一歩目のはじまり
「ギャー!」
ポータルを使い、地下迷宮の二階に戻ったヒラク達。
ヒラクがそこにあった箱を開いて扉を作った途端、聞こえたのは悲鳴であった。
「な、な、何ですか!?」
驚きの声を上げたリスィがヒラクの後ろに隠れる。
それとは反対に、モズとフランチェスカがヒラクの前に出た。
扉の先。迷宮探索学園の転送室の中には、先ほどの受付嬢。
そしてもう一人女性がおり、悲鳴を上げたのはそちらの女性であった。
「あ、あ、あ」
口をパクパクと動かす女性は眼鏡(発明のギフトを持つ人間が作り出した視力矯正機)をかけており、地味な顔の作りに反した体の凹凸がぴっちりと浮き出る皮製の衣服に身を包んでいる。
そしてその視線は、おそらくヒラクに注がれていた。
「えーと、あのぅ?」
そろそろとヒラクが呼びかけると、彼女ははっと我に返り、しかし狂乱した様子でヒラクに指を突きつけた。
「君! 何デスかその汚れ!? 私の美しい制服がぁー……」
怒ったと思えば、気落ちして床にへたり込む。
年は二十台中盤といったところに見えるが、表情がころころ変わるために判別がつきにくい。
短い丈のスカートで座り込むので、ヒラクは目のやり場に困った。
「制服って……これですか?」
それを誤魔化すように、ヒラクは自らの体を見下ろし、前面がオイルで黒く染まった制服をつまんだ。
「そう、それデスそれ! せっかくかわイクかっこヨクデザインしたのにそんなに汚すナンテ!」
すると彼女はすぐに復活し、怪しげな発音でヒラクを何度も指差す。
「いや、服だし迷宮に潜るんだし、汚れるのは当然と言うか……」
「ていうかデザインって、もしかして貴方チュルローヌ=フルークス!?」
やはり彼女をまっすぐ見れないまま、小さく抗議するヒラク。
それに被さるように、モズが大声を出しながら扉の外に出た。
「ちゅる……なんですか?」
その様子に目を丸くしたリスィが、ヒラクに尋ねる。
するとようやく視線を移す場所を見つけた彼は、黒い顔にいつもの苦笑を浮かべてリスィの質問に答えた。
「チュルローヌ=フルークス。世界的に有名な付与師だね。彼女の変わっているところは服のデザインも自分でするところだけど」
「エンチャントって……例の服を硬くするっていう……」
ヒラクが洞窟に入る前、リスィに説明したことだ。
それを思い出し、リスィは改めて不思議そうにヒラクの服を見た。
「あ、はい……って貴方もお手手が真っ黒じゃないデスかー!」
眼鏡をかけた女性――チュルローヌは返事をしようとして、モズの手が黒く染まっているのに気づき、再度悲鳴を上げた。
モズの手のひらは、ヒラクの胸倉を掴んだために、手形が取れそうなぐらい真っ黒になっている。
「イヤー! ヨゴレイヤー!」
悲鳴を上げ、部屋中を斬新な踊りで駆け回るチュルローヌ。
「あーと、何あれ?」
モズが受付嬢に尋ねると、彼女は楽しそうにチュルローヌを眺めながら答えた。
「チュルーローヌさんは潔癖症なんですよぉ。今回も自分の作った制服が汚れていないか、確かめに来たんです」
受付嬢が解説をすると、チュルローヌがぴたりと動きを止める。
そうして、咳払いをすると、モズと受付嬢の横を抜け、つかつかと扉のほうへ寄ってきた。
「そう、私の作る服は全部私の理想の理想がつまっているんデス……清楚な白、短めスカート……そんな物を合法的に流行らせることができル! スバラシイ!」
そうして彼女は、ヒラクを睨んでいるような、もしくは遠い世界を見ているような、もしくは遠い世界にイってしまっているような目で語り出した。
「今回も汚れ防止のエンチャントをシて、多少の戦闘では汚れがつかないようにシたのに……うぅ~」
かと思えば、さめざめと泣いてまた座り込む。
まるで新種の玩具のような按配であった。
汚れ防止のエンチャント……そう言われてヒラクはアルフィナの制服を見る。
