修羅場目撃
ハクア=リカミリアが男子生徒と何やら会話をしている。
彼女はもちろん、男子生徒という形容に疑問を持たせるその暑苦しい肉体にも、ヒラクは見覚えがあった。
「あれって、前にフランチェスカ姫に怒られてた……」
リスィも覚えていたらしい。小さく呟く。
そう、あれはフランチェスカの鎧を改造したときだったか。
仲間の生徒を脅して報酬を横取りしようとしていた男である。
フランチェスカの一喝によって退散した彼だが、確かその際に背後にいる人物の存在をほのめかしていた。
それが、ハクアということか。
「あーあ。マシル君と同じクラスだったら一緒に迷宮に潜れるんだけどな」
しかし、体を左右に振りながら呟く可憐な彼女の姿は、とても黒幕などには見えない。
精神抵抗を持っているヒラクですらそう思うのだから、相対しているマッチョマンからすれば尚更だろう。
「ハ、ハクアちゃん……また何か持ってくるから!」
彼はいかつい顔にうぶな少年のトキメキを乗せ、感動した様子で彼女に告げる。
「うん、たのしみにしてるねー」
対するハクアの態度はどこかおざなりだ。
しかし、男がそれに気づくことはない。
彼は上半身を彼女に向けて手を振りながら、スキップでもせんばかりの歩調でその場から去っていった。
「とんだカマトトでありますな」
ネブリカが腕を組み、知ったような口調で語る。
しかしヒラクも、彼女の言を特に否定はしなかった。
「プレゼントって、あの、やっぱり……」
リスィは不安そうに呟く。
ハクアの胸には、どう考えても彼女にははめられそうにない大型のグローブが抱えられている。
あれはやはり、他の人間から脅し取られたものだろうか。
そして彼女は、それをドロップ賞金ランキングに登録してしまうのだろうか。
おそらく、リスィはそれを心配しているのだろう。
ヒラクの頭にモズの言葉が蘇る。あの女は、それぐらいのことはやりかねない。
「とにかく行こう」
ここで思いを巡らせていてもしょうがない。
ヒラクにできるのはせいぜい、風紀委員であるフランチェスカにあの筋肉男の事を報告するぐらいである。
それに、ハクアには脅されている関係もあって、あまり会いたくない。
ヒラクが妖精二人を促し、その場から離れようとしたその時である。
「ひどいなぁ。覗き見しておいて、そのまま行っちゃうだなんて」
いつの間にかヒラク達の方を向いていたハクアが、先ほどとまるで変わらない笑顔で呟いた。
「ひぃっ!」
その声に、リスィがまるで幽霊に遭遇したような悲鳴を上げる。
「あ、やっぱりいたぁ」
彼女の声を聞いて、より嬉しそうな表情になったハクアが、ヒラク達の方へと歩いてきた。
「ひ、引っかかっちゃいました」
「いや、あれは元々気づいてたんだと思うよ」
術中にハマってしまったと慌てるリスィに、ヒラクは冷静に答える。
毎回あんなカマかけをしていたら変人だ。
おそらく彼女はヒラク達が見ていることを知っており、彼らに敗北感を与えるためにこんなやりとりをしたのだろう。
イイ性格をしている。
「た、食べられちゃうでありますか?」
ハクアへの恐怖を一瞬で植え付けられたらしい。
ガタガタと震えながら、ネブリカがヒラクに尋ねてくる。
「大丈夫。でもちょっと隠れてて」
食べられはしない……はずだが、神器である彼女がハクアに見つかるのはまずい気がする。
判断したヒラクは、自らの直感に従いネブリカにそう指示した。
「隠れるって、どこにでありますか?」
それを受けキョロキョロと周囲を見回す彼女だが、近くに隠れられそうな場所はない。
「……とりあえず僕の背中に」
仕方なく、ヒラクはそう提案して上着の裾を持ち上げた。
「むぅ、致し方無しでありますな」
不安と不満を顔に浮かべるネブリカだが、背に腹は……今回の場合腹に背は代えられないと判断したのか言われたとおりヒラクの背中に潜り込む。
「暗いし狭いけれど、匂いは合格であります」
「ちょ、あんまり動かないでね」
もぞもぞと動きながらネブリカが漏らすので、ヒラクは小声で彼女に注意した。
「そうでしょうそうでしょう……」
ヒラクの匂いに一家言あるリスィが何やら誇らしげな顔をしたが、ひとまず無視である。
「あ、ヒラク君だぁ」
何故ならそれとほぼ同時に、曲がり角からひょっこりとハクアが顔を出したからだ。
「ヒラク君って覗きとかに興味があるのかな?」
彼女は両手を後ろに組み、ヒラクを覗き込むようにして近づいてきた。
その服の胸元から白い肌が見え、ヒラクを本当に覗き魔へと仕立てようとする。
「ヒラク様にそんな趣味は……ありません!」
そんなヒラクを庇うように、リスィが二人の間に立つ。
一瞬の逡巡があったように感じるのはヒラクの気のせいだろうか。
「うふふ、冗談だよ」
