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神の子ニルヴァーナ

 神の子・ニルヴァーナ。百年前に神がこのイシュヴァの地に遣わした娘。百年前に王子と結ばれ人になったはずの娘が何故か目の前で紅茶を淹れている。その状況にキルカは呆然としていた。


「ごめんなさい、もしかしてコーヒーの方が好き・・?私、コーヒー飲めなくて」

「あ、俺、どっちも好きだから!・・じゃなくて、好きです!」

「・・敬語とかいいよ?」


「キルカは面白いね」と微笑みながら、ニルヴァーナはキルカに紅茶を出した。キルカは有難うと声をかけて一口飲む。ストロベリーティーのほのかな香りが口いっぱいに広がった。

 キルカは墓だと思っていたニルヴァーナの部屋にお邪魔していた。部屋というか小屋のようだ。リビングとキッチン、奥には寝室があって、キッチンの向かえの部屋には風呂とトイレがあるらしい。キルカはニルヴァーナに「取り合えず落ち着くために、紅茶でも飲まない?」と誘われて、彼女の部屋にお邪魔していた。紅茶とクッキーに舌鼓を打ちながら、キルカはニルヴァーナに自分の状況を話した。ニルヴァーナは頷きながら、その紅い瞳でじっとキルカを見つめていた。


「とりあえず、キルカの状況は分かったけど・・。私が生きているという真実を知ってしまった事がばれたら、王族に適当な罪状をつけられて処刑されてしまう。それが故意じゃなかったとしても」


その言葉にキルカは顔色を青くした。そんなキルカの顔を見て、安心させるようにニルヴァーナは微笑んだ。


「でも、下に行く事はできるよ。誰にもばれないで」

「本当か!?」

「うん。そろそろ落ち着いたでしょう?叔父さんも心配するだろうし、戻った方がいいよ」

「有難う、ニルヴァーナ!あ、お茶ご馳走様」

「ううん、こちらこそ、有難う。久々に楽しかったから」


小屋を出るとニルヴァーナはてくてくと月の園を歩いていく。キルカはきょろきょろと周りを見ながら、彼女についていく。キルカは何気なくじぃっと彼女の後ろ姿を眺めた。一見美しい少女だ、ただの。紅茶を淹れてたり、微笑んだり、神様っぽくない。でも、今までキルカがあったどんな人よりも、人っぽくないと、彼は思った。微笑んだりするものも、彼女の表情は全部空っぽのように彼には思えたからだ。

 ニルヴァーナは美しい、綺麗だ。だけどそれは、まるで彫刻のようだ。美しいが、感情がない。訴えてるものが何もない。彼女の感情が見えない。欲もない。笑顔に色もない。キルカは、彼女がこの無機質まみれの国の中で何よりも無機質に思えたのだ。キルカにとって、それはとても悲しいことのような気がした。


「キルカ、ここ」


ニルヴァーナが指した場所は大木の洞だった。人が一人入れそうなくらいの大きさだった。


「この奥は、滑り台のようになってて、地下一階のキルカが触れた鏡の裏に出るようになってる。あの鏡、表から見ると鏡なのだけれど、裏から見たら窓みたいになっていて、表側が見えるの。だから表側の鏡の前に誰もいない時を見計らって、戻ってね。鏡の左側が取ってになってるから、手前に軽く引いてから右側にスライドさせれば表側の部屋、つまり制御室に出ることができるわ」

「分かった」

「私に会った事は何があっても誰にも言ってはいけないよ?」

「・・ああ」


キルカが洞に入ると確かに奥にスライダーの入り口があった。振り向くと洞の外で光を浴びたニルヴァーナがそっと佇んで微笑んだ。


「キルカ、楽しかった。さようなら」


軽く手を振った姿を見て、キルカはなんだか堪えられなくなった。


「ニルヴァーナ」

「なぁに?」

「ニルヴァーナは、ずっと、一人なのか?誰にも会わず、誰にも知られず、これからもずっと一人で生きていくのか?」

「そうね」


その苦笑いさえ感情が篭っていなかった。まだロボットの方が感情があるんじゃないかって程に。キルカは苛立ちのような、苦しみのような、なんともいえない気持ちが胸の中に渦巻くのを感じた。そして踵を返して、きょとんとキルカを見上げるニルヴァーナの前に立った。


