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一方通行ラブリーガール

自称パシリの少年と、

妄想大好き乙女チック少女と、

苦悩する不良少女の、

ちょっとした交差する話。

―夢見がちな月村佳奈の疾走―


 私だけが知っている。細川好文くんは素敵な男の子なんだって。

「いやもうね、ふとした時の流し目みたいな視線に私の心はズッキュンラブなんですよ! どうして今まで気付かなかったんだろう、私のバカ! ジャニーズに色目送ってる場合じゃなかったよ! どれだけ雑誌とキスしたことか! ふやけちゃったよアレ」

 でも、その雑誌捨てれない! ああもう、と私が体をくねくねさせると、冷静沈着度合いに定評のある木の実ちゃんが「とりあえずドン引き」と表情を変えずに言ってくる。

「やめてよ、ドン来てドン来て」

「いや、それドン引きの逆の言葉としてはどうかと思う」

「出版社はもっと雑誌とメイキングラブする女の子の気持ちになって雑誌を作って欲しいわ」

「ちょっと聞いて」

 私がどん、と机を叩くと机の上に乗っている木の実ちゃんの紙パックジュースが跳ねた。それを木の実ちゃんが華麗にキャッチ、あんど吸引。じゅるるる、という残りの少なさを知らせる音が響く。

「聞いて欲しいのは私なんだよ! あのさ、細川好文くん、いるでしょ? 人間の」

「クラスメイトの説明で人間から入らないで。知ってるから。宇宙人とかクラスにいないし」

 木の実ちゃんが周りを見渡す、たぶん細川くんを探しているのだろうけど、いない。残念でしたー。私がさっき出ていくのを確認しましたー。木の実ちゃんに細川くんの魅力に気づかれてたまるか!

「だって、細川くんは私のもの!」

「よく話したことも少ない男の子を自分のもの宣言できるね。ジャイアンの生まれ変わり?」

「大丈夫、私映画じゃなくても優しいから。でも、私のものは私のもの、細川くんは私のもの」

 私に言わせればお姫様理論。木の実ちゃんは眉をひそめて、溜息を机に吐き出した。

 私は溜息をペッペ、と机の上で払いのけるように手を払い、ニッコリと歯ブラシの宣伝娘のように笑った。

「……でもさぁ、細川くんって」

「かっこいいよね!」

「ごめん、ちょっと黙ってて」

「はい」

 素直に頷く。私はデキる子なのだ。ふふふ、と不敵に笑うと木の実ちゃんが気持ち悪そうに表情を歪めた。

「神宮先輩の、でしょ?」

「あぁ、あの女」

「……そういうこと言えちゃうんだ」

 神宮凛。そう、私だって知っている。だって、今もなお細川くんは神宮のところにいるに違いない。だって、細川くんは神宮のパシリだから。

 神宮のために走り、神宮のために笑い、神宮のために生きる。

 その神宮の部分を月村佳奈で埋めてやりたい。私だったら、もっともっと幸せにしてあげるのに。

「まぁ、私も細川くんは可哀想だなと思う。前は城見さんたちのパシリで、今は神宮先輩のパシリでしょう?」

「うん。っていうか、城見さんから奪い取った形だよねー。城見さんたちは転校しちゃったし。敗北者は去るのみ! そして残るは猿のみ! もちろんモンキーは神宮のことね。私の好文きゅんとイチャイチャしおって」

「ツッコミどこ多すぎて、どこから言えばいいのかわかんないけど、とりあえずクラスメイトとして勝手に細川くんと脳内で仲良くなるのは止めてあげて」

「いいでしょ、私の脳内なんだから。細川くんは私にベタ惚れで困っちゃう……」

「設定付けされてる……」

 幸せお花畑なことを考えながら、私は決意をがっちり固める。確かに神宮は怖い。百人のヤンキーたちを相手にして、勝ったという伝説は本当っぽいし。城見さんたちがヤンキーをけしかけたもののヤンキーも返り討ちにあって負けて、城見さんたちはヤキを入れられたという結末。そして、城見さんたちは転校。

