誓いのリング
キリシュから荷物を受け取ったヒラクは、被服室という場所に向かった。
なんでも生徒達にエンチャントを施した品物の大切さを教える場所という事だ。
練金実習室と言い、ひどく限定的な使用目的に思える。
ヒラクは首を捻りつつもノックをし、部屋の扉を開けた。
すると――。
「あら、この間の華奢に見えて割と引き締まった肉体をもった少年じゃないデスか」
「第一声でそういうセクハラはやめてください」
そこには足踏み機構を持たないミシンを使い、何かを縫っている眼鏡の女性。
チュルローヌ=フルークスの姿があった。
彼女の説明っぷりに他に誰かいるのかと部屋を見回すヒラク。
だが、部屋の中には練金実習室と同じく大きめの机が並んでいるのみで、チュルローヌの他に人はいない。
「引き締まった、肉体……」
ヒラクの肉体評を聞き、リスィが頬を染めるがとりあえず無視する。
失礼しますと断って、ヒラクは部屋の中に入った。
「どうしたんデスか今日は。もしかしてまた寸法を測られに……」
チュルローヌが怪訝そうな顔をする。
「違います。ていうか寸法を測られた覚えもないんですが……」
「貴方のスリーサイズは、82、70、83デス」
「何でそんなモノ測ってて覚えてるんですか!?」
相手が教師だということも忘れ、ヒラクはチュルローヌに対し声を荒げてしまう。
自らのあられもない姿を見られたせいで気安くなっているのだとは、決して思いたくはなかったが。
「職業柄デス」
そんな彼にさらっと答えると、チュルローヌは「それで?」とでもいうように首を傾げる。
その仕草だけを見れば彼女は間違いなく美人であり、ヒラクはため息を吐いた。
「……キリシュ先生に言われて頼まれた荷物を持ってきました」
そうして、手に持っていた銀色の糸巻きをチュルローヌに差し出す。
「オォ!ありがとうゴザイマス! これで新しい服がデキマス!」
するとチュルローヌはヒラクの手を包み込むようにしてそれを受け取り、喜色満面といった様子で彼に礼を言った。
「い、いえ、どういたしまして」
それに対して不覚にも胸を高鳴らせるヒラク。
「むぅ、ヒラク様」
その様子をしっかり見ていたリスィが、彼をじとっと睨む。
「あー、いや……」
そんなリスィの追求をかわしたい意図もあって、ヒラクはチュルローヌが作業をしている机の上を見た。
するとミシンには、縫いかけの服が置いてある。
女性用下着のような形状だが、紺色で飾り気はなく、厚手である。
「なんか、珍しい形のミシンですね」
しかしヒラクはその物体ではなく、チュルローヌが操っている新型のミシンを話題に上げた。
「オォ? 服じゃなくてミシンが気になりマスか? 変わってマスねー」
「いや、それは……」
何となく服につっこみを入れると、ロクな事にならない気がしていたからである。
言葉につまるヒラクと、それを不思議そうに見つめるチュルローヌ。
その間に、リスィが割り込むように飛び込んできた。
「ヒラク様はお裁縫ができますからね! この服だってヒラク様が作ってくれたんですよ!」
そうして彼女は、ヒラクを庇うように立つと、チュルローヌに自らの服を見せつけるように胸を張る。
「ほほー」
リスィの服を、しげしげと見つめるチュルローヌ。
「え、いや、り、リスィ」
それに対し、ヒラクとしては気が気でない。
何せ相手は本職……しかも世界的なデザイナーなのだ。
今すぐ自分の腕など大したことはないと、リスィの言葉を否定したいヒラク。
だが、今彼女が着ている物に対して粗末だの言うのは気が引ける。
結果、彼はあわあわと慌てることしかできなかった。
「アナタ」
そんな彼を、ぎょろりとねめつけるような視線でチュルローヌが見た。
「は、はい?」
「裁縫のギフトはもってマス?」
「い、いえ。縫い物はシスター……育ての親に教えてもらっただけです」
ヒラクが答えると、チュルローヌは「ソウデスカ」と呟いて考え込む。
それから。
「グッドグッド! カワイーデスよ妖精チャン! イイ趣味してマスねー!」