確かに二時間もあんな迷宮の中にいたというのに、確かに彼女の服は白く清潔に保たれており、褐色の肌によく映えている。
ヒラクの視線に気づいたのか、アルフィナは彼を茫洋とした眼差しで見返して――。
「……見ないで」
その体をさっと隠した。ただし表情は変わらぬままにである。
「何で!?」
ダンジョンに入る前、リスィに見つめられたときは大丈夫だったはずだ。
自分の視線はそんなにリスィのものとは違うのか。
というかこんなことをしていると、かの小さな妖精に何を言われるか分かったものではない。
ヒラクがお叱りを覚悟しつつ、リスィのほうを見ると――。
なんだかリスィは頭をたれ、しょんぼりとしていた。
その高度も、普段より彼女一人分ほど低い。
「リスィ?」
ヒラクが呼びかけると、リスィははっと我に返った様子を見せて、彼に顔を向けた。
「へっ? ええと、とにかくすごい人なんですね」
彼女は、ヒラクとアルフィナのやり取りに気づいてすらいなかったようだ。
どうやら、先ほどの戦闘をまだ気にしているらしい。
「私としては、あまり丈が短い服は好ましくないのだが……」
彼らのやり取りを知ってか知らずか、フランチェスカがチュルローヌのふとももを眺めながら苦い顔で呟いた。
「その前に流行ってたビキニ鎧よりずっとマシよ!」
しかし、更に彼女の言葉を受け、モズがそう言い返す。
「えーと、何ですか? ビキニ鎧って」
新たに出てきた単語に、リスィが首を捻りながらヒラクに尋ねた。
「ええと……」
その純粋な瞳に対し、ヒラクは言葉を詰まらせる。
今から五年ほど前、防御力に布地の大きさは関係ないという売り文句で流行ったの鎧があった。
それがビキニ鎧という名の局部だけを隠した服……というか形状としては下着である。
鎧は世の女性探索者たちにはもちろん不評。
しかし高い防御力というストロングなセールスポイントを盾に、世の中年エンチャンターがこぞって生産。
大商人によるビキニ鎧以外の買い占め。
当時の王であったイルセリアス四世によるビキニ鎧優待条例により、ビキニ鎧は市場を圧巻。
そのせいで装備を余儀なくされ、世の女性冒険者達を魔物以上に苦しめた。
それを覆したのが、チュルローヌ=フルークスである。
彼女の作る今までより高性能、生産性に優れ、ついでにフェチズムに溢れていた。
その為、今までビキニ鎧で我慢していた女性探索者はもちろん、露出が多ければ良いというものではない男性層をも取り込み、一転して世界のスタンダードとなったのだ。
とまぁ、こういった無駄に壮大な挿話があるのだが、そのような説明を女性陣の前で説明することは憚られる。
まるでヒラク自身がその阿呆極まりない騒動の渦中に居たように思えてくるからだ。
「まぁ、とにかくすごい人なんだよ」
結果、ヒラクはそう言って誤魔化すことにした。
そうして、ポータルでできた扉をくぐろうと踏み出す。
「貴方はそこから出るの禁止デス! 校舎も私がデザインしたんデスから!」
が、両手を突き出したチュルローヌがそれを阻んだ。
「え、いや、でも……清算とかしないといけないですし」
阻まれようと、ヒラクはここから出ない訳にはいかない。
迷宮探索は外に出た時点で終わりではない。と言ったのは誰だったか。
さし当たって今回の探索にはまだ、魔物が落とした品物を鑑定してもらい、その報酬をパーティーで分配するという工程が残っているのだ。
鑑定した物は学園側で買い取ってもらうこともできるし、値段が気に入らない場合は近くの村に直接売りに行くことができる。
しかし外に出なければ、そのどちらの手段も採ることができないのだ。
「とりあえず、仮清算は我々で済ませておこう」
ヒラクがまごついていると、フランチェスカがそう提案した。
ありがたい申し出と言えばそうだ。
だが、ここから出る理由が潰されたとも言える。
「あー……えーと……これ僕が回収したドロップ」
仕方なく彼は、預かっていた戦利品を鞄の中から出した。