「もうジャニーズに溺れる私は終わったのだよ、木の実ちゃん」

「結婚したしね、好きなアイドル」

「え? ナニソレ? ケッコン?」

「……現実逃避で恋愛なんて、するもんじゃないと思うけど」

 木の実ちゃんは嘆息混じりに言う。優しい目と言うよりは諦めの視線で私を見てくる。じゅる、とジュースが打ち止めとなって木の実ちゃんは、くしゃりと手の中で紙パックを潰す。

「いや、本気本気、本気と書いてラブと読むのよ。普通に細川くんのこと、可哀想だと思うし助けたい。あわよくば付き合いたいし告白させたいし、キスしたいしデートしたいし、いやらしいことしたい」

「下心を隠しなさい」

「てへーん。でも、私ははっきり言わなきゃいけない! 神宮に! 細川くんは私のものなんだって!」

「違うけどね」

 声高々に宣言したものを冷たい声で一蹴されてしまった。

「でもいずれは!」

「そこまで言えるのはすごいよね、佳奈は」

「だって、うん、まぁ惚れたし。そういうものよ」

 告白したこともされたこともないけど、いつもジャニーズのライブで叫んでばかりだけど、それでもその愛の力を試す時が来たんだ。

 うまくいく恋愛なんて恋愛じゃない。っていうか、私なんていつも手も届かないし。

 手が届かないから雑誌とかペロっとしちゃうんだけどね。

「私は愛情表現が苦手だけど、でも自分の気持ちだけはしっかり分かるのよ」

「まぁ、それは分かる」

 うん、と木の実ちゃんは頷き返してくれる。

「今は放課後、時は来たのよ。いつも通り細川くんは屋上で神宮と二人きり。二人きり? 二人きりって羨ましい! ああ、私のものにしたい!」

「決め台詞っぽいとこは最後までしっかりしようよ、佳奈」

 ごほん、と私は咳払いをしてぐっと拳を握りしめた。私のちょっぴり丸っこい拳が完成する。

「対決はしないけど、ガツンと言ってやる! 奪いとってやる! そして告白! 舞い降りる白馬の細川王子様! あぁ! 私をさらって!」

 あ、駄目だ。どうしても妄想が混ざってきちゃう。木の実ちゃんは汚いものでも見るような目つきで見てくる。私は身悶えしながらいやん、と呻くと、腐ったものを見るような目つきに変貌する。あれ? もう生き物を見る目じゃなくない?

「木の実ちゃん、応援してくれる?」

「うーん?」

 首をかしげる木の実ちゃんにばかぁ! と罵倒の言葉を掛けてから、私は教室を飛び出した。このまま向かうは屋上、もちろん細川くんのところだ。早く会いたい! 早く手に入れたい! ぜひぜひ、月村佳奈の彼氏になってくださいませー!



 屋上を登る階段の途中、3人組のヤンキー娘が行く手を阻んでいた。こっそり横を抜けようと思っても、反復横跳びでも始めるのかっていうくらい幅をとっていた。邪魔という言葉をまさに表現していた。

「なに見てんだよ、消えろよ」

 威嚇するように、3人が睨みつけてくる。もしかしたら神宮の手下たちなのかもしれない。つまりそれは、私の恋路を邪魔しているに違いないのだ。そう、これは試練なのだ。私が細川くんを手に入れるための試練。

「なに、ガン飛ばしてんだよ」

 私がぐっと、眼力を込めて睨み返したところで3人は立ち上がり私に近寄ってくる。こういう時こそ、私は私らしく切り抜かなければいけない。

 その、胸ぐらをつかもうとしてきたのか、突き飛ばそうとしてきたのか分からないけど、伸びてきた手が私に触れんとした瞬間。

「は?」

 私にはジャニーズのライブの物販やイベントで鍛えた脚がある。誰よりも早くアイドルグッズを手に入れようと、握手をしようと、鍛えてきた技がある。

 ぐん、と私は風となり一気に階段を駆け登る!

「え? あ?」

 まさか一瞬で後ろに回られ、抜き去られているとは露とも気づかない3人は私が唐突に消えたものだと思って、間抜けな声を上げている。残念でしたー、私はもうこっちなのです。恋する私は止められない!

 そのまま屋上へと転がり込むように突っ込むと、二人の男女がいた。もちろんそれは、目的の二人。どこからか持ち込んだのか、綺麗なパイプ椅子に座る神宮凛とその肩を揉む細川好文くん。ああ! やっぱり細川くんは素敵だなあ! 