彼女は突如リスィの体を掴むと、その顔に頬摺りをしだした。
「ぐぇぇ、私の名前はリスィですぅ……」
呻きを上げるリスィ。そんな中でも自己紹介をするのだから一応は大丈夫なはずだ。
あまりの早さに彼女を止めることができなかったヒラクは、遅まきにそう考えて自らを落ち着かせる。
「オゥ、リスィチャン。アナタは?」
そんな風にヒラクが我を取り戻そうとしていると、チュルローヌは彼にも名前を尋ねてくる。
「あ、え、ヒラク=ロッテンブリングです」
「ヒラクサン、イイ趣味してマス。こういうのはスキルでは補えマセンからねー!」
戸惑ったままヒラクが答えると、ニッコリと笑ってチュルローヌがまくし立てた。
「はぁ、ありがとうございます。あの、リスィが苦しがってるんでそのぐらいで……」
世界有数のエンチャンターではあるが、間違いなく偏った趣味をしているチュルローヌの誉め言葉である。
何となくヒラクは素直に受け取ることができない。
彼はとりあえず、必死でチュルローヌの頬から逃れようとしているリスィの解放を請うことにした。
「オゥゴメンナサイ。でもこの服、エンチャントはないんデスか?」
するとチュルローヌはようやくリスィを解放し、自由になったリスィは半べそになりながらヒラクの頬にすり寄った。
「僕はパーマネントの類はできないんで……」
そんな彼女を指で慰めながら、ヒラクはチュルローヌにそう答えた。
「だ、大丈夫です! その為に指輪がありますから!」
するとリスィが、若干鼻を詰まらせた声で例の指輪のことを言い出す。
「ユビワ?」
「ええと、これです」
頬に指をあて首を捻るチュルローヌに、ヒラクはポケットにしまってあた指輪を出して見せた。
「アー、昨日の報酬デスね。でもコレ、リスィチャンの体に合いませんよね?」
差し出されたそれを、彼女はしげしげと眺め、それからもう一度ヒラクに問いかける。
「ま、まぁそうなんですよね。僕も加工できませんし」
痛いところを突かれ、ヒラクは苦笑いを浮かべながら彼女の言葉を肯定する。
高位のエンチャンターであるチュルローヌならば可能だろうが、そんなことを頼めるような資金も度胸もヒラクにはない。
「良かったら、私がリサイズしまショウか?」
と、思っていると、チュルローヌが自分からそんな風に申し出てきた。
「やた! いいんですか?」
リスィが無邪気に両手を上げて喜ぶ。
「いやいや、僕は今お金無いんで」
「荷物を運んできてくれたお礼デス」
資金難を理由にそれを断ろうとしたヒラクだが、チュルローヌは首を横に振って、彼の言葉を否定した。
要するに、無料でやってくれるということらしい。
「いや、それは流石に割に合わないって言うか……」
申し出は嬉しいが、薬草の件といい、ちょっと人に物を貰いすぎではなかろうか。
そもそも講師が生徒に対して贔屓をしてもいいのか?
こんな時に限ってそのような考えが頭を埋め尽くし、ヒラクはそれを辞退しようかと言葉を発してしまう。
「ヒラクサンは真面目デスねぇー……」
そんな堅物な彼の言葉に、チュルローヌじゃ「うー」とも「むー」ともつかないうなり声をあげた。
それからしばらく思案する表情を見せた後、パンと両手を合わせると再度彼に提案する。
「じゃぁ、私からもう一つオネガイをさせてもらいマス。それでどうデスか?」
「オネガイ?」
ヒラクが問い返すと、チュルローヌは「ハイ!」と頷くが、そのオネガイとやらの内容を言おうとはしない。
「ううん……」
その内容をヒラクがすぐさま追求できないのは、やはり彼が真面目などではないからである。
それが無茶な要求だったらどうしよう。そんな考えも頭をかすめたが、多少無茶な方が釣り合いが取れるはずだ。ともう一人の自分がすぐさまその考えを打ち消そうとする。
そもそも相手が好意で言い出してくれているのだから、固辞するのは逆に失礼だろう。
もう一人の自分は更に攻勢をかけ、断ろうとする自分をねじ伏せようとした。
このもう一人の自分というのは要するに、ヒラクの貧乏性な部分である。
