ドクターヒラクの進路相談
白々と明け始めた夜の中、少女は走っていた。
その腕からは赤い血が流れ、少女の足跡を点々と彩っている。
時折バランスを崩してよろけながら、夜を掻き分けるように彼女は走る。
その後を、まるで夜の化身のような人影が、血塗れた短剣を手にゆっくりと追っていった。
◇◆◇◆◇
「ヒラク様ー」
「んー?」
声をかけられ、ヒラクは読んでいた本から顔を上げた。
するとそこには小さな妖精リスィがおり、その顔には暇だと分かりやすく書いてある。
「誰も来ませんねぇ」
そして、その口から紡がれた言葉は、やはり退屈さに彩られていた。
「良いことなんじゃないのかな? 保健室が暇だっていうのは」
そんな分かりやすい彼女に、ヒラクは笑いをかみ殺しながら答えた。
そうして周囲を見渡す。
閉め切られたカーテン。その先にはベッドが並んでいるはずだ。
そしてポーションの並んだ薬棚。
保健室教諭、ダスティとの約束に従い、この休日にヒラク達は保健室の留守番をしていた。
ポーションのカタログ等、保健室の蔵書はヒラクにとって興味深い物が多く、しばらくは何を持ち込まなくとも時間を潰せそうだった。
だが、リスィにとっては違う。
保健室の番をしてから一時間、彼女を放って本に集中していた事を反省したヒラクはリスィへと向き直った。
「えーと、じゃあ今日はわり算の勉強をしようか」
そうして、持ってきた鞄の中からノートを取りだして彼女に告げる。
「つ、ついに未知の領域へと踏み出すんですね」
するとリスィは目を期待と気合いで輝かせながら、握り拳をぐっと作る。
寝相等がだらしないという点で勘違いされがちだが、リスィの学習意欲はかなり高い。
分からないことはきちんとヒラクに尋ねるし、未知の物への好奇心も旺盛だ。
ついでに教えたことは大抵忘れない。
ただし一度に長い説明をすると小さな頭がパンクしてしまうので、少しずつ知識を与えていくことが肝要である。
ヒラクも教えるという行為がそう嫌いでもない。
なので、毎週のこの時間はリスィに物を教えるために費やしても良いかもしれないなどと考えていた。
「えーと、まずわり算っていうのは……」
とりあえずは概念から教えよう。どこかに等分できる物はないだろうか。食べ物ならなお良しと保健室を改めて見回すヒラク。
そんな時、保健室の扉がトントンと控えめに叩かれた。
聞き間違えかとも思ったヒラクだったが、リスィもそちらの扉へ顔を向けたのでそうではないらしい。
口をうにゅうにゅと動かすリスィに小さく「ごめんね」と笑いかけ、ヒラクは扉の先へと声をかける。
「どうぞ」
「失礼します」
その声に従って保健室へと入ってきたのは、三つ編みを結んだ少女だった。
彼女が着ているのは体操服。ダンジョン探索以外で生徒の体力向上の為に行われる授業、体育の時に身につける制服である。
厚手で丈の短い白シャツに、下は紺色のハーフパンツ。
装飾のないシンプルなその服は動きやすく生産性が高い。
チュルローヌが世界的に有名になったのは、大量生産のノウハウを服飾の業界にも取り入れた所にも理由があった。
一方で部屋に入ってきた彼女は、ヒラクを見て目を丸くしている。
「えーと、保健室教諭のダスティ先生は休憩中です。僕は留守番でここの生徒の……ヒラク=ロッテンブリング」
自分と同年代の少年が部屋にいて驚いたのだろう。
多分、自分が彼女の体操服姿を見つめていたせいではない。きっと。そう判断して、ヒラクは自己紹介をした。
「リスィです」
隣でリスィも、ぺこりと頭を下げる。
すると入り口に立つ少女は、驚きの表情をおさめた後、それを恥じるように「ごめんなさい」と口にした。
「謝ることなんてないよ。それで、どうしました?」
同級生として接するか、それとも教員の代理としてか、決めかねながらヒラクは彼女に尋ねる。
すると少女は、自らの状態を示すように足を引きずりながら保健室へと入ってきた。
「あ、だ、大丈夫!?」
その様子を見たヒラクは、慌てて立ち上がると少女へと駆け寄る。
「あの、足をちょっとだけ捻っちゃって……」
何故か申し訳なさそうな表情をしている彼女。
「ちょっとごめんね」
それに対し自らも彼女に謝ってから、ヒラクは少女に肩を貸した。
