2 タキシラのアショーカ王子と側近ヒジム
「もっと声を出せえええっっ!!!
気合いが足りぬぞおおおおっっ!」
タキシラの宮殿では兵舎裏の訓練所で、アショーカ王子の私兵の騎士団達が日常の訓練を行っていた。
いつも厳しい訓練を続けているが、今日はいつもに増して皆ピリピリしていた。
騎士団は三隊に別れて一隊が訓練、一隊が警備、一隊が休息というシフトを組む。
人数もずいぶん増え、一隊におよそ二百人いる。
「エイっ! ヤアっ! エイっ! ヤアっ!」
皆訓練用の剣を手に素振りに励んでいる。
「もっと一振り一振りに魂を込めぬか!
これぐらいでへばるなあああっ!」
「ひゃっっ!」
横を過ぎ行くアショーカの耳を突く大声に悲鳴がこぼれた。
「誰だあああっ!
今、女みたいな悲鳴を上げたやつはあああっっ!」
ぎょっとして全員が悲鳴の主を見る。
覆面剣士ルジアだった。
「お前かあああっ! たるんどるようだな!」
アショーカはルジアが覆面の上から着込んだ、黄色と黒の縦縞模様の団服の襟をぐいっと掴んだ。
「ひいいいいっ!」
ルジアは蒼白になって恐ろしい形相の主君を見上げた。
「貴様っ!
そんな暑苦しい覆面を付けておるからたるむのだ!
脱げっ! 脱げええっ!」
「もうっっ! うるさいよっ!」
アショーカの後ろから側近ヒジムが怒鳴った。
この騎士団の隠密部隊の隊長でもあるヒジムは、長い黒髪をポニーテールにして、誰もが振り返るほどの美少女の外見を持っているが、剣の腕はずば抜けていて、両性具有の肉体を持っている。
不可触民という最下層の身分で育ったヒジムだが、優秀な隠密の才能をアショーカに見出され、今では側近としての確固たる立場を築くに至った。
そして、この恐ろしい主君に唯一タメ口で注意出来る存在でもあった。
「ミトラがいなくて機嫌が悪いのは分かったからさ、自分の仕事に戻ってくれる?
そんな大声で怒鳴り続けられたら、みんな萎縮しちゃって訓練にならないんだよ」
「なんだとっ! 俺様が邪魔だと申すか!」
「はっきり言うよ。邪魔なんだよ!」
「ぬううう……」
アショーカは不機嫌に、掴んでいたルジアの襟を離した。
ルジアはほっとして襟を直す。
「スシーマ王子に出された宿題が山のようにあるんでしょ?
さっさと済ませてミトラを迎えに行けばいいでしょ?」
「簡単に言うな。
俺一人でどうこう出来る内容ばかりではない。
今日出来る指示は全部出した。
後は皆の報告を待つしかない」
もどかしそうに唸る。
「もう。
だったらサヒンダの手伝いでもしたら?
寝るヒマもないらしいよ」
サヒンダとはヒジムと同じく側近の一人で、家柄も良く頭も切れるため、主に政務を補佐している。
「バカもん。
言っておくがな、サヒンダは今、俺よりも機嫌が悪いんだ。
少しでも邪魔をしたら辛辣に嫌味を言われる」
貴公子のような外観のサヒンダだが、その毒舌は主君さえも凍えさせるほど冷たく、無茶ばかりをするアショーカの貴重な歯止め役だった。
ヒジムはやれやれと首を引っ込めた。
「ミトラのためでしょ?
一刻も早くミトラを取り戻すためにサヒンダだって頑張ってるんだよ。
僕だってスシーマ王子の五麟に負けない隠密を早く育てたいんだ」
アショーカは束の間、反省した。
「……分かった。邪魔者は退散する」
そう言ってふとルジアに目を止めた。
ルジアは目が合ってぎょっと心臓が跳ねた。
「そういえばこの覆面男はお前の従者になったのだったな。
名前は何だったか……」
「ル、ルジアでございます」
ルジアは震える声で答えた。
「ルジアか。女みたいな名だな。
剣使いはうまいが猛々しさが足りぬぞ。
いつまでも顔を隠しているからではないのか?」
ルジアが本当はカシミール国の王女ルジアナで、女である事はヒジムしか知らない。
「誰でも人に見られたくないものってあるでしょ?
大目にみてやってよ」
「ふん、まあお前が信頼しているならいい」
そう言って何故だかアショーカは、ポンポンとルジアの胸を二回叩いた。
「※%!☆〇$!!!」
ルジアは飛び出しそうな叫び声を必至で飲み込む。
そのまま立ち去ろうとするアショーカに、ヒジムが唖然として声をかける。
「え? ちょっと待ってアショーカ。
今、何でルジアの胸を叩いて行ったの?」
「は?」
アショーカは振り返る。
「なんでだと? 意味などない。
何となく叩いてみただけだ。
男の胸を叩いて何が悪い?」
そう言ってもう一度、ポンポンとルジアの胸を叩いた。
ルジアは目を白黒させて悲鳴を飲み込む。
「無意識なんだね……」
ヒジムは呆れたように腕を組む。
「は? 何がだ?」
「いや、いいよ。無意識なら仕方ない」
諦めたようにため息をつく。
「訳の分からんことを言うな!」
ふん、と鼻息荒く立ち去るアショーカを見送って、ヒジムは隣りで口をパクパクさせているルジアに同情の目を向けた。
女を捨てるとは言っても、王女の身分の姫だったのだ。
突然意味も無く胸を触られたショックはいかほどのものか……。
「ごめんね、ルジア。
アショーカの女好きは無意識レベルみたいだからさ。
ショックだろうけど許してやってね」
小声で囁く。
「も、も、もはや女を捨てた身なれば……こ、これしきの事……何とも……」
必至で強がってはいるが絶望は隠せない。
「もうお嫁に行けないとか思ってる?
いざとなったらアショーカに責任とってもらいなね。
あれでも人情には厚いから女の子が泣いて頼んだら側室ぐらいにはしてくれるよ」
「め、め、滅相も無い。
あのような恐ろしい方の妻など……気が休まりません」
「確かミトラも昔、同じ事言ってたよね」




