効率厨となりきりと招き猫と地雷と
イルセリアの西部に位置する、アールズ地方。
その更に西端に、アールズ探索者養成学園は存在する。
そこは探索者となる若者を育成するために作られた、新設の教育施設である。
入学式となる今日。式を終えた96名の入学者達は、24人ずつの4クラスに分けられ、それぞれの教室に集められた。
そして、そこで彼らは簡単な、命の危険がある迷宮に入るにしては非常に簡単な説明を受けた。
その後に昼休憩を挟み、ついにその迷宮に潜るパーティーを作る時間となったのだが……。
「あの、ヒラク様。元気を出してください」
成人男性の手と同じぐらいの大きさ。
人間をそのまま小さくしたような生き物が、机の上からそこに座る人物を見上げている。
きのこの傘のような弾力性のある帽子。
それに裾の丸まった服を着ているため、くらげの化身のようにも見える。 が、そうではなく妖精と呼ばれる存在である。
「ありがとうリスィ。うん、いや、慣れてるから大丈夫だけどね……」
彼女の言葉に対し、机の端に彫ってある『アボ』という落書き――恐らくアホと彫られた後に濁点を足されたのであろう落書きを指でなぞりながら、少年は自嘲気味に笑った。
こちらは黒髪と少々小柄な体格以外、取り立てて特徴のない少年である。
名をヒラク=ロッテンブリングという。
周囲には既にパーティーを組んだ少年少女たちが集っている。
彼らは期待半分不安半分といった按配で、これから潜るダンジョンについて相談を交わしていた。
――そしてそんな中、ヒラクは盛大に余っていた。
「出だしは最高だったんですけどねぇ」
どこか浮かれた雰囲気を出している周囲の人間を眩しそうに眺めながら、妖精――リスィが呟く。
「君の集客効果は凄かったんだけどね。本当に」
それに応えて、ヒラクはため息を吐いた。
妖精というのは、神が人間に与えた高レベルのアイテム、神器である。
それを持つヒラクに注目が集まるのは当然であった。
しかしそんな彼らも、本体であるヒラクの話を聞いた途端、一様に顔を引きつらせる。
そうして、ほとんど同じタイミングで、なんだかんだと理由をつけて去っていってしまったのだ。
その原因は……ヒラクが話した自身の能力である。
「皆さん薄情ですよ! はくじょーもっもが!」
「まぁまぁ。冷静な判断力は探索者に必須だから」
生徒達、もしくは世の中という理不尽へ叫ぼうとしたリスィの口を、ヒラクは人差し指で塞ぐ。
そしてそのまま机の上に肘を乗せ、ため息を吐いた。
「まぁ、分かってた事だし。しょうがないよ」
「だ、大丈夫ですよヒラク様。今はみんな4人組ですけど、きっと5人組を組んでくれる人がいますよ」
ヒラクのため息でめくれかけたスカートを抑えるリスィ。
彼女はヒラクの鼻と向き合って慰めの言葉を紡ぐ。
しかしそんな彼女の言葉も太ももも、ヒラクを慰めることは無い。
彼は首を左右に振って、彼女の言葉を否定した。
「ダメだよ。一緒に迷宮に入るメンバーは4人って決まってるんだ。さっき説明されたでしょ」
「どうして四人なんですか? やっぱり迷宮が狭いから……」
その事実を若干不満に思いながら、リスィはヒラクに尋ねる。
「それもある。だけど、五人以上で潜ると、ギフトをもらえるまでに倒さなきゃいけない魔物が倍ぐらいに増えるんだ。それが一番の理由だね」
「お母様はなんでそんな意地悪をするんでしょう?
