妖怪キャラ被り
休校日の昼過ぎ。
ダスティに留守を任されたヒラクは、本を開いたまま考えに没頭していた。
迷宮から戻った後もモズは茫然自失。
ヒラクがどんなに声をかけようと、まともな返事を寄越さないところまで魂が遠くに飛んでしまっていた。
もちろんそれでは、カムイについて話をするどころではない。
来週には多少持ち直していればよいのだが……。
そこまで考えて、ヒラクはため息を吐いた。
「ヒラク様、どうかされたんですか?」
奥にあるベッドのシーツの皺を丁寧に伸ばす仕事に従事していたリスィが、それに反応してふわふわと戻ってくる。
だが、その途中彼女は空中で突然「コケ」て失速。
それを慌てて椅子から降りたヒラクの手がキャッチした。
「えへへ、すみません」
「気をつけないとダメだよ」
照れて笑うリスィに、ヒラクは注意する。
日常生活でなら問題はないが、七階のような場所で同じ事をしたら命に関わる。
「それより、どうしたんですか? さっきのため息」
ヒラクの手のひらに乗ったまま、リスィが尋ねる。
「あ、ええと……」
「モズさんのことですか?」
それに対し反射的に言葉を濁しかけたヒラクだが、そんな彼の悩みをリスィはぴたりと言い当てて見せた。
「あぁ、うん。彼女に話そうとは思うんだけど、やっぱり自分の都合を押しつけちゃってるなぁって」
観念して、ヒラクは自らの煩悶をリスィに打ち明けた。
とはいえこれは、ヒラクの事情を知っていれば誰にでも推理可能なことである。
モズがこの間話した象の少女であったという事も、ヒラクは既に話してあった。
「カムイの事を話さないとって分かってるんだけど、それって自分がスッキリしたいだけなんじゃとも思っちゃって」
煮え切らない事を呟くヒラクだが、リスィはそれをニコニコと聞いていた。
「ど、どうしたの?」
呆れられるかと心配したヒラクだが、それとは真逆の反応である。
少々恐ろしくなって尋ねると、リスィはハッと我に返った様子を見せ、「ごめんなさい」と謝る。
「でも嬉しいんです。ヒラク様が前より色々私に話してくれるようになって」
そうしてから目を閉じ、彼女は噛みしめるように語った。
言われてみれば、カムイとの過去から、モズとの間にあったこと。そして今のような情けない悩みまで、ヒラクは様々なことをリスィに打ち明けるようになっていた。
「約束したからね。これからは全部話すって」
彼女と交わしたこの約束がリスィの負担を減らしているというのなら、それはヒラクにとっても喜ばしいことだ。
リスィに対してヒラクがはにかみながら答えると、彼女は目を開け頷いた。
「だから、モズさんも同じだと思いますよ。隠し事をされるより、きっと、ヒラク様から伝えて欲しいはずです」
そして、両手で握り拳を作ると力強くそう話す。
「そっか、ありがとうリスィ」
彼女はいつの間に、こんなに頼もしくなったのだろう。
嬉しくなり、つい強めにリスィの頭を指で撫ぜるヒラク。
「えへへ。正妻の余裕というやつです」
首をぐりぐりと動かしながら、くすぐったさ半分といった案配でリスィは応える。
セイサイの……なんだって?
