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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第四章 ウッジャイン 覚醒編
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24 ラトラームの企み

「ミトラ様! 何かおかしいですわ」


 馬車に揺られながら、ソルは眼前のラトラームを睨み付けて声を上げた。


「え? おかしいとは?

 ラトラーム殿はアショーカの所へ連れて行ってくれるのだろう?」


「いいえ、いいえ。

 先程のパトナ様の慌てぶり。

 もしや、もしやアショーカ様がウッジャインに来ているというのは嘘では?」


「嘘? そんなはずはない。

 ユリ殿もパトナ殿もそう言っているのだろう?」


 ミトラは確かめるようにラトラームに尋ねた。


「ええ。この先の宿におられます」


 ミトラはほっとして安堵の息を漏らす。


 アショーカがすぐ傍にいる。

 そう思うだけで百人の味方を持った気がする。


「いいえ、ミトラ様。騙されてはいけません。

 考えてみて下さい。

 すぐ傍の宿まで来ていて、あのアショーカ様が大人しく待っているでしょうか?

 あの方なら待ったりせず、自ら迎えに来るでしょう。

 そもそも最初からユリ様やパトナ様に姑息な手を使わせるなんて、アショーカ様らしくなかったのです」


 言われてみればその通りだ。


 スシーマ王子に隠れてコソコソ連れ出すなんてアショーカらしくない。

 あの男なら真正面から正々堂々と迎えに来るだろう。


 不意に不安の染みが心に広がる。


「ラトラーム殿……。

 本当にアショーカはウッジャインにいるのか?」


 祈るように尋ねるミトラに、ラトラームは口の片端を上げてにやりと笑った。


「ふふふ、今頃気付きましたか?

 しかしもう遅いですけどね。

 あなたは今日の競りの目玉商品。

 並居る富裕な商人達が手ぐすね引いて待っていますよ。

 なに、みんな金持ちですから、誰に買われても何不自由なく暮らせますよ。

 安心して下さい」


「なっ!!!」


 青ざめたのはソルの方だ。


「ま、まさかミトラ様を奴隷さながら売るつもりなのですか……」


「驚く事はない。

 そもそもスシーマ王子の側女だったのが、大商人の愛人になるだけだ。

 それほど待遇に違いはないぞ」


「な! な! なんという事を……!」


 ソルが蒼白になる横で、ミトラは別の絶望を抱えていた。


「では……アショーカは私を迎えに来たのではないのか……」


 足元の地面が崩れ去る思いがする。


 自分でも不思議なほどアショーカを頼りにしていた。

 どんな無謀な事も不安も、アショーカが傍にいると思えば何でも出来そうな気がしていた。


 自分が無敵になったような錯覚さえ抱いていた。


 それがいないと分かると、恐ろしく自分が無力でちっぽけな存在なのだと気付く。


「アショーカ……」


「ミトラ様、逃げましょう!

 スシーマ王子の所に戻るのです!」

 ソルは立ち上がる。


 それをみてラトラームが笑みを深める。


「逃げられると思ってるのかな?

 外を見てごらんなさい。

 私の屈強な用心棒達がこの馬車を取り囲んでる。

 怪我をしたくなかったら、大人しく言う事を聞くんだね」


 ソルは慌てて更紗の布を上げ外を見て瞠目する。


 腕っ節の強そうな男達が、ゆるりと進む馬車を囲んで行進している。

 女二人で対抗出来る相手ではない。


 自分のミスだ。


 ユリの侍女が話を持ちかけた時にもっと考えるべきだった。

 いや、そもそもスシーマ王子の策略に乗り、アショーカ王子の元から連れ出したのは自分だ。

 これほどまでにアショーカ王子の傍にいたいと切望する姫を、自分の安易な損得勘定で引き離してしまった。


 何とかしなければ……。


 たとえこの命を落とそうとも、この姫だけは無事にアショーカ王子の元へ……。



(アロン王子様……。どうか私に力をお貸し下さい)


 自分がどうなろうとも、ミトラだけは逃がさなければ。

 ソルは祈るような気持ちで何かいい方法はないだろうかと考えた。


「逃げようと思っても無駄だぞ、侍女。

 この辺り一帯の色町はすべて我が配下にある。

 悲鳴を上げようが泣き叫ぼうが、誰も助けになど来ない。

 諦めろ」


 無力な女達を嘲るようにラトラームはほくそ笑んだ。


「なんという事を……。

 太守の子息自ら犯罪に手を染めているのですか!」


「この都市を豊かにしていると言ってくれるかな?

 大商人の出入りが増えたおかげで、街は潤い、みな豊かになった」


「そんなの一部の悪事に手を染めた者達だけでしょう!

