最強の彼女が地雷の僕と共依存3
黙々と迷宮を潜っていくカムイとヒラク。
時間感覚も麻痺し、ヒラクが探索の打ち切りをカムイに提言しようかと思った矢先である。
狭い通路の先に、光苔の光すら届かない完璧な暗黒があった。
「カムイ」
ヒラクが短く声を発すると、前方のカムイがわずかに身じろぐ。
彼女も分かっている。あれは、神器の気配だ。
神器は周囲の魔力を吸収し、成長する。
大気中にある魔力の堆積物である光苔。それが無い空間というのはつまり、かなりの魔力を溜め込んだ神器がそこにあるという証拠である。
そしてその傍には、同じだけ魔力を取り込んだ守護獣もいるはずだ。
「強化はどうする?」
「5段階」
運動力増強、反射神経強化等のポーションを指に挟みながら、ヒラクが尋ねる。
するとカムイは、短くそう答えた。
強敵がいると分かっている部屋に突入する際、ヒラク達は事前に決めた種別のポーションを飲んで自らを強化する。
5段階は現在の階層より20階は下で使う為の、かなり高い強化具合だ。
それだけ、彼女がこの先の相手に脅威を感じているという事だろう。
カムイにはギフトとは関係ない、動物的な危機察知能力があった。
それを思い出し唾を飲み込むと共に、ヒラクはカムイへと瓶を手渡していく。
兜のひさしを上げたカムイはそれらを淡々と、しかし息継ぎも無く飲み干すと、猪口で酒を飲んだかのような態度で小さく息を吐いた。
それから、ヒラクに向き直ってぼそりと言う。
「ヒラク、おまじない」
「でも、あんなのかけても……」
「いいから」
ヒラクは小さく否定したが、カムイの瞳は揺らがない。
仕方なく差し出された手をとって、ヒラクは小さく呪文を唱えた。
跳躍補助の魔法。
頭ひとつ高く飛べるようになる程度の、本当に些細な魔法だ。
「ありがとう」
それでも、カムイはふんわりと笑って手甲を二度三度握り締めた。
彼女の笑顔を見ると、根拠の分からないせつなさがヒラクの胸に去来する。
「あ、あの……」
「行こう」
その正体を探ろうとヒラクが声を発する前に、カムイは踵を返して先へ進んでしまう。
自分でも彼女に何を聞くつもりだったのか分からない。
結局ヒラクは何も言えないまま、闇に紛れそうなカムイの後姿に続いた。
闇の中に踏み込むと、まるでそれ自体が蠢いているかのような生暖かい感触がヒラクを包む。
常人であれば一歩前すら見えない完全な闇の中。暗視のギフトで先を見たヒラクは、「それ」の存在に気づいた。
――瞳である。金色の瞳が一対。縦に裂けた瞳孔を持つそれが、爛々とヒラクを見つめている。
魔物には、瞳というものがない。彼らの頭部は魔核でできており、そのつるんとした異様を不気味に思ったことは何度もある。
だが今、後ろを向こうが壁に隠れようが逃れられないような殺意の篭った瞳と相対すると、それらの不気味さなど些事であったと思い知らされる。
「ヒラク、光を」
瞳だけで気圧されそうになったヒラクに、カムイの声が届く。
……相手がこちらに気づいていることは間違いない。
唾を飲み込んだヒラクは、小さく呪文を唱え、手の中に光球を出現させた。
そしてそれを、室内へと放る。
すると、部屋の中にいるものの正体が、ぼんやりと浮かび上がった。
まず驚くのは、その生物の巨大さである。
ヒラク達の5倍はあろうか。トカゲのように横に大きく裂けた口は、彼らを丸飲みにするには充分であり、ヒラクを噛み砕くのに何の差し障りもないような、巨大で凶悪な牙がずらりと並んでいる。
全身に鱗が生え、長大な尾。
巨大なトカゲのようにも見えるが、しなやかな前肢を伸ばしながらすっと立つその骨構造は、猫に近い。
あれは、竜だ。遙か昔、孤児院にあった御伽噺でヒラクはその存在を知っていた。
それも迷宮に数いる亜竜の類ではない。
「守護獣……」
迷宮へと神が蒔いた種が、その周囲にある魔力を吸収し、生まれるのが神器と呼ばれる物品である。
