事後処理と新しい一歩
始業式の日、学園長は壇上に立って告げた。
「私は、この迷宮探索者という職業がもう一度必要になると信じている」
そう長い演説でもなかった所為もあって、ヒラクの耳にはこのフレーズがやけに印象的に聞こえた。
「もう一度必要に」と言うことは、今現在は必要でないと言っているようなものだ。
魔核から得られる宝は貴重であり、一般人が安全にギフトを取得するためには迷宮探索者の力が必要である。
だが今の時代、大抵の人間は、命の危険を冒してまでどん欲にギフトを集めない。
――そして、そもそもギフト自体が、人生を生きるのに必要なものではない。
では彼は、どんな事態が起こると想定して、そんなことを言ったのか。
それを考えている間に随分とぼんやりしていたらしい。ヒラクが気づくと始業式は終わりかけており、リスィに寝不足を心配された。
そして、その学園長が今、ヒラクの前に立っている。
アルフィナを伴ってヒラク達へと近づいてきた彼は、ふむと呟きながら、ヒラクに縛られた少女クリナハを見下ろしていた。
「ど、どうして貴方がアルフィナと!?」
ヒラクに縛られた少女、クリナハが疑問の声を上げる。
身をよじりながらなのは、自らの醜態を恥じてのことか。
その口振りから察するに、彼女もまた学園長と知り合いらしい。
何やらきな臭い感じになってきた。それを察し、ヒラクとリスィは顔を見合わせた。
「うーん、それはだね」
問いかけられた学園長と言えば、腕組みをしてアルフィナの様子を窺う。
態度は妙に軽薄。しかし組まれた腕は服の上からでも分かるほど逞しかった。
視線を向けられたアルフィナが、彼を見ずにこくんと小さく頷く。
「アルフィナくんを学園に招いたのは、私だからだ」
そうして、学園長はクリナハの疑問にそう答えた。
それを聞き、クリナハの目が見開かれる。
「それは、路頭に迷っていた彼女にこの学園を紹介したという事ですか?」
彼の言葉に、言いようのない違和感、もしくは嫌な予感が走り、ヒラクは恐る恐る彼に問うた。
そうしながらも、おそらく自らの言葉は間違っているだろうと、頭のどこかで気づいている。
「いや、私が彼女を部族から引き抜いたのだ。彼女の父上とも話し合った末にね」
そして、彼の答えはヒラクの想像より少々悪いものであった。
いや、これが本当に悪いものかは詳しく聞いてみないと判断はつかない。
つかない、はずだ。
「話し、合い?」
学園長の言葉に、クリナハの体がぶるぶると震え出す。
どうやら彼女にも、話の顛末が見えてきてしまった……いや、見えてきたらしい。
クリナハの反応に、学園長がさすがに表情を引き締める。
「優秀な探索者をこちらで預かりたいという話を、彼にさせてもらった。多少の謝礼と引き替えにね」
「人身売買ってことですか?」
学園長の話を聞き、ヒラクの横を飛ぶリスィが無邪気とも言える表情で問いかける。
ヒラクの所有物を自称する彼女にとっては、その行為に対する抵抗が薄いのだろう。
「いや、リスィさすがにそれは……」
そう判断しながら、ヒラクはリスィをやんわりと制止する。
ヒラクが彼女を強くたしなめなかったのは、彼もまた同じような印象を持ったからだ。
「多少聞こえは悪いが、おおむねその通りだ」
そして自分の行為が他人にどう見えるのかは察しているのだろう。
皮肉げな表情を浮かべ、学園長は彼女の言葉を肯定した。
「その謝礼を、族長であるアルフィナくんの父君は、部族が解散した後それぞれの人間が当面暮らす為の資金として配ると言っていた」
ヒラクがクリナハを見ると、彼女は思い当たることがあるのか視線を床へと落とした。
「じゃぁ、アルフィナがいなくなったから部族が滅んだんじゃなくて……」
そんな彼女に対し、この結論はかなり残酷なものかもしれない。
思いながらも、今のクリナハではまともに受け答えが出来まいと判断し、ヒラクはその役目を引き受けようとした。
「むしろ彼女のおかげで、解散もある程度穏便に行われたと言って良いだろう」
だが、学園長はヒラクの言葉を継いで更にはっきりと、事実をつきつける。
クリナハが部族の恩人であるところのアルフィナを、勘違いで逆恨みしていたという事実を。
そんな彼女に対し、弁明も聞かずに切りつけたという事実を。
「その後、部族が解散したという話を聞きつけて、クリナハくんを我が学園に招いた。まさかこうなるとは思わなかったが」