意味を問いただそうかヒラクが惑っていると、保健室のドアがコンコンと叩かれた。
最初は聞き間違いかとも思ったヒラクだが、リスィもそちらに目を向けているのでそうではないらしい。
「は、はーい」
やましいことをしていたわけでもないのに気まずくなり、少しうわずった声で返事をするヒラク。
一方リスィもヒラクの手の中で、いそいそと乱れた髪を整えている。
「し、失礼しまーす」
そんな彼らの呼吸が整ったところで、控えめな声と共にゆっくりと保健室の扉が開いた。
リスィとヒラクがそちらに視線を向ける中、入ってきたのは一人の少女だった。
「君は……」
ヒラクにも見覚えがある少女だ。確か少し前にもこうして保健室にやってきて、ヒラクに足の治療をされた……。
「居てくれてよかったぁ」
彼女はヒラクの姿を認めると、手を打ち合わせて嬉しそうに笑う。
「あ、どうも。えーと、ミラウ」
そうして間違っていないか不安になりながらヒラクが名前を呼ぶと、彼女は笑顔で頷いた。
どうやら名前をきちんと覚えられていたようだ。
安堵の息を吐いてから、ヒラクは我に返った。
「もしかして、また何処か怪我をしたの?」
保健室に来るということは、それなりの用事があるのだろう。
「ち、違うの」
そう考えて立ち上がりかけたヒラクを制し、ミラウは小走りに近づいてくる。
「今日は相談したいことがあって」
そうして周囲の様子を伺うよう首を左右に振ってから、声のトーンを落とした彼女はヒラクを真剣な目で見た。
彼女の雰囲気に、ヒラクとリスィは思わず顔を見合わせる。
「あの、こんな事相談できるの、ヒラク君しかいなくて」
そんな彼らに構わず、ミラウは制服の胸元を緩める。
「え、ちょ、ちょっと!?」
保健室で、誰にも言えない相談……。
ヒラクの豊かな想像力が刺激され、彼は今度こそ立ち上がる。
だがその時――。
「ぷっはー!」
ミラウの胸元が小さく開かれ、その隙間から光り輝く物体が飛び出す。
それは空中で一回転すると、ヒラクの前で宙返りをし伸びをする。
輝いていたのは、鱗粉を振りまくコバルトの羽だった。
「苦しかったであります。ミラウ様」
妖精である。大きさはリスィと同じほど。
一糸纏わぬ自らの体を、恥じることもなくさらけ出している。
「あー! あなたは!」
その白さに思わずぼうっとなったヒラクの横で、リスィが大きな声を上げる。
そうだ。ぼうっとなどしている場合ではない。
我に返ったヒラクも、事態の重大さに気づいて叫んだ。
「よ、妖精!?」
だが、この世界には妖精などいない。
いるとしたらそれは……神器である。
「どうもであります」
ヒラク達の視線と驚きの声を一斉に浴びた神器は、眩しがるよう額に手を当てそれに応えたのであった。
◇◆◇◆◇
「ど、どうしたのその神器」
一通り頭の混乱が収まってから、ヒラクは向かいに座るミラウへと尋ねた。
彼女の横には件の妖精がおり、まるで鏡を見るかのようにリスィをじっと見つめている。
……今は偶然にも同じ種類の二体が揃っているが、神器など何処でも手に入れられるものではない。
それに神器を手に入れた人間などが出れば、学校中の噂になることは必至のはずだ。
「その、昨日中庭を散歩してたら、木の根元で転がってるこの子を見つけて……」
やはり動揺を抑えきれないヒラクの気分が伝染したのか。
しどろもどろになりながら、ミラウはそう説明した。
「蟻がいっぱい集まってきてたから、助けたの。そうしたら懐かれちゃって」
しかもその内容は、珍しい虫でも拾ったような内容であり、にわかに信じがたい。
「ミラウ様には危ないところを助けていただいたのであります」
だがそれを、神器自身が肯定する。
「あ、あなた! 生きてたならちゃんと言ってください!」
そんな神器に、まったく同サイズのリスィが詰め寄る。
今までは見ることができなかった光景である。
「リスィ、やっぱりその子って、この前から聞こえてた声の主?」
「あ、そうですね。同じ感じがします」
しかし、それに感動を覚えている場合ではない。
ヒラクが尋ねると、リスィは無自覚だったらしく今更気づいた様子で頷いた。
「え、知り合いなの?」
そんな彼らに、今度はミラウが驚きの声を上げる。
どうやら彼女も、事情を知っていてヒラク達の前に妖精を連れてきたわけではないらしい。
「だって、いきなり石を投げられたからびっくりしてしまって……」
一方妖精は、自らの指で気まずそうに押し相撲をしながらそう答えた。
