サルトヒラク
「ちょっと良いかな?」
フランチェスカがヒラクに声をかけられたのは、ダンジョンに潜った次の日の放課後だった。
鎧修復の進歩が気になっていた彼女だが、今日のヒラクは遅刻寸前に教室へ入ってきたと思えば、休み時間は机に突っ伏し寝ているといった有様。
昼休みには鐘が鳴るなり教室を飛び出して行ってしまっていたので、声をかける隙がまるでなかった。
モズは文句を言いたげな様子で彼を睨んでいたが、それすらも気づかぬ様子で回復に努めていたようであった。
「あぁ、どうした?」
目に隈を作った彼をいぶかしみながら、フランチェスカはそう尋ねた。
するとヒラクは普段よりくたびれた笑顔を見せる。
「鎧。調整したから一度着けてみてほしいんだ」
そして彼はそう答え、「どうかな?」と首を傾げた。
「調整?」
「またああいうことが起きるといけないから、僕なりにちょっとね。もちろん気に入らなければ明日までに元の形に戻せるよ」
フランチェスカが同じく首を傾げると、彼ははっきりとしない言い回しでそう答えた。
しかしやはり徹夜でもしたのか、口調自体はいつもよりテンションが上がってはきはきとしている。
「ふぅむ。見てみよう」
彼の言い回しに違和感を覚えながらも、フランチェスカはそう答えた。
確かにあの鉄鎧は、娘の成長を把握し切れていない父の――今世での仮の父のおかげで、若干窮屈なものとなっている。
それを解消してもらえるというのはありがたい。
だが、あの鎧は探索者養成学校へいくと言った自分を快く送り出してくれた仮父が、餞別としてくれたものだ。
大幅な改修をされても悲しい。
「どうしたの?」
しかし、目の前の頼りなさげに見える少年は、そのようなことを勝手にするようには思えない。
それに彼ならば、形状を変えないまま鎧を大きくする魔法などを修めていても不思議ではないだろう。
「いや、何でもない。行くとしよう」
そう考え、フランチェスカはとりあえず現物を見てから判断することにした。
「わぁいぃ。じゃぁ、ふぁ、事務室に取りに行きましょう」
ヒラクの肩にとまった――というよりその上でだらりとのびているリスィが、口から魂が一緒に抜けていきそうな声を出す。
本当に大丈夫だろうか。一抹の不安を抱きながらも、フランチェスカは彼らについて行くことにしたのだった。
◇◆◇◆◇
「ほう、これは素晴らしいな!」
風呂敷包みの中身を見て、フランチェスカは感嘆の声を上げた。
場所は学園の中庭。凹型の校舎のちょうどへこみの辺りに配置されたベンチである。
彼女の背後には校舎。隣にはやけに緊張した面もちのヒラクが座っていた。
「これは、魔法でやったのか?」
おそらく彼の私物であろう、鎧を包んでいた唐草模様の風呂敷を膝に乗せたまま、フランチェスカはすぐ横のヒラクを見る。
「そ、そうだね。へこみの部分はリペアをかけただけだよ」
すると彼は、謙虚なのか更にたじろぎながらそう答えた。
それをいじましく思いながら、フランチェスカは改めて鎧に視線をやる。
四角く凹んでいた鎧は元の形に復元され、しかも前よりも白く輝いて見えた。
洗浄のサービスは事務室でも行っていたはずだが、おそらく研磨剤で磨かれているであろうこのツヤは、ヒラクが施してくれたものだろう。
「感謝する。来世で出会った暁には、君を整備長にしよう」
彼のまめな仕事に、フランチェスカは最大級の感謝の意を述べた。
「ははは……と」
するとヒラクはひきつった笑い声を出しながら、肩で熟睡してしまった妖精がずり落ちないよう膝の上に置き直す。
「ええと、手を加えたのは内側の方なんだ。ちょっと見てみて」
そうして彼は、再び緊張した顔になってフランチェスカを促した。
「内側?」
言われ、二つに合わさった胸鎧の中をのぞき込むフランチェスカだが、暗さもあってよくわからない。
「内側の、あわせ目の辺り」