「アルフィナ……私」
クリナハが、学園長の隣にいるアルフィナに言葉を投げかけようとし、また俯く。
おそらくなんと言って良いか分からないのだろう。
助け船を出すべきか迷ったヒラクだったが、それよりも先にアルフィナが一歩前へと進み出た。
そうして彼女は、クリナハの前で膝をつく。
「大丈夫。私も……私から事情を話せば良かった」
そうして、彼女は首をゆっくりと横に振った。
クリナハをおもんばかって説明を出来なかったことに、彼女なりの後悔があったらしい。
そう、今のヒラクにも察することが出来た。
そして、もう拘束はいらないだろうと、彼女を縛っていた縄を解く。
「……とりあえず、保健室に行こ。そこで、話をしよう」
言って、アルフィナはクリナハに手を差し伸べた。
「うん……」
幼い子供のような返事をし、クリナハは彼女の手を取る。
そうして立ち上がったクリナハは、アルフィナに支えられ、おぼつかない足取りで保健室へと歩いていった。
途中でちらりとギロリの中間のような目でクリナハはヒラクへと振り返ったが、頭が若干上下しただけで何も言わない。
ヒラクはそれをどう受け取って良いか分からないまま、ぼんやり彼女たちを見送った。
「あの、ヒラク様はついて行かなくていいんですか?」
リスィはそんな彼の肩へ乗ると、不思議そうに問いかけた。
「後は二人の問題……じゃないかな? これ以上は本当におせっかいだよ」
それに対し、ヒラクは首を横に振りながら答える。
ついていっても自分に出来ることはあるまい。何故かそれを寂しく思う気持ちを、振り払いたい気持ちもあった。
「さてと、じゃぁどうしようか?」
気持ちの切り替えを終えたヒラクは、リスィと自分の両方へと問いかけた。
リスィに割り算を教えるという約束はあったが、あまりに色々な事があって一旦落ち着きたい気持ちもある。
それに……。
ちらりと、学園長を盗み見るヒラク。
すると、彼とばっちり視線があった。
「ふむ、ではヒラクくん。私と話をしないかね?」
学園長が歯を見せて笑う。それに対して愛想笑いで応えたヒラクだったが、結局は彼の提案を飲むことにした。
「ここが学園長室兼応接間だ。チュルローヌ君は良い仕事をしてくれてね。机などは中古品だが、壁には防音の付与がしてあって仕事がし易い」
重い両開きの扉を開けた学園長が、一息にそう語る。
防音が必要なのは外からの騒音を遮るためか、それともこの部屋で行われる密談が漏れないようにか。
自分たちがするのは、そういった外には聞かれたくない話なのか。
考え、体が固くなるのを感じながらヒラクは学園長の後に続いた。
室内は床に赤いカーペットが敷かれ、黒檀の大きな机が窓際に。
そして部屋の中央にはソファーが向かい合うように二つ。
その中央にも少々背の低い机が置いてあった。
「座っていたまえ。茶菓子はないが紅茶を淹れよう」
学園長はそう口にし、黒檀の机からティーポットを持ち上げる。
後に続いたヒラクはソファーに座ると、彼が棚から取り出した紅茶を注ぐのを緊張した面もちで眺めた。
学園の長にお茶汲みなどさせても良いものか。とも思ったが、彼自身に紅茶へ思い入れがあるようでその注ぎ方は堂に入っている。
「このポッドもチュルローヌ君に作ってもらったものだ。彼女は専門外だと愚痴を言っていたがね」
言いながら、学園長はテーブルの上にカップを置く。
ポットには保温の付与がかかっているのか、置かれた紅茶からは心を落ち着かせるような香りと共に湯気が立ち上っていた。
「妖精用のカップを失念していたな。今度頼んでみよう」
「あ、いえ、お構いなく」
ポットを置き、ヒラクの対面に座った学園長がヒラクの肩に両膝を揃えて座っているリスィにそう言うと、彼女は緊張した声音で応えた。
それに対し学園長はふむと呟き、カップを持ち上げて紅茶の匂いを楽しむような仕草を見せる。
そしてそれを再び置き、未だにカップへ手をつけていないヒラクに視線を向けた。
「何か、聞きたいことがありそうだね?」
ヒラクとて今までぼんやりとしていたわけではないが、どこかはっとさせる声音である。
促され、ヒラクはおそるおそる彼に問いかけた。
「ええと、何故アルフィナは学園長を連れてきたんですか?」
「独力でどうにもならない事態が起こったときは私を頼るよう、彼女には言っておいたからだ」
しかし、そうなるとクリナハの罪はどうなるのだろうか?