「分かりました。お願いします」
ヒラクは自らの性根とも言えるこの部分に負け、結局彼女の提案に頷いた。
ため息が出たのは、自分の未熟さに対してである。
「ありがとうございマス!」
そんなヒラクの葛藤など知るはずも無いチュルローヌは、女学生かと思われるような無邪気な笑顔で彼に礼を言った。
何故彼女が礼を言うのか。ヒラクが戸惑っているうちに、チュルローヌはリスィへと視線を向ける。
「リスィチャン。ドコにつけたいデスか?」
そうして彼女は、リスィにそう尋ねた
。
自分に選択権が与えられたことで戸惑った様子のリスィ。
そんな彼女に、ヒラクは「良いんだよ」と頷いて見せた。
そうされてもしばらくは惑っていたリスィであったが、やがてチュルローヌに顔を向け、おずおずとした口調で彼女に告げた。
「く、首が良いです」
「……何で首?」
彼女に任せることにしたが、何だか窮屈そうな部位である。
何か理由があるのか。不思議に思って、ヒラクはリスィに尋ねた。
途端、リスィの顔が真っ赤に染まる。
何かまずいことを聞いたかとヒラクが狼狽していると、やがて彼女は恥ずかしがりながらも、可憐な乙女が恋の告白をするかのように打ち明けだした。
「ヒラク様は私を相棒扱いしてくれて、それはそれで嬉しいんですけど、やっぱり私はヒラク様の所有物が良いっていうか……首輪って、その、胸キュンていうか」
リスィの性癖は、ヒラクの知らぬ間に相当捻じ曲がっていた。
「え、えーと、足首とかでも良いんじゃないかな?」
「足かせですか?」
「そういう発想から離れて」
このままではうちの可愛い妖精さんが大変なことになる。
そう感じたヒラクは彼女に軌道修正を提案するが、何やらもう手遅れの様相も呈していた。
「はぁ、じゃぁ首輪……首飾りでお願いします」
きっとこれは妖精共通の習性なんだろう。そうであってくれと願いながら、ヒラクはチュルローヌに指輪を差し出した。
「分かりマシた。エイッ」
するとそれを受け取ったチュルローヌが、指輪ごと彼の両手を包むと、きゅっと力を込める。
次の瞬間、彼女の手の中がパッと光った。
何が起こったか分からないヒラク。そしてそのまま動かないチュルローヌ。
二人の間に、不思議な沈黙が流れた。
「……終わりマシたよ?」
沈黙を先に破ったのはチュルローヌであった。
彼女は不思議そうに首を傾げる。
「終わったって……え? え!?」
チュルローヌに言われ、信じられない気持ちでおそるおそる手を引くヒラク。
すると彼の手の上には、先ほどより一回り小さい指輪が鎮座していた。
いや、指輪ではない。これは……。
「ハイ。デザインにも手を加えたかったデスが、記念品ナノでしょう? 端を蝶番にスルだけにシテおきマシた」
言われて確かめてみると、確かに輪の端が開閉できるように小さな蝶番に変わっている。
彼女は妖精用の首輪を、一瞬で造ってしまったのだ。
「サイズはちょっと余裕があるはずデス。さっき確かめまシタから」
チュルローヌが言っているのは、リスィに頬ずりした時のことだろうか。
恐るべき観察眼。そして加工の早さ、正確さである。
一応修理に慣れているつもりのヒラクですら、鎌を直すのにある程度時間が必要だったというのに、彼女はこんな繊細な作業を一瞬で片づけてしまった。
これが、この世界有数のギフト保持者の力なのか。
戦慄するヒラク。
「ではヒラクサン。リスィチャンにそれをつけてあげてください」
「え、僕ですか?」
そんな彼に対し、件のチュルローヌはニコニコと微笑みながらそんなことを促してくる。
「え、ヒラク様がつけてくれるんですか?」
リスィもその提案に乗り気なようで、彼女は机の上に乗ると、んっと顎を上げてみせた。
「じゃ、じゃぁ」
彼女が望むのであれば仕方がない。
ヒラクは慎重に指輪……首輪の蝶番を外すと、リスィの首に近づける。
「お願いします」
リスィも緊張した様子で、瞳を潤ませている。
そんな彼女の細い首に片手で触れると、蝶番付近を持った首輪を彼女に当て、慎重に閉めた。