するとヒラクが顔を近づけ、同じように鎧の中をのぞき込んでくる。
「あわせ目、だな……」
相手から近づかれると、何やら落ち着かない気分になる。
先ほどと距離はそう変わらないはずなのに何やら未知の感覚がし、フランチェスカはそわそわと尻を揺すった。
「これは……」
そして、そうなりながらもヒラクの言った場所を注視してみた彼女は、そこに今までは無かった物がひっついていることに気づく。
「皮の、ベルトか?」
鎧の中に手を入れ確かめるが、間違いはないようだ。
「うん。前は鎧どうしを留め金で繋げてたけど、ベルトを挟んでそこに両方の留め金を引っかければ調節しやすいんじゃないかと思って」
フランチェスカが顔を向けると、ヒラクはベンチに座り直してそう答えた。
「後は圧迫感も減るんじゃないかな? 伸縮に耐える素材を選んだし」
そうして、鎧の仕様について解説をしていく。彼の言葉ではたと気づいて、フランチェスカはヒラクに尋ねた。
「これを、わざわざ買ってくれたのか?」
「チュルローヌ先生に余り物が無いか聞いたら、ちょうど在庫があって。格安で買い取らせてもらったから値段はあんまり気にしないで。パーティーメンバーの強化は自分の強化でもあるし」
すると、ヒラクは何とか恩着せがましくならないように苦心しているのだろう。逆に何やら言い訳がましい言葉を紡ぎながら顔を逸らした。
「パーティーメンバーの強化、か」
その言葉を聞いて、フランチェスカの胸がチクリと痛む。
自分は自身の前世再現のためにスキルを取ろうとしているのだ。
パーティーの為に私財をなげうつヒラクが、まぶしくて仕方なかった。
しかし、そこでいや、と考え直す。
自分には、この道を往く理由があるのだ。例え他の人間に疎まれようとも、そこを曲げるわけにはいかない。
例えばそう、この鎧と一緒だ。
「わざわざ細工をしてもらったが……やはり元の仕様に戻してくれないだろうか」
ゆっくりと、彼の心遣いが疎ましかったわけではないと伝わるように、フランチェスカは言葉を紡いだ。
「理由を、聞いても良いかな?」
するとヒラクは動揺した素振りも見せず、むしろ彼女がそう言い出すことをあらかじめ分かっていたように――いや、実際に分かっていたのだろう、そう問いかけてきた。
「この仕様ならば、確かに胸も、その、楽だろう。だが、これでは鎧の側面に隙間が出来る」
自分の身体のことだ。前世ではここまで大きくなかったはずなのにと嘆きながらも、フランチェスカはその理由について説明を始めた。
「下に制服があるから、防御面はそう変わらないはずだよ」
口を挟むヒラクだが、その辺りは彼も考慮しているはずだ。
そしておそらく、フランチェスカがそんなことを気にしているわけではないことも。
「そこは私も心配していない。だが、これではその隙間からベルトが見える。機能性は確かにベルトの方が上だろうが……見栄えが悪い」
何やら誘導されている気がしたが、それでもフランチェスカはそう答えた。
ヒラクが改良してくれた鎧は確かに動きやすくなっているはずだ。
通気性も良く、脇が蒸れるなどということも無いだろう。
しかし、脇が蒸れたとしてもフランチェスカは側面にベルトのついたような、鎧を着るわけにはいかなかった。
見えているベルトというのは、つまり自らが楽をしている証だからだ。
体型に合わせた鎧も用意できないという証だからだ。
民草の手本となるべき自分が、そんなところを見せる訳にはいかないのだ。
「そう、だろうね」
フランチェスカの一言で、さすがに顔を暗くするヒラク。
だがしかし、彼の言葉はフランチェスカのその答えを予期していたようでもあった。
「あ、あぁ、すまない」
フランチェスカの胸に罪悪感が過ぎる。しかし、曖昧な言い方は彼を余計に傷つけるだけだろう。そう思い、彼女は自らの言を貫き通す決意を固めた。