 神宮の特徴とも言える大きなツインテール、通称『ドラゴンテイル』が大きく揺れる。ドン、と神宮が立ち上がったのだ。それだけで私はぞわぞわしたものを背中に感じ取る。オーラだけで小動物とか気絶しちゃいそうなくらい。そんな、化物みたいな雰囲気を神宮は持っている。

「月村さん?」

 細川くんが私の名前を呼ぶ。呼ぶ! やばい! これはにやけちゃう! 妊娠してもいい! とか妄想にふけっていると、いつの間にか神宮が目と鼻の先にいた。細川くんだったらキスしちゃうような距離。でも、相手は神宮なのでした。

 鬼も目をそらしてしまいそうな、絶望的な恐怖を叩きつけてくる視線。何人の人を殺めてきたか分からない顔立ち。その手はどれだけ血で染まったのか。

 そんな怪物に、細川くんを渡してなるものか!

「細川くんと、話をさせて」

「あ?」

 言葉で殴られたような衝撃が、私の脳に響く。今すぐ帰ってジャニーズのDVDでも見てジャスミンティーでも嗜みたい。死と真逆の安らぎが欲しい。でも、私は!

「……ったよ」

「え?」

 ぼそっと神宮がなにか言うと、そのまま神宮は屋上から、下の階へと向かっていった。細川くんは軽く、驚いた表情をしてから柔らかい表情を浮かべた。

「どうしたの? 月村さん、僕に用事?」

「そう、なの。あの、あのあの! 私、あの、細川くんの子供産みたくて……」

「え?」

「あ、違う! それは、妄想の話で……。そうじゃなくて、そうじゃなくて、細川くんはずっと誰かの下でせっせと働いているでしょ? でも、それって良くないと思うの。細川くんは細川くんのために、毎日を過ごしたほうがいいっていうか、恋愛とかしたりとかしたほうがいいというか、その、あの」

「ありがとう」

 心なごむ笑顔が私に向けられる。ずっと額縁に入れて飾っておきたい顔がそこにあった。私ときめく、恋がここに咲くのかと期待の気持ちが沸き起こる。

 こんなにも簡単に、なんの代償もなく私は欲しい物を――

「でも、僕は好きでやっていることだから」

「は?」

 私はさっきの3人のヤンキー娘たちと同じような呆けた声を出す。

「いやぁ、僕は現状がすごく楽しいし、満足しているし……気持ちは嬉しいけど。気持ちだけ。ありがとう、月村さん」

 え? あの? パシられたり? 肩を揉まされたりが? 楽しい? え? ドM?

 渦を巻く様な疑問が私をどんどん飲み込んでいく。

 ぐるり、ぐるりらと私の中での渦は大きくなるばかりで、なにか積み上げたものが壊れるような気がした。

「あの、そんなに神宮とは、仲良しなの?」

「うん、まぁまぁ……うーん、凛はどう思っているか知らないけど」

 あ、呼び捨てだ。

 それがスイッチとなって、私は畜生ッ! と雄叫びを上げて屋上から飛び降りた。なんてことは、もちろん出来るわけもなく、熱くなる目元を抑えながら教室へと逃げ帰った。なにから逃げるのかはわからないけど、私は何だかとても恥ずかしかった。ドキドキが止まらず、興奮したように息も荒れて、なにがなんだか分からなくて。

「まぁ、これでも」

 教室では木の実ちゃんが待っていてくれて、そっと新しいジャニーズのグループが掲載された雑誌を差し出してくれた。あ、やだこれ超イケメン。なにこのピュアな瞳! ライブはいつあるのかしら。

 ふん、ふん、と鼻息を荒らしながら雑誌に食いつくと木の実ちゃんは溜息を大きく吐き出した。でも、その顔はどこか安心したようなものも孕んでいるような気が、なんとなくした。

