守護獣アンギラ
「話があるんだ」
真剣な面もちでヒラクが切り出すと、アルフィナとフランチェスカの瞳が彼に向く。
ついにこの時がきた。ヒラクの頭上にいるリスィもまた、緊張した様子で唾を飲み込んだ。
だが――。
「んなことより神器よ神器! もしかしたらちょっとした奇跡が起こって近くに落ちてるかもしれないでしょ!」
そんな彼らの緊張を断ち切るように、モズが大声を出す。
「……」
アルフィナがじとっとした視線を送ると、彼女はそれを避けるように背後を向く。
「ほら、早く声とやらを聞きなさいよ! 七階なんてまたいつ来られるか分からないんだからね!」
そうして、そのまま声を張り上げた。
なんだろう。彼女の態度に引っかかるものを感じるヒラク。
「あぁなると止まりそうにないな……」
一方で、呆れた様子のフランチェスカが呟く。
まぁどれだけヒラクが決意を固めようが、モズにとっては一日が経過したにすぎないのだ。
それを汲み取れという方が無理がある。
そう考え直し、ヒラクは自らが覚えた違和感を打ち消した。
「とにかく一度場所を確かめておこう。話は必ず聞く」
頭を振るヒラクの様子をどう見たのか。
「必ず」と強調して、フランチェスカがヒラクに告げる。
言葉だけでは軽いと思ったのか、彼女は瞳に有らん限りの力を込め、じっとヒラクを見る。
気づけば、アルフィナの方もその視線をヒラクへと注いでいた。
「あ、うん……ありがとう」
それだけ重大事と捉えてくれているのだろう。
反射的に「そう大した話じゃない」などの言葉がついて出そうになったヒラクだが、これからの方針と、何より一人の少女の死にまつわる話だ。
彼女達の好意を素直に受け取ることにして礼を言う。
「リスィ、お願い」
しかし気恥ずかしさは我慢できず、その視線から逃れるように頭上の妖精に頼んだ。
「い、良いんですか?」
ヒラクの要請に、やはりその顔をじっとのぞき込んだリスィが問いかけてくる。
「うん。魔物がいないはずのこの階層で守護獣と遭遇したら、普通以上の被害が出るだろうし」
半ば自らに言い聞かせるように、ヒラクは答えた。
それに今日七階に来られたのは、数々の偶然が重なったおかげだ。
モズの言うとおりこれを逃せば、いつまたここ来られるか分からない。
「そう、ですよね。それじゃぁ」
守護獣による被害という言葉でカムイの事を思い出したのか。
唇を噛みしめると、リスィは自らの耳に手をかける。
そうして意識を集中して数秒。
やがて、彼女はヒラクの頭から身を乗り出すようにして斜め下辺りを指し示した。
「あっちみたいです」
「よし、行こう」
既に前へ進んでいるモズへ追いつくように、一行は歩き出した。
◇◆◇◆◇
「うぶっ」
光苔と水にまみれた階段の上、体勢を崩したのはアルフィナであった。
「あ、危ない!」
その腕を、寸でのところでヒラクが掴む。
からり。音を立ててアルフィナの代わりに小石が落ちた。
下を見ればようやく水面が見える距離。普通に落ちたならば、まず助からない高さだ。
「……どうも」
短くアルフィナが礼を言う。
褐色の肌のおかげで分かりづらいが、彼女の顔色はいつもより青ざめて見えた。
「もしかして、高いところ苦手?」
「……別に」
ヒラクが尋ねると、アルフィナはぷいと顔を逸らす。
どうやら図星のようだ。
だが、恐怖心が無くともこの床を通るのは難しい。
ヒラクも肉体強化と、滑り止めのついた靴が無ければ苦労したことだろう。
「気をつけろ。落ちたら無事に済まないぞ」
一方で、肉体強化の高い前衛二人組はすいすいと階段を降りていく。
振り返ったフランチェスカが警告を飛ばした。
「動ける?」
改めてヒラクが尋ねると、アルフィナはこくこくと頷く。
が、その腕はいつの間にかヒラクの腕をがっちりとホールドしていた。
どうしよう、これはこのまま進んだ方が良いのか。
それとも指摘した方が良いのだろうか。
「イチャついてんじゃないわよ。で、まだなの?」
ヒラクが図りかねていると、続いて振り返ったモズがケッと息を吐いた後リスィに尋ねる。
「はっ! あ、あの、穴の中です」