折れた剣が三本。それに魔力ポーションが一本である。
「うむ、預かった」
それを受け取ったフランチェスカが、頼もしくも頷く。
「あ、あの、これもです!」
そのままポータルで出来た扉から出て行こうとしたフランチェスカに、リスィが慌てて声をかけた。
彼女は手に持っていた小さな指輪を、フランチェスカに差し出している。
「良いのか?」
まるで彼女の覚悟を計るような雰囲気で、フランチェスカが尋ねる。
場に妙な緊張が満ち、事情を知らないチュルローヌと受付嬢が怪訝な顔をした。
「はい、もちろん! パーティーの財産ですから」
そんな中、真剣な顔でうなずくリスィ。
彼女の言葉に嘘や未練は無いように見える。
それでも少し考えた後、ヒラクは口を開いた。
「高額なエンチャントがかかってなかったら、それ買いとっても良いかな?」
「え、ヒラク様……」
ヒラクの提案に、リスィが唖然と彼を見る。
「分かった。承ろう」
それを見、フランチェスカは苦笑に近い表情で頷いた。
彼女も、それが最適解ではないとは思っているのだろう。
それでも了承してくれたのは、おそらく彼女がヒラクの気持ちも分かる優しい少女だからだ。
「お前たちも、それで良いな?」
フランチェスカがパーティーメンバーである他二人の顔を見回す。
アルフィナは少々の間があった後、無言で頷く。
そしてモズは何やら口をもごもごと動かしていたが。
「勝手にしなさいよ!」
と叫ぶと、不機嫌を全身で表すかのようにズカズカと歩き、部屋を出て行ってしまった。
「や、やっぱり怒ってるんでしょうね、モズさん」
恐々と、リスィがフランチェスカの顔を見上げる。
彼女とてリスィに対して怒っていてもおかしくはない。怒る権利があるのだ。
そうリスィは考えていた。
「いや、アレは気持ちの整理がつかないのだろう」
しかしフランチェスカはそんな素振りは見せず、モズに関してもリスィとは違う見解を示した。
「整理って?」
ヒラクもまた、フランチェスカの言葉の意味が分からなかったらしい。
彼女に問いかける。
「あの娘が君に辛く当たるのは、おそらく君が役立たずだからではない。その逆だ」
そんなヒラクに、フランチェスカはフッと笑うと答えた。
「逆って……ヒラク様が凄いからってことですか?」
「そんなわけ……」
妙に喜々として尋ねるリスィに、ヒラクが否定の言葉を重ねようとする。
しかしそれを遮るように、フランチェスカがヒラクに向かって言った。
「戦闘用のギフトを多く取る我々でさえ、あの状況から彼女を救うのは難しかった」
ちらりと、リスィに視線を向けるフランチェスカ。
リスィはそれを受け、気まずそうに顔を逸らした。
「だが、君はそれをやってのけた。戦闘で直接負けたわけではないが、自らのスキルに自信を持つあの娘としては複雑な気分だろう」
言いながら、フランチェスカは今度はモズが出て行った扉に顔を向けて語る。
「あれはその……あぁいう限定的な状況だったし……成功するかも賭けだったよ」
そんな彼女と同じほうを見ながら、ヒラクは歯切れ悪くそう答えた。
最初のオイルとて、オークがきちんと転ぶか。転んだ下にリスィがいないかは随分な賭けであった。
ヒラク自身にしても詠唱破棄や魔法変形を使ったことは久しぶりであり、リスィが今ここにいるのは、奇跡とは言わないがそれに類することだったとヒラクは感じている。
「あまり卑下するな。私の斧槍姫騎士としての、全ての者を守る超貴族としての立つ瀬がなくなる」
だがそんな彼を、フランチェスカは優しい口調で叱った。
彼女がおどけているのか、それとも真剣に言っているのかはヒラクには判別がつかなかったが。
「それに、君がそうする事で悲しむ者もいる……」
更にはそう言って、フランチェスカはちらりと、ヒラクの表情を伺っていたリスィに目をやった。
同じようにヒラクがリスィに視線を向けると、彼女はびくりとはねて、それでもやはり控えめにだが、頷いた。
