16 湯殿の刺客
「きゃああああ!!」
シビが悲鳴を上げるよりも早く、カンと剣が打ち合う音が響いた。
全身黒ずくめの刺客の剣をぺンテシレイアが受け止めている。
刺客はすぐに飛び下がり、体勢を整えてからもう一度シビに打ちかかる。
「いやああああ!!」
叫ぶシビの眼前で、刺客の長剣を辛うじて短剣で受け止める。
このままでは不利だ。
ぺンテシレイアは傍に転がる香り玉を掴むと刺客めがけて投げつけた。
刺客は剣を引いて、香り玉をかわす。
その隙にシビと刺客の間に入り込み、シビを背にかばった。
「た、助けてえええ!」
シビはぺンテシレイアが間に入ったのをいいことに、慌てて洗い台から這うように下りると、濡れて張り付いた薄紗の姿のまま、一目散に湯殿の外に飛び出していった。
「シビ殿! そんな恰好で外に出ては……!」
女官が呼び止めるのも聞かず、シビは驚くような逃げ足で行ってしまった。
残された刺客とぺンテシレイアの打ち合いが繰り広げられる。
短剣の不利を補うため、目に付く物を投げつけて均衡を保つが、相手は器用にそれをかわして動じない。
かなりの使い手だ。
(まずいな)
ぺンテシレイアの額に汗が垂れる。
守るのが精一杯で、責めに転じる事が出来ない。
女官と下女達は隅に固まり、見守っているだけだ。
(ちっ! 気が利かない。
外へ走って衛兵を呼んで来いよ。
シビにしても、あの恰好で飛び出して、気が触れたと思われるだけか……)
いや、人に頼ってどうする。
自分で仕留めてやる!
ぺンテシレイアは短剣を構え直し、深呼吸をした。
周りの状況を素早く捉える。
(よしっ!)
気合を入れると、刺客に一歩踏み込む。
打ち込むと見せかけて、素早く身を屈めると、傍の湯桶を引っつかみ、湯船の湯をすくってそのまま投げつける。怯んだ所でとどめだ!
殺った!
しかし相手の肉を貫く手ごたえは無かった。
「あっ!」
いつの間に背後に回られたのか、ぺンテシレイアの首筋に刺客の剣が添えられていた。
「く……」
こんな所で終わりか……。
青ざめたまま息を呑む。
「はい、死んだね」
しかし剣が首に食い込む代わりに、妙に明るい声が背後から降りた。
「え?」
剣が離れるのと一緒に振り向いた。
「まあ、女にしては上出来だけどね。
でもまあ、相手は女であろうが切り捨てるだろうから、ここで君は終わってたね」
剣を鞘に収め黒い覆面を取ると、長い黒髪を頭上で一括りにした細面の顔が現れる。
「ヒジム様!」
「騙して悪かったね。
どうも二人が自分達の任務を甘く見てるんじゃないかと思ってね。
ちょっと釘をさすつもりで、実力を見させてもらったよ」
「で、では最初から……」
「うん。女官と下女達は知ってたよ。
だから衛兵を呼びにも行かなかったでしょ?
……ってシビは何で素っ裸になってたわけ?」
「すみません、ヒジム様。
お止めしたのですが、お聞きにならなくて……」
女官の一人が頭を下げる。
「しょうがないね、あの娘は。
役目も忘れて一人で逃げるしさ。
……てかあの恰好でどこ行っちゃったのさ」
シビは初めて自分に向けられる殺意へのショックで、裸同然の自分の恰好も忘れて湯浴み場から飛び出した。
そして廊下に飛び出た所で思いもかけない救世主を見つけて、そのまま抱きついた。
「アショーカ様!」
女湯で刺客を演じるヒジムを、外で腕組みをして待っていたアショーカは、肌が丸見えの薄紗一枚で駆け出してくるシビにぎょっとした。
何だか分からないが、悲壮な顔で抱きつくシビを両手で受け止める。
「な、なにゆえ裸なのだ?」
ヒジムの話では女官姿で付き添う役の二人に襲いかかるはずだったが……。
「お助け下さいアショーカ様!
私の命を狙う者が湯殿に!