もちろんハクアもそれを感じ取ったのだろう。
クスクスと含み笑いを漏らした。
彼女の態度は先ほどまでの猫かぶりではない。
この間のように、ヒラクをいたぶるスイッチが最初から入っているように感じられた。
「さっきの彼は、別クラスの人だよね」
妙な気に入られ方をしたものだ。だが今逃げると、おそらくもっと面倒なことになる。
察して、ヒラクは彼女と適当に会話をすることにした。
「うん。マシルくんってよくプレゼントをくれるの! 良い人だよね」
するとハクアは機嫌を一段階良くし、顔の横に例のグローブを掲げて見せた。
どうやらヒラクの判断は正解だったようである。
この辺りの機微は、カムイが疑心暗鬼モードに入ったときと同じだ。
「ダ、ダメですよ! あの人は他の人から物を奪ったりしてるんですよ!?」
彼女とカムイでは、まるで正反対の人物に見えるが……。
ヒラクがぼんやりと考えていると、隣で浮いているリスィがハクアへ叫んだ。
「え、そうなんだ? それは大変だね」
だが、ハクアはそんな指摘を他人事のように流す。
……というより、彼女にとっては他人事なのだろう。
「だって、あの人が勝手に持ってくるだけだもん。私も迷惑してるんだ」
そして、先ほど名前で呼ばれていた彼も、すぐにあの人呼ばわりである。
ハクアは手に持っていたグローブを、ぽいと投げ捨てた。
あの男がやっていたことを考えれば同情に値しないが、あまり良い気分でもない。
ヒラクの目に非難の色が顕れたのを見て取ると、ハクアはまた上機嫌になり体をくねらせる。
「迷惑してるなら、断ればいいんじゃないかな」
彼女の言葉に唖然としているリスィの代わりに、ヒラクはそう返した。
だが、次の言葉も大体は予測がついている。
「変に断ると恨まれちゃったりするし……つい受け取っちゃうんだよね」
ほら。
考えた通りの答えが返って来、ヒラクはため息を吐いた。
「やっぱり。ヒラクくんも分かるでしょ? 私と同じように、人に嫌われたくない人間だから」
するとハクアは、そんな彼の顔を覗きこみ、一転蛇のようないやらしさで笑いかけてくる。
お前は自分と同類だから、この気持ちが分かるのだ。
彼女の瞳はそう語っているようだった。
くだらない。ヒラクが彼女の言葉を読めたのは、あくまでそれがこういった人間の常套句だからだ。
理性ではそう判断できているはずなのに、ヒラクの背中からは嫌な汗が流れる。
「……滑るであります!」
背後から微かにそんな悲鳴が聞こえるが、ハクアに気づかれないよう無表情を貫く。
「何か言った?」
「いや、別に?」
ハクアが尋ねてくるが、当然素面で誤魔化した。
心を許してはいけないと分かっているからか。
彼女に対しては、ヒラクの表情筋もやけに制御が利く。
「ふぅん。それで考えてくれた? 私と組むって話」
するとやはり愉しそうに笑いながら、ハクアは別の話題を持ち出してくる。
ありがたいと言えばそうだが、それはヒラクにとって、神器の次に触れられたくない話だった。
「彼みたいに切り捨てられるのが分かってるのに、組む人なんていないと思うよ」
しかし、己が腹自体は決まっている。
珍しく皮肉めいた言い回しになりながらも、ヒラクは自らの意志をハクアに示した。
「あれとヒラク君は違うよ。ヒラク君は、ちゃんと分かってる人でしょ?」
だが、ハクアに堪えた様子はない。彼女は優しげな笑顔のまま件の男子をあれ扱いし、またもヒラクを「コッチ側」扱いした。
「分かってるって、何?」
ハクアは自分を挑発している。
それは気づいていながら、ヒラクは一段階低い声で彼女に尋ねた。
「人をその気にさせて、動かす方法を。私もがんばってきたけど、そろそろ疲れてきちゃったなって」
ヒラクの孕んだ険悪な空気に気づいていないはずはない。
むしろそれを心地よさそうに受けながら、ハクアはそう語った。
彼女の力がどこまで及んでいるかなど、ヒラクには分かりようがない。
隣のクラスにまで取り巻きがいるともなれば、疲労するのも頷ける。
「だから、誰かに支えて欲しいの……。ううん、誰かじゃない。ヒラク君に支えて欲しいの」
まるで親の都合で無理矢理結婚させられてしまう姫のような健気さで、ハクアはヒラクに訴える。
潤んだ目。喉を絞った声。さりげなく震える肩。
理屈がおかしいのは分かる。それでもこれに応えなければ、人として……いや、男として落第になりそうなオーラが惜しげもなく放射されている。
ヒラクの中にある精神抵抗の網がそれを受け止めようとするが、耐えきれずプツプツと千切れていく。
精神抵抗のギフトを持っていたとしても、普通の男子ならば圧殺されてしまいそうな彼女の魅力。
「……それは、僕がカムイについて回ってたから?」
「うん、そうだよ。私たちって似てると思うの」