やはり彼女は、あの時モズが石を投げ入れた洞穴にいた神器ようだ。
「あの穴からどうやって地上に出たの?」
そうなると、また新しい疑問が出てくる。
事態が飲み込めず呆然としているミラウに「ちょっとごめんね」と視線を送ったヒラクは、なるべく脅さないよう腰を落とすと妖精に尋ねた。
「あの、ミラウ様」
妖精は、伺うようにミラウの方を見る。
するとひとまず立ち直った様子のミラウが、そっと妖精の足下に自らの片手をやり受け皿とする。
そうして彼女は、背後を向かせた妖精の羽をそっと指で拭った。
「ここの文字、見えるかな? その、転移って書いてあって……」
「これは……神語だね。僕には読めないけど」
その下には、文様と落書きの中間のような文字が隠されていた。
これこそが神語読解のギフトを持つ人間と、その神器の所持者にしか読むことができないという神の言葉。通称神語だ。
彼女の羽を見たリスィの手にぐっと力が籠もるのを、ヒラクは視界の隅で見た。
リスィにも本来なら、あの羽が自らの能力と共に付属しているはずなのである。
だが、守護獣に本来摂取するはずだった魔力を奪われた彼女には、それが形成されなかった。
おそらく彼女はその事に、相当のコンプレックスがあるだろう。
「自分の能力は、人間4人までを連れて瞬時に同じ階層の無作為な場所に飛ぶこと。それに、一番近いポータルから外の出ることであります」
そんなリスィに当てつけるつもりはないのだろうが、妖精は誇らしげに自らの能力について語った。
「……それを使って迷宮の外に出たんだね」
リスィの表情が更に暗いものとなる。
それを気にしながら、ヒラクは彼女に尋ねた。
鼻息を吐きながら、妖精が頷く。
ようやく事情が飲み込めた。
そう思えたヒラクは、ミラウにも自分たちの神器にまつわる探索を聞かせたのであった。
そして……。
「じゃぁこの子、ヒラク君に渡した方がいいのかな……?」
大ざっぱな事情を聞き終えたミラウは、上目遣いでヒラクに尋ねた。
その言葉を聞いた妖精の体がびくりと震え、主人そっくりの子犬のような目でミラウを見る。
「いや良いんじゃないかな? 拾ったのは紛れもなく君なんだし」
何となく自分が悪役になったような気分になりながら、ヒラクはミラウにそう答えた。
言葉が若干曖昧なのは、これを聞いたモズが何と言うか心配だからだ。
あぁ、また彼女に言いづらい、しかし言わねばならないことが増えた。
内心頭を抱えつつも、仕方がないとヒラクは考える。
「何より、彼女が君を所有者だと認めたみたいだし」
妖精型のように言葉を喋るものでなくとも、神器にはそれぞれ意志がある。
それを使って、彼らは自らの主人となるべきものを決めるのだ。
ミラウはそれに選ばれた。
羽に書いてある神語が読めるのが、何よりの証拠だ。
「そっか。良かった」
「この羽が認める限り、私はいつまでもミラウ様のものであります!」
ほっと息を吐くミラウと、嬉しそうに飛び回る妖精。
彼女らの様子を、リスィはやはり羨ましげに見ていた。
「それで、僕に聞きたい事って?」
それに気づき、ヒラクは早めに話を進めることにした。
「あの、この子の世話って……どうすれば良いのかな? 食べさせちゃいけないものとかってある?」
すると、本来の用件をすっかり忘れていた様子のミラウが、慌ててヒラクに尋ねる。
「大丈夫であります。私は飲まず食わずでも生きてゆけるであります」
「って本人は言うんだけど、その、本当の本当に大丈夫なのかなって」
「し、信用してくださいであります!」
出会って一日のはずが、妙に息のあったところを見せながら二人は会話をしている。
これが神器に選ばれるということなのかもしれない。
「……だって、寝転がってるとき樹液舐めてたし」
「舐めてねーであります!」
いや、ちょっと違うかもしれない。
苦笑しながら、ヒラクは答えた。
「神器は基本的に、魔力さえ補給できれば死なないよ」
「私は食べるのが大好きなので、ヒラク様の食べ物を分けてもらってますけどね!」
今度は二人の仲の良さに対抗心が沸いたのか。
リスィが特に誇ることではない事柄を威勢良く言い放つ。
「むむぅ」
しかしそれは妖精にとって重大事のようで、ミラウの神器は頬を膨らませる。
「そういえばその娘、名前は?」
そこでふと思いついてヒラクは尋ねた。
神器だの妖精だのと呼んでいては、混同しやすい。
「あ、そういえば決めてないね」
