榁高次
大和共和国陸軍司令部長官室の椅子に腰掛け、榁高次は眉間の皺を寄せ頬杖をついていた。長い間その態勢を維持していたせいで、部屋の外から気配を感じ立ち上がった時には右手が痺れますます眉間に皺が寄った。そして、無遠慮にガンガン歩いてくる足跡で来訪者の予想がつき、一回大きく深呼吸した。
「榁、久しぶりだな!どうだ、孫娘は?」
予想通り快活に声を掛けながら部屋を入ってきたのは文部和馬だった。榁の唯一の上官であり、この陸軍士官学校の名誉理事長であるこの男に、吐ける言葉はもう一つだけだった。
「和馬さん……麗には軍人の適正はあります。向いてますよ、奴は。あんたそっくりだ」
数馬は黙って榁を見つめた。不思議なもので、既に60を過ぎた男の目とは似ても似つかぬのに、その真っ直ぐな眼差しが一瞬麗を重ね酷く一層胸が締め付けられる。
「そうか、そりゃあ結構。こちらは日本の記者である松田将太君だ」
和馬の後ろで硬直しながら真直立で立っていた。紹介を受けた松田は震えたぎこちない笑顔を榁に向けた。
「は、初めまして。お噂はかねがね伺っておる次第でありまして」
「その感じだと日本ではバーサーカー的な扱いなんだろうなぁ、よろしく」
松田の緊張を解くために、敢えて苦手に笑いかける。
「いえ、決してそんな事は……」
大和共和国建国の為、和馬の懐刀として活躍した榁は和馬と同様世界に名前が知られている。しかし、常に第一戦線で戦い続けた榁が一部で『大量殺人鬼』と批判を受けている事を知っていた。特に日本のような戦争の無い国で榁が異常者のような報道がされている事は想像に難くなかった。
「気を使わなくていいよ。だが一つだけ言い訳させてくれ。あの時は戦争だったんだ。もうこれ以上弁明する必要は無いがね」
それだけ答えてその会話をうちきった。
確かに数千人もの命を奪った。何人殺したのかわからないほど、狂ったように殺したさ。だが、他にどうすればよかったか。嬉々として傷つけに、殺しにくる者たちに対して守ってくれたのは「非暴力、不服従」という言葉じゃなかった。日本への亡命も出来ず、人権を剥奪され、家畜のように生きろと言うのか。少なくとも俺はそんな事は出来なかった。守るための戦いだったと格好つけるつもりは無い、ただ戦争だった、それだけの事だ。そう榁は自分にも他人にも言い聞かせていた。
松田は榁の物言いに釈然としないものを感じたのか、少し黙っていたがやがて重苦しそうに口を開いた。
「……その場にいなかった僕が何かを言えることじゃない気がします。ただ、否定も肯定もしません。それでいいですか?」
榁はニヤリと笑い頷いた。
「それで十分だ。で、和さん、今日はどうしたんです?」
「お前の過保護をやめさせにな、麗はやるべき事がある」
「……俺の見解は不要ですか?」
心の中での疼きを隠したつもりだったが無意識に棘のある言葉を放っていた。
「お前の意見は聞いたさ。だが、結論を変えるには至らんかった。それだけの事だ。麗の保護者であり、高次、お前の上司である俺の結論だ。心配するな、麗には俺から伝えておく」
そう言って和馬は榁の肩を叩いて、通り過ぎようとした。
「……それだけですか?」
「んっ? 何か言ったか」
和馬に聞き返された時に、榁は初めて自分が呟いた事に気づいた。
俺はいったい何に苛々してるんだろう。その正体も掴めないまま感情的に話すほど若くは無いつもりだったが、なぜか今日はそれを制止したくない自分がいた。
「麗は5歳からこの陸軍士官学校で軍人になりたかったんです。他でもない貴方に憧れて……壮絶な訓練にも耐えてきたし、女の子で辛い事もあったでしょう。でもそれでもただひたむきに真っ直ぐに」