「え、あ、わっ」
少女の方は動揺しあわあわとなっているが、ヒラクは顔色を変えず、彼女を運ぶことだけに集中する。
否、しようとしていた。
このぐらいは当たり前。ただの運搬作業でやましいことなど何も無いという表情をしなければ、ヒラクとしてもこのような事をあっさりとはできない。
「はぁ、ふぅ」
足を引きずってここまで歩いてきたらしい少女の息は、少し乱れている。
「おーらーい、おーらーい」
その暖かな体温に、自身の心拍数もあがるヒラク。
そんな彼らを、リスィが診察用の椅子へと誘導した。
彼女の目は真剣そのものであり、ヒラクの罪悪感を更に増強させる。
「……よっと、ゆっくりね」
そうして、ようやくといった気持ちで椅子へとたどり着いたヒラクは、少女を椅子へと下ろした。
気持ちを整えるため一息つくと、改めて自分も椅子に座り直す。
「運動をしていて足を捻挫した、とかかな?」
女性を支えておいて大きく息を吐く、というのも失礼だったか。
それに気がついたヒラクは、若干早口になりながら彼女に尋ねる。
すると少女は顔を俯かせたまま「うん」と頷いた。
「その、運動場で走り込みをしてて……」
「走り込み?」
保健室の隣は均された平地――運動場となっており、休日にも生徒に開放されている。
とはいえ休日にまでそんな事をしたいと思う生徒はそういないようで、運動場からは鳥の鳴き声しか聞こえてこない。
ヒラクが出した疑問の声に対し、少女は上げかけた視線をまた落とし、ぽつぽつと話し始める。
「私、この前の探索では途中で動けなくなっちゃって、メンバーの皆に迷惑かけちゃったの……だから」
どこかで聞いた話だ。
そう思ったヒラクは、彼女に問いかけた。
「ええと君、名前は?」
「ミラウ=ラウリカだけど……」
ライオは確か、自らの憧れた女子をミオンと呼んでいたはずだ。
よく考えれば、ダンジョンに潜ったは良いが体力が追いつかない、というのはよくある話である。
人違いか。
「えーと、ミラウ。回復魔法とポーションどっちが良いかな?」
そう結論づけたヒラクは、少女――ミラウに尋ねた。
ついでに名前を尋ねたのは呼ぶためだという姑息な理由付けもしておく。
「ぽ、ポーションなんて勿体ない! 魔法のほうが、いい、んだけど……」
そんなヒラクに対し、ミラウはようやく顔を上げ、慌てふためいた様子で手を振った。
その際バランスを崩しかけて捻ったほうの足で支えてしまったのか、また顔をしかめる。
「だ、大丈夫ですか!?」
リスィが慌てた声を出しながら、彼女の顔をのぞき込むようにして近づいた。
「自由に使って良いって言われてるし、そんなに遠慮することないよ」
大げさな彼女の様子を、笑って良いのか心配したほうが良いのか迷いながら、ヒラクはミラウにそう言った。
ポーションと言っても、値段はピンキリである。
だがやはり、一般的にポーションというとそれだけで高価なイメージがあるようだ。
「でも……」
ヒラクの言葉にも、ミラウは躊躇っているようだった。
「そっか、じゃぁ魔法のほうにしようか」
実際棚に並んでいるポーションは、一瓶だけでもヒラクとリスィの一ヶ月の生活費を賄えるほどの物である。
好きに使って良いと言われたが、ヒラクとしても無闇に使うのは心苦しい。
「じゃぁ、靴を脱いで足を出してくれるかな? ちょっと時間がかかっちゃうけど大丈夫?」
となると後者、治療魔法の出番となる。
ヒラクの治療魔法はスキルレベル1だが、捻挫程度なら骨に異常がなければ充分直せる範囲だ。
「え、あ、うん」
ヒラクの問いかけに、ミラウは少々狼狽した様子で頷く。
そうして彼女は、ゆっくりと靴、そして靴下を脱ぎ始めた。
その途中で、やはり足が痛んだのか顔をしかめる。
その度にリスィが、まるで自らの足が痛むかのように口を窄めた。
しかしこれに関してはヒラクが手伝ってやるわけにもいかない。
いつの間にか自身も同じような顔になりながらヒラクが見守っていると、ようやくといった感じでミラウは靴下を脱ぎ終える。
そうして彼女の足が、控えめにヒラクへと突き出された。
くるぶしの下辺りに紫班ができており、軽い捻挫とは言えない状態である。
「触るよ」
ことわってから、彼女の足をヒラクは慎重に持ち上げた。
