そしてプロローグへ プラス
アールズ迷宮探索者育成学校において、装備の管理は一階の事務室で行われる。
事前に預けておいた物。もしくは入学する際に買った「初めての迷宮探索セット」なる装備をこの場所で出庫申請し、となりの倉庫から受け取るのだ。
時間外の装備の持ち出しは制限されており、迷宮探索の時間が終われば装備はこの事務室へ申請し、倉庫へ戻すことになる。
他人に自らの装備を預ける事に対し、抵抗が無いわけではない。
しかし、それも入学の条件に含まれていたので、ヒラクは気が進まないまま装備を学園側に預けた。
事務室で申請をした後、倉庫で四列で並んで自分の装備を受け取ったヒラクは更衣室へと向かった。
そこで荷物を確認し、自らの装備に異常が無い事を確認した後、着替えたのだが……。
「遅い! 何チンタラしてるのよ!」
更衣室の扉を開けたヒラクに、容赦の無い罵声が浴びせられた。
「あ、ごめん」
反射的に謝りつつ、ヒラクは人影のない廊下に出る。
彼に罵声を浴びせた少女――モズの後ろには、これから一緒に迷宮へと潜る予定の少女達、フランチェスカとアルフィナの二名もおり、各々の装備を確かめていた。
「あれ、皆さんも制服なんですね」
ヒラクの後ろからふらふらと飛んできたリスィが呟く。
彼女の言うとおり、多少の差異はあるもののヒラクを含め、廊下に集まった全員が先ほどと同じ制服姿であった。
ただしモズとフランチェスカは、それぞれ身の丈より大きな片刃の大剣と、斧槍姫の自称通りバーディッシュを背負っている。
「エンチャントがあるからね。ヘタな金属より硬いんだ」
「えんちゃんと?」
「えーと、ずっと続く魔法って感じかな?」
「へぇー……魔法の力ですか」
ヒラクの説明に納得したのかしないのか。
呟きながら、リスィの視線がモズのなだらかな体の上を這った。
「……ナマ足なのは良いんですか?」
「ナマ言うな」
そうして、彼女の太ももを指差しながら、リスィが主人に問う。
指差されたモズはその太ももを手で隠しながら抗議するが、リスィは聞いていないようだ。
「こう、服を着る事で身体が見えない膜みたいな物で覆われるんだ。だから見た目の露出度は関係ないよ」
この娘の妙に親父くさいところは誰に似たのだろう。
苦笑いを浮かべながら、ヒラクはそう答えた。
「便利なものですねぇ」
今度はアルフィナの体をふむふむと見るリスィだが、彼女は黙ったまま何のリアクションも返さない。
「じゃぁ、フランチェスカ姫はなんで鎧をつけてるんですか?」
それを不満に思ったのか。リスィは次にフランチェスカのほうへと視線を向ける。
彼女も制服を着ているが、胸部と手足に鉄色の甲冑をつけていた。
「うむ、これは我が家に先祖代々伝わる特殊なエンチャントがかかった聖なる鎧でな。もっとも使用者以外が着用すると呪いに苦しめられるのだが……」
姫と呼ばれた事に気を良くしたのか、上機嫌な様子でフランチェスカが語りだす。
「呪うんだ…聖なる鎧なのに」
「ただのボロっちぃ鉄鎧じゃない。つうかサイズが合わなくなって涙目だったくせに……」
ヒラクとモズが呟くが、彼女には聞こえていない様子であった、
ヒラクはなんとなくモズの特定部位に対する僻みを感じたが、口に出すことは避けた。
「……アンタ、今失礼な事考えたでしょ」
「え、いや、そ、そんなこと無いよ!?」
避けたのだが、表情に出ていたようでモズにぎりりと睨まれる。
どうせなら無表情のスキルでも取っておけば良かったと、ヒラクが遅まきながら後悔していると――。
「って、無駄話してる場合じゃないわ!」
ヒラクの首を絞めにかかったモズが、はっと我に返った様子で叫んだ。