 スシーマ王子がこの悪事を知ったらきっと許しませんわ!」


「うーん、君はこの姫の侍女として一緒に売ろうかと思ってたけど、なんか余計な騒ぎを起こしそうだね。

 やっぱり殺しておくかな……」


 ほんの思いつきのように、ラトラームはすっと腰の剣を引き抜いた。


「や、やめろ! ラトラーム!

 ソルに手を出すな!

 ソルを殺せば私も自害するぞ!」


 ミトラは慌ててソルを背に庇う。


「ミトラ様……」


 ソルは唇を噛んだ。

 助けるどころか自分がミトラの足枷になっている。


「うーん、面倒だね。

 姫には先に薬を飲んで頂くかな……」


 ラトラームは面白がるように、ピタピタと剣の先をミトラの頬に当てた。


「薬……?」


 ラトラームは剣を仕まい、懐から手の平に収まる小瓶を出した。


「この魔酒を飲めば朦朧としてる間にすべてが終わる。

 本当は、我が身に起こる恐怖に怯える高貴な娘の姿を好む男が多いんだがね。

 死なれてしまっては困るからね」


 ポンと密封された蓋を取る。


 すぐにプンと薬酒の香りが漂う。


「これは……」

 嗅ぎ慣れた香りに、ミトラはそれが何の薬かすぐに分かった。


「ソーマ……」


 聖大師様に毎日出していた酒。

 そしてアショーカが絶対飲むなと約束させた魔酒。


 ラトラームの右手がミトラの腕を掴んだ。


「ミトラ様っっ!! お逃げ下さいっ!!」


 ソルがそのラトラームに全身で体当たりをする。


「この女っ!」

 ラトラームは崩れた体勢からソルの腹を蹴り上げた。


「うぐっっ!!」


「ソルッッ!!!」


 ソルの体は馬車の壁に打ちすえられ、ズルズルと床にうずくまる。

 助け起こそうとするミトラの首をラトラームの右手が捕える。


 グイッと壁際に押さえ込まれ身動きがとれなくなった。


「さあ姫君。一口で苦しみは終わる」

 ラトラームは抵抗するミトラの口をこじ開けようと髪を力ずくで引っ張り顔を上げさせる。



(もうダメだ……。アショーカ……)



 絶対飲むなと言ったアショーカの顔だけがミトラの脳裏に思い浮かんだ。



「さあ姫君。一口で苦しみは終わる」



 その時。


 バンッ! と馬車のドアが蹴り開けられ、驚いたラトラームが振り向くよりも早く拳が顔面を砕いた。


「ぐう……」

 という悶絶の声を残して、ラトラームはずるりと床に伸びてしまった。


 ミトラは驚いて拳の主を見る。


 短髪の黒髪。

 黄色がかった肌。

 切れ長の青い目。


 見覚えがある。

 だがそれを思い出すより早く、男が驚きの声を上げる。



「あんたまさかっ!!」



 まじまじとミトラの全身を見回した男は、その月色の髪を掴み、深い翠をたたえる瞳を見て、もう一度瞠目した。


「アサンディーミトラ殿……か……?」


「そうだが……そなたは……?」


 そしてはっと思い出した。


「そうだ! 確かウソン!

 タキシラの剣術大会で優勝していた者だな!」


「お、おお。俺の事を知ってるのか」


 それに驚いた。


「確かアショーカの騎士団の……。

 ではアショーカが来ているのか?」


 ミトラは喜びに溢れてウソンの手を握る。


「い、いや……アショーカ王子は……」

 ウソンは言い澱んだ。


「烏孫様、馬車の周りの男達は全員始末しましたが周辺の住民が騒ぎ出しました。

 お早くお逃げを……」


 馬車の外から声をかけた武官がミトラに気付いて目を見開く。


「ややっ! この方はまさか!」


 みんな容貌の特徴は聞いていたが、ヴェールに閉ざされた素顔を見た者はいなかった。


「どうやら俺様の冴え渡った勘が思いがけない大本命を引き当てたようだ」

 烏孫はにやりと微笑み、ミトラの腕を引き、馬車の外に出す。


 そしてフワリと両腕に抱き上げた。


「うわっ! 軽っ! ホントに人間か?」


 ウソンの驚嘆を無視してミトラは尋ねる。

「大本命?」


 いつの間にか馬車の周りに人垣が出来始めていた。


「話は後だ。逃げるぞ!」


「ま、待って! ソルを!」

 

 ミトラの視線の先にはまだ気を失って倒れているソルがいた。


「おい、その女も連れて来い!」


 烏孫が命じると、老獪の武官が頷いてソルを抱き上げた。



 色町の住人達の人ごみを掻き分けるように烏孫と三人の武官が駆け抜ける。



 日の沈みきった夜闇が、ようやくウッジャインの街を閉ざそうとしていた。


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