「と言うわけで、報酬に関しては我々に任せろ。斧槍姫騎士バーディッシュプリンセスの名において、決して不正はしない」
そのやり取りを見届けると、話は終わりだとばかりにフランチェスカはヒラクに背を向ける。
そしてそれまでのやり取りを不思議そうに見ていたチュルローヌの脇を抜け出口へと向かった。
「換金した報酬に関しては、明日分配しよう。それまでは事務室に預けておく」
扉に手をかけ振り向いたフランチェスカは、そう言って出て行こうとする。
「あーちょっと待ってー」
しかしその直後、成り行きを見守っていた受付嬢が声を上げた。
その手には、白い用紙が一枚抓まれている。
「報告書はーどうしますかー?」
「おお、迷宮探索報告書か。忘れていた」
それを見たフランチェスカが、芝居がかった口調で額に手をやった。
迷宮から帰った生徒たちは、探索の報告書を学園側に提出することになっている。
どこでどんな魔物と出会ったか。手に入れた物は何かという程度の簡単なものだが、内申に関わるので提出は厳守といった代物である。
「報告書は、僕のほうで作成しておくよ。その、お詫びってことで」
そんなフランチェスカに対し、ヒラクはそう請け負った。
モズには言えないが、彼は事務のスキルも持っている。
それを聞くと、フランチェスカは頼むと言って微笑んだ。
そうして改めて出口の扉に手をかけると、ヒラクの方を向かないまま呟く。
「貴君の配置してくれていたライト。実に絶妙な位置だったぞ」
「へ? あ、ありがとう」
唐突な誉め言葉に、ヒラクは間抜けな声で返事をした。
何故今、そして彼女は何故そんな事を誉めたのか。
首を捻るヒラクをよそに、フランチェスカは部屋を出て行った。
それに、いつの間にかヒラクの横を抜けていたアルフィナが続く。
「お茶、美味しかった」
彼女もぽつりと、しかし妙に響く声で一言。
「え? あ、あり……あれ?」
ヒラクが混乱している間に、パタンと、妙に寂しい音がして扉が閉まった。
残されたのはヒラクとリスィ。それに受付嬢とチュルローヌである。
……お茶に関しては彼女は苦いと言ったはずなのだが。
そんなツッコミも唖然としたヒラクは忘れてしまっていた。
二人は何故、唐突に自分を誉めたのか。
そんな疑問が、ヒラクの頭を埋め尽くす。
「良かった」
すると彼の首横辺りを飛んでいるリスィが、不意にそうこぼした。
「良かったって、何が?」
彼女には、少女達の言葉の意味が分かったのか。
不思議に思って、ヒラクはリスィに問いかけた。
するとリスィはしばらく言いにくそうにしていたが、やがて口を開いた。
「ヒラク様の活躍。みなさんは分かってくれていたみたいなので」
「あぁ、そういう……そういうことか」
その言葉で、ヒラクはようやく彼女たちの言葉の真意を理解した。
要するに彼女たちは、リスィの暴走はヒラクを評価しなかった自分達にも責任があると考えたのだ。
だからリスィの前でヒラクを誉め、彼女の不安を拭おうとした。
あんな事をしなくても良いのだと、妖精と主人の両方に釘を刺したのだとも言えるが。
「リスィ……」
ヒラクは今まで気づいていなかった。
いや、リスィの不満には気づいていたが、彼女がそこまで思い詰めていたとは思っていなかったのだ。
ヒラクの心に、後悔の念が浮かび上がる。
そして彼がそれを口にしようとしたその時――ヒラクの前に受付嬢が進み出た。
「さてー、じゃぁ服を脱ぎ脱ぎましょうかー」
彼女は笑顔でヒラクにそう告げる。
それは、今までで一番の笑顔のようにヒラクには思えた。
「え!?」
その表情と言葉に、ヒラクはギョッとなって身を引く。
だがそれを、一歩進んで彼の上着に手をかけた受付嬢が阻んだ。
「嫌なら次回からアナタの制服だけ黒く染めて、悪目立ちさせてやるデス!」
更にはいつの間にか復活していたチュルローヌが、鬼気迫った表情でヒラクのベルトに取り付く。
