22 動き出した陰謀
翌日の夕方、ミトラはソルと共に湯浴み場に入った。
その頃にはスシーマは色町の犯罪組織を壊滅すべく、五麟の四人までを放ち、大掛かりな捕り物を開始していた。
作戦本部をスシーマの居室に置き、最高顧問官ラーダグプタと側近が集まっていた。
「例の者の動きはどうだ?」
スシーマの問いに側近の一人が答える。
「まだ動きはありません。
今夜大きな取引きがあるという話なのですが……」
「うむ。手下に任せて動かぬか……。
ヤツに動いてもらわねば意味が無いのだがな」
黒幕の正体はだいたい見当がついている。
あとはそのしっぽを掴むだけなのだ。
「たぶん動くはずです。
今夜は我々が放ったエサとは別に何でも目玉商品が出たらしく、目ぼしい男達がすべて集うという噂です」
「目玉商品?」
スシーマは眉を顰める。
「はい。炎駒が聞きつけた話では、稀に見る高貴な美姫らしく、噂が噂を呼びみな大金を手に集まっているようでございます」
「やはり例の薬草で攫われた姫でしょうか」
十年以上前からウッジャインの色町は高級娼婦の取引場として有名だったが、この数年そこにきな臭い噂が囁かれるようになっていた。
娼婦を取引きするだけなら問題はないのだが、奴隷階級や不可触民の職であるはずの娼婦が、なぜかここでは司祭階級や戦闘階級の貴族の生娘が買えるというのだ。
秘かに高貴な娘を愛人として囲いたい金持ちの商人達が、金に糸目をつけず買い取っていくらしい。
最初は没落貴族の娘が売られていたらしいが、それだけでは品薄で近頃は貴族の娘が攫われ、売られているという話だった。
その手口は卑劣で、貴族の屋敷に賊が忍び込み、娘達は薬で朦朧とされたまま連れ去られる。
そして気付いた時には商人の屋敷の奥深くに閉じ込められている。
そうして愛人として囲われ、一生逃げ出す事も出来ないという悲惨なものだった。
もはや悪の巣窟となった色町は、一げんのよそ者の客を毒殺して金目の物を略奪するという事件も相次いでいる。
そして、すべての悪事には、ある薬草が絡んでいた。
希少な薬草ゆえ、今まで出回る事があまりなかったのだが、ウッジャインにその薬草が群生する森があるという。
酒と混ぜると効果が倍増し、一口飲めば人を昂揚させ、三口で朦朧とさせ、一杯飲めば息の根を止める。
それほどの劇薬でありながら、最初苦しみに悶えた者も最後には恍惚の幻覚に囚われ、眠るように死んでいくため、死体を見ても変死とは思われない。
その使いやすさと便利さが、犯罪をどんどん助長させていた。
本来は祭司の時に神官が神と繋がるために飲むための神酒。
その名は……。
「ソーマ酒か……。
致死量でなくとも常用すれば心を蝕むと聞いているぞ。
群生するという森は見つかったのか?」
「いえ、まだ。
そちらは聳狐が探しておりますが、高位の神官しか辿り着けない不思議な森と言われてるそうです」
「王家の薬品庫で見た事はあるが、王宮でも僅かにしかなかった」
「実はシェイハンの神官がこの地に持ち込んだという噂を聞きつけました」
「シェイハンの?」
スシーマは驚いた。
「神の国と言われるシェイハンにはソーマの森があるそうです。
あの国の聖大師は常用していたとも囁かれております」
「聖大師が常用……」
スシーマは何か嫌な予感が脳裏をかすめ、考え込んだ。
「公務の後尋ねようと思っていたシェイハンのマギ大官はどうしている?