「アンタら、なにグズグズしてんの!? 探索の時間はもう始まってるのよ!」
そして彼女はそう言い放つと、廊下を駆けていってしまう。
確かに装備の準備もダンジョン探索の時間に含まれる。
より多く探索するためには喋っている時間などない訳だが……。
「忙しい方ですねえ」
「まぁ、何か理由があるんだよ……多分」
呟くリスィに根拠も無くそんな事を言うと、ヒラクは他のメンバーを促して彼女の後を追った。
◇◆◇◆◇
モズを先頭に転送室と書かれた部屋の中に入ると、そこは四方を白い壁で囲まれていた
部屋の中央には、リスィとほぼ同じ大きさ、ヒラクの手に少し余る程度の大きさの黄金色の箱が六つ、等間隔に並べて置かれている。
端には机が置かれており、そこに一人の女性が座っていた。
「モズ隊。到着しました」
「はーい、いらっしゃーい」
モズが部屋の中央へと進み挨拶をすると、彼女から間延びした口調の挨拶が返ってくる。
女性はこの部屋、ダンジョンへの出入り口を管理する門番……というよりは受付嬢のようであった。
机の前へと行ったモズは、受付嬢に渡されたダンジョンへの進入名簿に記帳し始めた。
「ていうかモズ隊って……」
部屋の入り口で、ヒラクがポツリと呟く。
パーティーを作る際に個々でリーダーを決めることはあっても、隊名やリーダーを書類に書き込むことはない。
雰囲気作りの一環だろうか。彼女も実はなりきり願望があったりして……などとヒラクがなりきり一号であるフランチェスカを見ると。
「お姫様はリーダーじゃなくていいんですか?」
主人の呟きと視線をどう捉えたのか、リスィはフランチェスカにそう尋ねた。
「ふぇ? あ、あぁ! 斧槍姫騎士はそんな細かい事には拘らないのだ!」
すると彼女は、あたふたと動揺した声を出した後、取り繕ったようにそう返す。
今、この子自分のキャラ忘れてたな。などと頭で思いつつも、ヒラクは部屋の中に入った。
「それでぇ、ポータルを使うのは?」
そのタイミングで受付の受理が済んだのだろう。受付嬢が間延びした声を出す。
「僕です」
その問いに対し、ヒラクは進み出ると手を挙げる。
するとモズが露骨に嫌そうな顔をヒラクに向けた。
嫌われている。ということを改めて自覚させられたヒラクだったが、とにかく彼女に愛想笑いを返しておく。
「えーと、どのポータルから入りますか? って言ってもこれ以外残ってませーん」
聞く人間によってはバカにしているとしか思えない口調で、受付嬢は床に置かれている箱を指し示した。
よく見れば、箱のうち五つは淡く緑色の光を放っている。
女性が手のひらで示したのは、端にあるまだ光の灯っていない箱であった。
「これに、入るんですか?」
箱の前に着陸したリスィが、不思議そうに自らと同程度の大きさを持った箱を眺める
箱はよく見ると、人間の指の爪ほどの小さなブロックが集まって構成されており、光を放っている箱はそのブロックの隙間から光が漏れているようだ。
しかし、中が空洞だとしてもリスィ以外には入る事ができなそうな大きさである。
「ごめんリスィ。ちょっとどいてね」
リスィが首をひねっていると、その体がひょいと持ち上げられた。
彼女の腰を掴みあげたのはヒラクである。
彼は黄金の立方体の前に片ひざをついた姿勢で、リスィを自らの頭の上に乗せた。
リスィがヒラクの髪を掴み、しっかりと乗ったことを確認すると、ヒラクは箱の前に手をかざす。
「ポータル、起動……」
そして、小さく口の中で唱える。
すると箱が突然、上方に勢いよく伸びた。
「わわわわわっ!」
「リスィ、落ち着いて」
奇妙な悲鳴を上げた頭上の妖精をなだめて、ヒラクはゆっくりと立ち上がった。