「それも困ります! って、潔癖症はどうしたんですか!? や、やめて!」
目の前で脱ぐどころではない。チュルローヌは自らの潔癖症もどこへやら、ヒラクのズボンを脱がしにかかった。
「ヒラク様! あわ、あわわ、キャッ」
リスィが慌てて止めに入るも、飛んできた下着に目の前を隠される。
様々な物を台無しにされつつ、ヒラクはチュルローヌ達の手で強制的に着替えをさせられたのだった。
◇◆◇◆◇
ひと悶着の末、更衣室でシャワーを浴びたヒラクは教室へと戻ってきた。
もう夕日も沈みかけている。教室に人影は無い。
提出期限は明日の放課後までとまだ時間はあったが、ヒラクは教室で迷宮探索報告書を書くことにした。
学園の外れには寮があり、ヒラクはこれからそこで暮らすことになっている。
しかし、同居することになるルームメイトに対して、これまで会った人間を鑑みると不安を覚えずにはいられない。
というか先ほどの強制脱衣により、ヒラクは軽い人間不信に陥っていた。
――そして何より、二人きりになる時間が必要だと、ヒラクは考えていた。
「ごめんなさい、ヒラク様……」
夕焼けに照らされる教室内で、リスィがぺこりと頭を下げる。
先ほどまでやたら騒がしかったせいで機会を逃していたが、リスィの心にはずっと後悔の念があった。
原因はもちろん、先ほどの探索でヒラクを危険に晒した件である。
ヒラクも、彼女がその件で胸を煩わせている事には気づいていた。
中々頭を上げないリスィに、ヒラクは声をかける。
「二度としないでね」
ヒラクの言葉に、リスィの体がびくりと竦んだ。
その様子を見、ヒラクはため息を吐く。
「リスィが死ぬって考えたら、頭が真っ白になった。君があそこで死んでいたら、僕は今度こそ迷宮に潜らなくなったと思う」
続く台詞で、リスィがはっと顔を上げる。
だが、彼女の目に宿ったのは喜色ではなく、戸惑いや、怯えといった類の感情であった。
リスィはすぐに目を伏せると、落ち着かない様子で顔を左右に動かす。
そして両手を胸の前で組み合わせ、せわしなくすり合わせた。
「そんな、私はヒラク様の道具で……しかも、出来損ないで」
彼女の様子はまるで、ヒラクが大変な禁忌を口にしたような動揺ぶりである。
卑下しすぎ、か。
ヒラクはリスィの様子に、先ほどフランチェスカに叱られた自分を重ね合わせた。
リスィに対し、彼はまじめな顔で、言い聞かせるように言葉を続ける。
「僕は、君のことを立派な……相棒だと思ってる」
そうしてヒラクはリスィに手を伸ばすと、その背中に、そっと指を置いた。
びくりと、リスィの体が震える。
「だから、出来損ないだなんて言わないで。羽が無くても、神業がなくても、君が僕にとって大切な存在だっていうのに変わりはないんだから」
その指から離れようとするリスィ。
だが、羽の無い――それに伴い、妖精ならば誰もが持っているはずの神業さえ失くした彼女の背中に、ヒラクの体温がじわりと伝わり、その気持ちがゆっくりと溶けていく。
「もちろんリスィがあんなに焦ってたのは、僕の為だっていうことも分かってる」
うぬぼれにも聞こえるセリフ。それに対して違うと言えれば、幾分かは楽になっただろう。
しかしリスィは、そこで喉をつまらせてしまった。
「僕こそ、不甲斐ない相棒でごめん」
そんな彼女の様子を見、ヒラクは頭を垂れた。
結局のところ、彼女を一番追いつめたのは自分なのだ。
情けない気持ちになって、リスィの背中から指を外そうとする。
「そんなこと、ないです」
そんな彼の指を、リスィが小さな両腕で包み込んだ。
彼女はそのまま、頬を摺り寄せて囁く。
「今日のヒラク様、すごく、かっこ良かったです」
暖かな感触が、ヒラクの指先に宿った。
「私を助けてくれたときも、それ以外の時も。……私はここに来てから、焦ってました。でも、ヒラク様の良さは、慌てなくてもきっと、皆さんに伝わります」
まるで幼子に子守歌を聞かせるような口調のリスィ。