「いい初恋だったよ……」

「まぁ、30分も持たなかったけどね」

「恋は時間じゃないのよ、どれだけ相手を想えるのかってこと。あ、相手の気持とか関係なく」

「ストーカーみたいな発想だね」

「じゃあ、このジャニーズ新ユニットのCDを予約しに行こう!」

 ウキウキ気分、スキップしながら教室を出た。何だかとっても清々しく、零れた涙はどこかへと消えていった。

 そのまま木の実ちゃんを連れて学校を出て、少しだけ、ほんの少しだけ振り返って学校の屋上を見た。何も見えなかった。でも、私は空気を切るように顔を無理やり前に向ける。

 私は大きく一歩を踏み出して、CD屋を目指した。




―ドラゴンテイル神宮凛の苦悩―


 私だけが知っている。細川好文はとんでもない変人だって。


「……ぐ」

 体の痛みで指先さえ動かない。目の前には百人近くの人間が地面に伏していて、地獄絵図そのものだった。その中で意識があるのは自分だけ。とはいえども、この地獄絵図を作り出したのは何を隠そう私だった。

 同じ学校の後輩が本気で私を潰しにきた、らしい。っても、襲ってくるのはその潰しに来た女が呼んだ男たち。数だけ立派で、力はそんなに強くない。女に釣られたのか金に釣られたのか知らないけど、そんな男の軽い拳にやられるほど、私はヤワじゃない。

 でも、疲れた。

 指一本動かすことできない私は、とてもとても情けなく思えた。

「君が、神宮さん?」

 しまった、と思った。

 私が瞳だけ動かして声を発した存在を見ると、私の近くに一人の男がいた。今まで襲ってきた男たちとは真逆の、ヒョロッとした真面目そうなモヤシ男。でも、それでも男は男だった。

 襲いかかってきた奴らだけで全員。私がいる、この廃工場の中にいるだけだと思った。それだけで力を使いきってしまっていた。まさか、もう一人出てくるだなんて。

「黙ってると分からないけど、うん……まぁ、神宮さんだよね?」

 私は口を閉ざして、力を抜いた。最後の最後で失敗した。こんな男にやられるなんて、こんな吹いたら吹き飛びそうな男に、私が。

「よいしょ」

「……あ?」

 私の体が持ち上げられた。そのまま、背負い込まれるとそのまま外へ外へと運ばれていく。

「どこ、行くんだよ」

 せめて、ビビらせてやろうかと思ってできる限り低い声を出す。

「病院、かなぁ」

「は?」

「いや、ボロボロだしさ。行くよ」

 何かの罠なのかと、それともそう言って件の女どものところに連れて行かれるのか、と思った。しかし、廃工場を出ても誰か待ち受けているということもなく、男はそのまま病院へと進んでいく。私は背負い込まれたまま連れて行かれる。

「……お前、私をどうにかするよう言われているんじゃないのか?」

「まぁ、言われているけどさぁ。僕って女の子が喜んでくれることが最優先だから。まぁ、パシリを好んでやっているくらいに女の子の喜びは僕の喜び。神宮さんのことも、そう」

「なんだよそれ、わけわかんねぇ」

「優先順の問題だよ。僕は命令されているけど、それよりも僕的には神宮さんを助けたい。神宮さんだって女の子だし、喜ばせてあげたいんだよね」

 なんだこいつ、と率直に思った。

 多少回復してきたし、もしもの時は半殺しにしようと考えてから、一週間が経った。そのモヤシ男は本当に私に尽くしてくれた。言うことをなんでも聞いてくれた。痒いところに手が届くような、気の利き方。なんでも卒なくこなす器用さを持ったモヤシ男は、やっぱりおかしいと思った。でも、

「神宮さんが喜んでくれて、僕も嬉しいよ」

 モヤシ男のその言葉はまぶしいくらいにまっすぐで、聖人君子のような輝かしい笑顔でそういうことを口にする。

 そうして私はモヤシ男が細川好文という名前だということを知る。

 それと同時に、裏切り者として私を襲おうとした後輩たち、細川好文のクラスメイトにイジメられているという話も耳にした。私を助けたせいで、というのは当然の話だとも思った。トドメを刺せる状態なのに、逆に助けるだなんて。聖人君子とはいえ細川好文だって人間だし、男だし、なにより自称パシリだし。私を倒してしまうほうが、良いことはたくさんあっただろう。

