9 ウッジャインのウソン
ウッジャインの大通りを二筋ばかり入ると、街並みはガラリと変わる。
昼に賑やかな大通りの裏でひっそりと静まるその通りは、夜になると仄かな松明に照らされた、艶かしい女達で溢れる。
色とりどりの紗織りの布で飾られた戸口には身なりのいい男達が次々吸い込まれていった。
「兄さん、いい男ねえ」
薄暗い一室でうっとりするように、体をくねらせる派手な化粧の女が、寝台に座る男にしなだれかかる。
「よく言われる」
短く刈り込まれた黒髪は、通った鼻筋と形良いえらを引き立たせ、切れ長の不遜に染めた青目は支配する者の傲岸さで女を虜にする。
「異国の顔立ちだけど、どこの出かしら?」
女は愛おしそうに左手で頬を撫ぜる。
その手を迷惑そうに振り払った。
「余計な詮索はするな。
無駄口を叩く女は嫌いだ」
邪険にされて女はむっとする。
「怒らないでよ、お兄さん。
ほら、特上のお酒を出すからさあ」
女はそばの杯に酒を注ぎ男に差し出す。
受け取った男はグビリと飲む。
そして咳き込んだかと思うと杯を取り落とした。
「ぐふっ! これは……!」
男が喉元を押さえる。
「うふふ。効きが早いわねえ。
もうちょっと私に優しくしてくれたら、こっそり逃がしてあげたのに……残念ねえ」
女は目の前で苦しむ男を見下ろし、勝ち誇ったように高笑いをした。
「さあ、金目の物はあるかしら。
この白ひょうの毛皮はいいわねえ。
それから確か高そうな剣を履いてたかしら」
女はごそごそと男の持ち物を物色し、鉄製の剣に手をかける。
その手をぐいっと捻りあげられ悲鳴を上げた。
「いたいいっ! 何よあんた!
薬が効いたんじゃなかったの!」
苦しそうにうずくまっていたはずの男は、悲鳴を上げる女ににやりと微笑んで見せた。
「こんな子供だましに騙される俺だと思ったか。
飲んだふりをしただけだクソ女め」
女は青ざめて屈強な男を見上げる。
「昨日の店でも同じ目に合ったぞ。
裏に大きな組織があるな。
吐け、そいつは誰だ!」
「ひいいい、私はただ言われた通りに……」
言いかけた女の胸から鮮血が飛び散る。
「ぐふうっっ……」
ずるずると血にまみれた体が沈む。
背中から貫通した刃が男の手前で止まる。
いつの間にか大男達に取り囲まれていた。
男は女から手を離し、剣をかまえる。
(五人か……。しかし雑魚ばっか)
倒す手順を算段するや、用心棒らしき体格のいい男達を瞬時に切りつける。
「うがあっ!」
「ぎゃっっ!」
「うぎゃああ!」
刹那の間に死骸の山が築かれる。
「ふん、手ごたえの無い」
男は一振り、剣の血をなぎ払うと、自分の荷物を手に悠々と店を後にした。
◆ ◆
何事もなかったかのように宿に帰ると、武官らしき男が三人、怖い顔で待っていた。
「どこに行ってらしたのですか!」
「心配したのですよ!」
「まさかまた色町に!
昨日あんな目にあったばかりなのに!」
口々に罵る。
「今日もあんな目にあったぞ。
なんだこの街?
色町がすげえって楽しみにしてたのに」
「いい加減にして下さい! 烏孫様!」
青筋を立てて怒る側近達にウソンは首を引っ込めた。
「そんなに怒るなって。
今は動けそうにないから、ちょっと気晴らしだよ」
「何が気晴らしですか!
この街はおかしいと言ってたのは烏孫様ではないですか!
娼館で死体になられたら、単干様に合わす顔もございません」
「ははっ。俺的には理想の死に方だけどな」
ふざけた調子のウソンに側近達は厳しい目で無言になる。
言い返せば、どこまでもふざけて返す事は経験で分かっていた。
沈黙に観念したようにウソンは椅子にドサリと腰掛けた。
「分かったよ。わーかりました。
色町に行かなきゃいいんだろ?