神から遣わされたリスィは、神をお母様と呼ぶ。
疑問の声を上げる神の子に、ヒラクはもう一度首を横に振った。
そもそも人間にそんな力を与えられるなら、魔王など自らの力で倒せば良いのだ。
魔王がいなくなった今でさえ、このギフトという力が残っている事も不合理である。
「僕にも分からないよ。まぁギフトが無ければ魔王だって倒せなかったし、こうやって僕達が暮らしてもいられなかっただろうしね」
結局その辺りの疑問には匙を投げ、ヒラクはそうまとめた。
まぁ自分は、そのギフトのおかげでこんな切ない目に遭っているわけで。
唇が自嘲で歪むのは抑え切れなかった。
「元気を出してください。これだけいれば一人ぐらい余ることがありますよ」
彼の心中を推し量れた訳ではなかったが、ヒラクの顔が曇ったのを見、リスィは彼を励ます。
「あっ!」
その言葉に、ヒラクははっとなった。机を叩いて立ち上がる。
「ど、どうしました?」
「24人いて4人ずつパーティーを組むのに、なんで一人余るの!?」
そんな事にもまるで気づかなかった自らへのツッコミであったが、思わずリスィに向かってそう言ってしまうヒラク。
「えーと、そういうこともあるんじゃないんですか……?」
すると彼女はキョトンとした表情で、小首を傾げた。
「……今度ヒマを見て、割り算教えてあげるからね」
まだ足し算引き算しか教えていなかったなと思い出しつつ、ヒラクはその講釈は後回しすることにした。
机に手をついた姿勢のまま、教室を見回す。
もしかしたらまだ教室に自分と同じ境遇の人間がいるのでは。
そんな期待を抱きつつ、彼が視線を巡らせていると――。
一人、少女を見つけた。
長い黒髪が、陽を受けて艶やかに光っている。
ぼんやりと光る顔の輪郭は儚げで、今にも消えてしまうそうだ。
だがそんな可憐な印象を、ふてぶてしく頬杖をついたポーズと宙をきつく睨む目が裏切っている。
彼女はまるで親の敵、もしくは自分に一生消えない心の傷をつけた人物を見るような目線で上をじっと見ている。
何かあるのかとヒラクもそちらに視線を向けたが、別段何がある訳でもない。
他の生徒達が立ち上がり、集まっている中、彼女は窓際の席で先ほどまでのヒラクと同じく座ったままである。
とりあえず、少女もヒラクと同じあぶれ者に間違いが無さそうだった。
「リスィ、行こう」
「は、はい」
ヒラクが呼びかけると、リスィはふわりと浮き上がった。
そうして、宙を泳ぐようにしてヒラクの肩の辺りで止まる。
それを確認してから、ヒラクは窓際の少女の下へと向かった。
「あ、あの……」
そうして、恐る恐る声をかける。
少女は誰も寄せ付けないような刺々しい空気を纏っており、その範囲内で声を出す事はヒラクに多大な労力を支払わせた。
だが、そうやって声をかけたものの少女は微動だにしない。
それどころか、視線さえ向けない。
聞こえなかったのか。ヒラクがもう一度声をかけようと口を開きかけた時――。
「あの、お腹が痛いんですか?」
ヒラクの耳元にいるリスィが、いきなり少女にそう尋ねた。
その言葉が気に障ったのか。ギロリ。少女がヒラク達を睨む。
というよりリスィに目もくれず、その主人である自分だけを睨んでいるように、ヒラクには思えた。
顔立ちは美しい。輪郭だけを見ると儚げな印象で、深窓の令嬢と言っても通用しそうだ。
しそうなのだが、視線はヒラクの頭を貫通するような鋭さであり、ヒラクはすっかり威圧されてしまった。
「……何よ?」
機嫌が悪いからなのか、少女が棘のある声で尋ねてくる。
「ええと……」
しかし、反応してもらったのは良いが、彼女にどう確認を取ったものか。
今更ながらヒラクは逡巡した。
まさか、「君もあぶれたの?」と聞く訳にはいくまい。
なとどヒラクが悩んでいると――。
「あなたもあぶれたんですか?」
「リ、リスィ!?」
肩の上のリスィが、またもヒラクより先に口を開いた。
