奥の手
アルフィナの言葉によって一旦は喧嘩をやめたモズとフランチェスカの二人だったが、その後は二人してむすっと膨れたままダンジョンを進むことになった。
そうしているとある意味仲が良さそうに見えるのだが、先程からフランチェスカは「騎乗」とぽつり呟いては、モズに睨まれるというやり取りを繰り返している。
「何とかならないものですかねぇ……」
うんざりと呟くリスィだが、二人がやっていることが子供の喧嘩レベルのせいか、あまり深刻さはない。
「まぁ、難しい話だからね」
しかし問題は根深い。と、ヒラクは考えていた。
自らの目指す姫騎士像の為、あまり有用性のないように見えるスキルを取るフランチェスカ。
それに対し、自らの研鑽の為、高い効率をひたすら目指すモズ。
どちらも、間違った生き方ではないはずだ。
それを相手に強要するのは問題だろうが、メンバー全員が各々好き勝手にギフトを取っては探索が立ちゆかなくなる。
あの二人が共に探索することになった時点で、これは避けられない問題だった。
「ええと、さっきのレイピアは僕が持ってて良いのかな?」
とは言え、このままでは雰囲気が悪い。
前方を歩く二人に対し、ヒラクはとりあえず話しかけることにした。
その腰には先ほど戦った騎士型が使用していた、華美な装飾の入ったレイピアが吊されている。
モズの全力攻撃によって破損が懸念されていたが、ヒラクが見る限りではそういうこともないようだ。
「うむ、私には扱えない武器だからな」
フランチェスカが振り向いて、ヒラクにそう応える。
細剣はもちろん斧槍のギフトでは扱えない。
さらにはモズの大剣でもアルフィナが取得した短剣でも扱えない微妙なカテゴリにある武器であった。
そう言えば同室のライオが三叉矛のギフト取得して後悔していたななどと、ぼんやり思い出すヒラク。
そんな彼を、フランチェスカと同じように振り向いたモズが胡散臭そうな目で見つめてきた。
「な、何かな?」
「まさかアンタ、それもギフト持ってるんじゃないでしょうね」
たじろぎながらヒラクが問いかけると、モズは息子を疑う母親のような口調で彼を睨む。
「いや、まさか……」
彼女はどうしてそんなにも自分を睨むのだろう。
フランチェスカでは無いが、前世に因縁でもあるのではないか。などと考えながらも、ヒラクはモズに答える。
確かに何度か都合の良い場面で都合の良いスキルを持っているところを見せたが、ヒラクとていつもその場に適したスキルを所持しているわけではない。
「ほう、貴公であれば古の悪魔との契約により全てのギフトをレベル1で持っているという事もあり得ると思っていたのだがな」
だがフランチェスカはヒラクに対し、そんな妄想をぶちまける。
一緒に笑おうとヒラクがリスィを見ると、彼女は真剣な顔で何度も頷いており、視線を移すとアルフィナも大きく縦に首を振った。
そしてモズまでもが、じっとヒラクの内情を窺おうとしているかのように見つめてくる。
「みんな、僕をなんだと思ってるのかな……」
自分はそんな特別な存在ではない。全力でそう抗議したいヒラクだったが、どうも聞いてはもらえそうにない。
そう言えば自分は、彼女たちに自らの持つギフトについて全てを公開していないのだ。
思い出したヒラクは、今ここでその内訳について話してしまおうと考えた。
勿体ぶることはない。ただちょっと時間がかかるだけで……。
だが、彼がそう考えた直後、前を歩くフランチェスカ、そして最前列のモズが動きを止めた。
「いるわ」
モズが呟き、ヒラクに視線をやる。
なるほど自分の出番らしい。
役割があることを喜ぶべきか、それともタイミングを逃したことを悲しむべきか。
嘆息しながら、ヒラクは二人を追い抜くと、夜目で前方を見た。