カチッ。と音がして、リスィの首に首輪がはまる。
「苦しくない?」
「だ、大丈夫です」
ヒラクが尋ねると、リスィが首輪の間に一本指を入れてみせる。
やはり、チュルローヌの仕事は正確だったようだ。
「似合ってますか?」
「えーと、可愛いよ」
首輪をつけた女の子に対して、似合ってると言うのもどうだろう。
そう思ってヒラクは別の言葉を選択したが、むしろリスィにはこちらの方が嬉しかったようだ。
「か、可愛いですって!」
驚愕の事実かのようにそれをチュルローヌに報告すると、彼女は羽のない体で中空を飛び回った。
「作った物……加工した物で人が喜んでくれるというのは、この職業で最大の喜びデス」
リスィの様子を微笑ましく眺めながら、チュルローヌが呟く。
それから彼女は、ヒラクに顔を向けて彼に言った。
「ヒラクサンには愛情の詰まった服も見せていただきマシタ。私にはアレが一番の報酬だったのデスよ」
「いや、あれはそんな大それた物じゃ……」
気恥ずかしくなって、ヒラクはチュルローヌから視線を離し、天井付近を飛んでいるリスィを見る。
あの服を作った頃はとにかくヒラクが不安定な時期であり、愛情など込める暇は無かったはずだ。
「マタ用があったら言ってクダさい。今度は、ちょっとダケお金を貰いマスけど」
そんなヒラクの気持ちを知ってかしらずか。
視線を戻した彼に、チュルローヌは悪戯っぽく笑って言う。
その方がヒラクも気が楽である。あるいはチュルローヌの言葉は、それを見越しての台詞か。
彼女の言うちょっとが、自分の感覚と一致していればなお良いのだが。
釣られて気弱な笑みを浮かべるヒラクに、チュルローヌは真剣な顔をしてコホンと咳をした。
「ソレはソレとして、今度は私のオネガイデス」
それを見、ヒラクもまた姿勢を整える。
するとチュルローヌは机についた引き出しを開け、そこから取り出した物をヒラクの前に差し出した。
「これ、届けてクダさい」
それは、包帯であった。純白の包帯が巻かれた形で三つ。
「届け物、ですか?」
「ハイ。嫌、デスか?」
「いや、そう言うわけじゃなくてですね」
物を貰い、また何かを届けに行く。
先ほどと同じ展開に、ヒラクはようやく降りてきたリスィと顔を見合わせた。
「届けて欲しい相手はダスティ=ブグラウド。保健室にいるはずデス」
そんなヒラクの様子を見て、とりあえずは承諾したと受け取ったのか。
チュルローヌは届け先について話し出す。
相手は……今度こそは聞いたことがない名前だ。
保健室という名前自体は、怪我を回復魔法で治療する場所ということで、概要と場所は頭に入っていた。
「私も手が空いてないわけではナイんデスが……」
ヒラクがそんなことを考えていると、チュルローヌは顔を伏せてぽつりとこぼす。
どうしたのだろう。何か事情があるのだろうか。
ヒラクが彼女の様子を伺っていると。
「苦手なんデス。あの人」
ぱっと顔を上げた彼女は、まるで童女のように朗らかな笑顔でそう言い放った。
「は、はぁ」
これから会いに行く相手に対して、そんなことをぶっちゃげられても。
コメントに困ったヒラクは、彼女に対して生返事で応えたのであった。
エイッ!
チュルローヌが使った魔法。指輪を縮小、蝶番をつけ首輪へと変形させた。ついでに詠唱を破棄している。
正確にはリコントラクションという、エンチャントを含めた物質の性質を保ったまま、まったく別の物質に再構築する魔法。
ヒラクの使ったリペア、彼女が口にしたリサイズ(物質の大きさを調整する)の最上位の魔法である。
ちなみに彼女が詠唱破棄のギフトを取った理由は、詠唱をめんどくさくダサいと思っているため。
首輪
この世界においても、何者かに従属している証となる品物である。
かつては魔物によって孤児が増加し、それを奴隷とする人間が多く居た。
だが、現代では王国によって奴隷の売買は禁止されており、表向きその数はかなり減っている。
リスィが首輪に憧れるのは彼女個人の性癖であり、妖精の習性とはなんら関わりが無い。