この妖精さんは、自分の思った事を代弁してくれ過ぎる。
しかし自重したこの意思は汲んでくれないのだ。
聞きあぐねたていたことを肩で舞う妖精にあっさり尋ねられ、ヒラクはひっくり返った声を出した。
「い、いや、あぶれたって言うか、出遅れたって言うかさ!」
しかし彼女を叱るにはもう遅い。
ヒラクはとにかく少女に弁明する事にする。
だが――。
「アタシは、あぶれた訳でも出遅れた訳でもない……!」
ヒラクの言葉を受けた少女が、だんと机を叩いて立ち上がった。
どうやらヒラクは彼女の怒りを更に煽ってしまったようである。
「周りの連中のレベルが低いから、アタシから断ってやったのよ!」
ついに彼女は、周囲の人間にも充分聞こえる音量でそう叫んだ。
周囲の生徒達の目が、いっせいにヒラク達の方を向く。
しかし、音の発生源が彼女だと分かると、ヒソヒソと囁きあった後自分達の相談に戻った。
「なるほど、見守られてるんですね?」
完全に彼女への対応が決まっている様を見て、リスィが納得したかのように手を合わせる。
「バカにしてんの!?」
「まぁまぁまぁ」
少女が頬を更に赤く染め上げ、ついにリスィをまっすぐ睨み始める。
ヒラクは慌てて彼女をなだめた。
すると彼女の怒りの視線が再びヒラクに向く。
「レベルって、例のスキルレベルというやつですか?」
ヒラクがそれに怯むと同時に、リスィが尋ねた。
「そーよ。……アンタ、妖精のくせにスキルも知らないの?」
またもリスィの危機かとヒラクは気を揉んだのだが、少女の怒りは一応峠を越えたらしい。
それでもまだ半眼を続けたまま、少女は舌っ足らずな口調でリスィに問いかけた。
「私、一年前に生まれたばかりなので」
するとリスィは、先ほどの明朗な様子から一転、陰を帯びた口調でそう答える。
彼女の視線が一瞬自分の肩口……いや、背中にあったはずの物に向いたのに、ヒラクは気づいていた。
「……あ、そう。で、アンタは?」
そんなリスィの様子に、少女もまた感じ入る所があったのか。
彼女はそれ以上リスィの事情を追求せず、ヒラクへと問いかける。
「あ、僕はヒラク=ロッテンブリング」
「リスィです!」
少々意識を飛ばしていたヒラクは同じ様子の妖精共々慌てて自己紹介をする。
すると、少女は呆れた目でヒラク達を見た。
「名前なんてどうでもいいわよ。アンタはどんなスキルを持ってるかって聞きたいの」
そして「当たり前でしょう?」と言いたげにため息を吐く。
そんな会話の流れだったか。そう思いながらも、先ほどまでぼんやりしていたヒラクは反論できない。
心の準備をする意味も込めて、ヒラクは息を吸った。
そして――。
「肉体強化が2。大盾が1。鞭が1。治癒魔法が1。光魔法が1。妨害魔法が1。弱体化魔法が2。開錠が1。帰還が1……」
「ちょっと待ちなさい」
ヒラクが自らの持つスキルを羅列している途中で、少女がそれを強引に打ち切った。
「なに?」
一気に言い過ぎたかとヒラクが一旦言葉を止めると、少女が再び机を叩いて立ち上がる。
「アンタ、何考えて生きてるのよ!?」
そうして、彼女はヒラクの胸倉をむんずと掴んだ。
その瞳はもはや憎悪と言っても良いぐらいの、危険なギラつきを孕んでいる。
「え、何考えてって、その……」
多少は間違っている自覚があった。
だがそこまで激昂されるとは予想しておらず、ヒラクは言葉を詰まらせる。
そんな彼に対し、少女は更にまなじりを上げ、手に力を込める。
「大盾に鞭だけでも意味分かんない組み合わせなのに、しかも魔法がてんでバラバラの方向に複数あって、しかもほとんど1ってどういうことよ!? アンタはダンジョンで何をする奴なの!? 戦士!? 魔法使い!? 癒し手!? 開錠1取ったからってパズラー気取りじゃないでしょうね!?」
「そ、そんなにいっぺんにまくし立てられても……」
「アタシのほうがアンタよりずっと混乱したわよ!」
唾も吹きかかる勢いである。もはや何を言っても彼女の怒りに火を注ぎそうだ。
