伝説の斧槍姫騎士
ヒラク達がその魔物と遭遇したのは、モズとフランチェスカが先んじて歩き出してすぐの事だった。
「うげっ!」
「何奴!」
角を曲がったモズとフランチェスカから、呻き声が上がる。
嫌な予感がし、ヒラクも急いで後を追うと――。
「な、なんですこれ!?」
リスィがヒラクの耳元で叫ぶ。
そこにあったのは、ヒラクの二倍ほどの大きさを持つ巨大な向日葵であった。
いや、向日葵のように見えるが、種が詰まっているはずの部分は黄金に輝く魔核に置き換えられ、それを囲む花弁は光を反射し硬質な光を放っている。
そして左右に一本ずつ生えた蔓は、先に申し訳程度の葉をつけながら生き物のようにぐねぐねと揺らめいていた。
地の中に潜るはずの根は床の上で繊毛のように蠢き、その事が探索者達にこれが自然在らざる魔物であると強く認識させる。
「植物型!」
「植、物?」
その魔物の名を先に叫んだのはヒラクだった。
モズが戸惑ったような視線を彼に向け、それを受けたヒラクの胸もざわつく。
モズは、彼女は知らないのか?
この4階で一番やっかいな魔物を。
「臆したか! ならば私が一番槍を受け持とう!」
二人の動きが止まったのを見、フランチェスカが彼らの顔を交互に見る。
しかし次の瞬間、彼女は己をことさら鼓舞するように声を張り上げ、自らの斧槍を構えた。
「だ、誰がビビるもんですかこんなの!」
そんなフランチェスカへの対抗心が、モズを動かす。
彼女は再び正面を向くと、自らも大剣を構え、フランチェスカと競うようにして魔物へと突進していく。
「だ、だめだ! フランチェスカ! モズ!」
ヒラクが我に返り、二人に警告を発したのは一瞬遅れてであった。
それは、両名がそれぞれの武器を薙払い、振り下ろすのと同時。
「はっ!?」
「なっ!?」
だがその一撃を、奇怪に体を曲げた植物型は、紙一重で避けていた。
そして表情があれば彼女らをあざ笑っていたであろうその顏部分、魔核がチカチカと、短い明滅を繰り返す。
「え?」
それによって、魔物の輪郭がモズの網膜に焼き付いた直後である。
先ほどまでとは比べものにならないほどの光の奔流が、洞窟内に炸裂した。
「ひわっ!」
ヒラクがリスィを庇い、彼女も自らの目と体をぎゅっと縮める。
それでも、彼女の視界は真っ白に染まった。
そして、数瞬後。
「あ、れ? なんとも……」
恐る恐る目を開けたリスィは、自らの体に異変が無いことを確かめて呟いた。
しかし、直後に前方のモズとフランチェスカが倒れ伏しているのに気づいて今度は頭が真っ白になる。
「モ、モズさん、フランチェスカさん!」
思わず飛び出しかけたリスィを、ヒラクの右手が遮った。
「植物型の能力……! 特殊な光で、相手の体を流れる魔力自体を減じさせるんだ」
「え?」
早口で説明する彼の顔も、苦しそうに歪んでいる。
背後では、アルフィナもまた膝をついていた。
おそらく体を流れる魔力の組成自体が違うため、リスィには影響がなかったのだろう。
ヒラクにはそう察しがついたが、説明する時間はなかった。
「リスィはアルフィナを見てて!」
早口で彼女に叫んだヒラクは、背嚢を落とすとそこと背中の間に挟まっていた長槍を腰だめに構えた。
先ほどアルフィナが魔核から手に入れたものである。
「え、ヒ、ヒラク様は……!?」
ヒラクは大丈夫なのか。どうするつもりなのか。
リスィは尋ねようとするが、そんな間もない。
「たあああぁ!」
魔物の注意を引き付けようとするかのように、ヒラクは声を上げながら突進していく。
魔力感知で動く魔物にそんな物は効果がないが、しかし、目も耳もない植物型だからこそ、唯一まともに動けるだけの魔力を持つヒラクに反応した。
魔物は腕のような蔓を振り上げると、ヒラクへと放つ。
「くっ!」
しかし速度を弛めぬヒラクの思い切りの良さが功を奏し、一本目は床を叩き、二本目は彼の頬を掠めるだけにとどまる。
それでも、頬からは刃物で切られたように血が滴った。
魔力が減じているという事はつまり、棍棒で殴られても痣で済んだモズのような強靱さが失われているということなのである。
気を失うほど魔力が減っているのならば、尚更だ。
「このっ!」
ひざまずくモズとフランチェスカの頭上、的として一番大きい魔核目指し、ヒラクは長槍を跳ね上げる。
しかし、ぎゃりりと鈍い音を立てながら、槍は魔核の表面を掠め、天井の土壁へと突き刺さる。
「いっ、ぎ!」
目を剥くヒラクだが、彼はそのまま槍の下方を掴み直すと、そこを支点にくるりと体を反転させた。
長い槍のしなりを利用してそのまま魔物の背後へと回り込んだヒラクは、反動を利用して槍を天井から引き抜く。