シヴァの神殿に潜むという、その老人の所在を確かめよ」
「はい。畏まりました」
側近の一人が頷き、すぐに部屋を辞した。
「もしやあの者も絡んでいるのか……」
スシーマは深刻な表情で呟いた。
◆ ◆
ソルは浴場を出てミトラの居室に向かっていた。
側には麒麟がつかず離れず付き添っている。
ソルの前には小柄な姫が頭からヴェールを被ってゆったりと歩く。
いつも通りの光景なのに、ソルの胸はドキドキと跳ね上がりそうに脈を打つ。
チラリと麒麟がミトラを見る。
「湯浴み場で何かありましたか?」
「えっ!」
麒麟の問いかけに、ソルは上ずった声を上げてしまった。
「な、なぜそんな事を聞くのですか?」
「いえ……なんとなく……」
優れた隠密は妙に勘がいい。
微妙な違いを敏感に感じ取るのだろう。
「じ、実は……湯殿にユリ様がいらして……、顔を合わさぬように長湯をしたせいで少し湯あたりされたようなのです。
さすがは麒麟殿。
そんな事まで気付かれるのですね」
演技の下手なソルに先手を打って、ユリの侍女が知恵を授けていた。
ソルは気遣うようにミトラの腕を支え、足早に部屋に向かう。
そして部屋の中にミトラを押し込んだ。
麒麟はやや怪訝な顔をしたものの、黙ってドアの外の見張りに立った。
部屋に入るとミトラのヴェールを外す。
ヴェールの中はミトラとは似ても似つかない、背丈だけが同じ痩せた年増の女官だった。
死罪を覚悟している。
貧しい家族に報酬の金貨を託して請け負った仕事だ。
「大丈夫、きっとユリ様がうまく逃がしてくれます。
今しばらくミトラ様のフリをしてベッドで眠っていて下さい。
私は今から女官部屋に所用に行くフリをしてミトラ様と合流しますから」
ソルの指示に女官は黙って頷いた。
「ミトラ様は眠っていると告げて行きますから、外から声がかかっても無視して下さい」
ソルは覚悟を決めてミトラの身の回りの物を篭に詰め、洗濯にでも行くように部屋を出た。
今頃はユリの侍女の恰好をしたミトラが浴場を出て、パトナの待つ馬舎に向かっているはずだ。
すべては思いの他うまくいった。
誰に疑われる事もなく、ミトラはユリの侍女一人に付き添われパトナの元に辿り着いていた。
二頭の馬に小さな馬車が繋がれている。
二人しか乗れない木創りの馬車は、僅かな装飾はあるものの地味に仕立てられている。
貴族の男達がお忍びで色町に遊びに行く時に使う馬車だった。
ウッジャインの太守一家は頻繁に使っているらしく、夜に出ても不審に思われる事はないと言っていた。
ラトラームの手配した御者は、すでにいつでも出られるように御者台に乗っていた。
その傍でパトナが腕を組んで立っていた。
ミトラと同じ年だと言っていたが、背丈は頭一つ分高い。
茶色味を帯びた肩までの髪と涼やかな瞳が、国中の姫の憧れの的というスシーマを彷彿とさせる。
「あの……」
自分の為にここまで準備をしてくれたパトナに礼を言おうとしたミトラをすぐさま遮る。
「しゃべるな!
誰が聞いているとも分からない。
宮殿の外に出るまで馬車の中でも黙っていろ」
そっけなく言い捨てると、パトナはさっさと馬車に乗り込んだ。
ミトラは慌ててその後に続く。
ユリの侍女とはここでお別れだ。
振り向いて深々と頭を下げる。
ユリの侍女は面食らったようにそそくさと去って行った。
しばらくして現れたソルが二人乗りの馬車に無理矢理身を縮めて乗ると、すぐに馬車は動き出し黙ったまま三人は向かい合った。
侍女の衣装を着るミトラは、いつもより簡易のヴェールだが、顎までの薄紗で目元を隠している。
でも視界は充分に良好だった。
スシーマの弟を親しみを込めて見つめるミトラとは反対に、パトナは不機嫌そうにそっぽを向いて目を合わそうともしなかった。
逃亡の手伝いはしても、仲良くなる気は更々無いという態度のパトナが淋しかった。