「クリナハくんへの沙汰はおって本人へ伝えるが、当人たちも和解しているのでそれほど重い罪には問わないつもりだ」
紅茶に口を付けながらヒラクが学園長の表情を盗み見ると、彼はヒラクの思考を読んだかのようにそう答える。
読心術のギフトでも持っているのか。冗談混じりにそんなことを考えつつも、ヒラクはとりあえずクリナハの処分を聞いて胸をなで下ろした。
凶器を向けられた相手だが、自分が反撃にした仕打ちと真実を告げられたときのあの表情のせいで彼女を恨む気は無くなっている。
「クリナハさんにアルフィナの事を話さなかったのは、何故ですか?」
そうして、クリナハのことで思いだし……た体で彼女について質問をする。
「アルフィナくん自身がそれを望まなかったからだ。生徒の意志を、私は尊重する」
すると学園長は、紅茶を口に運びながらそう答えた。
確かに彼は、入学式の挨拶でも似たような事を言っていた気がする。
「……学園長はこうなることを、予測していたんではないんですか?」
だがしかし、それが生徒の生死に関わる問題だと分かっていて、彼は事態を放置していたのではないか。
ヒラクが一番尋ねたかったのは、この事についてだった。
別々に引き取ったとは言え、クリナハのアルフィナへの執着は容易に知れたはずだ。
学園長は彼女たちに確執があることは気づいていて、それを放っておいたのではないかと、ヒラクは考えていた。
「うむ。思っていたより行動は早かったが、概ね予想通りだった」
そして、学園長はそれを肯定する。
彼の口には、満足げな笑みさえ浮かんでいた。
「ひ、ヒラク様どうしましょう。悪の親分さんがいます」
それを見て、リスィが慌てた様子でヒラクに耳打ちをした。
しかし驚きのためか、おそらく学園長にも届くような音量となっている。
ヒラクがそれを察せられたのは、学園長の笑みがより深くなったからだった。
「あぁ、そういえばアルフィナくんが切りつけられた件は、きちんとダスティ君が報告してくれたよ。彼の名誉のために言っておく。彼にご苦労と言って後の事を請け負い、なおかつそのまま放置したのは私だ」
「な、何故そんなことをするんですか!?」
彼の言葉に、ヒラクは思わず机を叩いて腰を浮かせてしまった。
ダスティがそこまで生徒に無関心ではなかった。という事に関しては心の中で謝罪するとして、そうなると今度はこの学園長の行動に疑問が出てくる。
自分がわざわざスカウトしてきた生徒に危険が迫っているのにそれを放置するなど、もはや悪意があるとしかヒラクには思えなかった。
「それはだね……彼からの報告で君もまた保健室にいると聞いたからだよ」
だが、そんなヒラクをなだめるように、まっすぐに、濁りのない目で学園長はヒラクを見る。
「僕……ですか?」
急に自身のことを話題に挙げられ、ヒラクはきょとんとした顔で彼を見返した。
何故自分がそこに関係するのか。まったく理解が及ばない。
「そうとも。君ならば私が介入するより素晴らしい結果を出してくれると考えた。事実、その通りだっただろう?」
すると学園長は、そんな彼に対して一切の後ろめたさも無い。朗らかな笑みを向けた。
「あ、あれは、たまたまうまく行っただけです。もう一回出来るとは思いません……!」
それを見ると、なんだか自分こそが後ろめたいことをしたような気分になってくる。
彼の笑顔に対し、ヒラクは顔を逸らしそうになるのを我慢しながら抗議した。
そんなヒラクの様子を見て、リスィは悲しそうな表情に、そして、二人を見た学園長は「ふむ」と漏らして紅茶に口を付ける。
そうしてカップを置いた彼は、瞑目して呟いた。