その目に涙が溜まっていることに気づいて、ヒラクはもう一度「ごめん」と呟いた。
フランチェスカに言われたばかりだ。そして、先ほど自分が注意したばかりである。
本当に不甲斐ないのは、こうやって自分を貶め続け、自分を信じてくれる小さな相棒を悲しませることだ。
ヒラクはリスィの涙を拭うようにして、彼女からゆっくりと指を離した。
「やっぱり僕はまだ、ダンジョンが怖くて臆病になってたみたいだ」
そしてヒラクはリスィに対し、自分の状態を正直に話すことにした。
ダンジョンは恐ろしい場所だ。
あの閉塞感。死の危険が常に付きまとう魔物との戦い。
誰かを失うかもしれない。そして、自分の無能さを露呈してしまうかもしれない恐怖。
前に出たら迷惑をかけるだけだと言い訳をしながら、ヒラクはその実様々なことに怯えていた。
しかし、このままではいられない。
それでは、この学園に来た意味がないのだ。
「でも、だから、これからはもっと、自分のできることを見つけていく」
だからこそ、ヒラクはそう宣言した。
自らの逃げ道をふさぐ為。小さな相棒に、胸を張れるようになる為。
それを聞いたリスィの顔がぱぁっと明るくなる。
「私も、がんばります! 今度はその、皆さんに迷惑をかけない方法で」
そして、彼女ははにかみながら言葉を返した。
「そうだね、がんばろう。その、二人で……」
リスィの言葉に、ヒラクは深く頷いた。
そう、それでこそ我が頼れる相棒だ。何やら誇らしい気持ちになって、ヒラクは口元を緩める。
「はいっ!」
沈む夕日の中、二人はそうして誓い合ったのだった。
◇◆◇◆◇
アールズ探索学園、女子寮。
シャワーを浴びたモズは、自らが仮住まいとしている部屋へと帰ってきた。
冒険を終えた後も浴びたので、本日二回目の水浴びとなる。
「あ、おかえりぃ」
そんな彼女を、若干間延びした声が出迎えた。
モズはその声に目線で応えて、部屋の中へ入る。
声の正体はルームメイトのミラウ=ラウリカという少女である。
ゆるく結んだ三つ編みに柔和な笑み。一見迷宮探索者には見えない外見だ。
入学と共に寮入りする学生もいたが、寮への入居自体は一週間前から許されており、モズはこのルームメイトとある程度顔見知りになっていた。
ほわほわとした雰囲気の彼女には、さしものモズも強気に出られずにいる。
「どうだった? 今日のダンジョン」
そんなミラウが、黒髪を頭の上でまとめたモズに尋ねる。
「その、まぁまぁね」
それに対し、モズは曖昧に言葉を濁した。
本当は五階までは行くはずだったのに、結果は三階の最初である。
堂々と言えるような成果ではない。
「私たちのパーティー、階段を見つけられなかったよ。私がその、バテちゃって」
不明瞭なモズの答えをいぶかしみながらも、ミラウは自分の探索結果について触れ、ため息を吐いた。
「あぁ、アンタ達も今日潜ったんだっけ……」
モズ達は昼食後の探索であったが、なんと昼前にダンジョンへと潜る組もいた。
それがミラウの所属する一組である。
モズ達が所属するのは二組。そして明日は三組と四組が潜る予定だ。
思い返しながら、モズは自らのベッドへと腰を下ろした。
世界最高峰の付与師などを招致しているくせに、ベッドはぎしぃと嫌な音を立てるほど老朽化している。
「なんだか凄く疲れちゃった。私ってもしかして探索者に向いてないのかな?」
そのベッドと同じようにくたびれた様子で、ミラウが呟く。
それを聞いて、モズは自らの体を伸ばしながらそう言えばと気づいた。
そう言えば、以前迷宮に潜ったときよりも今日は疲労が少ない気がする。
――もしかしてあの飲み物のおかげなのだろうか。
ヒラクに飲まされたあの苦い液体の味を思い出し、モズは思いきり首を横に振った。
違う。あいつのおかげなんてあるものか。もっと違う、正常なパーティーなら更に先まで行けたはずなのだ。