だが――。
「でも今回の僕は、ちょっと諦めが悪いんだ」
呟き、ヒラクがフランチェスカに体を寄せた。半ば自らに言い聞かせるような思い詰めた様子と彼我の距離にフランチェスカがたじろいでいると、ヒラクが鎧をのぞき込みながら言った。
「その鎧、前後で開いて見てくれるかな?」
彼が期待しているのは、実際にベルトを見た自分が想像より見栄えが悪くないと感じて思い直すような展開だろうか。
そんな可能性はおそらく存在しない。しかし、不思議と見苦しいとも思えず、フランチェスカは鎧の側面――継ぎ目を自らの体の正面に向けてから開いた。
そして、息をのむ。
「どう、かな?」
ヒラクが顔をのぞき込んでくるが、今はそれに動揺する余裕もない。
鎧に仕込まれたベルトは、太めでツヤを抑えた赤茶けた色である。両脇に仕込まれた朱色のステッチが、地味で野暮ったい鈍色の鎧をどこか上品に見せている。
しかし、何より彼女の目を引いたのは、ベルトの長さを調節するためにつけられたバックル。そこに彫金されていた紋章であった。
鎧より少し明るめの銀色に輝くその紋章には、耳の辺りから羽が生え、一本角を携えた馬の意匠が彫り込まれている。
そして彼女は、この形を知っていた。
「これは……何故君がこの紋章を……」」
驚いてフランチェスカがヒラクに顔を向けると、彼は優しい表情で頷いた。
「さすが。知ってたみたいだね。僕の場合は、君の愛馬の話を聞いて思い出しただけだけど」
彼が言っているのは、フランチェスカが騎乗のスキルで乗る予定の愛馬について語った出来事だろう。
角の生えた天馬、アルベガス。
しかし、思い出したという言い方から察するに、かの馬を再現しようとこのデザインを構築したわけではないらしい。
既に実在するあの紋章と、偶然デザインが被ったわけではないのだ。
それを示すかのように、ヒラクはこの紋章の由来について語り出した。
「これは魔物が発生した250年前に、ギフトを持たない人たちが、それでも団結して魔物と戦う為に作った超国家連合の紋章だ。いつどんな場所でも、槍を持って羽の生えた馬の如き早さで駆けつけようって言う誓いを込めてある」
そうして、フランチェスカに合否を求めるように首を傾げる。
フランチェスカがなにも言えずにいると、彼は更に一言付け足した。
「同じ時代に常に最前線で戦ってたっていう斧槍姫も、つけていた可能性はかなり大きいと思って」
「これを、わざわざ用意するために徹夜までしたのか?」
フランチェスカが次に声を出せるようになるまでは、少々時間が要った。
彼女は、呆然としていたのだ。この男の発想、行動力。そして何より、度を超えたおせっかいさに。
「実際、ちゃんとした由来を調べたのは昨日の夜だったんだ。紋章も仮打ちだから所々精度が悪いしね」
彼が俯き、はにかんだ笑みを浮かべるのは、その内のどれを恥じているのか。
ヒラクの様子を見て、フランチェスカは大きく息を吐いた。
「なるほど。君は凄いな。ベルトという本来私の意でない物を、この拵えと紋章で納得させようとは」
その声は、自分が思ったよりも少し皮肉げな響きを含んでいた。
「あ、その、ごめん。余計なお世話だよね、こんなの……」
フランチェスカの言葉に、ヒラクがしゅんと肩を落とす。
彼の様子を見て、若干、もう少しだけ苛めたい気持ちになるフランチェスカだったが、彼女はそれを堪えて首を横に振った。
自分は騎士なのだ。彼が作ってくれた紋章を指でなぞりながら、フランチェスカは口を開く。
「想定していたのとは別の道を歩んだとしても、拘りを持ち、自分らしさを失わない方法はある。君は、この鎧にそんな想いを託したのだな」
スキルの取り方についても、同じ事だ。
おそらく彼はそう言いたいのだろうと、フランチェスカにも察しがついていた。