 何にも負けたくないと思った結果、喧嘩強くなってしまった私は市内最強とも呼ばれていた。脅してはいないけど、みんなビビっていた。気持ち良い気分ではなかったけど、それでも負けないという気持ちが達成できていて、嬉しかった。だから最強で居続けようと思っていた。そんな最強呼ばわりの私を倒すチャンスなんて、一年で一回あるかないかだ。そのチャンスを見逃して……。

「いやぁ、僕は神宮さんの嬉しそうな顔が見られて嬉しいよ。神宮さんって、笑わない鬼みたいな人って聞いていたから、喜ばせてあげたかったんだよね。ちょっとした夢が叶ったよ」

 裏切り者として糾弾されつつも、そんなことが言える細川好文のことを少し、いや、こんなことは滅多にない、まさしくレアケースだけど、助けようと思った。この私が男のために動くなんて。ずっと孤独で孤高で、それがちょっとかっこいいと思っていた私。でも、私は徹底的に細川好文をパシリにしていた女たちをビビらせた。思ったよりも早く女たちは転校していった。

 お前は私の専属パシリになれ。

 なんて、宣言しちゃって。思えばアレは告白だったんじゃないかとも悩む。現在進行形で悩む。

 そして、今、だ。

「……告白だった、のか?」

 屋上で一人ぼやいたところで、神様が返事をくれることもなく風が吹き抜けていく。私は大きく結った二つのツインテールをの先をくるくるといじる。

 助けてくれたことは感謝してる。

 今もそのパシリっぷりには感動すら覚える。

 そばに居てくれると嬉しいかなーとか、思う。

「ぬああああ! 分からん! 私には分からん! この独占したい気持ちは恋なのか。いやでも、専属パシリっていうのはつまり四六時中一緒、それはつまり恋人と同じだ。そうだ、まさに恋人。そう、恋人……」

 とか自分で言っていると、思いのほか恥ずかしくなってきた。

 なにより悪いのはあの男だ。細川好文に原因がある。あの男は「この髪ももう少し手入れすると可愛いと思うけどなぁ」とか「あ、今日はすっごくいい。女の子っぽさ全開で、最高だよ」とか思わせぶりなことを口にしながら、何もしてこない。……キスとか。手も繋いだこともない。一緒にいるだけ。パシられるだけ。

「……彼、氏ぽくはねーよなー」

 どういうものが彼氏っぽいとか、そんなの分かりっこないけど。少なくとも、パシリの時点でなんか違う。

 もやもやした気持ちをどうにかしようと叫ぼうかな、と思ったところで私の耳がぴくりと何かに反応した。

 私の耳はとても良い。悪い噂をよく収集してくる。

「神宮ってさ、あれだろ? 一年生のパシリ使って毎日性欲処理させてるらしいじゃん?」

「マジで! うっわ、ドエロいなぁそれ。やっぱ神宮ってイジメるのとか好きなんかな」

「神宮女王様! ってか。ないわー。俺SMとかマジ無理なんだけど」

「俺もないわー。でも、神宮って実は胸でかいよな」

「分かる。喧嘩してる時ちょっと揺れてんの見るし」

「じゃあ、あのパシリ、美味しい思いなんじゃね?」

「まじかー。変わって欲しいわ」

 男二人の声、校舎裏でたむろしながら下劣な話に花を咲かせているようだ。私は感情の赴くまま、地面を蹴り飛ばした。屋上床が削れる音と同時に、私の体が宙を舞って一気に下降、そのまま男二人の前に着地する。

「その話、面白そうだから混ぜろよ」

 バキィ、と拳を鳴らすと、男二人の表情が一瞬で凍りつき、違うんすよ、と震わせた声で反論してくる。

 でも、私裁判的には全員起立賛成の死刑。

「私だって……そういうことできてたら、悩むことなんかないっての!」

 ぽこぽこと内蔵をえぐるようなパンチを数発叩きこむと、二人は地面と抱き合う形で倒れる。

 そのまま私は再び跳躍、樹の幹を蹴って勢いを付けてもう一度屋上に戻る。用意していたパイプ椅子に座り、携帯電話を開く。時間を確認するために、開く。そろそろ、かなと思ったところで私の手元にそっと缶カルピスが差し出される。