「そんなに謙遜する事はないだろう。シャドウサーバントともあろう人間が」
その言葉を聞いた途端、ヒラクの体が彼の肩にいるリスィには感じ取れる程度に、ぴくり、と動いた。
「シャドウ……それって」
主人の過去に触れる話だ。
瞬時にそう思いついたリスィは、校長に尋ねてしまっていた。
「……やめてください。その名前は」
だが、ヒラクにとってその名前は愉快なものではないようだ。
声こそ荒げなかったが、リスィの声を遮るように放たれた低く抑えたその口調は、彼の静かな怒りを感じさせる。
それを聞いて、リスィは縮みあがった。
「ご、ごめんなさいご主人様」
きっとそれは、触れてはいけない傷だったのだ。
思い直し、軽率に彼の過去を探ろうとしたことを謝るリスィ。
「あ、いや、別にリスィに怒った訳じゃないからね。あとそこで呼び方変えられると、なんだか僕が人の居ないところではそういう呼び方させてるように思われるからやめて」
彼女の言葉ではっと我に返った様子のヒラクが、慌てて彼女に弁明する。というより後半は学園長への弁明になっていた。
それに気づいて、彼はコホンとごまかしの咳をすると、改めて学園長に言った。
「とにかく、これからは生徒を危険に……ダンジョン以外で無駄に危険に晒すのはやめてください」
自分がどれだけ評価されていようが、あの状況ではもっと酷いことが起こっても不思議ではなかった。
ダンジョンで死ぬのなら……この学校に来た時点である程度は覚悟をしているだろう。
だが、それとは関係ないところで命を脅かされるような事がこれからも続くのなら、たまったものではない。
少なくとも自分は、だ。
「無駄に、か」
だがそんな気持ちを込めたヒラクの言葉に対して、学園長はふっと息を吐いた。
なんだか主人が馬鹿にされた気がする。そう感じたリスィが彼をにらむが、彼は素知らぬ顔でヒラクへと問いかけた。
「……君は、神を信じているかね?」
「は?」
その唐突な質問に、ヒラクは再び目を丸くする。
先ほどまで学園の話をしていたのに、どうして神などという話題になるのか。
「お母さまですか? 私もこうして居ますし、ギフトもくれるんだからいるでしょう」
そんなヒラクの代わりに、彼よりも感情の切り替えが早いリスィがそう答えた。
確かにそうだ。彼女を肩に乗せながらヒラクは頷く。
本人が自ら名乗ったわけではないが、ギフトという能力は確かに存在し、リスィ達妖精は神の遣いとしてこの世界にいる。
となれば、ヒラクにとって神の存在は疑う必要もないと思われるのだが……。
「いや、あれが信用に値する神だと思うかどうか。それが聞きたいのだよ」
学園長の問いは、そういう意味ではなかったらしい。
しかしそれでも、やはり彼が問うていることは不明瞭だ。
「信用に値するって、どういう事ですか?」
ヒラクとしては、問い返すしかない。
すると学園長はふっと息を吐く。
それは幼子に人生を語ってしまったかのような、自嘲の笑みにも見えた。
この話は君には早かったか。彼のそんな態度に若干沸点が上がっているヒラクがむっとすると、彼は歌い上げるようにこう言った。
「私は備えている。迷宮の新しい動きに。そして、神の試練に」
そのセリフがまた、ヒラクの気勢を削ぐ。何を言っているのかは分からない。しかし、何か大きな事が起こっているのだと錯覚させられる、詐欺師の常套句のようなセリフだ。
しかし彼の放つ重苦しい雰囲気が、そのような軽口を言わせることを憚らせる。
「その時に必要なのが、君や、アルフィナくんのような人間だ」
おまけに、自分たちをその話に巻き込まれれば尚更であった。
ヒラクの答えを待つように、学園長はじっと彼を見る。