「うわぁ」
そして、うめき声を上げる。
「どうした、何がいた?」
フランチェスカがヒラクに身を寄せ、眉根を寄せて前方を睨むが彼女には詳細は分からないようだ。
「押さないでよ。狭いでしょ」
間に挟まれる形となったモズもヒラクに密着しながら、フランチェスカに悪態をつく。
それで喧嘩中であったことを思い出したのか。フランチェスカは暗闇を睨んでいた瞳をモズへと向けなおした。
一見すると恋の鞘当てにも見えるが、内情はそんなロマンチックなものではない。
なにやら二重の意味でへこみながら、ヒラクはその間にも詠唱を終え、前方へとライトの呪文を飛ばした。
説明するよりは、見てもらった方が早い。そう判断してのことだ。
「うへぇ」
照らされた通路の先を見、モズがヒラクより幾分か下品なうめき声を上げる。
通路の先は広間となっており、そこには背筋の曲がったヒラクの半分ほどの大きさをした魔物がいた。
その頭は、例のごとく黄金色の立方体となっている。
そして、それが七体。
「あ、あの魔物見たことがあります。一階……じゃなくて二階にいた弱い魔物ですよね」
それを見たリスィが、嬉しそうに声を上げた。
彼女は主人の背中に密着している女子二人に対抗するためか。ぶにぶにと主人の頬に自らの体を押しつけている。
「ぶ、そう思って油断する探索者が多いんだへど、あれは別の魔物だひょ」
彼女のおかげで発声を不明瞭にしながら、ヒラクはその言葉をやんわりと否定した。
よく見れば二階にいたものとは肌の色が違うのだが、そこは些細な問題である。
「そうなんですか?」
「ハイ・ゴブリン。またこのタイプね」
問いかけたリスィに顔を向けないまま、モズが大剣を背中から取り外しつつ呟く。
「シスターは超小鬼って呼ぶけど」
「超って何よ超って」
ヒラクがそれに対し、「シスター流」の名称を挙げると、モズの半眼が飛んできた。
そんな瞳をされても自分が名付けたわけではないので、ヒラクは答えに窮する。
「どこが超なんですか?」
その視線に気づかず、リスィが主人へと尋ねた。
すると、ヒラクの背後にいたフランチェスカが急に立ち上がる。
「よし、見せてやろう!」
「え!?」
言いながら、彼女はヒラク達の前へ進み出る。
「あ、オイルまくよ!」
そのまま小鬼の元へと向かおうとするフランチェスカを、ヒラクは慌てて呼び止めた。
この間やったように、突っ込んでくる魔物の足下に妨害魔法のオイルを使えば戦闘は楽になるはずだ。
「いや、あれは卑怯だから良い」
だが、そんなヒラクの提案を、フランチェスカは一蹴した。自分の持つ中で一番有用な魔法を卑怯の一言で封じられては立つ瀬がない。
顔を曇らせたヒラクに、フランチェスカがびしりと指を突きつける。
「勝負だ」
「へ?」
突然の挑戦に間の抜けた顔を晒すヒラク。
「いや、君ではない」
すると、フランチェスカは違う違うと手を振ってから、再び指を突きつけた。
よく見ると、その視線はヒラクの背後、いまだに彼にくっついて通路の先を睨んでいたモズに向けられていた。
「はぁ?」
ガラの悪い声が、ヒラクの耳元で発せられる。
「私と貴公、どちらが奴らを多く倒せるか、勝負だ」
今にもヒラクの耳にかじり付きそうなモズに対して、フランチェスカは腕を組み、そう言い放った。
びきりと、不吉な音が何処からか鳴る。
「何で私がそんなことしなきゃならないのよ」
低い声でモズが唸る。しかし彼女の血管が切れた音ではあるまい。
モズのおかげで顔を動かせないヒラクが目線だけで辺りを伺っていると、フランチェスカは顎を上げ、若干見下ろすような視線でモズに言い放った。
「私が勝てば、今後私が得るギフトについて口出ししないでもらう。しかし、貴公が勝てば、そちらの望むとおりのギフトを取ろう!」