「手、出して」


ニルヴァーナは言われた通りに両手を前に出した。キルカは作業着のポケットから小さな金属の箱を取り出してその白い手の上に置いた。


「これ、俺の宝物。死んだじいちゃんが使ってた後に、死んだ親父が使ってて、で、俺にまわってきたものなんだ。まぁ、俺煙草吸わないけど。これ、ニルヴァーナに預けるから。取り返しにまた来るから」


キルカは自分の手でニルヴァーナの手を包み込んで、煙草入れを握らせた。ニルヴァーナは動揺したらしく、少し声を荒げた。


「キルカ、私に会ってしまった事が知れたら貴方殺されるのよ?」

「どっちにしろ、ばれたら殺されるんだ。それだったら俺は、『ニルヴァーナの存在を知ってしまったから殺された』より『ニルヴァーナの友達になったから殺された』の方がいい」


なんか説明しづらいけど、と付け足すようにキルカは呟いた。ニルヴァーナは小さく、友達、と言葉の意味を咀嚼するが如く呟いた。


「だから、さよならより、またねって言えよ」


手の力を強くして、勢いよくキルカは言った。ニルヴァーナは俯いたまま何も言わない。少し苛立ったキルカが次の言葉を吐き出そうとした時だった。


「キルカは、私が気持ち悪くないの?」


その言葉にキルカは首を傾げた。不思議そうな表情でニルヴァーナを見つめると、彼女は怯えたような表情を浮かべた。


「なんで、ニルヴァーナが気持ち悪いんだよ」

「私、人間じゃないよ」

「知ってるよ、そんな事」

「・・わかってないよ、キルカは」

「わかってないなら、またニルヴァーナが教えてくれたらいいだろ」

「・・キルカは、どうしてそんなに簡単に私に触れることができるの?」

「え?」


キルカは思わず握った彼女の手を見つめた。慌てて、手を離す。


「わ、悪ィ。俺、その、ずっと工場仕事してるし・・女の子と話さないから・・。その・・勢いあまって・・」


彼は頭の中でシャトルが「童貞が!」と罵っているのが聞こえた。あのどや顔で。


「だから、その、また来るから!ばれて殺されるまで!」


キルカは頭の中で嘲笑うシャトルのせいか、それとも手のひらに残るニルヴァーナの熱のせいか、顔が赤くなっていく。


「それから、ニルヴァーナは人の子だろうが、神の子だろうが、化け物だろうが、俺はニルヴァーナのこと、気持ち悪いなんて思わない。だって、お前、ぎこちなくでも感情が乏しくても必死に笑おうとしてるってのは俺に伝わってくるから、・・その、お前は優しいと思う!じゃ!またな!」


キルカはそれだけ言い立てるとスライダーに体を滑り込ませた。すぐに狭いその筒の中からニルヴァーナの声が反響して伝わった。


「キルカ!ま、またね!」


くねくねと曲がる筒の中を滑り落ちていきながら、キルカはニルヴァーナの声の反響がなくなるまで耳をすませていた。

 キルカはやがて小さな部屋に出た。正面にはニルヴァーナの言うとおり鏡があった。言われた通りにすると、制御室に戻ることができ、キルカは小さくガッツポーズをした。制御室できょろきょろと辺りを見回すと、叔父がいない。キルカは部屋を出てエレベーター前まで戻ると機械工達が集まっていた。シャトルがこっちを見ると驚いたように走ってきた。


「キルカ!お前どこ行ってたんだよ!皆で探してたんだぞ!」

「あー・・そ、その、ごめん、迷ってた」

「お前なぁ・・」


苦笑いしていると、バリィがキルカに派手に拳骨を飛ばした。


「いってぇ!」

「お前なぁ!いい加減にしろよ!心配したんだぞ!全く・・・」

「悪かったって・・。ドライバー転がってったの追いかけてたら、知らない部屋に入ってたみたいでさ、ここに戻るのに時間かかったんだって・・」


バリィは大きな肉刺だらけの手でキルカの両肩を押さえると、懇願するかのごとく言った。


「お前、分かってんだろ。俺の親父も、兄貴も・・・つまりお前の親父も、ここで死んでるんだぞ。ここは、何が起こるか分からない場所なんだよ・・。頼むから次からこんな事はやめろ・・。じゃないと、お前にこの仕事を任せる事はできねぇ」