「ふっは」
そうして、ようやく短く息を吸った。
魔物が事態を把握できないかのような緩慢な動きで、彼の方へと振り向く。
やはりアルフィナのように魔核の弱点を知り尽くした者でなければ、魔核自体を破壊することは難しい。
長槍が強力なエンチャント付きであることを祈ったが、そんな様子もないようだ。
考えながらも、ひとまずモズとフランチェスカを挟んで戦闘することを回避できたヒラクはじりじりと魔物と距離を測った。
相手はヒラクの不可思議な動きを警戒しているのか。そんな頭脳があるのかも不明だが、すぐには攻撃してこない。
「やめて、いじめないで……」
魔物の背後では、床に伏せながらフランチェスカが呟き続けている。
モズも同様の状態。更にもっと後ろではアルフィナが膝をつき、リスィが主人の言いつけ通り彼女に声をかけている。
だが、アルフィナに復調の兆しはない。
これが植物型の持つ――特殊な光で対象の魔力を減じさせ、同時に弱った精神を混乱状態に陥らせる能力だ。
これによってヒラクが戦闘不能に陥らなかったのは、魔物の特殊能力や魔法による精神攻撃の効果を減じさせるギフト、精神抵抗を所持していたおかげであった。
それでもあの光の影響を完全に防げるわけではない。
風邪を引いたような体のだるさを、ヒラクは全身に感じていた。
「はぁ、ふぅ」
次はどうする。
息を整えながら、ヒラクは考えを巡らせる。
相手は徘徊型だ。
このままゆっくりと後退し、仲間から魔物を引き離しつつ自分も逃げるか。
しかし、魔物がこちらについてこなければ、モズ達の身が危うくなるだろう。
ならば、自分が単独で植物型を倒すしかない。
やれることを、するのだ。
できなければ……考えた途端、ヒラクの体がびくりと震える。
それは彼の脳に、その意志とは関係なく多量の記憶が蘇ったせいであった。
それは血の匂い、感触、温かさ、冷たさの記憶。
急いでそれらに蓋をしようとするヒラクだが、気づけば長槍の穂先が、カタカタと音を立てて震えていた。
今はそんな場合ではない。冷静な部分がそう叫び、自らを戒めようとする。
しかしヒラクの恐慌は潮のようにじわじわと水位を上げていき、彼の視界は次第に赤みを増していった。
魔力感知しか持たない魔物は、大抵魔力――精神の乱れを鋭敏に察知する。
動揺したヒラクへと、沈黙を守っていた植物型の蔓が放たれた。
またしても間一髪。それを避けたヒラクは、植物型の根へと狙いを定め、槍を放つ。
しかしそれを予測していたかのように、その巨大な体を支えきれるとは思えないような細い根の一部が持ち上がった。
それらの先端は、一つ一つが赤子のような小さな手となっており、ヒラクの槍を掴もうとしてくる。
「くっ!」
寸で、ヒラクは槍を引いた。
長大な槍をとっさに引けたのは彼の攻撃に迷いがあったおかげだったが、それでもバランスを崩すことは免れない。
ヒラクの体勢が崩れたところに、更にもう一本の蔓が飛来する。
慌てて長槍を跳ね上げたヒラクだが、蔓が長槍に当たる前に嫌な感触が腕へと伝わった。
使い慣れない長槍の石突きが、地面に接したのだ。
バキリッ。
長さ故に持つ柔軟性を失い、想定していた交叉点からズレた位置で蔓とぶつかった長槍は、それだけで鈍い音を立てながら折れた。
「ヒラク様!」
リスィが悲鳴を上げる声が遠く聞こえる。
目の前を槍の穂先が回転しながら落ちていく。
息づかいすらない魔物との戦闘で発生する、奇妙な静寂。
その中で、ヒラクは躊躇いなく中空の穂先に手を伸ばした。
「だぁっ!」
運良く柄の部分を掴むことに成功した彼は、そのまま腕を回転させて穂先を魔物へと投げつけた。
ヒラクが持つ投擲のスキルが、その勢いを増大させる。
彼が投げつけた槍の先端は、人間で言う鳩尾あたり、魔物の細い体の真ん中に、寸分違わず突き刺さった。
痛みに喘ぐように、魔物の体が仰け反る。
着弾した後も、槍はぎりりと回転し、自らの体をより深くねじ込もうとする。
しかしそれでもまだ足りない。
そう判断したヒラクは腰に手を伸ばし、鞭を握った。
これを穂先に巻き付け更に回転させるか、そのままありったけの魔法を流し込もうというのだ。
ヒラクの執拗な追撃。だが――。
「ふぐっ!」
それよりも先に、自らの体が両断されたかのような痛みがヒラクの胴体に走った。
あまりの衝撃に肺の中の息がすべて吐き出され、膝間接が失われたかのように体が勝手に崩れ落ちる。
定まらぬ焦点でよく見れば、仰け反った姿勢から、植物型の蔓がヒラクの胴へと繰り出されていた。
まるで空気が漏れた風船のように、ヒラクの体から力が失われていく。
「ヒラク様ぁ!」
リスィの悲痛な声が、再び迷宮内に響く。