「今日はこれかな?」

「あ、あぁ……細川。そう、これが飲みたかったんだ。つーか、忍者かお前は」

「パシリだけど?」

 さも当然のことのように口にする。それがまるで誇りであるかのように。

 いつも通りだ。ずっと、この男はこの調子。

「まぁ、私の独占パシリ……だから、なぁ」

 さっきまで考えていたことが頭をよぎって意識しまくってしまう。体は細く顔もおとなしく、惚れる要素なんてこれっぽちもない。私は強い男が好みだろうと思っていたし、付き合うとかそういうのだってこれから先のことだと思っていたし、まさかこんな訳のわからん男と出会うだなんて夢にも思わなかった。

「そうだね、独占と宣言されたしね。それで凛が喜んでくれるなら万々歳だよ」

「お、おう」

 なぜ私がビクビクする必要があるのか。いつも名前で呼ばれているものの、今日に限ってはそれも特別に聞こえてきてしまう。そもそも、どうしてこいつ名前で私のことを呼ぶんだ。最初は神宮さんだっただろ。

 でも、なんでだよとか、聞けるわけない。

「あ、凛。これはまた誰か殴ってきた? 肩が少し疲れてるよ」

「大したことねーって。っつーか、なに肩揉んでんだよ。……んっ」

 もちろん、そのマッサージは極上のもので、私は抵抗することもなくそれを受け入れてしまう。魂が抜けるような気持ちよさは天国そのもの。

「あんまり暴れ過ぎたら駄目だって前に言ったでしょ?」

「うっさい。私の勝手だ」

「駄目だって。独占されている以上は凛のためを思って言うから」

「確かに独占するって言ったけどなぁ……」

 なんだ、むしろ彼女みたいな言い草は。

 お前は私の何なんだ。

 パシリだよ、って言い返してきそうだが。

「僕は独占されていて嬉しいけど?」

「あ?」

「ありがとう、凛。凛のパシリはやっていて清々しいよ」

 なんなんだよ、なんなんだよお前は。はっきりしろよ。パシリならパシリらしく主張するなよ。薄い存在感に徹しろよ。私にひれ伏して、私の言うことだけ聞いていればいいんだ。

 それなのに、私の女の部分に踏み込んできて、何なんだ。私を弄んでそんなに楽しいか。

「細川は、その……私のことどう思うんだ」

「え、強くて、すごくて、僕とは全然違うなぁって」

 そういうことじゃない。そういうことを聞いているんじゃなくて。

 私と、お前の関係は――

「だから、これからもずっとパシリとしてそばにいるよ」

「よ、よろしくな」

 なんだよ、それ。とか想いながらなんだかにやけてきてしまう口元を隠すように私はカルピスに口を付けた。

 とてもとても、甘い味が私の中にとろんと響いた。




―細川好文のパシられ恋慕―


 僕だけが知っている。神宮凛は誰よりもかわいい女の子だって。


「あーあ。ウソついちゃったな」

 誰かに言うでもなく僕はやれやれと肩を落としながら呟いた。凛がどう思っているかは知らないけど、だって。よくもすらすらと適当なことが言えたもんだ。僕は役者でも目指すべきなのかな。いや、でも僕は表舞台に立つよりも裏方で役者さんのご飯でも用意しているのがお似合いだろう。パシられ万歳だしね。

 凛はあんなに強気で喧嘩も尋常ないくらい強いけど、思っていることが顔に出てしまう癖がある。それがとても、可愛いとこでもある。不安そうにする表情とかはたまらなく可愛い。お世話したくなってきてしまう。まぁ、お世話してるんだけど。

 凛は喜んでくれているし、僕との関係に悩みながらも満足してくれているみたいだし。奉仕のする甲斐がとてもある。今までパシってきた子たちはどうしても、それが「当たり前」みたいになってしまって、僕としては不満が膨らむばかりだったが、凛はいつだって初々しい。

 素直なところ、恋人として関係をステップアップしてもいい。というかもう、独占されてる時点でそういうものだと思うけど。

「細川の兄貴」

「あの、その呼び方やめてくれる?」

「いやもう、私たちにとっては兄貴なので、無理です」

 頑なだなぁ、と振り向くとそこにはガラの悪そうな女の子が腰を低くして立っていた。データベースに定評のある紀州さんだ。凛が今日カルピスを飲みたいだろうと予測し、買ってきてくれたのも紀州さん。買ってくるのは僕の役目なのに、先回りしてやってくれるあたりパシラーの僕としてはもっと頑張らなきゃいけない。