そして、同じように魔力を吸収し、神器を魔物から守る存在べく生長するのが守護獣だ。
周囲の光苔でさえ吸い尽くすほどに生長した守護獣。
その脅威は、カムイと共に何度も迷宮を潜ってきたヒラクにすら未知数だった。
守護獣はまだこちらへ襲い掛かってくる気配が無い。
しかし一歩でも動けば噛み砕くとばかりに、光を浴びてより迫力を増した瞳孔をヒラク達に向けている。
「あの、カムイ……」
この部屋は迂回しても良いのではないか。
その圧力に、ヒラクはそう口にしかける。
「ヒラクは後ろにいて」
だがカムイは遮るように言うと、一歩前に出た。
「う、うん」
ヒラクが前に出たとして出来る事など何も無い。
毎回感じる無力感を特別強くかみ締めながら、ヒラクは逆に一歩下がる。
「グォオオオオオオ!」
それを契機に竜が立ち上がり、恐ろしい咆哮を上げる。
そうして、戦いは始まった。
◇◆◇◆◇
「カムイ!」
叫びと共に、ヒラクが虚空へとポーションを放る。
竜の尾によって吹き飛ばされたカムイがそれにぶつかり、その傷が瞬時に癒えていく。
それが分かるのは、激しい戦いによって彼女の兜は吹き飛び、その鎧の所々が損傷しているからだ。
しかし自らの状態に頓着することなく、そのまま壁へと張り付いたカムイは、素早くそれを蹴って竜へと突進していった。
ヒラクが複数投入したライトに照らされた竜は、翼を切り裂かれ、片方の目は潰され、他にも多数の手傷を負っている。
しかしその体力は無尽蔵にも思えるほどで、動きに衰えは感じられない。
一方こちら側と言えば……治療用のポーションは残り一つ。
戦場から目を離さないようにそれを指で確認しつつ、ヒラクの焦りは増していた。
撤退の苦労を考えるのなら、もうとっくに引き際を過ぎている。
カムイが死線ギリギリの戦闘を行う事は珍しくない。
その無茶を潜り抜けてきたからこそ、彼女の異常なギフト取得数があるのだ。
それを踏まえても、今日のカムイはまるで自棄になっているかのような無茶な戦い方をしているとヒラクには思えた。
牙、爪、腕、足、尾、翼。
体の全てを使い、蛇のような軟体を駆使して竜はカムイを捕らえようとする。
それを奇術師さながらにすり抜け、反撃していくカムイだが、やはり限界はある。
――今一度、竜の顎がカムイへと迫る。
「ライト!」
その瞬間、詠唱破棄で魔法を唱えたヒラクは、光球を竜の潰れていないほうの目へとぶつけた。
カムイに噛みつきそうだったその頭が一瞬ひるむ。
そのおかげで、カムイは竜の攻撃から逃れることに成功した。
やはり魔物とは違い、守護獣の身体構造は地上の生物に類しているようだ。
ヒラクが確認すると同時に、竜の首がヒラクのほうへ向く。
だが何かが為される前に、間に割り込んだカムイの剣がその頭へと振り下ろされ、衝撃と共に竜の顎が地面へと叩きつけられた。
ダンジョン全体が鳴動したかのような揺れ。
思わず「やったか」と口にしかけたヒラクだったが、次の瞬間竜はその長い首を跳ね上げるようにして剣をカムイの体ごと跳ね上げた。
跳ばされながらカムイがヒラクを一瞥。
眉根をひそめたその表情は、おそらく感謝の念だけではないだろうとヒラクは察した。
これでヒラクも、竜にターゲットとして認識されてしまったのだ。
今はまたカムイへと注意が向いたが、いつ気まぐれに攻撃されてもおかしくない。
となれば無論、同じ手は使えまい。いよいよ決断のときは迫っている。
「カムイ、これ以上は……!」
ギリギリまで止めまいと決めているヒラクであったが、とうとう我慢しきれず叫んだ。
潮時である。撤退すべきだ。
「……」
だが、カムイはそれに耳を貸さない。
彼女は泥の中を跳ねる魚のように、竜へと突撃を繰り返す。
そんなにあの竜が守る神器が欲しいのか。確かに守護獣強力なほど、神器も強力であるはずだ。
