第一話 ハートウィール
自分がそんなに運が悪いなんてこれっぽっちも考えてなんか無かった。
だってそうだろ?
フツウこんな展開、想像出来ないって。映画か何かの主人公にでもなったような気分だ。
目の前に迫る死。
あともう一歩下がることが出来れば避けれる。
だけれど、足は全く動かない。
いや、足どころでは無く、腕も、全てが動いてくれない。
ただ頭だけは、はっきりしていた。
やっぱり、死ぬ瞬間ってスローモーションになるんだとどうでもいいことをゆっくりと考えていた。
みんなはちゃんと逃げたのか?
振り向きたいが振り向けない。
せめてあいつらだけでも、生きてくれと強く願う。
銃口が僕の頭を捉える。引き金に人差し指が掛かる。顔は見えないがこの男が笑っているように見える。あとはほんの少し引くだけで僕は死ぬ。
このまま死ぬのか。
―父さん
僕は眼を瞑った。
何でこんなことに。
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1147.7.19.08:32
X:-14.34:24:24 Y:-24.12:56:09
グランゼ王国カルバン州ルーベン自治区 モルディン
➡他の二つの町はルインセント、ノーラス港
カルバン州はグランゼ王国の属州。ルーベン自治区は主に森林資源の採取権を占有し法律は王権に則る。治安維持は各町が人員を出す。政治に関しては自治区内で完了する場合は良いが王国に関わる場合は承認が必要となる。
その日は曇り続きだった前日までとは違って、雲一つない快晴だった。
だからなのか、寝起きもスッキリとして母さんに起こされる前に自然と起きることができた。
今日は学校も休講日なのでさらに拍車がかかり晴れ晴れした心持ちだった。
ベットから起き上がり窓を眺める。
ウェインあたり誘って遊びに行こうかな。などと考えながらクローゼットからシャツとパンツとお気に入りのジャケットを取り出す。父さんが若い頃着ていたジャケットなのだが、この地域ではあまり見ないデザインなので気に入っていた。
ジャケットの襟を正し姿見を見る。
まだ袖が長いかな?
もうちょっと成長しないとな。
自分の部屋を出て階段を降りる。家は祖父が建てた時から今まで改築など一切していないためボロボロだ。階段も踏みしめる度にいつか穴が空くんじゃないかと無駄に気を張ってしまう程だ。
「あら、おはよう。今日は休みでしょ?早いのね」
キッチンカウンターから顔を覗かせた母さんが笑顔を見せながら言った。食堂には数人の常連客が顔を見せていた。
「おぅ、マルス。おはよう」
「おはよー。マルス。」
母さんは家の一階で定食屋を営んでいた。はっきり言って母さんの料理はそんなに美味しくない。本人も分かってるけど、それでもこの店は畳まなかった。いや、畳めなかった。
父さんがいた頃はかなり評判が良い定食屋で、お昼時になると行列が出来る程だったらしい。父さんはそれほど料理の腕が良かった。そんな父さんが失踪したのが僕が5歳の頃だった。それを機に店を畳むつもりだった母さんだったが周りの人たちに励まされて今も続けている。
お客はかなり減ってしまったが、その頃から変わらず通ってくれる方もいる。今いらっしゃてる方々も母さんの料理を「愛情のこもった美味しい料理」だと笑ってくれた、そんな人達だ。
「おはよう。俺も手伝うよ」
壁に掛かった自分用のエプロンを取り、
流し台で手を洗う。
「あら、悪いわね。じゃあ、これとこれをお願い」
対面にあるオーダーシートを指す。
これなら10分ぐらいで作れるな。
母さんの仕事を手伝うようになったのは13歳の頃だった。母さんの必死な姿を見て何か力になりたかった。
「おまちどー」
客席にアツアツのラグーのソース和えと鳥肉の香草焼きを出す。
「おおー、今日はマー坊がいたのか!ついてぜ」
「ラッキーだな。お前」
ガハハと笑いながら雑に食べ出す。馬鹿野郎。母さんに聞こえたらまたむくれるだろ。
「いやだなぁ。いつも美味しいでしょ」
気がついたのかナハハと笑いながら当たり前だよと言う。全く調子のいい。
そう。いつの間にか母さんより料理が上手くなっていた。
カウンター裏に入り、母さんが作ってくれた朝食を食べる。ハムと香草レタスのブレッドサンドとミルクだ。質素だけど我が家の朝はこれだ。
「ありがとね。今日は何処か行くの?」
母さんが食器を片付けながら聞いてきた。
「特に予定は無いんだけど、ウェインあたり誘って遊びに行こうかと思ってる」
母さんはふと手を止め、何事かを考えたかと思うと何か思いついたのか満面の笑みで言った。
「マルス!親孝行しよっか?」
出た。親孝行。
口に運ぼうとしたブレッドサンドを止める。
「な、何をしろと?」
すると、キッチンの下の収納からどっさりとハーブやら薬草などが入ったカゴを取り出した。
分かった。全て理解した。
「ハートウィールさん家にお届けもの」
やっぱり。
止まっていたブレッドサンドを口に押し込んだ。
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1147.7.19.09:41
ハートウィール家は町の南地区にありこの町唯一の薬屋だ。と言っても感覚としては診療所に近い。元々ハートウィール家は代々治癒術を継承してきた家系であるため、怪我や病気にかかるとお世話になっていた。各云う自分もそこで生まれたらしい。
だからという訳ではないが、そこに行くのは何と無く気恥ずかしいのだ。いや、他にも理由はあるのだが。
「いってらっしゃーい!」