無口なアルフィナ……は、まぁ良い。戦闘は行わないが自分の仕事をきっちりこなしている。
中々体感しづらいが、彼女のおかげで大分報酬が上がったはずだ。あぁいう目に見えにくい仕事を蔑ろにするのは感情的で非効率的なアホのすることである。
続いてなりきり女のフランチェスカ。あの女はイカれている。
何よ前世だの生まれ変わりだのってのは。と思う。
だが、悔しいことに戦闘では役立つ。
素晴らしく効率的にスキルを取ったはずの自分に匹敵するほどに、だ。
それがかなり彼女を苛立たせるのだが。
となると問題はあの男、ヒラク=ロッテンブリングである。
効率的にスキルを取り、次のギフトへの最短距離を目指す彼女とは正反対の生き方。
非効率的に手当たりしだいスキルを取っているように見える。
おかげで戦闘では活躍できない。開錠だってアルフィナがいるから必要ない。
今回のパーティーにはたまたま照明係とポータル係がいなかったからその用向きがあった。
だが、そうでなければお払い箱もいいところだ。そもそも必要とすらされない。
本人もそれを弁えていて、あの妖精を助けるまでは邪魔にならぬようずっと後ろにいた。
だがしかし、あの、彼女を助ける時に見せた機転と魔法の正確さ。
それまで手を抜いていたようにも思えない。
隠された実力がなどという事もあるようには見えない。
手を抜いていたと言うのならくびり殺してやる。
なんなのだあの男は。見ているだけで苛ついてくる。
効率だけを追い求めてきた自分の生き方を、存在するだけで否定するような男。
どうしたらあんなスキル構成になるか不思議だ。あんな動きをするようになるのか……不思議だ。
いやいや、追求するまい。あんな奴とは二度とパーティーなんて組まない。
もっと効率的なスキルを持つ人間を探して、新しくパーティーを組みなおすのだ。
あんな奴に、これ以上関わってたまるものか。
そう、モズが決意していると――。
「モズちゃん?」
不意に声をかけられた。
いや、モズが思考に没頭していただけで、ミラウはずっと話しかけてきていたらしい。
「え、何?」
慌ててモズが聞き返すと、「聞いてなかったんだ……」と彼女はため息をついた。
「……気になる男の子でも出来た?」
それから、少々いたずらっぽい目でモズに問いかける。
「な、バ、何言ってんのよ!? いや気になるは気になるけど主にムカつくって意味で……!」
不意打ちに狼狽したモズが、慌てて弁明する。
「へぇー、詳しく聞きたいなぁ」
だがそれがミラウの好奇心に火をつけたらしく、彼女はモズへとにじり寄ってきた。
なんだか普段のほわほわした感じが消えうせており、それモズを狼狽させる。
「あぁもう、うるさぁい!」
結果、モズはシーツを頭から被ってやり過ごすことにした。
こんな目に遭うのもあのヒラクという男のせいだ。
「もう、寝る!」
モズがそう宣言すると、ミラウはやれやれといった息を吐きランプの火を落とした。
夜の闇が、スッと室内へと入り込む。
かくして彼らの一回目の冒険は終わった。
それぞれに、複雑な思いを残しつつ。
神器
神が人類に与えしアイテムの総称。
高位のものは、強力な力を持つ神業を内蔵している。
神業はアイテムによって様々な種類を持ち、その使い方はアイテム自身に神語で書かれている。
神語はあぁてふぁくとを授かった人間。もしくは神語解読のスキルを持った人間にしか読むことができない(使い方を知っていれば発動はできる)。
「あぁてふぁくと」という呼び名を現在ヒラク達が使っている言語に直すと、「アーティファクト」という発音になるが、神を敬う意味、もしくはナウいという理由で、ほとんどの人間が「あぁてふぁくと」と発音する。
妖精
神器の一種。神が人間を補助するために作ったとされる生き物。
二対の羽はそれぞれ記憶の翅翼、神業の翼となっており、神の与えた知識と固体ごとに違う、一つだけ持つ強力なギフトによって、主人をサポートする。