ヒラクがおろおろしていると、その様子を眺めていたリスィが少女に尋ねた。
「ええと、ヒラク様のその、スキルってそんなにヤバいんですか?」
「ヤバいって言わないで!?」
あんまりな言い様に、悲鳴混じりにヒラクは抗議する。
だがその途中で少女に首を締め上げられた。
「ヤバいわよ! どんな世捨て人だってこいつなんかよりはマシなスキル振りするわ!」
そして断言。少女の言葉に、リスィは雷で打たれたかのような驚愕の表情を見せた。
「そ、そんなに……」
四人という少ない人数で迷宮に潜る以上、役割分担は必須である。
それに加え、次回も同じメンバーで潜れるとは限らない。
よって探索者のスキルの取り方には一定のテンプレートがある。
少女が挙げたのはその中の代表例であったが、ヒラクはそのいずれにも当てはまらなかった。
「だ、大丈夫ですヒラク様! その程度で私の忠誠は揺るぎませんから!」
しばし放心するリスィ。
だが彼女は「はっ」という声を発して我に返ると握りこぶし作り、そう宣言した。
「忠誠心より気遣いを見せて欲しいかな、この場合……」
そんな彼女に対し、ヒラクは締められ続けたせいもあって疲れた顔を返す。
彼女に悪気がないのは分かっているせいで、怒れもしない。
「……えーと、それで、君は?」
仕方なく、といった按配でヒラクは目の前の少女に尋ねた。
「私のスキルは大剣が7に肉体強化が3! 無駄の無い美しい構成よ!」
すると少女はやっとヒラクから手を離し、ぐっと胸を反らした。
「いや、名前を聞きたかったんだけど……」
そのなだらかなラインにつぃっと視線を滑らせてから、ヒラクは二重の意味で申し訳ない気持ちになって自らの曖昧な発言を訂正する。
「……モズ=ハイナシオよ」
すると彼女――モズは再び射殺すような視線をヒラクに向けつつ、そう答えた。
「そっか、よろしくモズ」
その眼に一瞬ひるむヒラク。
だが彼はすぐに笑顔を浮かべ、右手を差し出す。
そして隣で、リスィもまた小さな手を差し出した。
どちらの手を取っていいものか。
そもそも妖精の手は取りようも無いと悩んだ後、モズはぶるぶると首を振って叫ぶ。
「アンタなんか論外よ論外! 絶対にパーティーなんか組まないからね!」
「いや、でも他の人はもうパーティー組んでるよ?」
「24人いるのに何で二人余るのよ!?」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなの」
やはり疑問符を浮かべるリスィをとりあえず抑えて、ヒラクは教室を見回した。
たしかにこの人数で二人だけ余るのはおかしい。数え間違いかとヒラクが教室にいる人数を一人二人と数え始めた。
――その時である。
「遅れてすまない!」
そんな声と共に、勢いよく教室の扉が開いた。
そして、扉の先に立っていたのは、一人の少女である。
身長はヒラクより頭半分ほど大きい程度だろうか。
足がすらりと伸びているために、もう少し高いようにも錯覚させられる。
腰に手を当て、背筋をぴんと反った凛々しい立ち姿。
その制服の胸部分は盛り上がり、はちきれそうになっていた。
黄金に少しの白を加えた艶やかな髪を頭の頂点より少し後ろでくくっており、その整った美貌は、既にパーティーを組んだ男子達が早まったかと後悔の視線を送るほどである
教室中の視線を集めた事に気を良くしたのか、少女は息を吸って自らの胸元をバンと叩いた。
「我が名はフランチェスカ=ザビーネ=カエサル! 斧槍姫騎士フランチェスか=ザルバルド=カエサルの生まれ変わりだ! 魔王は倒れたが真魔王ダークルインレイトグラムンド復活の時が迫っている! 諸君、私と一緒に真魔王を倒す勇者となろう!」
……彼女の自己紹介で、教室中の空気が凍った。
それがよく通る声だったのが、余計に災いした感がある。
胸元を叩いた振動で双丘が揺れようとも、この空気は打開できない。