満面の笑みで母さんが手を振りながら送り出す。12歳ぐらいの時はこれがまた恥ずかしかったが今では動じない心が出来上がっていた。
この街は中央に川が流れている為、南地区へ向かうには東西にある橋を渡らなければならなかった。
道中、前からボサボサ頭のオジサンが歩いてきた。
「おぅ、マルス!親孝行中か?」
父さんの親友だったダンカンさんだった。町の警ら隊の一員でダメ人間の象徴見たいな人だが何だか嫌いになれない人だった。
「おはようございます。見回り中ですか?」
こんな田舎なので基本的な仕事は夜間の見回りと門番だと言ってたけど。
「あぁ。ちょっとな。北のモールスの森があんだろ。あそこに妙な連中がキャンプ張ってるっていう話がでててな。今から見に行くトコだ」
そういえば、さっきのお客さんも似たような事を言ってたな。今日は仕事休みになっちまったってボヤいてたような。
「お前も今日は森には近づくなよ」
モールスの森はこの近辺では林業と薬草や香草を取る場所として重宝している場所だった。子供たちにとっても格好の遊び場で自分も良く母さんについて行き遊び周った森だった。
さすがに16歳になってからは行ってないが。
ダンカンさんは今日は門も18時には締めるからなと伝えて面倒くさそうに北地区へ歩いて行った。
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1147.7.19.10:06
ハートウィール家の門前に着いた。
何と無く足を止め家造りを眺める。
ベージュを基本色にした全体的に丸みを帯びた可愛らしい造りだ。
ハートウィール家は当主は全て女性という事になっている。理由は簡単。治癒術師は女性にしか継承されない力なのだ。学術的にはまだ解明されてはいないそうだが、男性にはその素質は受け継がれないらしい。
そういう訳からなのかは分からないが、家についてもこのように可愛らしい感じに出来上がっているのだと思う。
門の花壇に咲き乱れる花の香りに包まれながらハートウィール家へ突入した。
多分ここにくるのは、2ヶ月振りぐらいか。
「こんにちはー」
先ほどの花の香りと違って香草と薬草の匂いが鼻をくすぐる。
「あら、いらっしゃい」
カウンターの奥から柔らかい表情と雰囲気を醸し出す銀髪の女性がぴょこっと現れた。
現当主のルヴェール=ハートウィールだ。
おばさんは俺が持ってるカゴを見て察したらしく。
「わざわざありがとね。お母さんにもお礼を言っていて頂戴」
カゴをおばさんに手渡しながら
「いえ、こちらこそ。いつも母がお世話になってて」
そう。何故かルヴェールさんと家の母レイナ=リーゼルとは友人関係なのだ。
店が暇になるとここに来てお茶を飲みにきているらしい。
「ふふ。マルス君も大人になったわね」
すると、後ろの扉が開く音が聞こえ、今日はなるべく会いたく無かった人物の声が流れた。
「おかぁさん!花壇の水やり終わったわよ」
僕はゆっくりと時間をかけつつ振り向いた。
そこには、水差しから水をチョロチョロと零しながら、ワナワナと震え立つ女の子の姿があった。
「マルス!!」
ヴァニラだ。
「あんたね!ちょっとは顔出しなさいよね!人がどんだけ心配したかと思ってんのよ!大体あんたはいつも・・・<都合により省略させて頂きます>」
もう紹介は要らないと思うがヴァニラ=ハートウィール。ルヴェールさんの一人娘で僕の幼馴染だ。現在治癒術師見習いとして勉強中だ。
そして、何よりこの気の強さだ。赤の他人であるところの僕でさえ突っ込みたくて仕方ない。何故。こんな可愛らしい家で。こんなに柔らかい表情、雰囲気を持った母が居て。こんなも攻撃的に育ったのかを。
いや、もしかしたらルヴェールさんも小さい頃はこんな感じだったのだろうか。
今度おじさんに聞いてみようか。
「あんた、今すごく失礼な事考えてたでしょ?」
おっと忘れていた。もう一つ。この勘の鋭さも聞いておかなければならない。
そうこうしている内におばさんはさてと、薬調合しないとと呟いてカウンターの裏に消えて行った。
―おばさん
僕はと言うと、はいとごめんなさいを繰り返し喋る人形と化していた。
15分経過後。
「はぁー。もういいわ。喉乾いてきたし。で、何しにきたの?」
いつの間にか、正座させられている状態のまま答えた。
「親孝行中だよ。薬草をとどけにきたところ」
ふぅんと気の無い相槌を打ったあと何かを閃いたのか、顔がぱぁっと明るくなった。
「ちょうどいいや。あんたちょっと付き合いなさい!」
何故か背中に悪寒が走った。
「どこに?」
聞くと同時に立ち上がった。
「北の森。」
やっぱりか。嫌な予感は当たるものだ。
無駄だと思うが一応止めてみよう。
「今日はやめといた方がいいよ。何か妙な連中がキャンプ張ってるって言ってたし」
「知ってる。みんな仕事止めて帰って来てるのにお父さんがまだ帰ってこないから迎えに行くのよ!」
ヴァニラのお父さんは町の林業に従事していた。
すると、いつの間に戻ってきてたのかおばさんが静かに諭した。
「ヴァニラ。危ないからやめときなさい」
一刻の静寂ののちヴァニラはさも当然のようにこう言った。
「わかったわ。じゃあ、森の入り口まで様子見に行って見る。それだけならいいでしょ?マルスも一緒だし」
全然分かって無かったが、こう言い出したらもう何を言っても聞かないだろう。
おばさんもそれが分かったのか、ため息をついた。
「分かったわ。でも森の中に入ってはダメよ」
何だか朝感じた晴れ晴れした気分は遥か彼方に遠退いてしまった気がした。