「姉貴なんですけど、今は水戸と尾張が追いかけてるんで、場所はすぐ報告させます」

「ありがとう」

 3人の不良娘は凛の強さに惚れた女の子だ。とはいえ、凛は基本的に一匹狼で誰かとつるむこともなく、チームを作ることもない。だから、3人の不良娘たちは凛のお供に成れない代わりに、僕のサポートに全力で努めてくれている。そして僕のことも尊敬してくれるのは良いのだけど兄貴はいただけない。だって、ゴツゴツしてそうで、嫌。

「兄貴、さっきの女に告白でもされたんですか?」

「月村さんね。よく分かんなかった。でも、いつも通りの勘違いのたぐいだとは思うよ」

 僕は好きで好きで凛のパシリとして頑張っている。でも、苦痛を与え暴力で従えているのだと勘違いして、先生が優しくしてくれることはある。先生だけじゃなくても、僕を助けようとしてくれる人は少なくない。

 それでも、もちろん凛のパシリになっていることは僕の意思だし何も強制されていることはない。むしろ喜びすら感じているのに、それは他の人には理解できないらしい。僕はそれが理解できないけど。

「そうすか。まぁ兄貴はイケメンっぽいですからね」

「っぽいって酷いな。いやでも、どっちかというと少年っぽいとはよく言われるけど」

「見えます。姉貴と並ぶと怖い姉と守られてる弟みたいに見えます」

「そうなんだ……。でも、実際そうだよね」

 凛は僕を独占するために僕をパシっていた子たちを追い払った。そういう見方をすることだってできる。

「そうすかね。どっちかというと私は今や細川の兄貴のほうが主導権握ってるように見えますけど」

「よく見てるね……」

「当たり前です! 私たち、お二人のためにいますから! あ、もちろんイチャラブするときは合図してくれればコンビニとか行って時間潰すんで」

「その配慮は嬉しいんだか嬉しくないんだか……」

 ばちーん、と親指を立てて誇らしげな顔を見せる紀州さんに対し僕は苦笑いを浮かべる。果たして3人が見ている中でそういうことになるのか、ならないのか。まぁ、凛次第かなぁ。

 そこで、着信音が響いた。

「あ、電話。失礼します」

 紀州さんが掛かって来た電話に出る、その相手はもちろん水戸さんか尾張さんだろう。しかし、紀州さんの顔は不機嫌そうなものに切り替わった。語調を強めていく。まぁ、凛が逃げ切ったんだろう。

 僕はぐっと軽く伸び体操を行う。

「すいません、兄貴。見失ってしまったそうで……」

「だろうね。うーん。ちょっと、今日は妬いているのかもね」

「そうっすねぇ……」

 うーん、と唸りながらもニヤついている紀州さん。この人達って僕らのこと本当にどう見ているんだろう。ちょっと楽しんでいるよね、これは。

「まぁ、追いかけるよ」

「でも、ちょっとどこに行ったかわからないんですが……」

「たぶん見つけられるよ。僕は凛の専属パシリだよ?」

 そう言って、僕は飛び立つように一歩踏み出した。



 ドラゴンテイルの神宮凛。逆らったものは女子供であろうと容赦しない。ヤンキー高校を一人で潰した。とか、とか伝説はいくつもある。でも凛はただの負けず嫌いで、恥ずかしがり屋で、女の子の部分はたくさんある。暴力的な一面もあるけれど、それでもやっぱり僕は凛の良い面ばっかり目に入ってしまう。盲目的だなぁと思う。だから、パシられつつ神宮凛乙女化計画をちょくちょく遂行している。いつ達成するかは分からないけど、あの不良娘3人も協力してくれているし、いつかは達成するだろう。