もちろん声をかけられる勇者など存在しない。
そのはずだったのだが――。
「わぁーお姫様! 私お姫様なんて初めて見ました!」
そんな中、無邪気に弾んだ声を出した妖精がいた。
感動ひとしおといった面持ちで、リスィは少女の元へと飛んでいく。
「あ、ちょっとリスィ!」
不審な人物にほいほいとついていかないようにと、自分は彼女に教育しなかっただろうか。
そんな事を考えながら、ヒラクは急いでリスィが飛んでいった少女の元へと向かう。
「おぉ、かわいらしい妖精だな」
「えへへ、褒められちゃいましたヒラク様!」
少女――フランチェスカがリスィを見、目を細める。
それを聞くと、リスィはくねくねと体を揺らしながらヒラクにそんな報告をしてきた。
つまり本格的に他人のフリはできなくなった訳である。
まぁ、彼女に声をかける以外に選択肢はなかったはずだ。
ヒラクは自らにそう言い聞かせながら、金髪の少女の前に立つ。
「えーと、フランチェスカ……さま?」
「おぉ、君が彼女の主人か。確かに私は前世では姫だったが、今はただの騎士候補生だ。フランチェスカでいいぞ」
彼女がどんな人物か計りきれない。ヒラクが慎重に話しかけると、少女――フランチェスカからは存外フランクな答えが返って来た。
名乗りはアレだったが、意外と常識的な人物だったのか。
そう判断したヒラクは、彼女に気になっていたことを尋ねた。
「あの、さっきも言ってたけど前世って……」
「うむ。興味があるか。斧槍姫とはそもそも二百五十年前、魔王誕生と同じ日に生まれたとされる悲劇の姫だ。彼女は常に魔物達との戦闘最前線に立ち、斧の一振りで百の魔物を屠ったという。その凄まじき力は現代のギフトを以ってしても及ばない。人類には百年前に与えられたとされるギフトだが、彼女にだけは先に与えられていたのではないかと推察される。ギフト出現まで世界が魔物に征服されなかったのはひとえに彼女の力あってこそであるが、謙虚な性格のせいで彼女の名は人々に知れ渡っていない」
そして、地雷を踏んだことを後悔した。
「自分で謙虚って言った……」
しかし、そんな中でもつっこまざるをえなかった。
「……自分のことなのに、なんだか設定を読んでるみたいですねぇ」
リスィもまた、フランチェスカの自己紹介らしきものに対して疑問符を浮かべる。
二人の指摘に、フランチェスカはうっと呻いて一歩下がった。
そして額に手をやり、大仰に首を振る。
「実は私の記憶はまだ完全ではないのだ……ギフトを一つ得るたびに記憶が戻っていくのだが……」
そうして、彼女は重大な秘密を打ち明けるようにそう言い放った。
彼女の言葉はもちろん教室中に響き、その空気をいっそう冷たいものにしている。
「斧槍姫騎士の詳細が知りたければこの小冊子を読むがいい……」
そんな空気に気づいているのかいないのか。
フランチェスカは悲劇のヒロインめいた表情のまま、制服のポケットから分厚い自称小冊子をとりだした。
「小冊子って言うか、量的に小説だよねこれ」
『フランチェスカの総て』とヒラクの指二本分はある背表紙に書かれた本を受け取りながら、ヒラクは呟く。
量は多いが紙質はあまり良くない。わら半紙(ギフトを持った人間が発明。安価な紙として教育現場などに要いられる)を紐で綴じたそれをどうしようかとヒラクが迷っていると――。
「ちょっとアンタ!」
後ろから、鋭い声が響いた。
ヒラクが声のほうに顔を向けると、それは先ほどまで話していた黒髪の少女――モズ=ハイナシオであり、彼女は怒ったような顔でこちらに向かい歩いてきた。
「ヒラク様をめぐる修羅場の香り……むぐっ!」
「君はそういう言葉をどこで覚えてくるのかなぁ?」
まるで見当違いな事を言い出すリスィを掴みつつ口を塞いで、ヒラクは横へと避ける。
「アンタの設定はどうでもいいのよ! ギフトはどうなってるの!?」
代わりにフランチェスカの前に立ったモズは、彼女を見上げながらそう問い詰めた。