神器の声を聞いていたせいか。それともヒラク達のやり取りを羨んでいたせいか。
ぼんやりとしていたリスィが慌てて指さした。
ヒラクが遅れてリスィの指先を見ると、無数に空いた洞穴の中に一つだけ、注視しないと分からないほどぼんやりと光を放つ物があった。
ただし距離は遠い。
階段は隣接しているが、ヒラク達の下っている階段とは繋がっておらず、数メートルほどの距離が離れていた。
「じゃ、場所も確認したし進もうか」
それを確認したヒラクが、心なしか早口に催促する。
「またビビってんの!?」
そしてそれを聞いたモズが、目を剥いてヒラクを睨む。
「だ、だって届かないし。戦闘になったら足場だって悪いんだよ?」
彼女の語気だけで階段から転げ落ちそうになりながら、ヒラクは弱々しく抗議した。
「あんな狭っちい場所に何がいるって言うのよ?」
彼の態度を見て一段と不機嫌になったモズが、低い声で尋ねる。
穴の大きさはヒラクが這ってやっと進めるほど。
確かに竜のような大型の守護獣が入れる大きさではない。
「こう、うなぎみたいな生き物がみっちりと……」
「あーはいはい。そんで電気流すのね」
そこに潜む最大級の驚異についてヒラクは訴えたが、イマイチ伝わらなかったようで軽く流される。
「……蒲焼き」
「残念ながら、電気うなぎはうなぎとはまるで別の生き物だ。ちなみに頭部にほぼ全ての内蔵が詰まっており、胴体はまるまる発電機関らしいぞ」
「いらないわよそんな豆知識!」
腕にすがりついたままのアルフィナがじゅるりと呟くと、それに応えたフランチェスカが頭を振る。
彼女ら二人をうっちゃって、モズは階段の先へと視線を移した。
「あそこに守護獣がいるって報告だけしよう。それで僕らの役目は……」
諦めてくれたか。ヒラクがほっと息を吐いたその時である。
「せいっ」
素早く足下の小石を拾ったモズは、それを件の穴へと投げつけた。
投擲のギフトなど枠の無駄と言わんばかりの見事なコントロールで投げられたその小石は、吸い込まれるように穴の中へと入り込み、カランカランと音を立てる。
「な、何するの!?」
「中身確かめなきゃ報告も何も無いでしょ。神器なんて聞いたら誰だって我を忘れて飛びつくでしょうし」
悲鳴を上げるヒラクに、第二の小石をお手玉しながらモズが答える。
「理屈だけは真っ当に聞こえるな……」
まるでタチの悪いガキ大将のように語るモズにフランチェスカの呆れ声が飛ぶが、彼女はそれを吹き飛ばすように鼻を鳴らした。
それを横目に小石の行く末を案じ固唾を飲んでいたヒラクだが、それが投げまれてしばらく経っても、何の音沙汰もない。
「もしかして、居ないんじゃないの?」
モズが、浮き立った声で呟く。
神器に魔力が上手く集まらず未成型神器になるように、守護獣にも魔力が集まらずさほど驚異でもない生き物――例えば辺りの壁を這うイモリそのままになってしまう事がある。
七階にも魔力を栄養とする光苔が生えていることから分かるように、魔力が存在しないわけではない。
が、その流れは少々特殊とも聞いたことがある。
もしやこの階層に産み落とされた守護獣は、その流れとやらを掴み損なってしまうようなタイミングの悪い輩だったのではないだろうか。
もしか。したらば。
ヒラクもその甘い考えに支配されかけた、その時である。
穴の中からボゥと、炎が吹いた。
「な、何ですか!?」
リスィが驚愕の声を出し、ヒラクの髪を強く掴む。
アルフィナがヒラクの腕から離れ、件のヒラクは背嚢を下ろす。
そして各々が武器を構えた途端、穴の中から熱風と共に何かが飛び出した。
それを目で追うヒラク。
壁面を滑るように飛ぶのは、体に炎を纏った鳥であった。
「不死鳥!?」
フランチェスカが声を上げる。
彼女が叫んだのは、竜と同じく迷宮時代以前の神話に記された幻獣の名前である。
が、神話のフェニックスは触れただけで人を灰にするような炎を吹き出しているという記述に対し、この守護獣は羽と尾羽、それに頭部に炎を纏わせているのみだ。
大きさも翼を広げてやっとヒラクと同程度。しかしそれでも、油断して良い相手ではない。