足の関節がこわばり、彼女の緊張がヒラクの指へ伝わってくる。
「ごめんね。捻挫って治すのにちょっと時間がかかるんだ。だからしばらくこのままで」
やましい気持ちはありません。心の中で言い訳をしながら、ヒラクは患部に指を触れないようにし、呪文を唱え始める。
「治癒」
そうして彼が手をかざすと、黄色く輝く光がミラウの足首を包み込んだ。
「あったかい……」
それを受け、ミラウは険の取れた表情でそう呟いた。
それが彼女の本来の顔なのだろう。
思い当たって、ヒラクもまた心の中で微笑んだ。
実際の表情を引き締めているのは、女子の足を触りながらにやついている変態だと思われない為である。
そうして、しばらく無言の時が続いた。
穏やかな顔をするミラウとは反対に、リスィは声を出すとヒラクの治療が失敗するとでも考えているかのように、口を堅く結び、よく見れば息まで止めている。
しかしもちろん我慢しきることはできず、やがて彼女は息をぷはっと息を吐いた。
それを契機に、ミラウがつぶやくような調子でミラウがヒラクへと問いかけた。
「あの、ヒラク、くんって肉体強化は取ってる?」
その声に、ヒラクは顔を上げる。真面目に繕っていた顔をとっさに緩められたのは、彼女の質問が突飛だったおかげでもあった。
「ええと、2つ持ってるよ?」
呪文を維持しながら、ミラウの質問に答えるヒラク。
だが、彼女は何故そんな事を聞くのだろう。
目に疑問を乗せてヒラクが彼女を見ると、ミラウは「そっか」と呟いた。
「私もやっぱりこっちを2に上げたほうがいいんじゃなかなって思って。その、皆に追いつけるように」
それから、自らの考えをぽつりぽつりと話しだす。
要するに、迷惑をかけるのが忍びないのでスキルで自らの体力を上げようという事らしい。
けなげな少女である。
こういうものを無条件で誉めたくなるのが、男の性と言うものだろう。
「あんまり勧めはしないかな」
しかし、そんな彼女の展望を、ヒラクはいつもより固い声で否定した。
「そ、そう?」
雰囲気が変わったヒラクに対し、戸惑った様子を見せるミラウ。
「肉体強化を上げると、体を動かす度に魔力を消費するようになるから。体力があれば消費量は減るけどね」
彼女の態度と痛ましげなリスィの視線で、自分がどう見えるか気づいたヒラクは、慌てて愛想笑いを浮かべ、説明を始めた。
肉体強化は確かに便利なスキルだが、魔法使いの場合魔法に使うべき魔力が知らないうちに消費されていることが多いため低レベルで止めるのが定石である。
魔法使いの定位置が後衛なのも、この理由があってのことだった。
「魔法使いが同じギフト数で前衛と同じ体力を獲得するのは大変だし、変に上げ続けるよりしばらくは1で止めたほうが良いと思うよ」
加えて人ならざる物に作られたダンジョンにおいて、魔法使いのするべき仕事は多い。
よって、そもそも肉体強化に振れるギフト数は限られていた。
「そっか……」
自らの考えをやんわりと否定されたことで、ミラウはしゅんと落ち込んでしまった。
「まぁ、2まであげちゃった僕が言う事じゃないけど」
それを見て申し訳ない気持ちになり、ヒラクは苦笑しながら自らを省みる。
「さっきも言ったけど魔力って精神力だから、ちょっとずつダンジョンに慣れれば、それだけで疲れることも少なくなると思うよ」
そうして彼は、ダメ出しだけではなんだろうと彼女にそんなアドバイスも付け足した。
「そ、そういうものかな?」
なおも不安そうな彼女に対し、少々大げさに、強く頷く。
こと魔力の世界に関しては、思い込みの強さがそのまま力になったりするのだ。
「焦る気持ちが魔法使いには一番の大敵。魔力が切れたぞほら帰ろうってメンバーに言えるぐらいがちょうど良いってうちのシスターも言ってたしね」
そうしてついでに、聖職者のありがたい言葉もプラスする。
うちのシスターという言葉のためか、ミラウはぽかんとした顔をしているが、まぁ良いだろう。
シスターについて説明しようか。ヒラクが迷っていると、それよりも先にミラウが口を開いた。
「ダメだね。私、ギフトを貰うときっていつも悩んじゃって……」
その口端には自虐の笑みが浮かんでいる。
「僕だってそうだよ。いつも迷ったし、選んだ後に役に立てるかいつもドキドキしてた」