彼の言葉について、しばらくじっと考えていたヒラクだったが、結局は耐えきれず息を吐く羽目になった。
「……よく、分かりません」
そうして、降参宣言をする。
リスィもよく分からず学園長とヒラクの両名を見比べているようなので、自分だけが悪いわけではあるまい。
そうやってヒラクが自分自身を慰めていると、学園長は「とはいえ」と話を切り替えた。
「我が学園は問題解決を生徒の自主性に任せている。しかし今回は私が蒔いた種だ。やり過ぎたと反省している。今後このような事が無いよう、全力を尽くそう」
そう言って、彼はヒラクに深く頭を下げた。
ヒラクにとっては何が「とはいえ」なのかも分からないが、とにかく改善の意志があるようだ。
「すまなかった。君はこれからも、思うままの学園生活を満喫してくれ」
そう言われては、ヒラクも引き下がるしかない。
後半のセリフに、何か不穏な気配を感じたとしても、だ。
結局はその言葉に締めくくられ、ヒラク達は学園長室から退出することになった。
「何だか誤魔化されたような気がします」リスィはそう漏らしたが、ヒラクも同じような気分だった。
次の日である。
朝一からのダンジョン探索授業へと、いつものパーティーを組み出かけたヒラク。
しかし前方でフランチェスカとモズが戦闘しているのにも関わらず、彼は後方で支援に徹していた。
「はぁ……」
「元気を出してくださいヒラク様」
「あ、うん」
モズの背に、幅跳びが30センチほど伸びるという地味な支援魔法をかけているヒラクを、リスィが慰める。
モズ達が現在戦っているのはヒラク流に言うと牛型という魔物で、四足歩行の動物である牛の頭をそのまま黄金の立方体――魔核に置き換えた魔物だ。
力は強いが見た目通り角もなく、やっかいな感知も持っていないので大した驚異ではない。
しかし、前回モズをオイルまみれにした失態、そして今日はぼんやりとしていた所為でモズにどやされ、前々回にダンジョンへ入ったときと同じく、ヒラクは後方へと追いやられてしまっていた。
ヒラクがぼんやりしていた理由、そして今も冴えない顔をしているのは、昨日学園長に向けられたセリフが原因である。
思うがまま。神を信じるか。シャドウ……なんとか。
それらがまとまりの無いまま頭の中に散らばり、彼が集中しようとする度に脳を突っつくのだ。
……この程度で集中を欠くような人間に、学園長は本当に期待して良いものなのだろうか。ヒラクは自嘲をして唇を歪めた。
「……ヒラク」
またも彼が思考に埋没しそうになったとき、ぼそりと新雪を踏むような声音でヒラクの名が呼ばれた。
「へ?」
不意にかけられた声に、自らの名前を呼ばれたというのに間抜けな顔を晒してしまうヒラク。
それを見て、声をかけた張本人――アルフィナが小首を傾げた。
「あ、あぁごめん。君に名前を呼ばれたのは初めて、だったから」
小動物のような仕草をとる彼女に、ヒラクは慌てて弁解をする。
するとアルフィナは俯いて何かを考え込むような仕草を見せた後。
「……にぃにぃの方が良い?」
などと中々にとんちきな事を言いだした。
「どういう思考回路を経てその結論にたどり着いたのかは分からないけど、ヒラクで良いよ」
普通は君づけだの、名字だのだろう。
思いながら、ヒラクは彼女に答える。
リスィが自分とのポジション被りを心配しているような表情をしているので、彼女の頭をタップして諫めておくことも忘れない。
「で、どうしたの?」
話題を切り替えるのに結構な労力を消費したが、ともかくヒラクはそれをやり遂げてアルフィナに尋ねた。
「……クリナハの事。あれから話し合って、少し落ち着いた」