ヒラクの問いかけに、ミラウはポンと自らの手を叩き合わせる。
見た目通り、少々抜けているところがある少女だ。
「私はただの道具ですから、好きなように呼んでくれれば良いであります」
一方妖精の方だが、急に神器としての面を見せクールにそう答える。
普段は愛嬌の塊のようなリスィも、たまにこういった発言をすることがある。
それをヒラクは思い出していた。
「私はリスィって言います!」
「むむっ! 良い名前が欲しいであります!」
が、リスィが胸を張り唐突に自己紹介をすると、妖精は一瞬見せた無機質な面を即座にかなぐり捨ててミラウに飛びついた。
「ど、どうしよう?」
胸の間に神器をぶら下げながら、ミラウがヒラクへ尋ねてくる。
どうしようと言われても……自分でつけてやるのが一番のように思えるが、それはそれで突き放してしまうようで感じが悪い。
「ネブリカっていうのはどうかな?」
そこでヒラクは、咄嗟に思いついた名前を彼女に告げることにした。
しっくり来なければ来ないで、そこから「こういう感じの方が良い」という考えの雛形になるだろう。
「どういう意味?」
そんなヒラクの思惑を余所に、聞き慣れない響きにミラウが首を傾げる。
「神語で小さな相棒って意味だよ。愛らしい友達って意味とかも含むけど」
そんな彼女に、ヒラクはざっくりとそう答えた。
神器の効果説明も担うためか、神語は短い単語で多くの意味を含む言葉が多い。
よって解読も難しいが、名付けには適した言語と言えた。
「へぇー」
「ヒラク様って神語が読めるんですか?」
「単語をいくつか知ってるだけだよ。あぁてふぁくとだってそうでしょ?」
ミラウが感心したような声を上げ、リスィが憧れでキラキラとした目を向けてくる。
そんな彼女達に苦笑しながら、ヒラクはそう答えた。
そもそも神器という呼び名自体も、一般に知られている神語である。
構造のでたらめ一歩手前の複雑さ、そしてサンプルが少なさなどから完全解読には至っていないが、それでも幾つかの単語は世に……世の暇人に知られていた。
「それで良いかな?」
シャツで引っ張り遊びを始めた妖精に、ミラウが問いかける。
「……ミラウ様だったら何とつけるでありますか?」
すると彼女は、少々考えた後ミラウに尋ね返した。
やはり主人の付けた名前の方が良いようだ。
「パタパタかポロポロ、かな?」
「ネブリカでお願いするであります」
が、彼女の一例でそのネーミングセンスを察したらしく、ヒラクの案はあっさりと採用されてしまった。
「じゃぁネブネブだね。これからもよろしく!」
自分の案があっさり却下されたというのに、ミラウは嬉しそうに手を合わせる。
いや、愛称に自らの案を一部採用した形だ。
「まぁそれで良いであります……」
自身の主人選びに少し疑問を持ったのか。妖精――ネブリカもしくはネブネブはミラウの胸から離れた。
ともかくそれで話がまとまったのを見て、ヒラクはもう一つ質問をすることにする。
「その娘、ドロップ賞金ランキングに登録しないの?」
神器が登録されれば、それに太刀打ちできる人間などいないだろう。
自分たちには不利になると分かっていながら、ヒラクは尋ねた。
「え、え? だって拾ったのは学校でだし。私の力じゃないし……」
すると彼女はそんな事を考えてもいなかったようで、慌てふためきながらそう答える。
「いや、神器に認められるのは立派な力だと思うけど……」
本当に何故探索者になったのかが不思議なほど、無欲で謙虚な娘さんだ。
モズであればなんと言うだろうか。
いや、別に彼女が強欲で虚勢張りな人間だというわけではないけれど……。
「それに、私のルームメイトの子がすごく張り切ってるの。邪魔をしちゃ悪いかなって」
そんな事を思っていると、ちょうど似たような人物が彼女の口から語られ、妙な気分になるヒラク。
いやしかし、この賞金ランキングで張り切る人間は沢山いることだろう。
何せ一位が、カムイの大剣なのだから。
「だから隠してたんだね……」
考え直し、ヒラクは納得の息を吐いた。
未登録の神器など持って歩いていれば、いきなり襲いかかられても不思議ではない。
それを打ち明けられたということは、ヒラクはそれなりに信用されているということだろう。
「一日中服の中で窒息しかけたであります。胸の下にちょうど良い隙間があって助かったでありますよ」
「えっ?」
だがそんなヒラクの思考は、ネブリナの言葉であっけなく吹き飛んだ。