あんたは保護者だろう、子供の心底やりたい事を応援するのが親の務めじゃ無いのか。そりゃあ、女で軍人なんてなる必要はないさ。でも、俺はあいつの気持ちは理解できる。あの狂った日々の中で、唯一見せてくれた希望があんただったんだから。俺はあんたになりたかったんだから。
和馬は榁の話を黙って聞いてたが、やがていたずらな笑みを浮かべた。
「お前、要するに麗に惚れてんだろ」
思いもかけない言葉に一瞬思考が止まった。
「な、何を言ってんですかとうとうボケましたか!終いには俺を変態扱いですか!」
これ以上無いくらい必死に否定した。
おいおい、松田の見る目が変わってるんですけど……これならバーサーカー扱いの方がまだマシだった気がする。
榁の歳は既に36歳、麗は今年15歳になったばかりだ。昨今歳の差婚は珍しく無いが、それにしても相手の年齢が低すぎる。
「だってそうだろ? 『鬼人、榁』もヤキがまわったもんだ。まあ、お前の拷問紛いの教育的指導に最終的に残ったのあいつだけで情が湧くのは無理もないかもな」
要するに榁が麗を我が子のように接していると言いたかった事に気づいて、思わず赤面した。
これではなんか自分が奴を女として意識してる変態みたいじゃ無いか。
「俺はこれっぽっちも断じてそんな事思ってませんよ!気持ち悪い事言わないでください」
と断じて否定したが、和馬は榁の答えを全く無視して話を進める。
「可愛がりすぎたな、榁。子供育てた事無いから過保護になっちまったか。子供なんて放っておいても育つのに。とにかく、麗の可愛いさあまりに俺は判断曲げる気ないからな。ちゃんと引導渡してやる」
そう言って数馬は歩き出した。
「……俺が言います。俺が責任を持って言わなきゃいけない」
和馬には今後の関係性もあるし、何より尊敬する者から夢の死刑宣告を受けた時の表情を思い浮かべた時に、それはあまりに酷な事だと感じた。
やはり少し過保護になっているのかと、またしても自己嫌悪に陥り、榁は眉間に皺を寄せた。
榁は和馬と別れ、麗がいる部屋に向かった。
「あの、榁さん。文部麗さんって和馬さんのお孫さんなんですよね? どんな子なんです?」
後から付いてくる松田が恐る恐る聞いてきた。
「……バケモンだな」
「バ、バケモン」
「戦闘能力で言えば、この陸軍士官学校で男女あわせてがトップクラスだ。ゲリラ戦で行きゃあ勝てるのなんて大和共和国見渡しても数人しかいないだろう、15歳の女がだぞ? 正真正銘バケモンだ」
「それ……女なんですかね。でも、何で和馬さんは彼女を軍人にしたく無いんですかね? 昨今女性士官なんて珍しく無いし。やっぱり可愛い孫には同じ道を歩ませたく無いという気持ちでーー」
「松田くん……そんなヤワなじじいじゃないよ、アレは。日本の三門財閥を知ってるだろう? そこの跡取りとの縁談話が浮上してるんだよ。そこに嫁がせたいんだと。ガチガチの政略結婚だ」
売上高世界第2位の三門財閥は自動車、建築、農業など分野問わず幅広い事業を展開している。
「なるほど、三門鳴宮ですか」
当主の三門哲也が株式の49%を保有していた状態だったが、二ヶ月前に飛行機事故で亡くなった。当初後継者は長男の正成と言う話だったが、三門家側で一悶着あったようで最終的には三男である鳴宮が哲也が持っている一切の株式を保有することになった。
「以前から縁談の話はあったようだが、決心したのは2カ月前だろうな。目的は三門財閥の経済力、それだけだよ」
「……でも、道理に合いません」
松田がぼそりと呟いた。
「何がだ?」
「文部和馬と言う男は分不相応な事はしません。それは、まさに大和共和国に現れているじゃありませんか」
松田の指摘から彼の大和共和国に対する理解が深く、見直した。
大和共和国の基本的な考え方は、自給自足。特殊な産業以外は援助を行わない態勢を取っている。国家が不況に備えて国庫を蓄えることも無ければ、好景気の時に税金を多くとることもない。紙幣の発行も常に一定量発行される。