 強くて可愛い女の子なんて、最高じゃないか。

「なんだよー、なに二人で話してたんだよー。モテモテでいいなーお前はさ―」

 そんな凛は川辺でいじけていた。体育座りで地面に謎の生き物の絵を書いている。妖怪っぽい生き物だった。見なかったことにしよう。

「月村さんのこと? 特に何もないよ」

「うっさい。あの女の目、本気だった」

 僕の方をちらりとも見ることなく、ずっと絵を書き続けている。妖怪がどんどん化物へと進化を遂げていく。本当に何だあれ……。

「本気?」

 川辺にいるだろうと思ったのは勘だった。でも、実際いてくれてよかった。信じればなんとかなるものだよね。

「告白されただろ」

「されてないけど?」

「嘘つけ。ばーかばーか」

 じゃり、と凛はいきなり立ち上がって地面を蹴った。そのまま十メートル以上は幅があるだろう川を、見事にジャンプで渡りきった。しかも助走なし。世界記録とか狙えると思う、これは。

 凛は向こう岸に行ってもずっと僕のことを罵倒していた。いじけた顔で、ばーかばーか、ヘタレー、パシリー、と繰り返す。

「まぁ、パシリだけどね……」

 僕は三歩くらい下がって、スタートダッシュを切る。そのまま勢いを付けて川面に足がついてしまう一歩手前で踏み切る。

 風を感じ、僕自身が風そのものになったような気持ちで空を泳ぐ。ぐん、と当然のように重力に引っ張られて対岸に着地。ほっ、と足がもつれながらも、しっかりとした姿勢を取る。

 その僕の跳躍の一部始終を見ていた凛は複雑そうな顔だった。

「なんで飛べんだよ」

「パシリですから、これくらいはできるよ」

 パシリは強くなければやっていけない。そういうものなのだと、僕は思う。それに、

「かの最強とうたわれる神宮凛のパシリが普通じゃあ、だめだよね。凛に見合うパシリじゃないと」

「うー……」

 歯を食いしばって、不満そうに優しく睨みつけてくる凛。

 あの最初の時の睨みに比べれば、だいぶ柔らかくなったなとしみじみ思う。

「凛は俺にどうあって欲しい? もっと強くなってほしい? それとも、紀州さんたちみたいに奉仕精神を鍛えた方がいい? どうすれば、もっと凛が喜ぶの?」

「……知るかよ。パシリなんだから自分で考えろよ。……その、ただ、なんつーか……聞きたいことがあるんだが」

「なに?」

「お前は、これからもずっとパシリ……だよな?」

「もちろん!」

 僕は大きく頷く。パシられることが至高の喜び。喜びを生む幸せは僕にとって生きる糧みたいなものだ。大好きなんだ、尽くすことが。

「そうか……ずっと、パシリ、か……」

 どこか遠くを見つめてつぶやく凛の背中はとてもドラゴンテイルと恐れられている存在には見えなかった。だって、女の子なのだし。強くたって、ちょっとヤンキーだって、凛は凛なのだと思う。だから、

「ずっとパシらせてもらうよ。僕、凛の事好きだし」

「ありがとうな。ん? お前、今なんて言った? もう一回言え。言わないと殺す」

 ずい、と凛が一気に近づいて来て胸ぐらをつかまれて持ち上げられる。凛の力持ちが証明される。それとも僕が軽いのか。

「殺すとか言わない。女の子らしく慎ましく」

「うっさい。言え。さっき言ってたこと言え。言えっつーの!」

 怒鳴りつけられながら、視界の隅で女子高生が顔面蒼白で電話しているのが見えた。たぶん警察に通報しているのだろう、そんな顔だ。だって他人が見れば僕がカツアゲなりなんなりされているように見える。通報は妥当だよね。

 凛はすごい必死の表情で僕の体を揺すって言え、好きって言えとか言っちゃっている。可愛い女の子だなぁ、と思う僕は少し変かもしれない。通報もされちゃっているし、他人から見れば僕たちは勘違いされるし、間違えられるし、変だと言われるかもしれない。

 でも、凛は可愛いし僕は幸せだし、これでいいのだと思う。

 僕だけが知っていればいいんだ、神宮凛は誰よりも愛らしい女の子だって。


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― 新着の感想 ―
[一言] 強くて可愛い女の子、最高です! 凛さんと細川君の二人のちょっとした考え方の違い(?)みたいなところがとてもいじらしくて、読んでいてとても萌えました。それに文章での三人の書き分け、脇役の造形と…
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