そしてそもそも、ヒラクの頭に油断などという文字はなかった。
彼の頭は守護獣という存在自体への恐怖で、すっかり埋め尽くされてしまっていたのだ。
「……伏せて!」
空を舞う魔物の驚異を知っているアルフィナが、鋭く警告する。
彼女に引き倒されるように伏せるヒラク、そしてフランチェスカだったが、仁王立ちしたままの人物が一人いた。
「こんのぉ!」
モズだ。彼女は手近な目標に狙いを定めた火の鳥に対し、迎え撃つように大剣を振るう。
しかし直前で守護獣は羽ばたき、その軌道を変える。
空を斬る大剣。
バランスを崩すモズ。
トドメとばかり、彼女の後頭部へと守護獣の見事な蹴りが決まった。
「あっ」
そして前のめりになったモズは、まるで玩具のようにころりんと崖から落ちた。
「モズ!」
体を起こし、一番に行動したのはアルフィナに庇われ縮こまっていたはずのヒラクである。
「ちょっと頼んだ!」
「わわっ」
彼は頭上のリスィを少し手荒にアルフィナへと手渡すと、その身を迷わずモズの落ちた谷底へと投げ出した。
「ヒラク様!」
突然の暴挙に呆気にとられたリスィ達の顔。
それが急速に遠ざかる中、彼は反転し呪文を叫んだ。
「浮遊!」
自由落下していたモズの体が、何かに包まれたかのようにその速度を下げる。
浮遊。自由落下する人間の体を包み込み、その速度を一定時間緩やかにする魔法である。
しかし、意識がないまま落ちてしまえばどうなるか分からない。
「モズ!」
もう一度、ヒラクは呼びかけた。
すると彼女の体が反転し、めいっぱいに開かれた瞳がヒラクを見る。
良かった、気絶はしていない。
大剣も握られたままであることを確認しながら、ヒラクは視線を上へ向ける。
守護獣はフランチェスカ達ではなく――おかしな動きをしたモズとヒラクへと猛追してきていた。
都合が良いのか悪いのか。
考えながら確認し、彼は肩を狭めると落下速度を増しモズへ追いつく。
「アンタ、また無駄なスキルを……!」
「良いから! 迎え撃つよ!」
この期に及んで暢気な抗議をするモズ。
混乱で頭が追いついていないであろう彼女の肩を掴み叱りつけるように叫ぶと、ヒラクは再び手を離し先に落下していく。
叱りつけたはずの彼の手は、空中でも分かるほどはっきりと震えていた。
「……って、迎え撃つってどうするの!?」
そのチグハグさにボンヤリしていたモズが、ようやく状況を再認識し悲鳴に近い声を上げる。
だが、ヒラクに説明している時間はない。
彼は精神統一のため目をつぶると、呪文の詠唱に入る。
詠唱破棄をしないのは、魔力を無駄にしないため、そして自身の心を落ち着かせるためだ。
ヒラクの心は今、大きく揺れ動いていた。
大半は守護獣への恐怖である。
また大切な人を失うかもしれない事への恐怖。
そして、自分が間違っていたと思い知らされる事への恐怖。
だが、それだけではない。
――自分は、守護獣という存在ともう一度相対することを望んでいた。
カムイの復讐? いや、そうではない。
自分が望んでいるのは、もっと救い難いことだ。
その愚かさ卑怯さに、この体は震えているのだ。
そして自覚すれば、体の震えは小さくなる。
目を開くと、ちょうど守護獣が猛禽類のごとく、落下速度が緩やかになったモズへと突撃するところだった。
だが、その嘴が彼女に当たる直前、ヒラクは叫んだ。
「浮遊!」
先ほどと同じ呪文だ。しかし、今度は呪文変形が施されている。
モズの足下に圧縮された空気の層ができ、それを足場にした彼女の体が跳ねた。
加速する守護獣の前に差し出されたのは、落下中も手放されなかった大剣である。
直前で軌道を変える守護獣だが、その翼が大きく切り裂かれる。
しかし、それで終わりではない。
血液を蒸発させながら、守護獣がそれでも羽ばたき体勢を立て直そうとする。
炎にまみれ凄まじい勢いで傷が再生していくのが、ヒラクにも見えた。
その瞬間、彼は叫ぶ。
「イジェクト!」
それと共に、腰につけたポーチから縄が飛び出した。
鉤爪つきの縄が守護獣の体に巻きつき、空気を叩こうとした翼の動きを阻害。