それを見て、ヒラクもまた似たような顔で笑った。
「してた?」
「あ、いや……しばらくギフトを増やしてないから」
ミラウの疑問に対し誤魔化すようにそう言い訳し、再び彼女の足へと視線を戻す。
「最終的にどうなりたいかって、それだけ分かってればそう酷いことにはならないはずだよ、きっと」
そうして、彼は呪文の詠唱をする時のような口調で呟いた。
ヒラクの口調に自信がないのは、彼自身がその指針をまるで持っていないからである。
しかし、そんな頼りないヒラクの言葉にも、ミラウははにかみながら微笑んだ。
「そっか、そう、だね」
――彼女、ミラウには他に取りたいスキルがある。
ヒラクにはそう察しがついていた。
それは彼女が肉体強化を取ったほうが良いか、と尋ねた所にも、怪我をするまで走り込んだ所にも表れている。
要するに彼女は、自分の取りたいギフトが分かっており、それとパーティーに迷惑をかけたくない気持ちとで葛藤していたのだ。
もちろん前者が正解だと言うつもりも、ヒラクには無い。
だが、気持ちを整えたり時間を少し置くだけで、当面の彼女の問題は解決するはずである。
ならば、妥協するのはまだ早いはずだと、ヒラクは自身にも言い聞かせるように考えた。
――それから更に数分。
「よし、終わった。ちょっと動かすね」
手から発していた光をおさめると、ヒラクはミラウの表情を窺った。
「あ、うん」
少し、寝起きのような顔でぼんやりしたミラウだが、遅れて頷く。
それを見ると、ヒラクはミラウの足首を掴み、もう片方の手に持った彼女の足をぐるりと回した。
「痛くない?」
そうして彼がミラウの表情を伺うと、彼女は少々赤い顔のまま、「大丈夫」と再度頷いた。
「そっか。久しぶりだったけどちゃんと出来て良かった」
手を離すとほっと息を吐き、ヒラクは呟いた。
関節の痛みは経過なども見ないと完治したとは言いづらいが、とりあえずは成功と言っていいはずだ。
「足首にちょっと違和感があるだろうけど、寝る前に軽く柔軟すれば消えると思う。そうじゃなかったらまた来て。応対するのはダスティ先生だろうけど」
しかし不安ではあるので、靴下を履き直すミラウにそう言い足しておく。
その場合は高級なポーションが使われるかもしれないが、彼が使う分にはヒラクの良心は疼かない。
「ありがとう。相談に乗ってもらって」
そんなヒラクの言葉に頷いてから彼女が礼を言ったのは、足の治療ではなく先ほど話した内容についてだった。
「いや、その、大したことは言ってないし」
ヒラクが話したのはあくまでも一般的な探索の知識であり、ついでに先人からの受け売りである。
「ううん、話してみて、すごく楽になったよ」
だが、ミラウはそんな彼に晴れ晴れとした笑顔を見せる。
なんだか気恥ずかしくなって、ヒラクは頭をかいた。
「その、また来ても良いかな?」
そんなヒラクが彼女からの感謝の置き所に困っていると、ミラウは顎を引き、上目遣いで彼に尋ねてきた。
「あ、うん。経過が思わしくなかったり、また怪我したりしたらいつでもおいで」
その場合応対するのは大体がダスティだろうが、保健室に犬猫以外の出入り禁止の項目はないはずだ。
例え自分が当番の時に来られても、ヒラクとしては迷惑などではない。
彼女は何を心配しているのだろうと首をひねりながら答えるヒラク。
それに対してミラウは目を細め、うぅんと唸った後、結局うんと頷いた。
「また来る。それじゃぁねヒラクくん」
そうして彼女は、最後に笑顔を見せると保健室から出ていく。
久しぶりに普通の女の子と会話をした気がする。などと思いながらしばらく保健室の扉を眺めるヒラク。
しかしいつまでもそうしていても仕方がない。「さて」と区切りをつけて彼はリスィのほうを見た。
ずいぶん待たせてしまったが、彼女の勉強を見なければなるまい。
そう考えたヒラクだったが、件のリスィはミラウの出て行った先を見つめて何やら唸っている。
「どうしたのリスィ?」
「ヒラク様のファンが増えるのは嬉しいんですけど、こう、胸に未知のもやもやが沸くというか」
ヒラクが尋ねると、しかし自らの気持ちがどういうものか分からないのか。リスィは首を捻りながらそんな風に話す。