五年前の大不況時に対し、何のアクションも取らない和馬を説得しようと大量の人々が政府官邸に押し掛けたが、和馬は『こんな事をやる暇があるんだったらどうするか考えろ! 政府はおかあじゃねえぞ、こちとら税金だってそんなに貰ってないんだ。お前らが助け合って頑張れよ』と一喝し取り合わなかった。それだけで群衆を沈めることができたのは、和馬の功績とカリスマが為せる業だろう。確かにそんな和馬が今更忌嫌っている日本の財閥の財に興味など示すはずもないように思える。
「梅林の世界滅亡発表からだな、他国の財に興味を示したのは。和さんは和さんで自分に何ができるかもがいているのかもしれんな」
「俺が書いた梅林の記事に興味を示したり、自分の孫に政略結婚をさせたり……和馬さんと梅林に繋がりがあるんでしょうか?」
「いや、俺の知る限り面識無いな。だが、梅林には三度大和共和国は助けられている」
旭川に二度、小樽に一度、震度7強の地震が発生し、梅林の予測で死者を出さずに済んでいる。
「……会わせてみたかったですね、和馬さんと梅林を」
「ああ、しかし無理だった」
「……無理……だった……なんで過去形なんですか?」
「命じられたからさ。『梅林源一を大和共和国へ連れてこい』ってな」
「え、ええええええっ!」
「そんなに驚くなよ、無理だったんだから。梅林は世界最高のSPから警護されていた。大統領クラスの厳重警備でな。まあ、当然だな。世界最高の頭脳だ。他国に渡れば厄介な事になる」
松田は信じられないような表情を浮かべた。
「でも、梅林はテレビの取材だって受けてたし、圧力団体にだって嫌がらせを受けていたし」
「それは梅林に精神的ストレスを与える為だったんだろう。奴らは梅林に世界滅亡宣言を撤回して欲しかったんだろうな。しかし、抑圧はしたくない。天才ってのはモチベーションと自由な環境こそがあってこそだからな。だから民意に見せかけて梅林の考えさせようとした。一方で、別の考えで梅林に接触しようとした者は一層排除した」
「……酷い」
「梅林から見れば、味方は誰一人いないように見えただろうな。俺の知る限り部下も同僚も全て奴ら側の人間だった」
「あの……榁さん、『奴ら』って?」
「コードネームは『エンジェル』……アメリカ、ロシア、EU、中国、日本が共謀して作らせた組織だ。コイツラのおかげで俺たちは何の手出しも出来なかった」
「……どうでもいいけどダサいですね」
「しょうがないだろ! それはあいつらのネーミングセンスの問題だ。俺も気に入らんから『A』とか、奴らとか言ってるよ」
名前はダサいが途轍もない組織であることには変わりない。無尽蔵な人材、武器の供給が可能だ。例えば、梅林は愛知県の長久手町と言う街に住み、その施設で研究を行っていたが、研究施設の人々のみならず半径十キロ以内の人は全てがエンジェルの傘下にいた。
「……梅林は気付いたんでしょうか?」
「だろうな、どうやったか知らんが梅林はエンジェルの監視をくぐり抜けて失踪している。そして梅林は重度の精神的ストレスを負っていた。全てがまやかしに思えて自殺する選択をすることは自然かもしれんな」
梅林に両親はいない。交友関係の深い友人との連絡は出来ない。残ったのは研究施設の部下と仲間だけ。それすら偽物だと知った時の気持ちを考えると、さすがに同情を禁じ得ない。
「……榁さん、記事にしてもいいですか?」
「やめといた方がいいと思うがね、間違いなく死ぬから。自殺願望があるって言うなら止めないが、君には出来ればサポートして貰いたいからね」
「サポートって……誰をですか」
松田がそう聞き返した時、榁は扉を開けた。
「あいつだ……、今は気絶して眠っているが。例のバケモンさ」