19 ラピスラズリの鉱山②
どんどん迫り来る盗賊団を見つめながら、まだアショーカの合図はない。
「ア、アショーカ様! は、早く!」
タガブは泣き出しそうになっている。
盗賊団は砂煙を上げて眼前に迫ってきている。
どの男も戦いに明け暮れてきたような荒くればかりだ。
この無法者達に比べると、騎士団は規律を守る大人しい優等生に思えた。
どう考えても勝てそうにない。
もうダメだと、後ずさりし始めたタガブを押しとどめるようにアショーカの合図が下る。
「弓兵、撃て!!」
一斉に前列の弓兵の矢が乱れ飛ぶ。
その矢は盗賊達の想像と違い、弧も描かずに光の速さで直進した。
「うがああ!!」
「ぎゃああ!!」
避けるヒマもなく撃ち抜かれた盗賊達は次々馬からなだれ落ちる。
二打、三打。
繰り出される弓矢に、おもしろいように倒されていった。
どの矢も見事に盗賊の急所を撃ち、絶命していく。
「こ、これは……」
タガブは唖然とする。
「西洋の最新鋭の弓矢だ。
光のごとく早く正確に飛ぶ。
これに比べれば、今までの弓矢などおもちゃのようなものだ」
「な、なんと……」
すでに盗賊は半減している。
「弓兵、下がれ! 槍兵、突撃だ!」
アショーカの次の合図が下ると、弓兵は一旦下がり剣に持ち替える。
そしてどこにあったのかというほど長い槍を持った歩兵が前に出て、慌てふためく残りの盗賊を一撃で貫く。
「マケドニアの組み立て式の長槍だ」
すでに盗賊達は壊滅状態だった。
こちらの本隊に辿り着くまでもなく、敵は離散を始めた。
アショーカの隣りに並ぶ騎士団の隊長は、落ち着きはらって尋ねる。
「全滅させますか?」
「いや、予定通り弱そうな者を二人ほど逃がせ。
マガダの軍隊の恐ろしさを流言させるにちょうど良い」
「は、畏まりました。
では後は我らにお任せを」
「うむ、頼んだ」
その会話を聞いていたタガブは鬼神のようなアショーカの顔を見上げ、恐れおののく。
「う、噂には聞いていたが……本当に……」
軍神シヴァのごとく強さ……。
安堵の息を漏らすタガブをよそに、ふとアショーカは背後に振り返った。
「……」
その眉が険しくなる。
「どうされましたか?」
「まずいな。先程の懸念が当たっていたようだ」
ちっと舌打ちをする。
「え?」
タガブは首を傾げる。
「騎士団、十名ほど俺について来い!」
アショーカは命じると、馬首を返し背後に向かって駆け出した。
前線を離脱したアショーカの耳に、柵の中からの悲鳴と罵声が聞こえてきた。
まだ未完成の柵の切れ目から中に入ると、監督官と鉱夫数名の死体が転がっていた。
「アショーカ様、これは……」
騎士団の一人が驚いて尋ねる。
盗賊団はすべて食い止めたはずだ。
「新参の鉱夫達に盗賊の間者がいたのだ」
さっきヒジムに確かめさせようと思ったが、後回しにしてしまった。
自分のミスだと唇を噛む。
坑道の中は災難を逃れた鉱夫達が震えて固まっているようだ。
悲鳴は天幕の中から聞こえる。
中には掘り出したラピスラズリの原石が置いてある。
警備兵と戦闘している間にそれを盗み出す手はずだったのだろう。
「みな、天幕の中だ!
鉱夫のフリをした間者を仕留めろ!」
アショーカの命令でついてきた騎士団が馬を降り天幕になだれ込む。
アショーカも一緒に入った。
ヒジムとルジアの姿を見ていない。
ヒジムのことだ。
他の騎士団はすべて武具と共に前線に送り出したはずだ。
(無事か……?)