彼女の扱う雷のような、有無を言わせないようなピシャリとした口調である。
なるほど彼女の威厳スキルはこう言うところに活かされているのか。
「あの……そういう大事なことをそんな風に決めるのは……」
納得しつつも、ヒラクはフランチェスカの宣言を聞いてさすがに口を挟んだ。
ギフトは有限である。自分が言っても説得力がないだろうとは承知していながらも、ヒラクは彼女に弱々しく抗議した。
「とはいえ、このままでは空気が悪くてしょうがないだろう」
するとフランチェスカはふんぞり返っていた姿勢を改め、少々おどけた調子で空気を悪くしている一因とは思えないようなセリフを吐く。
彼女の言うとおりではある。しかしそんな解決方法で良いものなのだろうか。
ヒラクが悩んでいると、彼に密着していたモズがヒラクを突き飛ばすようにして立ち上がった。
「面白そうじゃない! やってやるわ」
「あいたた……」
そして、彼女にそんな意志は無かったのだろうが、実際にヒラクは突き飛ばされていた。
「だ、大丈夫ですかヒラク様」
ヒラクを心配したリスィが、彼の顔をのぞき込む。
「アンタに効率的な戦いってものを教えてあげる」
「フッ、効率のみに心を奪われ、魂を忘れたその愚かさを悔やむが良い」
そんな彼らの頭上では、女子二人がお互いに火花を散らしていた。
「と言うわけで貴公は手出し無用だ。審判をつとめてくれ」
一通り火花を散らし終えたフランチェスカが、ヒラクを見下ろしそう言い放つ。
抗議しようとヒラクが見上げると、フランチェスカの健康的なふとももが目に入った。
「では行くぞ」
それに目を奪われている隙に、彼女はヒラクの目の前でターンまで決め、彼の目と思考を完全に麻痺させてから小鬼へと優雅に近づいていった。
「ちょ、ちょっと!」
「待ちなさいよ! せぇのでスタートでしょ!」
一瞬遅れて制止しようとしたヒラクだが、その声も彼を追い抜き慌ててかけだしたモズにかき消される。
「……助平機会を逸する」
「そんなことわざ無いから……」
静かに近づいてきて呟くアルフィナにつっこんで、ヒラクはとりあえず様子見に回ることにした。
◇◆◇◆◇
そうして飛び出したモズとフランチェスカ。
接近する二人に対し、小鬼達の頭――体が一斉にそちらを向く。
それと共に、その真四角の頭が、「ガシャン」という音と共に一斉に開いた。
魔物達は一糸乱れぬ動きでその中に手を入れる。
「おぉぉ……」
ヒラクの耳元にいるリスィが、怖気とも感嘆ともつかない声をあげた。
頭の中から引き抜かれた魔物達の手に、思い思いの武器が握られていたからである。
「あれが小鬼と超小鬼の一番の違い。超小鬼は武器を使うんだ」
立て膝の姿勢になったヒラクが、リスィに解説をする。
「つ、つまり2階にいた弱い魔物だーって突っ込んでいった探索者さんが、あの武器で痛い目に遭うので危険なんですね」
「そういうこと」
賢しく理解を示すリスィに、ヒラクは笑顔で頷いた。
授業などでもまだ4階の魔物については解説をしていない。
おそらくこの、悪意があるかないか判然としないトラップに引っかかる学生もいるだろう。
あるいはここでそういった手痛い経験をするのが、あの校長が意図した授業なのか。
自分に向けられた校長の笑顔を思い出し、それを契機に思考を打ち切ったヒラクは目の前の戦いに集中することにした。
前方では、モズとフランチェスカが我先にと小鬼へ向かっている。
「せぇので」
その最中、モズがそんな声を発する。
あぁ、合図でスタートだとか言っていたか。ヒラクが納得したのと、フランチェスカが歩調を緩め、モズにちらりと視線を向けたのは同時であった。
「スタート!」
そして、叫ぶと同時にモズがその長い黒髪をフランチェスカの顔面へと叩きつけたのもまた、同時であった。