ヒラクが尋ねると、ハクアはあっさりとそれを認めた。
明言はしないだろうが、要するに彼女はヒラクがカムイにGGPや宝物などを貢がせていたのだと考えているのだ。
そしてその手腕を活かして、この学園の生徒から搾取しようと持ちかけているのだろう。
……随分と買いかぶられたものである。
だがしかし、影の従者と呼ばれていた時期にヒラクは似たような誤解を何度も受けてきた。
いや実際、傍目から見れば自分は彼女と変わりないのかも知れない。
「ヒ、ヒラク様は貴方とは違います! ずっとカムイさんの後ろで、どうやったらカムイさんを助けられるかずっと考えてて……」
だがそんな彼の葛藤ごと、ハクアの言葉を否定するリスィ。
思考の暗闇に沈みかけていたヒラクは、その言葉ではっと我に返る。
「ふぅん。その神器ちゃんに事情を話したんだ」
しかし、リスィの懸命な言葉も、ハクアの心には届かないようでさらりと流された。
いや、声の温度が二、三度下がった気配がする。
「誘いを断るってことは、言っちゃって良いってことだよね」
表情はあくまでにこやかに、ハクアは最後通牒をヒラクに叩きつけた。
ごくり。ヒラクにリスィ。服の中にいるネブリカまでが息を飲む。
「ヒラク君が、カムイ=メズハロードを殺したって」
そんな中、ハクアはゆっくりとその言葉を口にした。
「ヒ、ヒラク様は殺してなんて……!」
ハクアに訂正を求めるリスィ。
彼女を、ヒラクは手で遮った。
ハクアに対してその手の議論しても、彼女を喜ばせるだけだ。
この短期間で、ヒラクはハクアのリアクションをある程度予想できるようになってきていた。
確かに、自分たちは似ているところがあるのかもしれない。
笑って色々誤魔化しているところとか。
「その事は、僕からモズに言うよ」
考えながらもヒラクは、ハクアにそう宣言をした。
もはや理由を付けて躊躇っている場合ではない。
ヒラクが、自分の口でモズに告げなくては。
「それは無理かなぁ」
だが、そんなヒラクの意志を受け流すように、ハクアの体がゆらりと揺れる。
「無理って、なん……」
問いかけようとしたヒラクだが、その言葉は途中で止められた。
意識の隙間を縫うようにして、ハクアが突然体を預けてきたからだ。
全てをヒラクに委ねるようなその無防備さに、ヒラクの動きが遅れる。
「全部聞いちゃったもんね。モズちゃん」
その隙に、ハクアは鈴のように小さく、しかしよく通る声で呼びかけた。
この場にいないはずの人物へと。
「モズ、さん?」
ヒラクにしだれかかるハクアに目の色を変えたリスィだったが、彼女の名前を聞いてきょろきょろと周囲を見渡す。
そして、その視線がヒラクの真後ろでぴたりと止まった。
血の気が引くのを感じながら、ヒラクはギリギリまで首を巡らせ背後を見る。
「カムイ様が、死んだ……?」
――するとそこには、彼よりもずっと蒼い顔で佇む少女。モズの姿があった。
「モズ……なんで」
ヒラクを見つけてから彼女をここに呼び寄せる暇など、ハクアにはなかったはずだ。
そう考えてから、いいや違うとヒラクは考え直す。
ハクアはヒラク達より先にこの場におり、彼らの会話を聞いていたのだ。
そして、後から自分たちの話し声を聞かせ、知らなかった風を装った。
彼女のことを少しでも理解できたと思えたのは、ヒラクの勘違いだった。
そして、だとすれば、ハクアは知っていることになる。
ヒラクの背中を、いつの間にか回されたハクアの細い指が蛇の舌のように這い回る。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ」
そこに隠れていたネブリカが、悲鳴のような笑い声をあげながら転がり出た。
「その上ヒラク君は、神器まで内緒で手に入れちゃって。ひどいよね」
とどめとばかり、にたりと笑うとハクアはモズへと告げる。
「ちがっ、これは……!」
振り返って弁明しようとするヒラクだったが、それを阻むようにハクアが回した腕にぎゅっと力を込める。
その力は思いの外強く、ヒラクの動きを阻んだ。
「っ……!」
その隙に、まるで数刻前のリスィのよう。モズは踵を返し逃げ出してしまった。
「モ、モズさん!」
それをリスィが、慌てて追いかける。
「ド修羅場でありますな」
事態を把握し切れないのであろう。ネブリカが、呑気に呟いた。
「ふふっ、だねぇ」
呆然となったヒラクの胸に、ハクアの頭がこつんとぶつけられた。
チャーミングとレジスト
精神への魔法的影響を軽減する精神抵抗であるが、もちろん万能というわけではない。
人が人へ恋に落ちることは誰にも防ぐことはできないし、美人局にあったとしても「大丈夫!俺精神抵抗持ってっから!」とむしろカモにされるケースも多い。
気をつけましょう。