すると彼女は、目を逸らしながらも、普段より少し暖かい口調でそう呟いた。
彼女の言いようが慎重なのは、一言で和解できるほど単純な関係ではないからだろう。
アルフィナのミスでクリナハの両親が死んでしまったことは事実であり、クリナハがアルフィナを傷つけたことも事実なのだ。
しかしそのわだかまりや確執も、時間をかけて話し合えばきっと解決していくはずだ。
ヒラクには、そう思えた。
「クリナハは罰として、しばらく先生達の手伝い。だけどヒラクにかけられた魔法も無事治療できた」
そうして頬を緩めるヒラクに気づいているのかいないのか、アルフィナは更にクリナハの進退についても説明をする。
「あぁ、その節はごめん」
さすがにやり過ぎたかもしれない。そう思ってヒラクはアルフィナに謝った。
学園長は言葉通り、クリナハを重い罪に問うつもりは無いようだ。
もちろん刃物沙汰ということを考えると軽すぎる罰に見えるが、クリナハ以外で事件を知る人物達は納得しているので問題は無いだろう。
ヒラクの謝罪に対し、アルフィナは首を横に振る。
しかし、そうしてからぼそりと言葉を足した。
「でも、なるべくだけど」
「え、うん」
顔を伏せた彼女をいぶかしみ、その顔を覗き込もうとするヒラク。
「責任は取ってあげてほしい」
「は?」
それに対してアルフィナが顔を上げると、二人の距離は非常に近しいものになっていた。
その距離とアルフィナの言葉がヒラクの目を丸くし、更には頭の中をまっさらに漂白する。
「な、なにをしたんですかヒラク様!?」
リスィが混乱した様子でヒラクを問いつめるが、彼にもさっぱり覚えがない。
魅了の魔法は解けたはずだ。
後遺症のある類の魔法をかけた覚えもない。
責任って何? にぃにぃってそういうこと? 何がそういうことなのか思いついたヒラクにも分からない。
一体何が起こったのかとヒラクがアルフィナに問いかけようとすると――。
「二人とも! 気をつけろ!」
迷宮の奥、前線から声が飛ぶ。
ヒラクがそちらを見ると、斧槍を振ったフランチェスカが、こちらへ向かって叫んでいた。
そしてその前――つまりはヒラク達の方へと、牛型の魔物が一匹、モズとフランチェスカの間を抜けて駆けてきている。
「なっ」
こちらを探知したわけではないはずだ。
しかしデタラメであれあの巨体に体当たりされてはたまらない。
とにかく迎撃しなくては。
腰を浮かしかけたヒラクより先に、アルフィナが音もなく立ち上がる。
そうして彼女はヒラクの鼻先でスカートを翻しながら、魔物の元へと向かっていってしまう。
「ひ、ヒラク様。見惚れてる場合ではないですよ!」
「いや、べ、別に見惚れてた訳じゃないよ!」
ただ彼女の足取りには確固たる意志があるように見え、止めるのが躊躇われたのだ。
けしてその意外と短いスカート丈と褐色肌のコントラストに目を奪われていたわけではない。
目を奪われたとすれば、それは彼女のふとももにマウントされたナイフの鞘に、だ。
「ちょっと、何やってんのよ!」
モズが叫び、アルフィナと魔物の邂逅を阻止しようとするが間に合わない。
正しく猛牛のごとくその頭を突きだし迫ってくる魔物に対し、アルフィナはスカートを翻してホルスターからナイフを抜く。
ヒラクがスカートの中身に目を奪われている内に手の中のナイフは半回転。掲げられた彼女の手には、逆手に持たれたナイフが握られていた。
「あれは!?」
それはヒラクにも見覚えのある、クリナハのナイフであった。
アルフィナはそれをすっと、つっこんできた魔物の頭――魔核へと力まずに落とす。
パキン。と何かが割れる音。ヒラクは最初、それがナイフの欠ける音だと思った。しかしそうではない。