だがしかし、彼女にそのような執着があるとは思えない。
そもそも自分は、竜とカムイの戦いに意識を削ぎすぎて、肝心の神器を確認していない。
気づいたヒラクは、カムイの状態を見落とさないようにしながら先ほど竜へぶつけた光魔法を動かした。
それによって部屋の奥、祭壇のような場所が照らされると、その上に、何か蠢くものがいた。
それは、ヒラクの手ほどしかない、小さな人間であった。
少女のような外見だが、背中には身長と同じぐらいの大きさをした、縮れた紙のような物がへばりついている。
その重さのせいか、彼女は立ち上がろうとしてできず、もがいていた。
「あれは、まさか……」
それを見、ヒラクは声を漏らした。
ヒラクも何度か耳にした事がある。妖精型の神器が存在すると。
だが、背中についているものは羽というにはひどく不恰好で、本体も弱っているように見える。
まるで羽化に失敗した昆虫のようだ。
通常、迷宮の魔力を等しく吸収し、神器と守護獣は成長する。
しかし何らかのきっかけで、神器、もしくは守護獣のどちらかが魔力を吸収しすぎる場合があるのだ。
これを未成型神器と呼ぶ。
未成型神器は本来の性能が引き出されないだけではすまない。
破損、消滅などの事例も有りえ、つまり生物型の神器であれば、生命維持まで覚束なくなるのだ。
今苦しんでいるあの妖精型神器は、ヒラクには正にその状態に見えた。
それならばあの守護獣の異常な強さも頷ける。
あれは自らが守るべき神器の生命を犠牲にした、本末転倒な強さだったのだ。
――つまりカムイは、あの妖精を救おうとしているということか。
その考えにたどり着いたとき、ヒラクの胸に様々な気持ちが去来した。
しかしそれが形になる前に、竜の爪がカムイへと振るわれる。
音もなく跳躍するカムイ。
空中に逃れた彼女へ、上体を起こした反対の腕が迫る。
「オイル!」
その伸びきった足下へ、ヒラクは詠唱破棄をした呪文を投射した。
突如現れた黒い液体に守護獣はバランスを崩し、カムイのつま先を掠めるようにして爪は空を切った。
そのまま宙返りをしてカムイが着地。
少し遅れて、地を這う蜥蜴のような姿勢で転倒を免れる竜。
普段ならばその力強い動きを阻害するはずもない床の液体が、疲労が吹き出したその一瞬にだけ動きを鈍らせる。
その間にも低く駆けるカムイは竜に肉薄。
彼女が、鋭く声を放つ。
「ヒラク……!」
その呼びかけの意味を問うことなく、ヒラクは最後のポーションをカムイへと放った。
視線も向けずにそれをカムイが受け取るのと、竜がその顎を開くのは同時だった。
ガァ! と口を開いた竜の口の中に、火花が散る。
次の瞬間、その奥から吹き出た気体に火花が着火し、凄まじい勢いの炎が放射された。
赤々と照らされる室内、燃やされるカムイは影すら見えない。
「か、カムイ……!」
何度呼んだか分からないその名を叫びながら、ヒラクはともすれば前へ進みそうになる足をとどめた。
今自分が突っ込んだとして、できることなど何もない。
それに――。
カムイへと放射されていた炎が真二つに分断され、それも消え去る。
ライトを操作し、ヒラクは竜の口へと光を向ける。
そこには――自らの大剣を竜の口の中に差し入れたカムイがいた。
彼女の体から、赤熱化した鎧が剥がれ落ちていく。
その下から露出する焼けただれた肌は、彼女が喉を動かす度に治っていく。
竜の吐息を浴びる直前にヒラクのポーションを受け取ったカムイは、自らの体が焼ける痛みの中、少量ずつそれを飲むことによって炎を耐えたのだ。
常人に取れる行動ではない。
そして、そんな規格外の一撃を受けた竜は、まるで唖然としているかのように、口を開け、じっと動きを止めていた。
ぶしゅうという音と共に、カムイの剣がもう一段深く差し込まれる。
それを契機にし、竜の体は自らの体に溜まった気体によって膨れ上がり、派手な音を立てて爆発した。