縄を握ったヒラクの手のひらを摩擦で焼きながら、その落下速度を緩める。
炎の翼が振りまいた火の粉に接触した縄は即座に燃えさしになるが、その隙だけで充分だった。
跳躍と落下の力がちょうど釣り合った瞬間に体を入れ替え大剣に全体重を乗せたモズが落下してくる。
そして彼女の大剣は、空中でもがく火の鳥の体を刺し貫いた。
守護獣の悲鳴。まさしく怪鳥音が洞窟に響く。
「浮遊!」
確認したヒラクは、再度詠唱した。
するとガクンという衝撃と共に、今度は彼の落下速度が緩やかになる。
守護獣を串刺しにしたモズの体が、再びヒラクを追い抜く。
連続での詠唱破棄と魔法変形に体の血をひっくり返すような空中機動。
意識を闇に飲まれそうになりながら、手のひらの痛みでそれを堪えたヒラクは叫んだ。
「剣を離して!」
大剣の柄を蹴って、モズが再び跳躍。ヒラクがギリギリでその手を取ると、浮遊魔法が二人の体を包んだ。
全ての加速度を引き受けた守護獣が、最下層の湖へと叩きつけられ水柱を上げる。
しばらくして、まるで肉が焼けるような、おそらく火の鳥が蒸発する音。
そしてそのおかげで発生する水蒸気の中、彼らはゆっくりと下層へと降りていく。
ヒラクに抱き抱えられる形となったモズが、時より居心地が悪そうに体を揺する。
だが抗議しても無駄だと悟っているためか、言葉は発しない。
その内、ヒラクは腰から取り出した鞭を岩の突起に引っかけ、ゆっくりと落下の軌道を修正する。
そうして水際の砂利道へ、ヒラクが足をついたその時である。
ぱっぱっぱー。
モズの体から、緊張感の無いファンファーレが響いた。
「……おめでとう」
まさかこのタイミングで鳴るとは。
驚きに目を見開きながらも、ヒラクはモズに祝辞を述べる。
「守護獣相手でも、もらえるのね」
が、もっと驚いているのは当人であるモズのようだった。
彼女はヒラクの腕の中、信じられないように己の腕を開閉させながら呟く。
「うん……そう、みたいだね」
歯切れ悪く答えるヒラクと、それを不思議に思って見上げるモズ。
しばらくして、彼女ははっと気づいた。
「って、いつまで抱いてるのよ!」
むずがる赤子のように彼女が手足を伸ばして抗議すると、ヒラクはあわててモズを解放した。
「次は肉体強化をもう一つ上げるんだっけ?」
それから、誤魔化すように尋ねる。
「……悪い? 私はカムイ様みたいに無駄のない探索者になるのよ」
大剣が守護獣と共に水没してしまった。
浮いてこないかしらと地底湖を眺めつつ、モズはそう答えた。
「どうして、そんなにカムイ……さんに拘るの?」
それは無茶だよと内心で答えつつ、ヒラクは重ねてモズに問う。
カムイとの思い出に囚われっぱなしの自分が聞くのもどうかと質問してから気づいたが、それをつっこむ者はこの場にいない。
ヒラクの心中も知らず、肩を抱いたモズはぽつりと答えた。
「……昔、助けてもらったのよ」
素直に答えてもらえるとは思っていなかったこと。
そして、彼女の答えの内容に呆然として、ヒラクは一瞬言葉を失う。
「助けてもらったって……?」
それから彼は、何の工夫もない先を促すだけの言葉を彼女にかけた。
カムイが活躍するときは大抵そばにいたという、誇って良いのか腰巾着と罵られれば良いのか分からない自負がヒラクにはある。
ということは、自分もその現場にいたはずだ。
ならば……。
「象って知ってる?」
考えを巡らせるヒラクに、ふとモズが尋ねた。
「え!?」
唐突な質問だ。だがその問いで、ヒラクの脳裏でとある場面が急に再生された。
――迫る象型の魔物。抱き抱えた、小柄で勝ち気で黒髪の少女。
数年前、ヒラクがカムイと共に参加したパーティー会場。
「それじゃぁ……君は」
そこで象型の魔物からカムイに助けられた少女。
それと目の前のモズが同一人物であると、ヒラクはようやく思い至ったのであった。
うなぎ
こちらの世界にも存在する魚。
生体は謎に包まれており未だ解明されていない。
アルフィナは好物のようだが、好き好んで食べる人間は多くなく絶滅の危機とも無縁。