「設定ではない。失礼な」
自らの設定……出自をどうでも良い扱いされ、フランチェスカが憤慨する。
「モズさんは何を怒ってるんですかね?」
「怒ってるんじゃなくて、多分ああいう口調なんだよ」
リスィと囁き合うヒラク。しかしモズが鋭い目で睨んできたので、彼は愛想笑いをうかべた。
その様子を見て少々落ち着いたのか。フランチェスカは鼻からひとつ息を吐く。
それから彼女は、自らのスキルについて話し始めた。
「私のギフトは先ほど言ったようにまだ完全に目覚めてはいない。よって斧槍が4、電撃魔法が2。肉体強化が3。そして威厳が1しかない」
まだ、しかない。と、彼女は言ったが、その表情はやけに誇らしげである。
それを見て、ヒラクは彼女が自分のスキル構成に自信を持っているのだろうな、と推察していると。
「はぁ!? 斧槍とかマイナーな武器にポイント振ってしかも魔法剣士なんて中途半端なスキル振りしてるの!? あり得ないわね! ていうか威厳なんて戦闘に何の役にも立たないじゃない!」
その途端、モズから苛烈な批評が入った。
「そうなんですか?」
「まぁ、逃げ出す魔物もいるけど基本は王族とか貴族が取るスキルだね」
リスィが尋ねると、ヒラクは苦笑しながら答えた。
威厳とは、自身を見たときに人を畏怖させるためのスキルである。
立ち振る舞いに貫禄が出ると共に、人を従わせる一種魔法的なオーラを纏うようになる。
王族の中にはこのスキルだけを取り、自身はまったくの無能のまま人を動かす者もいる。
が、1レベル程度ではそこまで強い効力を発しない。
現に、モズに捲し立てられ困惑した顔を浮かべるフランチェスカから、ヒラクはそういった威厳を感じることはできなかった。
「ていうか斧槍姫? そんなのいる訳ないじゃない! 妄想も大概にしなさいよ!」
さすがにそこまでは言い過ぎではないか。
ヒラクが心配になり、フランチェスカのほうを見ると、彼女は傍目から見て分かるほどにプルプルと体を震わせている。
すぼめた唇は見事なへの字になっていた。
「あ、あの……ちょっと」
モズを止めるべきか。それともフランチェスカのフォローをするべきか。
分からぬままヒラクがおろおろとしながらも一歩前に出ると同時に――。
「い、いるもん! 斧槍姫騎士はいるもん!」
フランチェスカが叫んだ。
それも両手に作った握りこぶしを上下させてである。
「……もん?」
急に口調が変わったフランチェスカに、思わず呟きを漏らすヒラク。
涙目になり、もはや威厳など欠片も無い。
「プッ」
モズに至っては吹き出した。
そして、それが最後の引き金だった。
「もう許さん!」
叫びながら、フランチェスカがモズに掴みかかる。
「あによ!」
その両手を、モズもまた両手を伸ばして迎撃した。
がっつりと組み合う二人の両手。
「そもそも人のスキルについてダメ出しなど失礼だと思わないのか!?」
「探索者学校に来といて非効率なスキル振りしてるほうが失礼でしょ!」
「効率よりも大事なことがあるだろう! 私達は人類の希望である探索者なのだぞ!」
「効率より大切な事なんて無いわよ! つーか魔王も死んで今更人類の希望も何もあるもんですか!」
「この効率厨!」
「あによなりきり!」
そうして二人は言い争いを始めてしまった。
ちなみに効率厨とは、効率を追い求めるあまり厨房から出ず破滅してしまった料理人の故事に根ざした言葉である。
一連の流れに唖然としてしまい、すっかり取り残されたヒラク。
何気なく周囲に目を向けると、クラスの視線は彼を二人と同一のグループとして扱っている。
「……えーっと、あと一人はーっと」
彼らの視線を受けながら、ヒラクはそう呟いた、
急に味方がもう一人ぐらい欲しくなったからであり、非常に元気の良いパーティーメンバー(予定)から目を背けたい気持ちもあった。
しかし、再度教室を見回しても、その中にはぐれているような人間はいない。