その言葉にキルカはごくりと息を飲んだ。ただただ心配をかけただけじゃない。確かにこの塔で父や祖父は命を落としたのだ。キルカは俯いて、深く頷いた。


「・・もうこんな事しないよ。だから、この仕事、続けさせてくれ」


キルカは他の機械工達にも頭を下げた。


「皆心配させて悪かった!」


よかったよかったと、懐の深い機械工達は笑いながら持ち場に戻り始めた。キルカは振り返って、シャトルを呼び止めた。


「お前も、心配させて悪かったな」

「もういいって。作業戻ろうぜ」

「おう!」


 キルカは軽く手を上げて、シャトルに背を向けて小走りで制御室に戻っていった。シャトルは、呆れるように溜息をついて、その背中を見送った。ふと、シャトルの目に小さなゴミのようなものを止まった。恐らくキルカが落としたんだろうかと、何気なくそれをシャトルは拾い上げた。それはキルカのポケットに偶然入りこんだもので、走り出した拍子にポケットから落ちたものだった。シャトルはごくりと息を飲んで、それを握り締めた。立ち上がって、さっきまでキルカの背中が見えていた方を向いた。


「キルカ、お前・・もしかして」


シャトルの油塗れの手袋の中で一枚の花弁が油で黒に染まった。







 一方、キルカに思わず「またね」と言ってしまった事に、ニルヴァーナは罪悪感を感じていた。もうここにキルカは来るべきではないと知っているのに。久しぶりに人と喋る事ができたということに彼女は喜びを覚えていた。同時に悲しみも。彼女は知っている。出会いと別れがある事を。永遠の時を生き続ける彼女にとって、人は自分より先に消えてしまう存在だと言うことを。

 洞の中のスライダーの入り口の前で、煙草入れを握り締めたままニルヴァーナは崩れ落ちた。頭の中に響くのは、キルカのさっきの一言。


『人の子だろうと、神の子だろうと、化け物だろうと、お前は気持ち悪くなんてない』


 キルカは知らない。ニルヴァーナのことを、何も。それでも彼女にとってはその言葉が救いだった。

 ニルヴァーナは殆ど感情を持たない。人と交流した事が殆どないから。ただ笑う事だけ教えられた。彼女の神様が、彼女にそう命じたから。笑え、笑えと。あの子のように笑うんだ、ニルヴァーナ、と。彼女の感情も存在も、生まれながらに否定された。キルカは知らない。何も、知らない。


「キルカ、私、は」


彼女は、ぎゅっと下唇を噛んで、涙を堪える。

 キルカに、彼女は言うことができなかった。この国での処刑執行人は実は一人しかいないのだと。キルカが彼女に会った事をもしばれてしまったら、キルカが最期に会う事になるのは、誰でもない。ニルヴァーナ自身なのだ。彼女は王族の命令で、百年ずっとそうやって人殺しを強要されてきた。彼女の存在を知ってしまった者を彼女自身の手で、殺してきたのだ。彼女はそうやって自分に優しく声をかけてくれた人間を殺してきた。彼女のことを化け物と罵る王族の命令で、殺してきた。彼女の感情は、そうやって、死んだ。笑うこと以外を忘れた。忘れようとした。


「貴方に、またね、なんて言っちゃ、だめなのに・・」


友達になんてなれない。ニルヴァーナは心の中で呟いた。嘗て彼女に優しい声をかけて、彼女と友になり、親しくなった者がいた。ニルヴァーナはその者に教えて貰ったのだ。友達に秘密は無しなのだと。だけれど彼女には秘密が多すぎた。彼女が秘密を全部友達に話したからこそ、友達は死んだのだ。彼女のその手で。


「・・・ラマ・・」


洞の中に、彼女の嗚咽混じりの声が響く。彼女の暗闇の世界に、光はいつだって差し込まない。こんなに美しい庭に囲まれていようと、彼女の世界はいつだって砂漠なのだ。


「キルカ、早く、気づいて。この国が、嘘塗れって事に・・。早く、逃げて。生きるために、逃げて。私は、もう貴方を助けることができない。だって、だって、私は・・」






「神の子なんかじゃ、ないもの」





彼女の告白は、声が小さすぎてどこにも反響しなかった。まるで、真実を伝えることを拒むように。

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