胸の下の隙間という事は、つまり……。
「ちょ、ちょっとネブちゃん」
慌ててネブリカの口を塞ごうとするミラウ。
しかし彼女は、手のひらサイズの者の口を塞ぐという行為には慣れていないようで苦戦してしまう。
「お腹がもうちょっと引っ込んでいれば楽だったのでありますが……」
ぎゅっ。
そのままネブリカが漏らした言葉が契機か。ミラウは握り飯でも作るような手つきでネブリカを握っ――潰した。
「うぎゅ」
「だ、ダメダメミラウ! 妖精はそんなに頑丈じゃないんだから!」
「あぁ! ごめん!」
見た目ほどは繊細でない妖精だが、探索者が力を籠めれば恐ろしいことになる。
慌ててヒラクが止めると、ミラウは我に返ってその手を離す。
「私はヒラク様にぎゅってされても平気ですよ」
「それは、さすがに……羨ましくねーであります」
彼らのやりとりを見て、自らの首輪を摘みながらリスィが胸を張る。
が、その性癖は彼女特有の物のようで、若干スリムになった印象のネブリカはゲッソリと漏らした。
「うぅ、ダメダメミラウって呼ばれた……」
嘆きながら、ミラウが鱗粉にまみれた両手を振る。
それを見たヒラクは、ふと思いついてミラウに尋ねた。
「あの……もう一回ネブネブの羽を見せてもらって良いかな?」
「ネブリカって呼んで欲しいであります」
ネブリカから小さく抗議が入る。
「お、折れちゃってるかな!?」
「えぇ!?」
だがミラウが怖々と尋ねると、彼女は慌ててヒラクに尻を向けた。
「いや、この鱗粉」
そう簡単には折れたりしないはずだ……多分。
思いながら、ヒラクはそれを確かめる意味も兼ねて彼女の羽に触った。
「うっひゃっひょひょ!」
ヒラクに触られると、ネブリカは奇妙な笑い声を上げて身をよじる。
この様子なら大丈夫だろうと思いつつ、羽の無事を確かめたヒラク。
彼はともかくそれを慎重に拭い、そこから取れた粉を手に取った。
「それがどうかしたの?」
「やっぱり……これは魔力の結晶だ」
首を傾げるミラウ。
鱗粉を日にかざしたヒラクは、自身の推論に確信をもって彼女に頷いた。
「ネブリカはここにも魔力を集められるんだ。これを転移魔法の補助に使ってるみたい」
そもそも妖精型神器は迷宮から体内に魔力を取り込み、それをエネルギーに活動している。
だがネブリカの場合はその機能をより強く持ち、更に余分に取り込んだ魔力を鱗粉として対外に排出できるようだった。
「な、何か目が怖いであります」
妙に興奮した様子で語るヒラクに、ネブリカが警戒色になる。
何やら分からないが、ヒラクがネブリカを称えている。
それを感じたリスィは、彼の頭に乗るとぷくりと頬を膨らませた。
しかし、それでヒラクの昂ぶりは治まらない。
まさに神器。恐ろしき機能である。
正直に言ってしまえば、ポータルでも代用できるような転移魔法はおまけと言ってしまって良い。
「えーと、それって凄いことなの?」
「例えばポーションに加工すれば効率的な魔力回復薬になるし、光苔の栽培になんかも使えるね。凄いよ……」
戸惑った表情で尋ねるミラウに、ヒラクは多少自身を取り戻して答えた。
だが、鱗粉の活用法に半ば思いを馳せていたせいで、リスィの拳がぎゅっと握られたことには気づけない。
「でも私、ポーションなんて作れないし……」
正面のミラウが、顔をうつむかせ悩む様子を見せる。
「だったら僕が作ろうか? 専門の人よりは効果が薄くなっちゃうだろうけど」
それを見て、ヒラクは彼女に提案した。
ポーションならば既に自室で何本も製造している。
大して手間が増える訳でもないはずだ。
「良いの!?」
ヒラクがポーションを作れること自体を知らなかったであろうミラウが、驚いた表情で彼を見た。
「ただ、手数料として十本に一本ぐらい分けてもらえると嬉しいかな」
別に慈善事業というわけではない。
それをアピールするためにヒラクはそんな言葉も付け足す。
「そ、それだけでいいの……?」
「うん。十分だよ」
実際ポーションの生成を担うだけで神器の魔力が篭もったポーションが手にはいるなら、安いものである。
この間の薬草の分も含めれば、しばらくは魔力切れを気にせずに済みそうだ。
「ただそうなると、毎週この時間にここへ来てくれると嬉しいんだけど……良いかな?」
しかし、ヒラクが薬瓶を生成できる時間は限られている。
できれば週に少しずつ生成したいところだ。
「い、いいよ! むしろキッカケができたっていうか……」
