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アショーカ王の聖妃  作者: 夢見るライオン
第三章 タキシラ 太守就任式典編
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44 スシーマ王子の罠②

 震える手でカチャカチャと茶器を運ぶソルからスシーマは茶器を受け取ると、自らミトラの茶碗に香ばしい色の茶を注ぐ。


「最初少し苦味があるかもしれぬが、慣れればクセになるぞ。

 飲んでみよ」


 手ずから渡されミトラは恐縮する。

「ありがとうございます」


 少し薬草っぽい香りがするが、それが流行りなのかもしれないと、ミトラは一口飲んだ。


「確かに少し苦いですね。

 カノコソウのような香りがする」


「そういえば、そなたはラーダグプタから薬学を学んだのだったな」

 平然と言いながら、スシーマはチラリとソルを見やる。

 尋常でなく震えている。


「もっとぐいっと飲んでみよ。

 飲むほどに深みが増す茶なのだ」


「そうなのですか?」

 ミトラは素直に頷いて、お茶をぐいっと飲み干した。


「私はあまり茶を飲む習慣がなかった故に、美味しいのかどうか分かりません。

 なんだか薬っぽい気がするが……」


「そうであろうな」

 スシーマが微笑む。


「え?」


「すまぬな、ミトラ。

 それはダージリンではない。

 今度本当のダージリンを飲ませてやろう。

 もっと香り高く旨い茶だ」


「何を言って……」

 グラリと視界が揺れる。


「許せ。そなたを想うゆえだ」


「どうゆう……意味……」


 立ち上がろうとしたミトラは、そのままスシーマの腕の中にくず折れた。


 ぐったりと意識を失ったミトラの前に、ソルが震えながらひれ伏す。

「申し訳ございません。

 申し訳ございません、ミトラ様。

 主君に薬を盛るなど……罪深い事をしてしまいました。

 どうか……どうかお許し下さい……うう……ううう」


 涙声になって許しを請うソルにスシーマが優しく声をかける。


「落ち着け、ソル。

 悪いのはすべて私だ。

 そなたはミトラの幸せを祈る善良なる侍女だ。

 そなたは私に命じられ仕方なく従ったのだ。

 ゆえに最後の仕上げをせよ。

 涙を拭いて立ち上がるのだ。

 命令だぞ」


「は、はい。申し訳ございません」

 ソルは立ち上がり顔を整えると廊下に出た。


 そして扉の前を固める衛兵に告げる。


「ミトラ様は昨夜のお疲れが出たようで、今からお休みになられます。

 私が側についていますので呼ぶまで誰も通さぬように。

 それからスシーマ様の側近の方々。

 衣装箱を運ぶので手伝って下さいとの事です。

 お入り下さい」


 強面の屈強な側近達が、待っていたように頷いて、すぐさま部屋に入ってきた。


 スシーマはぐったりと眠るミトラを抱き上げ、部屋の隅に置いた衣装箱の中にそっと横たえた。

 ちょうど返された衣装の山がクッションになってフワリと体が沈む。


「ソル、何か日常で必要な物があれば一緒に入れてくれ」


 ソルはそそくさと準備していた肌着やミスラの祭壇の小物を足元に入れる。


「あの……この額飾りは……」

 ソルは最後に木箱の額飾りを手にする。

 最近ミトラが一番大切にしている物だ。


 スシーマは、つと冷たい視線を投げかけた。

「それは置いていくがいい」


 大人げないのは充分分かっている。

 それでも他の男にもらって大事にしている物など、ミトラの傍に置いておきたくなかった。


「畏まりました」

 ソルは恐縮すると同時に、この優しげな王子の怖い一面を見た気がした。


 そっと衣装箱の蓋を閉めて、屈強な側近二人が持ち上げる。

 そしてもう一つの衣装箱を開けて皆がソルを見た。


「入るがいい、ソル」


 スシーマに命じられ、ソルは震える足で衣装箱に身を沈める。

 蓋を閉じようとする側近に「待て」とスシーマは命じた。


 蒼白のまま様子を覗うソルにスシーマは先程のお茶を茶器に注いで手渡した。


「飲め、ソル。

 忠義なそなたが罪悪感のあまり途中で泣き出しても困る。

 そなたも眠って行くがいい」


 ソルはガタガタ震える手で茶器を受け取る。


「そなたもミトラと同じく私に騙され眠らされたのだ。

 そのように振舞え」


「で、でも……それでは……」


「ミトラのためだ。

 そなたに騙されたと知ればミトラは傷つく。

 信じられる者がいなくなる。

 ひどく悲しむ事だろう」


 ソルは罪悪感に顔を歪める。


「ミトラに申し訳ないと思うなら、自分も騙されたフリをして常にミトラの味方でいろ。

 それがミトラの救いになる」


 さらりと言ってのける皇太子に、ソルは今更ながら恐ろしさを感じていた。

 アロン王子のようなソフトで優しげな外観から、勝手に同化してしまっていたが、同じではなかった。


 当然の事だった。

 気付かぬ自分がバカだった。

 大国マガダの皇太子として君臨するには、多くの策略や政争に打ち勝ってきたのだ。

 ただの聖人君子であるはずがなかった。

 目的の為には少々の陰謀も厭わない。

 それでなければアロン王子のように、まんまと敵の餌食になる。

 裏の顔もまた王として生き残るために必要な資質の一つなのだ。


 そして自分はもうこの皇太子にくみしてしまった。


 もはや後戻りは出来ない。

 ただミトラを大切に想っている事だけは確かだ。

 それを信じて従うしかない。


「わ、分かりました」

 ソルはぐいっと茶を飲み干した。


 自ら横たわり、蓋が閉じられるのを見守る。


 視界が暗くなり、やがて意識も遠のいた。


次話タイトルは「ゲル馬車での企み①」です

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