血の雨が降る。ヒラクが撒いたオイルへと残り火が引火し、竜の体を炎で包み込んでいく。
その中で、カムイがヒラクへと振り向き、何か呟いた。
なんて、言ったんだろう。
一つの絵画のような、あるいは悪趣味な夢のような光景にぼんやりと考えていたヒラクだったが、慌てて我に返る。
「無茶しすぎだよ、カムイ」
そうしてカムイに駆け寄ったヒラクは、彼女の無事を確認してから意識的に渋面を作った。
そうしなければ、安堵で頬が緩んでしまいそうだったのだ。
「ヒラクの真似」
おかげで少々子供っぽい睨み顔になったヒラクに微笑んで、カムイはそう答えた。
まるで、泥遊びを満喫した童女のような笑みだ。
「えっと、僕の?」
背後の炎で逆光となったその笑みに若干気圧されながら、ヒラクは尋ねた。
先ほどのカムイの動きに、自分が真似できるような要素がひとかけらでも含まれていただろうか。
首を捻る彼に、カムイはぼそりと告げる。
「普段、ヒラクが私をどれだけ心配しているか分からせる為」
「それって、どういう……」
その意味をヒラクが把握するには、血の雨が止むほどの時間が必要だった。
「赤の他人のために命を張られるのがどれだけ怖いか、分かったでしょう?」
ようやく理解の色が浮かび始めたヒラクに、血糊で髪を固めたカムイが首を傾ける。
「そ、そんな……!」
そんなことのために、彼女は自分の命を懸けたのか。
確かに彼女の戦いを見守っている時のヒラクは、気が気でなかった。
こんなものをじっと見ているぐらいならば今すぐ飛び出して盾になるほうがマシだと何度も考えた。
だが、ヒラクにそれを理解させるためだけに、彼女は炎に焼かれたというのか。
叱りつけようとして、ヒラクは途中で言葉を止めた。
目の前には、凄惨とも言えるカムイの姿。
「私は自分がどれだけ傷つくより、生きたまま焼かれるよりずっと、あなたを失うことが怖いの」
自分の行動がそれだけ彼女を追いつめていたということか。
「ごめん。ごめんよ、カムイ」
反省したヒラクは、素直にカムイへ謝ることにした。
「うん」
童女のように真っ直ぐと、彼女もそれに応える。
こちらこそ。などというお決まりの返しをカムイはしない。
あぁ、自分は一生彼女から離れられない。
「分かったら、早くあの神器を助けてあげて」
「え?」
部屋の奥に目をやったカムイが、そんなことを呟いた。
そこには、未だに生まれたての子鹿のような体勢でもがく妖精がいる。
なんだ。結局あの妖精が心配なのではないか。
微笑ましい気持ちになって、ヒラクの頬が自然と緩む。
「……何?」
「いや、別に」
しかし、指摘したところで彼女はそれを認めまい。
胸に仕舞っておこう。
彼女が本当は優しいということは、ちゃんと自分が知っているのだ。
そんなことを思いながら、ヒラクが妖精の方へと向かおうとした時である。
ぎょろり。
炎の中、息絶えたはずの竜の白目が回転し、金色の瞳が戻る。
「っカムイ!」
口内に剣を残したまま、竜の顎が開く。
いち早くそれに気づいたヒラクは、とにかくカムイを押しのけようとした。
どん。
――だが、動きはカムイの方が早かった。
ヒラクを片手で突き飛ばした彼女が、優しく笑う。
そんな彼女の頭上から、竜の顎が迫り。
ぐしゃり。
血をまき散らしながら閉じる顎。
ヒラクの胸に、千切れたカムイの腕がぶつかる。
それが、彼と彼女の関係の結末であった。
竜
守護獣の型の一つであるが、そのモデルと目される存在が迷宮と魔王の出現以前の神話に記されている。
現在では絶滅してしまったのか人類の生活圏には存在しないのか、目撃した人間はいない。
守護獣としてはもちろん、頭部を魔核に置き換えた魔物(亜竜)としても強力な存在だが、近年では迷宮探索者の減少、及び創作英雄譚での討伐されっぷりから、「あまり大した存在ではない」という誤解が市井で広がっている。