膝をついたヒラクを見下ろすかのように、植物型が悠然と蔓をくねらせた。
「あ、アルフィナさん! 起きてください!」
それでも、ヒラクがその鞭の犠牲になるのは時間の問題だろう。
それを感じ取ったリスィが、アルフィナを揺さぶる。
しかし彼女は立ちあがることができない。
「モズさん、いつも威張ってるじゃないですか!」
それを見て取ったリスィは、今度はモズを叱咤しながら彼女のほう――魔物の足下めがけて飛んでくる。
しかし、モズからも反応はない。
彼女は言葉にならない呻き声を上げながら、床に突っ伏していいる。
「フランチェスカさん! 貴方は、貴方は伝説の騎士なんでしょう!?」
来てはいけない。念じながら、ヒラクは震える体で必死に腰のポーションホルダーへと手を伸ばしていた。
突撃する前に、ポーションを飲んでおくべきだったか。
リスィにアルフィナの治療を指示していれば。
槍で狙うべきは胴体だったのではないか。
そんな余裕はなかった。
頭でそう理解はしていても、後悔が頭を埋め尽くす。
やはり、自分では駄目なのか。
こんな中途半端な人間では、何も成し遂げられないのか。
床にうつる魔物の影が、左右の蔓を振り上げる。
指はポーションに伸びた。しかし、このままでは満足に動けそうにない。
心が全ての終わりを覚悟する。
植物型の蔓が振り下ろされようとする。
――だがそこで、魔物の体が再び仰け反った。
何事か。
ヒラクが朦朧とした意識の中視線を上げると、一人の少女が植物型に後ろから抱きつくようにして立っていた。
彼女が両手で握っているのは、ヒラクが先ほど突き刺した槍だ。
それを支えに立つ少女――フランチェスカは青い顔のまま、暴れる植物型を押さえつけている、というよりは、魔物にしがみついている。
「……私は、前世において、最果ての地にて最前線、終わりの地、ラストラストルインキャッスルに生まれた」
その姿勢のまま、誰かに聞かせるわけでもなく、フランチェスカはぶつぶつと呟き続けていた。
「幼少のみぎりには既に武と魔の適性を見いだされ、七歳の時には破滅の武王と呼ばれた父をも上回る力をもっていた……」
先ほどまでの弱々しい泣き言ではない。
だが、その姿はより異様であり、蔓を振り回す魔物は彼女に怯え、狂乱しているようですらある。
「私は鉄拳参謀ムゥに支えられ、数多の魔物を屠ってきた……。その数一万二千と8」
しかし一方で、ヒラクにはそれが魔法の詠唱のような、儀式めいた物のようにも見えていた。
魔法に決まった詠唱はない。神に祈る必要もない。
それを唱える意味は、ただ精神を研ぎ澄まし、外へ向かう力へと変換する為だ。
フランチェスカは自らを騎士だと思い込むことによって、精神を、そして魔力を増大させていた。
「我は民を統べる姫にして、民を守る騎士。斧槍に誓いし者……」
フランチェスカの目が見開かれる。
彼女は突き刺さった槍の穂先を掴んだまま、叫んだ。
「私は伝説の斧槍姫騎士……フランチェスカ!」
咆哮と共に、彼女の手、いや、全身から雷撃が迸る。
植物型が悲鳴のように魔核を明滅させながら体をよじる。
だがフランチェスカは離れない。
二種類の光が洞窟内を焼き、おぞましい影絵が踊る。
「わわ、わわわ!」
その光景に恐れおののいたリスィが、ヒラクの元へと避難する。
――数秒後。
最後には植物型は頭を垂れ、ぼとりと自らの魔核を落とした。
その体が黒い灰となり、それを支えとしていたフランチェスカの体が傾く。
「わ、フランチェスカ! うごっ」
膝立ちのまま、ヒラクは慌てて彼女を受け止めた。
胸鎧がヒラクの胸に当たると、電撃がまだ迸っているかのような痺れが彼を襲う。
「私は、フランチェスカ・ザビーネ・カエサル。ラストラストキャッスルの、斧槍姫騎士……」
それでも何とか彼女を取り落とさずに済んだヒラクは、彼女の寝言を聞いてホッと息を吐いた。
リスィがヒラクの腰からポーションを引き抜き、懸命に彼の口元へと運ぼうとする。
リスィに微笑むと、ヒラクは立ち上がるためにそっとフランチェスカを抱き直した。
そんな彼の耳元を、フランチェスカの吐息が揺らす。
「ムゥちゃん……」
フランチェスカの脇を通る革ベルト。そこに取り付けられた角の生えた天馬の紋章が、彼女を称えるかのように輝いていた。
精神抵抗
魔物から受ける魔力、及び精神への影響を軽減させるギフト。
汎用性が低いようにも思えるが、こういった特殊能力はまともに食らえば熟練の探索者パーティーでも全滅する可能性が高く、深階に至るほどこういった搦め手を所有する魔物も増える。
よって、ヒラクにしては珍しく、非常に有意義なギフトと言える。