うわあああん」
「それは知っているが……。
と、とにかくその恰好を何とかせねば……」
アショーカは肩で止めた自分のマントを外し、シビの体に掛けた。
「もう少しで殺される所でした。
私、怖くて怖くて……うっ……うっ……」
メソメソと泣き始めたシビにアショーカは困り果てる。
「いや、落ち着けシビ。
その刺客はヒジムで、本当に殺す気などなかったのだ」
「ええっ! どういう事ですの?
私を騙したのですか?
ひどいわ、ひどいわ!」
「いや、それは……。
す、すまない……」
すっかり毒気を抜かれて謝っている主を見て、湯殿から出てきたヒジムはため息をつく。
後ろに続くぺンテシレイアと女官達も王子に抱きついているシビに呆れ返っていた。
「なに謝ってんのさアショーカ!
自分の任務も放っぽり出して一人で逃げたんだよ。
騎士団だったら打ち首もんだよ」
「いやしかし……剣も使った事のない、か弱き女なら驚いても仕方ないだろう」
「だったら言う事も聞かずに勝手に湯浴みしてた職務怠慢はどうなのさ!」
「だ、だが、お蔭で臨場感が出ただろう」
「もう! なんでアショーカはそう女に甘いんだよ!
そんなんじゃあ女性部隊なんて出来ないよ!」
「怒るなヒジム。
俺はこういうのは苦手なのだ。
だからお前に任せると言ってるだろう」
「もう! しっかりしてよ!」
男社会では鬼神のように恐れられているこの王子が、しどろもどろになっているのを見て、女官達はクスクス笑っている。
古参の女官達にとっては息子のような年代の少年王子の様子が母性をくすぐる。
「し、しかし、もしミトラが湯殿で刺客に出くわして、シビのように裸で飛び出してきたら困るな。
それは……ちょっと嫌だ」
アショーカはひどく難しい顔で考え込む。
「それちょっとじゃないでしょ」
女官達はもう一度クスリと笑ってから意見を述べる。
「ミトラ様は女官を置いて一人逃げ出したりする方ではありませんが、ご自分の肌に無頓着なお方なのでそれは心配です」
「無頓着?」
「はい。ご自分の肌がどれほどの価値のあるものかまったく気付いておられません」
そういえばカピラ大聖の術で湯浴みを覗いた時も、胸すら見なかったのを思い出す。
自分の裸にまったく興味が無いようだった。
「ミトラ様の御肌はそれはもう天空の女神もかくやという程透き通ったキメの細かさで、小さく愛らしいお胸はジャスミンの小花のように可憐で形良く……」
その至極の価値を説明する女官の言葉を聞いていたアショーカが、突然「ぶっ!」と変な声を出す。
「?」
怪訝に視線を向けたヒジムは、鼻をつまんで上を向くアショーカに気付いてげっそりした。
「もう! 何で鼻血出してんのさ!
一体何の想像したんだよ、恥ずかしいなあ!」
呆れ果てて懐からハンカチを取り出しアショーカに渡す。
「ミトラがいなくなって欲求不満が溜まってるんじゃないの?
王子様なんだからさあ、遊び女でもなんでも呼んで、その有り余る血の気を何とかしてよね、まったく」
女官達は笑いながら、自分達もハンカチを出して王子の鼻血の手当てを手伝う。
「や、やっぱり俺には向いてない。
後は任せるから頼んだ」
上を向いたままアショーカは逃げるように立ち去る。
「え、ちょっと! 待ってよアショーカ!」
ヒジムの声は聞こえただろうが、アショーカはあっという間に姿を消した。
「もう!」
後には怒るヒジムとクスクス笑う女官が残された。
そして、やれやれという顔で見送ったぺンテシレイアの横では、シビがうっとりとアショーカが立ち去った方角を見つめていた。
「アショーカ様ったら、私の裸に興奮されたのね。
かわいい方……」
「? はあ?」
ぺンテシレイアはあまりにバカバカしい勘違いにシビを二度見した。
「どこをどう捉えたらそうなるんだ。
お前の裸より想像のミトラ様だろうが」
しかし夢見心地のシビは聞いてなどいなかった。