軽く振ったはずのアルフィナのナイフは、深々と魔物の魔核へと刺さっていた。
その一撃を受け、魔物の体が一瞬で炭化し、自らの突進で起こした風でざぁっと散る。
その灰を浴びたアルフィナは軽く制服の炭を払うと、銀の髪をさっとかきあげた。
「な、なんですか今の」
あまりに鮮やかな彼女の手腕に、リスィは唖然となりながらヒラクを見る。
「パズラーのスキルで魔核の構造を把握して、その壊れやすい箇所にナイフを突き立てたんだ……」
唖然となっているのはヒラクも同じである。
そうなりながらも、彼はリスィに解説した。
「おぉ、パズラーってそんなこともできるんですね」
「いや、言うのは単純だけど、力の入れ具合とか、角度とか、どれかが少しでも間違っていたらできないことだし、それを狙って実践できるパズラーなんて聞いたことがないよ」
無邪気に感心するリスィだが、自身もパズラーを持っているヒラクとしては信じられない光景だ。
魔核は開け方を知らなければ非常に頑強な物体である。彼では何度やってもあぁはできないだろう。
おそらくパズラーとして幼い頃から生きてきた彼女の経験を上乗せしてこそ、成し遂げた業であった。
「……上手く出来て、自分でも驚いてる」
と、頭の中で驚嘆していたというのに、それを為したアルフィナがそんなことを言い出す。
「あ、あんなに自信満々だったのに!?」
そのせいでヒラクは裏がえった声を上げてしまった。
「それに、弱点もある」
「弱点ですか?」
リスィが尋ねると、アルフィナは短剣を掲げて見せた。
そこに深々と刺さっている魔核が、先ほどの魔物の体のように炭化し崩れていく。
「色んな意味で最終手段だね……」
どうやら確実ではないようだし、肉体強化の低いアルフィナを前線に出すのは危険だ。
更にはせっかく倒せても報酬がパァとなれば、モズが黙ってはいまい。
そう考えながらヒラクがアルフィナの後ろを見ると、件のモズ、そしてフランチェスカが小走りで駆けてくるところだった。
「ていうかナイフなんて何時の間に使えるようになったのよ!?」
崩れ去った魔核を見、アルフィナに自分が倒した魔物の魔核を渡すことを躊躇しながら、モズが尋ねる。
「昨日、ナイフのギフトを1取ったから」
するとアルフィナは、それに対して当たり前の事を言うような口調で答えた。
なるほど確かに魔核の脆い場所を見つけても、そこを突けなければ意味がない業だ。
そう言えばアルフィナの短剣使いは堂に入ったものだった。
彼女は、自らの意志で自らが得るスキルを決めたのだ。
「はぁ? なんで急に……」
もちろん事情を知らないモズには、不可思議でしかないだろう。
首を傾げる彼女から視線をはずしたアルフィナは、ヒラクの方を見て呟く。
「やれること、やりたくなったから」
彼女が笑った、ように見えたのはヒラクの気のせいだろうか。
「むっ」
アルフィナの視線を追うモズが、その矛先に気づいて彼を睨んだ。
内容はおそらく、「お前のお節介か」である。
「はは……」
まぁ確かに、原因がヒラクにもあることは間違いない。
モズから益々の不興を買ったり学園長の不穏さを知ってしまったりということはあったが、それでもお節介をして良かった。
そう思い、ヒラクはいつもの苦笑いを浮かべたのであった。
魔核破壊
魔核を破壊された魔物は存在できない、開錠に失敗した魔核は破壊される等の法則を利用して、わざと魔核の開錠に失敗し魔物ごと破壊するアルフィナの編み出した妙技である。
ただし成功率は低く、成功した場合でも魔核は崩れ宝物庫へ繋がらなくなってしまうので注意が必要。