彼女自身が分からないものを、自分に分かるはずがない。
ヒラクはそう結論づけて、椅子へと座り直した。
だが――。
「……嫉妬」
その瞬間、カーテンの裏から幽鬼の如き声が聞こえ、彼はすぐさま腰を浮かす羽目になる。
「そう、それです! あわわ、ち、違います嫉妬とかじゃないです……ってあひゅあ!」
リスィはと言えば、その声に別の意味で慌てふためいた後、次にそれが主人の声で無いことに気づき、再度驚きの声を上げるという器用なことをやっている。
それから二人は改めて顔を見合わせ、先ほどの声が自分たちではないこと。そしてそれがカーテンの裏から聞こえたことを目で確認しあった。
そうしてヒラクは椅子から立ち上がると、おそるおそるカーテンを開ける。
するとそこには、褐色の肌を持つ少女がベッドから半身を起こした状態で座っていた。
「ア、アルフィナさん!」
ヒラクの頭上からカーテンの隙間を覗いたリスィが、驚きの声を上げる。
確かにそこにいたのはヒラクの――暫定パーティーメンバーである、アルフィナだった。
彼女は普段の制服からタイと上着を取り払ったシャツとスカートという出で立ちで、ヒラクをいつも通りの無表情で見ている。
思わぬ人物がその場にいたことで、思考と体が固まってしまうヒラク。
「アルフィナさん、ずっとそこにいたんですか?」
固まっている主人の代わりにリスィが尋ねると、アルフィナは首を縦に振る。
確かにヒラクは保健室に入ってからカーテンを開けたりしなかったが、それにしてもヒラクが来てから一切物音を立てなかったとは。
隠れ身のギフトが3あることを考えても恐ろしい隠密っぷりである。
ダスティも、寝ている人間がいるのなら教えてくれれば良いのに。
内心で愚痴っていたヒラクだったが、その間にもアルフィナはヒラクをじっと見ている。
「あ、あの、何、かな?」
流石に耐えきれず、ヒラクはアルフィナにそう尋ねた。
すると彼女は少し間を置いてから、口を開く。
「……どうコメントするべきか迷ってる」
「どうって……」
彼女がコメントに迷っているというのは、ヒラクとミラウの会話についてだろうか。それともその間にヒラクが足を触ってドキドキとしていたことだろうか。
再びの沈黙にヒラクがドキドキしていると、アルフィナは彼から目線を外して呟いた。
「見直した」
「へ?」
彼女の言葉をうまく聞き取れた自信が無く、間抜けな顔で聞き返してしまうヒラク。
そんな彼に対しアルフィナは顔を向けなおすと、改めて言った。
「くじ引きでスキルを選んでるんだと思ってた」
ヒラクの評価が引き上げられたのは、随分と低い位置からであった。
「僕のことなんだと思ってたの!?」
「悪い意味で自由人」
ヒラクが若干疲れた顔で見ると、彼女は淀みなくそう答えた。
その答えに、ヒラクは今度こそがっくりと肩を落とす。
一応誉められてはいるようだが、なんだかそんな感じがまるでしない。
むしろ今まで自分はそんな風に思われていたのかと、落ち込むばかりである。
まぁそれも当然か。何せ彼女のスキル振りは徹底しており、モズ以上にヒラクとは対極の位置にいるのだ。
「そう言えば、結局ギフトはパズラーを上げたの?」
そこまで考えて、ヒラクはふとアルフィナに尋ねた。
前回の探索で、彼女は新しくギフトを取得する権利を獲得していたはずだ。
話題を変えたい意図もあって、そんな質問をするヒラク。
「……まだ、取ってない」
しかしそれに対し、アルフィナは顔を若干伏せながら答えた。
いつも通りの鉄面皮なのでわかりづらいが、ヒラクには今の彼女が憂いの表情を浮かべているように見えた。
「えーと……」
何か迷っているなら相談に乗ろうか。
うっかりそう口にしかけて、ヒラクはまた口をつぐんだ。
先ほどはどうにかミラウの気持ちを上向きにすることが出来たようだが、彼女に対して同じように出来るかは分からない。
と言うか余計なおせっかいになる可能性が高いのだ。
ヒラクがうじうじと考え込んでいると、彼の頭上にいたリスィがそこからテイクオフし、アルフィナのほうへと飛んでいく。
「それ、どうしたんですか?」
そうして、リスィは彼女の左腕の辺りへぐるりと回り込んで尋ねる。