例え自分の本意ではないスキルを取ったとしても、それに意味を見いだし、己が使い方を工夫すれば、立派に姫騎士らしさを打ち出すことができる。
フランチェスカが体に合わない鎧を着てでも己の生き様を示そうとしたのとは逆に、彼はその鎧の改修を通して、フランチェスカにそう語りかけているのだ。
「そんな、大層なことを思って作った訳じゃ……」
フランチェスカの言葉に、ヒラクは視線を逸らしたまま恥ずかしそうに頭を掻いた。
やはりもう少し苛めてやるべきか。
そんな考えを頭によぎらせながらも、フランチェスカは彼に問いかけた。
「私が昨日、スキルを取ってしまったとは思わなかったのか?」
「じゃぁ、まだスキルは……」
それを聞いて、ヒラクが目を見開き、彼女に顔を向ける。
「あぁ、取ってない」
その表情を見て若干溜飲を下げながら、フランチェスカは頷いた。
「君には……私がスキルを取らないと分かっていたのではないのか?」
しかし、そうなると同時に疑問が沸く。
彼は、今日までにフランチェスカがスキルを取らないという根拠があって、こんな大がかりな改修をしたのではないのか。
「ううん、確証があった訳じゃないよ。ただ昨日の君は、ちょっと無理してると思ったから」
フランチェスカの問いかけに、ヒラクは首を左右に振ってからそう答えた。
「無理?」
そのようなことを、自分はしていただろうか。よしんばしていたとしても、それを、他人に悟られるようなヘマをしただろうか。
フランチェスカが尋ねると、ヒラクは小さく頷いた。
「それだけ拘りのあるスキルの取得を、賭事の対象にしたり、逆に取ることを喧伝したり……」
それから、その論拠を言い連ねる。
「う……」
よくそんな所を見ているものだ。いや、自分が分かり易過ぎるのか。
彼の指摘には確かに覚えがあり、ついでにそんな突っ張っていたところを気にかけられていた、という事も明らかになり、フランチェスカは気恥ずかしさで喉を詰まらせた。
「……そう、だな。私はまだ、迷っている」
自分の言動が原因とは言え、やはり彼には何もかもお見通しだったらしい。
それを認めると、もはや抵抗は無意味に思えた。
降参の証を吐き出して、フランチェスカは瞑目する。
「実は私は、その紋章の由来など知らなかったのだ」
そうして、彼女は懺悔するように呟いた。
「え?」
フランチェスカが打ち明けると、ヒラクが目を丸くする。
彼に話してしまおう。いや、聞いてもらうべきだ。
自分が、何故今世で斧槍姫に覚醒できたのか。
そのきっかけである。この紋章にまつわる思い出についても。
気持ちの整理をつけたフランチェスカが、ヒラクにすべてを語ろうとした、その時である。
「や、約束が違う!」
声が、響いた。
その声にヒラクとフランチェスカが同時に顔を上げる。
するとそこでは。
「うるせぇな! 前で体張ってたのは俺らだろ!」
「お前の分け前なんてそれっぽっちで充分なんだよ!」
気弱そうな少年が、二人の屈強そうな男達に凄まれていた。
「ふぇ?」
ヒラクの膝の上にいるリスィが、びくり体を震わせ起きあがる。
しかしフランチェスカとヒラクの視線は、既に騒動の方へと向けられていた。
アルベガス(仮)の紋章
本来は父から子へ継承される。もしくは敵味方の区別の為に目立つ場所へと配置される事が常の紋章だが、この対魔物超国家連合章は絶望的な戦いを強いられる人類軍の士気向上に用いられた為、場所についてはあまり制限が無かったようである。
ただしギフトも無いこの時代、国家間の通信状況は決して芳しくはなく、紋章に関しても普及率、知名度はあまり高くなかった。
それぞれの国家が掲げる旗印もあったため、敢えて目立たない場所に配置し、それを見つけた者同士が無言で互いの拳を叩き合わせるが粋とされていたという説もある。
よって正式名称も定まっておらず、本稿ではアルベガス(仮)の紋章と呼ばせていただきますあしからず。