そう考えたヒラクが尋ねると、ミラウは首をぶんぶんと縦に振り、それから指を押し合いへし合いしながら呟きだした。
これはおそらく、了承の返事と見て良いのだろう。
そう判断するヒラクと、主人を呆れた目で見るネブリカ。
一方でリスィは、やはり暗い気持ちになったままヒラクの頭にしがみついていた。
自分でも、何故こんな気持ちになるのか分からない。
ヒラクがフランチェスカ達を口説いている時の焦りとも、カムイの時に感じた申し訳なさと嫉妬とも違う。
「あ、それと……もう一個いいかな?」
リスィが未知の感情に翻弄されていると、ミラウが本当に申し訳なさそうに挙手をした。
「ん?」
「リスィちゃんの服って、ヒラク君が作ったの?」
彼女の問いかけは、ただいま絶賛悩み中のリスィに関してだった。
いけない。自分に視線が向く。それを感じ取ったリスィは、ぎこちなく笑みを作って頷く。
「あ、ありがと。良かったら、作り方を教えてくれないかな?」
それを少々不思議そうな顔で見ながら礼を言うと、ミラウはそのままヒラクに乞うた。
「え、良いけど……」
手間がかかるし大変だよ? そんな視線を主人がミラウに向けたのは、リスィにも察することができた。
ミラウはそれを望んでいるのだ。と乙女心を解する妖精リスィは察することができたのだが、それを口にするほど野暮ではない。
「いつまでも裸じゃ、可愛そうだし」
同胞が言い訳半分本音半分に使われるのを、黙って見守るのみだ。
「私は裸がユニフォームですから気にしないでありますよ? あ、でもカッコいいマフラーは欲しいであります」
そして件のネブネブはと言えば、自らの言葉通り裸体をアピールするようにくるくる回っている。
「……そ、そうだね」
ヒラクの答えに間があったのは、おそらくネブネブ自身ではなく裸という単語に反応したからであろう。
男の子だからしょうがないと思うのだが、ヒラク様にはやっぱりエッチなところが多分にある。
私が何とかできないかしらんなどと考えている途中、リスィはいつの間にか自らの心に巣くっていたもやもやが薄れているのに気づいた。
なんだ。やっぱりあれは気のせいだったのだ。
ヒラクの頭の上で立ち上がり、胸をなで下ろすリスィ。
「それならリスィの服をしばらく貸すよ」
だが続く主人の言葉で、風が通り抜けたはずの彼女の胸に再び岩がつまった。
もちろんかまいませんよ。
そう言うつもりなのに、岩のせいで言葉が出ない。
「いいよねリスィ?」
リスィの放つ不穏な空気に気づいたのか。
ヒラクが彼女を促してくる。
「い……」
答えなければ。ヒラクに、良いですよと。
思えば思うほど、言葉は出てこない。
「い、嫌です」
そして、ようやく喉から絞り出した言葉は、彼女が言おうとしていたセリフとは全く逆の物だった。
「あの、別に今着てるのを渡せって訳じゃ……」
リスィが何か勘違いをしていると思ったらしく、ヒラクが優しく諭そうとしてくる。
だが、勘違いなどではない。
例えばこれがモズに貸し出されるならともかく、自分と似た姿のネブリカに貸し出されることは、リスィにはどうしても我慢できなかったのだ。
自分が持っているはずだった、羽と神業を持っている妖精の存在。
主人が一瞬でも、彼女に羨望の言葉を吐いたこと。
そしてそれに嫌な気持ちを感じてしまう、自身の狭量さ。
それらがまぜこぜになり、リスィの心を蝕んでいく。
彼女がリスィの服を着て、背中の布が羽に引っかかって邪魔だからとっちゃおうなんて光景を想像しただけで、もう……。
「嫌ですーーー!」
自らの想像に耐えきれなくなったリスィは、ついに窓から飛び出して行ってしまった。
「リ、リスィ!?」
ヒラクが止める間も無く、彼女は飛行が苦手なことも忘れさせるような速度でいなくなってしまう。
「あー……」
残されたヒラク達には、気まずい沈黙が落ちる。
「ごめん、ちょっと留守番しててくれるかな!?」
それに固められ身動きが取れなくなる前に、ヒラクはミラウに頼みつつ立ち上がった。
「あ、うん、分かった!」
それをミラウもあっさりと引き受けてくれる。
彼女に感謝をしつつ、ヒラクは急いで保健室を飛び出したのであった。
妖精の粉
全ての妖精に、ネブリカのような魔力帯びの鱗粉が備わっているわけではない。
しかし妖精の落とす鱗粉には奇跡を起こす力があると古代から言われており、それと偽って小麦粉等を売りさばく詐欺もいまだ横行している。