「あぷっ」
間抜けな声を出し、フランチェスカの足が止まる。
「お先にいただき!」
そんな彼女を尻目に、モズが一段と加速した。
だが、フランチェスカは慌てない。
彼女は頭を軽く降ると、手甲に包まれた親指で人差し指を弾いた。
音は鳴らなかったが、その指にバチリと雷が弾ける。
そうして彼女は、前方へと指を向けると叫んだ。
「ほとばしれ雷鳴! 伝播しろ英雄の魂! チェイン・オブ・ヒーロー!」
フランチェスカの指から、急速に成長する細かい根のような雷が疾る。
「うひゃっ!」
それはモズの髪を掠め、一番前にいた小鬼へと当たると、周囲にいた小鬼へと放射状に分散した。
「今、当てようとしたでしょ!」
静電気で黒髪をくしゃくしゃにされたモズが、抗議の声をあげる。
「そのつもりなら貴公は今頃黒こげだ」
それに対し、フランチェスカはちょいちょいと魔法を放った指を動かした。
彼女の魔法が直撃した小鬼は確かに、体を炭化してぼろぼろと崩れ去っていく。
しかし他の小鬼には分散したぶんダメージが少なかったようで、雷も気にせずそのまま向かってくる。
「まず一匹! そして!」
叫び声を上げたフランチェスカは、斧槍を水平に構えるとそのままの姿勢で小鬼へと突撃する。
そしてモズを追い抜いた彼女は、勢いを緩めずに先頭を走っていた小鬼の腹を刺し貫いた。
そして穂先についたその体を、斧槍を振るって別の小鬼へと投げつける。
「ふふん」
反動でくるり回ったフランチェスカは、モズへと「どうだ」と言わんばかりの視線を送った。
「ぐっ」
モズが歯噛みする。
あまり優雅とは言えない戦法だが、だからこそ彼女を挑発する効果はあったようだ。
「うぉぉりゃああ!」
突然雄叫びを上げたモズはフランチェスカへと突進。
そして跳躍した。
「なっ!?」
まさか直接攻撃にうったえる気か。身構えようとしたフランチェスカの背中を蹴り、モズは高く舞い上がる。
天井スレスレまで飛び上がった彼女は激しく横回転。
「てりゃぁ!」
竜巻のようなモズの大剣が、ニ体の小鬼の胴をまとめて切断した。
「ふっふーん」
着地して二歩、三歩とステップを踏んだ彼女は、自分が踏み台にしたフランチェスカを見、顔にかかった髪をかきあげて見せた。
「ぐぬぬぬ」
うなり声を上げるフランチェスカ。
しかし、モズが前を向き直して次の獲物へと走り出したので、慌てて斧槍を振り上げ小鬼へと襲いかかる。
そうして、戦いは乱戦へと突入した。
「なんだか二人とも、いつもより強くないですか?」
「魔力は精神の高揚にも直結するから……かな?」
戦いと言うよりは狩りの様相を呈し始めた戦場を見、リスィがヒラクに尋ねる。
手を出す必要はやはり無いかもしれないと思いながら、ヒラクは彼女にそう解説をした。
ヒラクがこの間保健室で見知らぬ女子に解説したように、怯え、精神を消耗すれば魔力の総量も減り、高揚していれば使える魔力も増える。
戦士には肉体強化、魔法使いであれば使用する魔法のスキルレベルという調節孔が存在するが、それでも自らの内に魔力が満ちた状態の人間は、体が魔力を発散させようとするのか普段より力強く行動することができる。
競い合うことが二人の気持ちを高ぶらせ、魔力を増幅させたのか。
双方とんでもない負けず嫌いである。ヒラクは感心半分、呆れ半分にそう考えた。
さて、そうしている間にもモズ、フランチェスカ共に一匹ずつ小鬼をしとめ、残りは一匹となった。
「いただき!」
しとめたのは同時だったが、最後の一匹にはモズのほうが近い。
目を輝かせ、モズが身の丈ほどの棍棒を持った小鬼へと大剣を叩き落とす。
だが、それよりも早く小鬼が片足を上げ、横なぎに棍棒を振るう方が早かった。