伸び上がった箱――柱は、ヒラクより頭二つ分ほど上に伸びており、リスィにも頂上を見ることはかなわない、
動悸が収まらぬままリスィが柱を見上げていると、ヒラクはその柱の真ん中に、両手の指をかけた。
「よいしょ」
そして、掛け声と共に左右に腕を開く。
すると――。
「わぁぁ……」
内部から漏れ出た緑色の光に顔を照らされ、リスィが感嘆の声を上げる。
開かれた金の柱は上辺が繋がったままアーチを描き、今は扉のようになっていた。
そして扉の向こう側には、淡い緑の光が灯る土壁の廊下が続いている。
「これがダンジョンだよ」
「これが……」
一見、壁に絵が描かれているようにも見える。しかし内部から漏れる淀んだ空気と苔の匂いが、そうではない事をリスィに伝えていた。
「さ、行こうか」
無事にポータルを開けた事を確認したヒラクは、背後を振り返った。
「そういう音頭はリーダーの私が取るの」
そこには、やはり不満顔のモズがいる。
自分が彼女の機嫌をとることは、もはや不可能であるとヒラクは感じていた。
「り、リーダーは私だろう」
部屋の中に入ってきたフランチェスカが、今頃そんな事を言い出す。
モズはふん、と鼻で息を吐くと、フランチェスカを無視して扉をくぐった。
くぐる際に、一際強い緑色の光粒が彼女を覆い、パッと霧散する。
「あ、待て」
続いてフランチェスカ、更にいつの間にか彼女の後ろにいたアルフィナも同様に扉をくぐり、光に包まれた。
「いくよ、リスィ」
ヒラクが頭の上のリスィに呼びかけて歩き出す。
扉が目の前に来、リスィはぎゅっと目を閉じた。
じゅぽんっ。と耳に一瞬圧力がかかり、リスィはついに、ダンジョンへと突入した。
◇◆◇◆◇
ダンジョンに突入したリスィ達。
しかし、突入したといっても背後を見れば、先ほどまでいた白い部屋が広がっている。
更にはひょっこりと、受付のお姉さんが顔を出した。
「いってらっしゃーい」
彼女は笑顔で手を振っている。
緊迫感の欠片も無い光景である。
なんだか脱力しながらも、リスィは彼女に手を振り返した。
「閉じるよ」
同じく彼女に会釈をしてから、ヒラクが短く告げる。
そして彼が扉の外枠に手をかけ、内側に力を込めると、あっさりと扉は一本の棒へと変形した。
「ポータル、セーブ」
続いて唱えると、シュンッという音と共に棒は箱へと戻る。
洞窟内の光量が落ち、明かりは緑色の光苔のみとなった。
「いいんですか? 閉じちゃって」
「閉じないと魔物が入っちゃうからね」
目が慣れれば周囲が見えない訳ではない。ヒラクや周囲の人間の表情もきちんと見える。
しかし、目に見える外界への繋がりが切れたせいか一気に空気が冷えた気がし、リスィは身震いをした。
「大丈夫だよ。ポータルの魔法を使えばすぐに学校まで戻れるから」
リスィの不安げな表情を見て取って、ヒラクがそう解説する。
「ほら、無駄話してないで、とっとと行くわよ」
「あ、うん。ほら、リスィ」
「は、はい」
常時不機嫌なモズにもそう促され、リスィはこわごわと前へ進むことになった。
しかしやはり怖いものは怖いので、ヒラクの服の裾に掴まり、彼に引っ張られるまま漂うことにする。
迷宮の中はひんやりとした空気が漂っており、肌を緑色に照らされた主人達を、まるで彫像のように見せていた。
まるで地上とは隔絶された死者の国のよう。思いついた後、怖気がしてリスィはその考えを振り払った。
「リスィ、大丈夫? やっぱりまだダンジョンは……」
「ふぇ!? だ、大丈夫です!」
心配そうな表情をするヒラク。それを見て、リスィは弱気な自らを叱咤した。
そうだ。自分はこれからもヒラク様のお供をし、めいっぱい彼のサポートをするのだ。
