剣士のごとく使う事は父王には内緒だ。
「そうか。無理を申してすまぬな。
ルジアナには女官長の位を用意している。
タキシラの太守宮殿の女官達を取りまとめてもらいたい。
期待しているぞ」
「ありがたき幸せ。
せっかくのご縁でございます。
前太守様の折は交流もなかったのでございますが、今後はどうか懇意にして頂きたく、出来れば我が息子も使って頂けないかと連れて参ったのですが……」
アショーカは国王の隣りに立つ大男二人に目をやった。
ルジアナの体格は紛れもなく遺伝で、父王も兄二人も見上げるほどの大男だ。
しかもこの二人は鏡で映したようにそっくりだった。
「長男は私の跡継ぎとして国に残して来ました。
この二人は双子の次男坊でして、私ですら見分けがつきません。
ジャンム、ジェラム、アショーカ様に挨拶せよ」
二人の大男は山のような巨体を折り曲げ、拝礼した。
力は確かに強そうだが、ハの字に垂れた目と眉は草食動物のように優しい。
「父上様、図々しいお願いをなさらないで下さい。
私だけでも勿体無いお話ですのに」
無理矢理父の説得に立ち会わせたルジアナは恐縮する。
「何を言うのだ。
そなたが心配で兄二人を側に置きたい親心が分からぬか」
もちろん嘘も方便だ。
腕っ節は強いが、剣はあまりうまくない双子は、剣士にもなれなければ、頭を使う管理官の職にも向いてない。マガダの王子に雇ってもらえれば、これ以上の事はない。
「アショーカ様、どうか父の申す戯言は気になさらないで下さいまし。
私は兄など側にいなくとも充分やっていけます」
ルジアナは申し訳なさに頭を下げる。
しかしアショーカはこの大男二人が結構気に入った。
トムデクにも似た人の良さが滲み出ている。
「まあ良い。娘が心配な親心も分かるぞ。
戦車部隊の人数が少し足りなかったのだ。
それで良ければお願いしたいが」
「おお。おお。ありがたき幸せ」
ウラシャ国王は両手を挙げて喜んだ。
「ルジアナも兄がそばにいれば安心だろう。
休みの日には面会するがいい」
ルジアナは破顔した。
遠慮はしたものの、優しい兄二人が側にいるのは心強い。
ただただ感謝が溢れた。
◆ ◆
ウラシャ国王達が辞した部屋にはアショーカと側近三人が残った。
「女性部隊も輪郭が整ってきたようだな」
「ルジアナが隊長で、ぺンテシレイアが剣士。
シビが隠密ってとこか……。
シビがだいぶ問題児だけどね」
ヒジムは肩をすくめる。
ぺンテシレイアは湯殿での失態以来、剣の稽古に励み、自分の役割を認識しつつある。
それに比べてシビは相変わらずアショーカとの恋物語を夢見てお姫様にでもなった気でいる。
「ラピスラズリの鉱山も、ようやく柵が完成したと連絡が参りました。
盗賊達も先日のアショーカ様の武勇に恐れを抱き、おそらく当分は襲ってこないでしょう」
サヒンダが報告する。
「農民と商人の戸籍台帳もソグドとライガが奮闘してくれてスシーマ王子が命じた範囲は出来たみたいだよ」
トムデクも伝える。
「よし。では明日、明後日で報告書をまとめ、三日後にはウッジャインに出発するぞ。
兄上め、まだまだ終わらぬと高をくくっておるに違いない。
突然行って驚かせてやるぞ。
何を言おうと、力づくでミトラを連れ帰ってやる。
見ておれ」
アショーカは上機嫌にほくそ笑んだ。
「ミトラはアッサカの報告では太守の宮殿から一歩も出てないようだし、ウソンも五麟にはさすがに手出し出来ないみたいだね」
「ミトラめ。まさか兄上の口車に乗って、結婚を決めてないだろうな。
あいつは考えなしにふらふら騙されるからそれが心配だ」
「せっかくアショーカが迎えに行っても、嫌だって断られたりして……」
ヒジムがからかった。
「むうう。充分ありえる話だな」
実はアショーカも少し不安だった。
「ふん。ウッジャインまで行って手ぶらで帰ってくるんじゃないでしょうね。
嫌がるようなら縛り上げてでも連れ帰って下さい」
サヒンダが鉄の瞳で言い捨てる。
「お、おう。当たり前だ。
俺様がわざわざ迎えに行ってやるのに断るなんぞ言語道断。
首根っこを掴んででも連れ帰る」
アショーカはまだ、ミトラが直面している危機を知ろうはずもなかった。
しかしこのタキシラで、ただ一人、ミトラの危機を感じているものがいた。