アショーカの額に汗が流れる。
そして飛び込んだ天幕の中の惨状を見て息を呑む。
給仕女達が塁を作って生き絶え、折り重なっている。
投げ出された調理途中の石鍋からこぼれた料理と、河のように広がる血の海だった。
◆ ◆
アショーカが盗賊団を撃退していたその同じ頃、天幕の外の異変を感じ取ったヒジムは剣を手に立ち上がった。
盗賊団の襲撃の一報を受け、ルジア以外の騎士団には全員長槍を持って前線に向かわせた。
どんな凄腕の大男達であろうとも、アショーカの指揮する兵が抜かれる事などないと高をくくっていた。
警備兵は柵周りに配置して、天幕には自分とルジアだけが残った。
それで充分と思っていた。
怯える給仕女達をなだめ、鍋の火を消し、天幕の奥に全員が集まるよう指示した。
その奥にラピスラズリの原石が固めて置かれていたが、盗賊がここまで来る事が出来るなどと思ってもいなかった。
しかし、天幕のすぐ外で聞こえる悲鳴に気付いて立ち上がり、ルジアと共に天幕の入り口で剣を構えた。
「ルジア、落ち着いて。
騎士団の訓練では急所をはずして勝つ練習が多いけど、今はそんな余裕はない。
おそらく敵は二十ほど。
一撃で絶命させなければ、この大勢の給仕女達を守れない。
分かるな? 全員殺せ!」
「は、は、はい!」
ルジアは震える手で剣を握ったまま青ざめて応じた。
覚悟を決める暇もないまま、ざっと天幕が開く。
腰布一つの鉱夫達が手に採掘の斧を持って現れた。
ヒジムの読み通り、その数、約二十。
「なるほど。鉱夫のフリをした間者か」
ヒジムはすぐに事態を理解した。
そして間髪入れず、ダッと鉱夫の中に駆け出す。
あっと声を上げる間もなく、三人の男が切り捨てられた。
首を一太刀で絶命している。
噴き出す血しぶきに給仕女達が悲鳴を上げる。
同時にルジアも悲鳴を上げていた。
剣の試合には慣れているが、本当に切り捨てられた者など見るのは初めてだった。
次々切り捨てるヒジムに、その度悲鳴が上がる。
ルジアは返り血を浴びながら容赦なく切り刻むヒジムにガタガタと震えたまま動けない。
「ルジア! 何やってんだ! 早く切れ!」
ヒジムが取りこぼした数名が給仕女達に向かって突進している。
「わあああっ!」
ルジアは慌ててその内の一人に切りかかる。
その背に一太刀浴びせた。
ぶすりと嫌な感触が手に伝わる。
ぎゃああと振り返り、男がルジアに斧を振り下ろす。
慌てて剣で受ける。
斧を振り払い、剣を繰り出す。
斧で必至に受け止める男と打ち合う。
「バカ! 剣術の試合じゃないんだ!
打ち合ってる場合か! 急所を撃て!」
急所は見えている。
でも出来ない。
肉を切る感触。
そこを狙えば噴き出すに違いない大量の返り血。
怖い。
ただただ怖い。
その時「きゃあああ!!」という大勢の悲鳴が聞こえた。
給仕女達に辿り着いた鉱夫が、容赦なく斧を振り下ろし、恐怖で動けなくなっている女達を切り刻んでいる。
ラピスラズリを守っているのではない。
ただ、恐ろしくて動けない女達を、鉱夫達は邪魔者をどけるように斧で凪いで行く。
ルジアが食い止められなかった男達が次々給仕女に辿り着き、無残に斧を振り下ろす。
「何やってんだよ! ルジア!!」
あちこちで血しぶきが吹きこぼれる凄惨な光景にルジアは眼前の敵も忘れ、立ちすくむ。
「ルジアッッ!!」
ヒジムの叫びに我に返ると、男の斧がルジアに振り下ろされようとしていた。
呆然と見上げる。
恐怖を超えて、白々と冴え渡る頭が死をゆっくりと伝える。
時間が止まったようにゆっくり流れ、自分は死ぬのだとルジアは悟った。
無限の時を刻むようにゆっくりと男の斧が自分に振り下ろされるのを見上げている。
剣で充分に受け止められるはずなのに、腕は動かなかった。
「ルジアアア!!!」
ヒジムが悲壮に叫ぶ姿が見える。
いつもふざけた調子で余裕たっぷりなのに、あんな顔もするのかと不思議だった。
あの人をあんなに動揺させただけでも、自分の生涯は意味あるものだったと思える。
でも願わくば、もう少し……。
あの美しい人の……役にたって死にたかった。
「すみません……ヒジム様……」
覚悟を決めた刹那、ゆっくり流れる時間を切り裂くように黒い影が走った。
ザッという藁の束でも切るような鈍い音と同時にルジアの顔に大量の液体が浴びせられた。
それが斧を持つ手を切り捨てられた男の血しぶきだと気付くのにしばらくかかった。
覆面をつけた顔に大量に降った血は、ルジアの鼻と口に貼り付き、息を止める。
息苦しさにもがいて、覆面を必死でずり下ろした。
ゴホゴホと咳き込み、地面にうずくまるルジアの血まみれの顔に、覆面と一緒にずり落ちたターバンから長い髪が垂れる。
「無事か、ルジア!」
力強い声にはっと顔を上げた。
「アショーカ様……」
そのルジアにアショーカは目を瞠る。
「ルジア……お前……」
ルジアは顔を晒し、髪までむき出しになった自分の姿にようやく気付いた。
アショーカは一瞬何か言いたげにしたが、すぐに視線を外し、騎士団に声をあげる。
「その鉱夫共を殺せ! 同情はいらん!」
命令と同時にわらわらとなだれ込む騎士団があっという間に、残る男達を切り伏せた。




