5 ウッジャインの街
十日目にしてようやくスシーマ一行はウッジャインに辿り着いた。
パータリプトラやタキシラと同じような大きな木創りの都市門を入ると、それまでの田園風景から一気に華やかな街並みに変わった。
都市門にはすでに太守の迎えの衛兵が待機していて、スシーマ王子が乗るための大仰に飾り立てられた象の輿が用意されていた。
「お待ちもうしておりました。スシーマ様」
皇太子の出迎えには、ずいぶん若い貴族の少年が現れた。
「ん? そなたは確か……叔父上の……」
スシーマが思い出すように顎に手を当てた。
「はい。ビンドゥサーラ王の弟、ウッジャイン太守マンドサウルが息子ラトラームにございます」
少年貴族は恭しく拝礼した。
「ラトラームか。
前に会った時はまだ随分幼かったと思うが、幾つになった?」
「十五になりましてございます」
やんちゃ盛りだな……とスシーマは貴族らしくは振舞っているものの、どこか荒んだ空気を醸す少年を見やった。
白の礼装に黒髪、黒目の濃い縁取りの顔は、整ってはいるが、剣呑とした眉や高すぎる鼻がなんとなく嫌悪を催す。
「ここからは我らが護衛が先導して参りますので、どうぞ昇降台より象にお乗り下さい」
象の輿を飾りつける金銀の宝飾に、スシーマはやれやれとため息をついた。
式典のパレードのごとく派手に皇太子を出迎えるつもりらしい。
沿道には民が花篭を持って大挙して待ち構えているだろう。
(出来ればミトラをあまり目立つ場に出したくはなかったのだが……)
「もう一人客人がいる。一緒に乗るぞ」
「はっ。客人でございますか?」
「ナーガ、お連れしろ」
スシーマの命令にナーガがそそくさとゲルに出迎えに立つ。
中から出てきたヴェールで全身を覆われた小柄な姫にラトラームが目を見開く。
「女性でございますか?」
意外だった。
スシーマ王子の堅物の女嫌いは、このウッジャインにも響き渡っていたのだ。
「事情があってお連れした。
賓客ゆえ、私と同等のもてなしをお願いする」
「どなたかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ラトラームは尋ねた。
「聞く必要はない。姫とだけお呼びしろ」
ラトラームはチラと笑みを浮かべる。
「畏まりました」
納得したように衛兵の一人に耳打ちして、宮殿に早駆けを送った。
どうやらどこかで引っ掛けた遊び女と勘違いしたようだ。
不愉快な思いに捉われるが、仕方がない。
おそらくアショーカが送り込んだアッサカが、すでにどこかで奪還の機会を狙っているはずだ。
なるべく一緒にいるのが都合がいい。
別々になれば五麟を二手に分けなければならなくなる。
「さあ、姫。象に乗るぞ」
スシーマが昇降台の前で差し出した手を、ミトラはぷいっと無視して先に上っていった。
スシーマは仕方なくその後ろから付き従う。
それを見ていたラトラームは思春期の少年独特の下卑た想像を掻き立てられた。
(あの堅物で有名なスシーマ王子が尻に敷かれているのか?
どんな妖艶な美女なのか?
いや、それよりも、あの人はこの女の存在を知ったらどうするかな?
はは、面白くなってきた)
思わずくくっと笑いが漏れた。
ウッジャインの街並みはパータリプトラやタキシラと同じぐらい露店売りや商人で賑わっていたが、もう少し下町の雰囲気が強い感じがする。
タキシラの式典のパレードのように、スシーマ王子の来訪を待ち望んでいた町娘達の歓迎は凄いものがあったが、その町娘達の一部の露出と化粧の濃さが下町臭を醸すのかもしれない。
一応鼻から下に薄手のヴェールを着けてはいるが、薄過ぎて顔は丸見えだった。
おまけに衣装も薄手で、下着になっている胸当てと下穿きが丸見えだ。
わざと見せるのがここの流行なのかもしれないとミトラは思ったが、実は、ウッジャインは色町通りがある事で有名だった。
「この地はタキシラよりもずいぶん暑いですね。
だから女も皆あのように薄着なのですね」
輿のヴェールから外を覗いたミトラが呟くのを聞いてスシーマは笑った。
「郷に入れば郷に従えだ。
ウッジャインにいる間は、そなたにもあのような衣装を着てもらおうか」
もちろん冗談だ。
「ええっ! 私も着なければダメなのですか」
「中々似合うと思うぞ。ダメか?」
「ダメというか……あの胸当ては、たぶん歩くたびずり落ちて……着れないかと……」
困ったように俯くミトラに、スシーマは思わず吹き出した。
「ははは、なるほど。それは困る。
ではそなたは私が持参したサリーを着るがいいぞ」
「あれは……ウッジャインの太守様への贈り物なのでは?」
それはミトラを納得させる為に適当についた嘘だったが、どうやらまだ信じているようだ。
「太守殿には別に贈り物を用意している。心配する事はない」
ほっと笑顔を見せたミトラに、スシーマは穏やかな顔を返した。
華やかな街並みを見て気が紛れたのか、ようやくまともな会話が出来た。
「ミトラ、私はこの地で少しばかり公務があるのだ。
ラーダグプタが先に来て下調べは済んでいるはずだが、公務を終えるまでしばし宮殿で大人しくしていてもらうぞ」
ラーダグプタとはマウリヤ王朝の最高顧問官であり、三十代後半の若さで国を動かしていると言ってもいいマガダの頭脳だ。
しかし間者として三年もの間、シェイハンでミトラの教育係を勤め、前聖大師様と恋仲でありながら侵略を先導したという黒い側面も持っている。
許せない相手であるはずなのに、自分に忠誠を誓うかのようなラーダグプタの態度と、シェイハンでの日々に、ミトラはどうしても憎みきる事が出来ないまま存在を忘れていた。
そういえばラーダグプタもウッジャインに行くと聞いていたが、旅の間見かけなかったと今更気付いた。
「ウッジャインでは出来たらそなたの素性は伏せておきたい。
刺客がいるやも知れぬからな」
スシーマの言葉にミトラは頷いた。
「なるべく誰ともしゃべるな」
せっかく珍しい地に来たのに話も出来ないのかと、ミトラはがっかりする。
「公務が済んだら、街を案内してやろう。
聖なる沐浴場や、シヴァ神の寺院など、ここはバラモンの聖地でもあるのだ」
「シヴァの寺院……」
ミトラの瞳に久々に明るい光がきらめく。
「実はそこにシェイハンのマギ大官が隠れ住んでいるらしいのだ。
そなたも共に話を聞いてみるがいい」
こくりと頷くミトラにスシーマはようやく明るい兆しが見えて、宮殿に着く頃にはすっかり上機嫌になっていた。
だから、そこに出迎えた面々に奈落の底に落とされるとは思ってもみなかった。