「のぉ!?」
間抜けな声を上げ、モズが背後へと吹っ飛ぶ。
彼女はそのままごろごろと転がり、やがて土煙をまき散らしながら停止した。
「なんだと!?」
フランチェスカが目で彼女の軌跡を追った一瞬にも、棍棒を振るった小鬼はフランチェスカへと地を這うように迫っていた。
「はっ!?」
迎撃しようとするフランチェスカだが、彼女の繰り出した斧槍は棍棒に弾かれ腕ごと跳ね上げられてしまう。
「エンチャント武器!?」
その様を見て、ヒラクは確信の声を上げた。
モズの様子を見れば一目瞭然だったのだが、それでも信じ難かったのだ。
武器を使う魔物がエンチャント武器を引き出す可能性は、一般的に百分の一程度と言われている。
それが連続して続いたのだ。もしや、何者かの意志が介在しているのではないのか。
そんな疑問まで走馬燈のようにヒラクの頭を過ぎるが、考えている時間はない。
斧槍を跳ね上げられたフランチェスカの体ががら空きになる。
そしてその腹に、先ほどと同じスウィングをした小鬼の棍棒が迫る。
――その時である。
バチィン! と、フランチェスカの胸が弾けた。
否、正確にはフランチェスカの胸を覆っていた甲冑が、脇の辺りから二つに割れ、弾け飛んだ。
恐ろしい速度で飛来したそれが小鬼の顔を直撃し、鋳型が作られるかのよう、胸甲の裏側に真四角の型が刻まれる。
そのまま吹っ飛んだ小鬼の手から棍棒が勢いよく飛び、小鬼本体は大の字に地面へと横たわった。
その場にいた全員が一瞬硬直したが、一番早く声を上げたのはアルフィナであった。
「……チャンス」
「ふ、フランチェスカ!」
その声で我に返ったヒラクが、フランチェスカへと叫ぶ。するとそれで更に硬直から解けたフランチェスカが、あたふたと斧槍を構え直すと寝転がっている小鬼へと穂先を落とした。
その一撃で、最後の小鬼も黒い灰となり後には変形したフランチェスカの胸甲が残った。
「あいたたた……」
それから少しして、モズが腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
どうやら命に別状はないらしい。
「さっきの一撃、おっぱいがすごく揺れてましたよ」
「君はどこに注目してるの……」
おやじ臭いコメントをするリスィに、呆れた調子でヒラクがこぼす。
「……そう言いつつ、視線は胸へと注がれているのであった」
「注いでないから!」
ついでにアルフィナまで茶化すので、ヒラクは真っ赤な顔で反論した。
「それにしてもすごい威力でしたね。さっきの」
リスィはそんな二人のやりとりには触れず、というか「ご主人様も男の子なんだからそれぐらいは」とでも言いたげな優しさを醸し出しながら、フランチェスカの胸部から放たれた一撃に話題を転換した。
「……奥の手」
「いや、意図した物じゃないと思うよ……」
そんなリスィに対して抗議をしたいものの、アルフィナがまたもボケたことを言うので、ヒラクは仕方なくそちらを優先することにする。
思い返せば先程の騎士型との戦闘で、相手の細剣がフランチェスカの脇を掠めていた。
おそらくあれで、留め金の部分にダメージが入っていたのだろう。
何度か耳にしていた異音の正体もそれである。
「ふん、無駄な脂肪に救われたわね」
埃を払ったモズが、様々な意味で負け惜しみに聞こえるようなセリフを吐きながらフランチェスカに歩み寄る。
だが、勝負に勝ったはずのフランチェスカは、ぺたりと腰が抜けたかのように地面へとへたり込んだ。
「……が」
「な、何よ、どうしたのよ?」
「おっ父に作ってもらった鎧がぁ……」
そうして彼女は凹んでしまった自らの鎧を抱え、騎士の矜持も何処へやらしくしくと泣きはじめた。
「お、おっ父って……」