皆いつの間にか自分達と距離を開けているので、若干判別がつきにくいが。
もう一人もトイレだろうか? もしかして病欠? などとヒラクが考えていると――。
「あ」
と、リスィが短い声を上げた。
「ん?」
彼女の視線に従って、ヒラクが背後を見ると。
そこに先ほどまでは立っていなかったはずの、少女がいた。
「わぁっ!」
思わず大声を上げるヒラク。
その声に、リスィの体がびくりと震えた。
「ご、ごめん」
リスィと、急に現れた少女に対して謝罪するヒラク。
一方少女はそんな彼に対し、無言で首を左右に振った。
――何故自分は、今まで彼女に気づかなかったのだろう。
そんな風にヒラクが考え込むような、印象的な少女である。
肌は褐色。腸詰肉を炙ったように張りがあり艶やかだ。
ヒラク未満、モズ以上の身長であり、つまりは少々小柄。
この地方では珍しい銀色の髪が、彼女を異邦人である事を強く意識させた。
「ええと、さっきからいた……のかな?」
普通、こんなに目立つ少女を見落とすだろうか。
そう思いながらヒラクが問いかけると、彼女は首を縦に振った。
「……隠れ身」
そうして、小さな声でそう呟く。
「あぁ、なるほど」
簡素すぎる返事だが、ヒラクはそれで合点がいって頷いた。
「隠れ身ってなんですか?」
そんな彼に、合点のいっていないリスィが尋ねる。
「要するに、自分の姿を見つかりにくくするスキルだよ。僕も1レベル持ってる」
「へー、そんなのもあるんですね」
「常時発動だから、気をつけないと影が薄くなっちゃうんだよ。ごめんね……ええと」
感心するリスィに頷いてから、ヒラクは褐色の肌をした少女に謝った。
「アルフィナ……」
彼女はヒラクの逡巡を察したようで、自ら名乗る。
「そっか、僕は……」
名乗り返そうとしたヒラクだったが、その途中で横から押しのけられた。
「で、アンタは何ができるのよ?」
たたらを踏みながら視線を送ると、喧嘩は一段楽したのか、モズが今度はアルフィナを睨みつけている。
喧嘩相手だったフランチェスカは、若干涙目になりながら「いるもん……のだ」とこぼしていた。
「どのギフト持ってるかって話だからね。ダンジョンで役立つヤツ限定よ」
アルフィナが口を開く前に、更に言葉を足すモズ。
先ほどの反省を踏まえてか、いやに具体的にである。
しかし、初対面の相手にそんな風に詰め寄られても、アルフィナの表情はピクリとも動かなかった。
口も動かさない。何故か周囲の人間まで押し黙り、しばらくの沈黙が教室内に満ちる。
耐え切れなくなったのか、モズがもう一度口を開きかけた所で、アルフィナが声を発した。
「隠れ身が3。肉体強化が1。開錠が6」
小さく、しかし淀みのない口調である。
「あ、あぁ、開錠」
最後に挙げられたギフトの名を聞くと、モズは納得したらしく頷いた。
アルフィナの持つ謎の威圧感に、若干気圧された雰囲気もある。
「他に、攻撃に使うようなギフトは?」
「ない」
「ないってアンタ……まぁ徹底してるっちゃしてるけど」
彼女の簡潔な答えに、モズは口をもごもごと動かした。
「開錠って、ダンジョンの中の宝箱とか開ける人ですか?」
そのやり取りを見ていたリスィが、ヒラクに尋ねる。
すると彼は、首を傾げながら宙を睨んだ。
「んー、まぁそんな感じかなぁ」
なんだか自分が想像しているものとは違うらしい。それに気づき、困惑と落胆の色を見せるリスィ。
「まぁ、実際見たほうが分かり易いよ」
そんな彼女に対し、ヒラクは慰めるように笑いかけた。
「だから私はアンタらとなんて潜らないって……!」
モズがそう叫んだと同時に、チャイムが鳴った。
つまりは、パーティー編成の時間が終わったという事である。
「えーと、よろしく」
「ぐっ」
歯を噛み締めるモズ。
まだ赤い目のまま、うむと尊大に頷くフランチェスカ。
無表情なアルフィナ。
三者三様の少女達に、ヒラクは気弱な笑みを向けた。