それにつられてヒラクが見てみれば、彼女の着ているシャツの上腕辺りにはパックリと切れ目が入り、その下からは褐色の肌が覗いていた。
「なんでもない。もう治してもらったから大丈夫」
もちろん制服のシャツが元々そんなデザインをしている訳ではない。
それを隠すようにさすりながら、アルフィナが呟く。
どうやら彼女は怪我をして、それをダスティが治療したらしい。
「大丈夫って……」
確かに彼女の肌には既に傷はなかった。
しかしそのシャツに残る傷口は大きく、鋭利であった。
一瞬見ただけで、そう判断できるほどに。
間違いなく、コケてできるような傷ではあるまい。
再び、ヒラクの中に逡巡が生まれる。
口の重い彼女を問いただしてでも詳しく聞くべきか。
彼女の問題だと放っておくべきか。
「あの、もし良かったら……」
だが結局、お節介である彼は追求しようと口を開きかけた。
その時である。
ビヂィ、と鳥の断末魔のような音がして、閑散とした校庭を映していた窓硝子に、いきなりヒビが入る。
「……逃げて!」
それを見、あのアルフィナが大声で警告を発した。
ただ事ではない。一瞬でそう判断した彼は踵を返してアルフィナから離れる。
同時に窓ガラスに二撃めが加えられ、陽の光を受けた欠片をまき散らしながら硝子が中を舞った。
それはさながら日常の破壊を表すような光景だった。
そして、その破壊者が割れたガラス窓の中から入ってくる。
着ているのはアルフィナと同じくアールズ探索学園の女子制服。
そしてその手には、短剣が握られている。
一度地面に着地した少女は、そのまま再びアルフィナへと飛びかかった。
「アルフィナ! リスィ!」
アルフィナから一旦離れたヒラクが、机の上に置いた鞄を手に振り返る。
そして彼は警告を発しながら、その中から眼球大の玉を指で挟むようにして二つ取り出しざま闖入者へと投げつけた。
それを警戒し、少女は自らの体を庇うようにナイフを体の前に持ってくる。
「ファイア!」
その時にはヒラクも次の動作に移っている。
詠唱破棄で指先から小さな炎を投げた彼は、再びアルフィナへと駆け寄る。
そうして彼がアルフィナの腕を引くと同時に先ほど投げつけた玉に火が燃え移り爆発。
ボン、ボンと、二回に分かれて音が鳴り、その中から勢いよく煙が吹き出した。
「わ、わ、うぎゅっ」
部屋の中が一瞬にして白く染まり、狼狽した声を出すリスィ。
その声を頼りに、多少乱暴な勢いでヒラクは反対の手を使い彼女の胴体を掴むと、そのまま出口へと駆けた。
そうしてリスィを頭に乗せると勢いよく扉を開ける。
と、煙幕の発生源からヒュンっと音がし、彼は反射的に身を反らした。
すると先ほどまで立っていた場所に短剣が飛んでき、扉に突き刺さる。
冷や汗を流しながら、ヒラクは何とか保健室の外に飛び出た。
「だ、誰あれ!?」
そうして、走りながらおそらく事情を知っているであろうアルフィナに問いかける。
彼女は手を引っ張られながら俯いて黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「あれはクリナハ。私の幼なじみ」
「な、何でその人がアルフィナさんを狙うんです?」
ヒラクの頭に掴まったリスィが、彼に振り落とされないよう風圧に目を細めながらアルフィナに尋ねる。
すると彼女は、ヒラクに掴まれていた手をほどきながら呟いた。
「私が、彼女の両親を殺したから」
その顔はいつも以上の、彫像のような無感情さであり、ヒラクの背筋はぞっと震えた。
体操着
アールズ探索者養成学園における体操着だが、最後の最後まで下半身については議論が交わされていた。
一案は本採用となったハーフパンツ。
二案は一昔前の流行であったビキニアーマーにも多く採用されている、ブルマーと呼ばれるでん部にぴったりと張り付く形のものである。
前述の通り二案は前時代の遺物であり最新鋭を謳うチュルローヌブランドとしては採用をし辛い。
しかし旧世代のモードと現在のファッショを融合させてこそ最先端たり得るというチームメンバーからの熱い言葉を受け、リーダーであるチュルローヌは大いに悩んだ。
結局は社内投票という形がとられ、二案は闇に葬り去られることとなる。
結果、ブルマーを推していたメンバーは退職。現在は地下に潜伏し牙を研いでいるという。