その幼子のような様子には、さすがのモズもそれぐらいしか言えないようだ。
「だ、大丈夫だって。事務室で鎧の修繕もしてくれるって言ってたし」
自らも大分戸惑いながら、ヒラクは広間に入ってフランチェスカを慰めた。
「あの修繕、エンチャントされた品物のみだし修繕費も高いわよ」
しかしその横から、モズがふてくされたような態度で呟く。
それが耳にはいると、フランチェスカの嘆きはより大きなものになった。
「だ、大丈夫です! 伝説の聖なる呪われた鎧なんですもんね!」
ヒラクの肩にとまったリスィが、慌ててフランチェスカを慰めようとする。
すると振り向いたフランチェスカの口が、何か言おうとしてしかし言えない――かのように何度もパクパクと開閉した。
普通、聖なる呪われた鎧とやらが、この程度でここまで変形することはあり得ない。 フランチェスカの胸にどれほど弾力があろうとも、だ。
「ええと、ほら、今は覚醒状態じゃないんだよ。ね?」
しかし、それを今の彼女の前で指摘するのは残酷である。
そう判断したヒラクは、とりあえず平素の彼女ならば使いそうな言い訳で、フランチェスカをフォローした。
すると彼女は、目に涙を浮かべながらぶんぶんと首を縦に振る。
この言い方で、とりあえずは大丈夫だったらしい。
「なるほど、エンチャントって複雑なんですねぇ」
納得してしまったらしいリスィが、感心したような声をあげる。
彼女に植え付けてしまった間違った知識を後で修正すべきか。悩みながらも、ヒラクはとりあえずその問題を脇に置いてフランチェスカを見た。
彼女は再び自らのへこんだ胸当てに視線を向け、口をうにゅうにゅと動かしている。
「ええと、僕で良かったら、直すけど……」
どうも見ていられない。考え、ヒラクはフランチェスカにそう提案することにした。
「できるのかっ!?」
するとフランチェスカが、戦闘時より早いのではないかという速度で立ち上がり、ヒラクに詰め寄ってきた。
「あぁ、うん、多分……」
その速度、そして先ほどまで泣いていたために潤んでいるフランチェスカの瞳。さらには今の機動で彼女の胸が大胆な挙動をしたことにたじろぎながら、ヒラクは曖昧に答えた。
この間、用務員のおばさんの鎌を直してやった要領で修復等をすれば元に戻せるはずだ。
むしろギフトの使い方としては、こちらの方が正しい。
「そ、そうか! ならばよろしく頼む! 手持ちは少ないが……不足分は私の体で……」
「体!?」
大胆な発言をしたフランチェスカに、モズがひきつった声を出す。
「……それ、労働って意味だよね?」
「労働だが、まずいか?」
だが、彼女の性格上そういう意味ではないはずだ。
聞いた瞬間にそう察しがついていたヒラクは、フランチェスカの口から真意をはっきりさせて、ため息を吐いた。
彼女の胸に一瞬目が行ったことで、リスィとアルフィナから冷えた目線が送られているのだ。この上妙な勘違いまでされてはたまらない。
「いや、安心した」
おそらく。多分。がっかりなどはしていない。
自らにそう言い聞かせるように考えながら、ヒラクはフランチェスカにそう答えた。
そして、ともかくフランチェスカの頼みを承諾したヒラクは、鎧の修繕を代行することとなったのだった。
報酬に関しては、保留という形で。
武器防具の修復
事務室で受け付けており、約一週間でそれらを修復してくれる。
新品同様コース、使い込まれた味コースなども選べ、修復中には武器の貸し出しも行うなどサービスも充実。
料金はエンチャントの強さに比例し、非エンチャントである装備を修復しようとした場合は大抵買い直した方が安い。
チュルローヌ教諭に修復を担当されると、時たま最先端すぎる造形になって戻ってくるという噂が、校内ではまことしやかに流れている。