この程度で怖がっていてはいけない。
考えて、リスィはヒラクの服から手を離すと、自らの頬をぴたぴたと叩いた。
それで、震えが止まる。
そうして彼女は、ヒラクの肩口へと飛んでいった。
自分が怯えているわけにはいかない。
だってヒラク様のほうが、もっとずっと怖いはずなのだから。
◇◆◇◆◇
そうしてしばらく歩くと、やがて曲がり角に差し掛かった。
モズがそこから顔だけを出して様子を伺うが、苦い顔でまた戻る。
「何かいた?」
ヒラクが尋ねると、モズは渋面のまま顎をしゃくる。
自分で見てみろという事らしい。ヒラクが彼女と入れ替わりに曲がり角から顔を出すと、そこに妙の頭の角ばった、人型の影があった。
「えーと、魔物だね。数は六体」
それを見たヒラクが、後ろにいるメンバーに報告する。
「よくそこまで見えるわね」
何かいる。というところまでしか見えなかったのか。
悔しげにモズが呟いた。
どうにも負けず嫌いな少女である。
なんだか幼子のようで笑いがこみ上げてくる。
が、今笑ったらどうなるか分からないので、ヒラクはそれをかみ殺した。
「夜目のスキル持ってるから」
代わりにそう答える。すると――。
「そんなのまで態々取ったの!?」
モズがひっくり返った声を出した。
「信じられないわ……そんなの魔法でもアイテムでも簡単にフォローできるのに……」
続いて、後ろを向くと彼女はぶつぶつと呟く。
「まぁ、1レベルだから大して見えるわけじゃないしね。視覚感知は無さそうだから、ライトつけるよ」
ショックを受けている様子の彼女に結局苦笑いをしつつ、ヒラクはそう告げた。
「ライト? おぉ、君は光魔法を使えたのか」
「あぁ、言ってなかったね」
頭を抱えたままのモズの代わりに、フランチェスカが声を上げる。
そういえば自分は、フランチェスカと黙ったままのアルフィナに、自らのスキル構成について話していなかったのだ。
今更になってヒラクは気づいた。
しかし、モズの反応を見ると、打ち明けるのが非常に憂鬱である。
とにもかくにも全員に異論は無さそうなので、ヒラクは口の中で呪文を唱えだした。
そして――。
◇◆◇◆◇
身の丈より長い大剣。モズがそれを背負い投げのように肩口から低い姿勢で振り下ろした。
それが魔物の首を斜めに一閃。
頭代わりになっていた黄金の箱が激しく回転しながら舞い上がった。
胴体は膝から崩れ落ち、黒い塵となって消えていく。
黒髪を靡かせながらターンを決めると、モズは空中から落ちてきた魔物の頭をキャッチした。
モズの頭の二倍ほどの大きさだった箱は、いつの間にか彼女の手に収まる程度の大きさとなっている。
「片付いたか」
フランチェスカが、斧槍を一振りして背中に付け直す。
振った動作に比べて背中にマウントする時の動作はぎこちなかったが、リスィは見ないフリをした。
そんな事より、大事なのは自らの主人についてである。
ヒラクには戦闘力が無い。
モズの言いようである程度覚悟はしていたが、その事はリスィに多大なショックを与えていた。
強さが人間の価値を決める訳ではない。
主人はあの扉だって開けたし、両手が塞がっている様子の戦闘メンバーの代わりに光だってつけられる。
それに優しいし、色んなことを教えてくれる。
それでも……。
「そんなはず、ない……」
リスィは呟いた。同時に、彼女の頭に、生まれた日の記憶がフラッシュバックする。
それは彼女が生まれた瞬間の光景。
燃え盛り崩れ落ちた巨大な守護獣。
そして……血にまみれたまま自分に手を伸ばす、主人の姿。
そんなはずはない。
だって彼は……神の作り出した私の主人なのだから。