あーあ、巨乳の美女がまだまだいっぱいいたのになあ……」
「烏孫様!」
「分かったって。そろそろ大本命を手に入れるさ。
色町行けないんじゃ、こんなとこにいつまでも居るつもりはない」
目の前の木机に、どっかと足を乗せる。
「その事ですが、やっぱりやめませんか?」
懇願するように白髪の老臣がウソンに深刻な顔で向き合った。
「はあ?」
ウソンは呆れたように返す。
「我ら三人は今日、あの姫の周辺を探って参りましたが、恐ろしく堅固な警備で、とても近付く事など出来ませんでした」
「五麟か……」
ウソンは考え込む。
「はい。さすがはマガダの皇太子。
太守の宮殿に忍び込むぐらいなら容易ですが、皇太子の隠密の守備範囲には指一本入る事も出来ません。
姫の拉致など不可能です」
「不可能な事をやるのが俺達だろう」
耳をほじりながら、事も無げに言う。
「無茶です。おまけに怪しき連中につけられました。
そちらも相当の手練れです」
ウソンは灯りとりの小窓から外を覗いた。
「アッサカか……」
アッサカとは、アショーカ王子の私兵の騎士団の隠密で、目当ての姫の護衛を専任する凄腕の男だ。
一般的なヒンドゥ人の焼けた肌に、最強に目付きの悪い男だが、根は真面目で謙虚な男である事は、共に過ごした僅かな日々だけでも充分分かった。
おそらくもう、ここに潜伏しているのはバレているだろう。
「そこまでしてあの姫を拉致する意味が分かりません。
命じられた訳でもないのに、何故そうもあの姫に固執されるのですか?」
「べっつに。先の短いじっちゃんをちょっと喜ばせてやろうかなと思ってさ」
ウソンの返答に三人の側近は呆れたように顔を見合わせる。
「そ、それだけのためにアショーカ王子の騎士団に入り込んで、こんな危険な事を?」
「なに? 跡目でも狙ってると思ったのか?
冗談だろ。めんどくさい。
既存の組織の長なんて、面倒ばっかで超つまんない人生」
側近達は失望したように肩を落とす。
「なんと情けない。
これほどの武勇とカリスマ性を備えていながら……志だけが足りぬ」
「見損ないましたぞ烏孫様」
およよと泣き出しそうな側近達に今度はウソンが呆れた。
「馬鹿め。跡目には兄貴がいるだろう。
なんでそんなもんを兄弟で取り合わなきゃなんねえんだよ。
俺は国を創るぞ。
誰かの後釜なんてつまんないもんはいらねえ。
俺のこの手で一から築いてやる!」
「な、なんと!」
側近は目を丸くする。
「これまた無謀な夢を……」
「無謀かどうかは俺様が死んだ後、語り合え」
「このじいが烏孫様より長生きするとお思いですか?」
白髪の老獪はふっと笑った。
「ふん。お前はあと五十年は生きるだろう」
本当に生きてこの主君の創る国を見てみたい。
無謀な夢を追いかける主君に……されど人は魅了されてしまう。
「して、なにゆえあの姫ですか?」
我に返ったように、再び尋ねる。
「ま、国を創るに女神はいてもいいだろう」
腕を組んで渋面を作ってみせる。
「いなくてもよろしいですね」
老臣はそんな事で誤魔化されない。
問い詰める側近にウソンの口調が怪しくなる。
「いや、必要だぞ。
特にシェイハンの聖大師は覇者の女と噂される」
「噂ですな。
誰かの妻になったという話は、とんと聞いた事がございません」
「マガダの王子二人が取り合う女だぞ。
素晴らしい巨乳の美女に違いない」
本音が漏れた。
「結局それが目的ですな」
ギロリと側近達は主君を睨み上げる。
「そ、そうだ。悪いか!
俺は欲しいと思ったモノは絶対手に入れる。
俺が妻にする女は世界一の絶世の巨乳美女だ」
「巨乳は余計かと……」
「いや、そこだけは外せん!」
やれやれと側近達は苦笑した。
困った主君だが、何故だかついていってみたくなる男なのだ。
「仕方ありませんな」
諦めたように忠臣三人は笑った。




