プロローグ
その日、川崎隼人は会社の飲み会に来ていた。
向かいの席には思い人、笹本美香が居る。故に、隼人にとって失態を犯せない場面だ。
隼人は軽く酔いつつも、正気を保っていた。
周りの先輩達は、既に顔を真っ赤にして騒いでいる。
美香も例外ではない。
騒ぎこそしないが、顔は真っ赤になり、普段はガードの固い彼女が、今日はガードが緩くなっていた。
無礼講というのもあるかもしれないが、あまりいい緩み方とは言えない。
そのまま二次会についていってしまったら、間違いなく彼女の貞操は危機を迎えるだろう。
それを隼人は見て感じた。
だからか、隼人は彼女の二次会行きを阻止しようとした。
端から見れば、隼人は美香をホテルに連れていこうとする男性社員にしか見えないだろう。
むしろそれを狙ったのだから、そうでなくては困る。
そんな隼人の気も知らず、セクハラ集団とも言うべき先輩達は隼人と美香を口笛などではやし立てた。
隼人それに振り返り、出来るだけヘラヘラとした。
二次会から逃れ、繁華街の喧騒も聞こえなくなった頃、美香は隼人の肩を借りながら溜め息をついた。
自分が何か粗相をしでかしたかと焦る隼人をよそに、美香は隼人に礼を言った。
どうやら彼女は酔ったフリしていたようである。
隼人に連れられた時はどう逃げようか考えていたらしいが、隼人にその気が無いと知るや、美香は礼を言ったのだ。
美香は隼人に終電に間に合わなかった事を告げると、そのまま黙りこんでしまった。
目の前にはホテル。だが隼人は飢えている訳ではない。
隼人は自分の家に招いた。
風呂を沸かし、美香に入るように促すと隼人は美香のためにと、ベッドのシーツなどを一式取り替えた。
無論、隼人にやましい気持ちはない。
風呂から上がった美香にベッドを譲り、隼人は風呂に入った。
隼人がその気が無いのに対し、実は美香にその気があったのは内緒である。
風呂からあがり、隼人は身体から湯気を燻らせながら頭を拭いていた。
というのも、隼人はいつもの癖からか、シャツは来ていなかった。だから身体から湯気を燻らせているのだ。
そしてタオルを首にかけ、冷蔵庫からビールを取り出し、美香と小さな二次会をひらいた。
さて、本題だ。
次の日の会社帰り、昨夜泊めた事もあり意気投合した隼人は、美香を駅まで送ることにした。
美香は隼人にとって理想の女性だ。
全てが理想。
だが、誰しも一つは必ずしも欠点がある。
隼人にとって完璧な女性。
そんな美香もまた、欠点があった。
美香が乗る電車の前に、一本、この駅を素通りする電車があった。
そしてそれが通過する際のアナウンスが駅に響いた。
隼人は美香の一歩前にいた。
隼人は奥から来る電車を確認した。
その時。隼人は美香に呼ばれた。
当然美香の方を向く。
だがすぐさま異変に気付いた。
美香の右手にはナイフが握られていた。それが太陽光に反射してキラリと光る。
そして、状況が呑み込めない隼人の身体は、気づけば線路に投げ出されていた。いや、正確には空中にいる。
線路に落下するなか、美香が両腕をつきだしているのが見えた。
すぐ隣にいた老婆の顔のしわが、引き伸ばされて驚愕の表情を浮かべていた。
そして間もなく駅に響く阿鼻叫喚の大合唱。
隼人はもう一度美香を見る。
美香は苦悶の表情で首にナイフを当てていた。
そして、隼人は線路に落下した。
電車は既に目前まで迫っている。
迫り来る電車を見詰めるなか、隼人の耳は確かに美香の声を聞き取った。
「待ってる、私を探して。」
と。
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