第25話 コピペは便利なんです
うすぼんやりとした景色が見える。これは夢ではないか、と尊はすぐに気が付く。そういえばこの夢は、高校生のときに10日間昏睡していたときに見ていたものだと思い出したのだが、目が覚めると忘れてしまっていたのだ。尊はとある少年の視点に立って、黒髪の少女を抱きしめて咆哮している場面を眺めていた。少女は腹部に大きな穴が開き、流血している。何かの戦いを終えた後のようだが、少女はどうやら助からなかったということなのだろう。最期に何かを少年に伝えると、か細い腕は力を失い地に落ちる。だが、少年はあきらめていない。
少年は全身の激しい痛みに耐えながら、11の文節を怒鳴るように唱える。最初にこの夢を見たときは気づかなかったが、おそらくこれは加護の詠唱だ。尊がヴェガルで学んだものと同じ4色の加護光が身体から飛び出して一つに融合し、中空に球体として浮かびながら白く、そして激しく輝く。その輝きは球体の大きさが縮むと同時に黒ずんでいき、やがてほんの小さな黒い球となって少女に吸い込まれていくと、奇跡が起きる。腹部に開いた大きな穴は消えていき、少女は復活を果たす。
似たような神話が地球にもたくさんある。そのほとんどで女性は神の象徴として扱われ、女性が死んでも男性が生き返らせるというものだ。中にはイザナギ・イザナミの神話のように、生き返る前に禁忌を犯してしまえば女性は永遠に死地に座すことになるというものもある。日本人にとって最もなじみ深いのが天岩戸の神話だろう。男性神とも女性神とも、どちらにも取られることの多い天照が岩に隠れることで世界は闇に覆われた。この『岩に隠れる』という行為が人間の死や、日食を表しているのだということは、誰しも一度は聞いたことがあるかもしれない。この時、天照を取り戻すために数多くの策が取られた。神話時代が描かれた『日本書紀』には7種類の策が施されたということになっているが、各地の民間伝承を足すと11種類の策となる。最後の11種類目の策が功を奏し、天照を天岩戸から引っ張り出すことで世界は闇から光へと遷移することになる。所詮は神話の中の話であり、現実性を考えるには程遠い。それでも似たような神話が地球中に存在しているのはなぜなのか。
夢はその後、歓喜に打ち震える民衆を映し出し、次第にぼやけていく。やがて不思議な感覚が尊に訪れた。この夢は、事実なのだという感覚だ。尊自身が体験したことではないのだが、はるか昔に起きた事実であるという感覚が渦巻いている。胸の中にいる何かが見せているもので、夢という形で尊に過去を見せているのだ。そして、この事実こそが数多くの神話となって受け継がれているのだということだ。11の文節に区切られた詠唱と、天照を取り戻すための11の策。そして、トレイスが尊へ加護についての講義の際に少しだけ触れた加護に関する次元数11。その数が同じなのは、偶然の一致だろうか。もしや、すべて同じものなのではないか……。
“ミコト”
胸の中に何かがいるせいか、とても息苦しい。まるで重石をのせられたように息ができない。
“ミコト、起きるんです”
「んぐ……? なんだ、ルーシか」
「うみゃぁ」
「ミコト様! 良かったッ、すぐに目が覚めて」
「ルーシ、重い……」
胸の上にはルーシがうずくまっていて、その重さのせいで息苦しかったのだと分かった。鎧は脱がされていて、布団のようなものが掛けられて寝かされていたのだが、その布団の上に白い小虎が陣取っていた。布団から両腕をにょきっと伸ばし、ルーシを掴んで胸から退けると、尊は苦笑しながら半身を起こした。
「オレが緩衝結界をすぐに張ったのだが間に合わなかったよ。しかしルーシが強力な緩衝結界を追加してくれたので、ほとんど無傷だ。ルーシが加護を使えていなければ大変なことになっていたぞ」
「心配をかけるようなことをしてすまない。これからは最低限の加護量を残すことにする」
「ミコト様! ご無事で何よりです!」
「おじちゃん、すごかったよ!」
香辛料販売拠点の契約をしたアフラとその娘にも心配をかけさせてしまったようだ。ここはどこだろうと記憶を探るが、質素な家の中のようなのでどうやらアフラの自宅のようだ。アフラのすぐ横には左腕の無い男性がいる。話に聞いていた旦那さんなのだろうとすぐに分かった。入り口に近いところには数名の男女が立っていて、一人はアフラさんとよく似た顔立ちなので、話に聞いていた妹さんかなと想像できた。しかし、2人ほど場違いな人間がいる。尊たちも場違いな恰好をしていたのであまり他人のことをとやかくは言えないのだが。
前髪の長い女性と、鎧を着た長身の男性だ。2人とも身に着けているものに装飾が多く、アフラの親類などではないようだということはすぐに気が付いた。
「ミコト様、あちらにいるのは水王家のフェイと、候補者だ」
「初めましてですぞな、ミコト殿。ベディヴィアと申しますぞな」
「……」
「初めまして、フェイ殿、ベディヴィア殿」
フェルナの紹介に、ベディヴィアと名乗った男は腰を直角に曲げて礼をする。まさに日本式の、しかも最敬礼のお辞儀ではないか。太い眉の奥に知的な光を燈した目つき、そして筋骨隆々とした肉体は、尊と同じ候補者としてこの男が申し分のない知性と体力を持ち合わせていることを現していた。つまり尊自身よりも騎士らしく、候補者として上位に感じるのだ。
フェルナと名前が似ている水王家の王女、フェイの方はと言えば、前髪に目が隠れ声も発さないので、何を考えているのかさっぱり分からない。やはり王族なのだから、下々の者にわざわざ声をかける必要などないのだろうと尊は納得した。
「このヘブライを馬車で通過中に巨大な壁が現れて道がふさがれ、中央領へ向かうことができなくなってしまったのですぞな」
ベディヴィアは目の前で起きた謎の現象に足止めを食らったということを打ち明けた。
「む。それは我の所業であるな。真に失礼した」
布団から起き上がって膝を床に着け、その2人の旅程を邪魔したことを素直に詫びる尊を見てフェイは少し体を震わせて押し黙っている。どうやら怒らせてしまったのだと焦る尊は、とにかく頭を下げるしかなかった。
「まさか人の所業とは思えないあの壁、一体どのようにして作られたのかヘブライ中を走り回ってみれば、ヴェガル中を騒がせている噂の主、ミコト殿がいたという寸法ぞな。本当に自分の目で見るまでは信じてはいなかったが……」
「ただの噂だと思っただろう。候補者の話に尾ひれがつくことなどよくある話だからな」
ニヤリと笑いながらフェルナがベディヴィアに自慢げに言う。
「話は変わるのだが、名前が似ているのだな」
尊の話が突然自分たちの名前の話に切り替わってしまったため、フェルナは驚いたが何も説明していなければ似ていることに疑問を持っても仕方がないと感じたのか、説明を始めた。
「同じ日に生まれたので似ていると言えば似ているが、オレの名前はフェルナンダローズ、フェイはフェイノルスだ。ちなみにマイカ様はマイニザルトカーリア、サヤカはサントラヤーカインだ。王族の名前というものは、庶民は略さずに言うのだが親しいものは略しても良いのだ」
「失礼した、フェイノルス殿」
「……」
フェルナの説明を聞いて、初対面なのに略して呼んでしまったということに罪悪感を覚えた尊は再度頭を下げる。ベディヴィアがやっていた日本式お辞儀ならば、通じるだろうと思ってやってみたが、それでもフェイノルスの態度は変わらない。奔放なサヤカやマイカと接していたために気づかなかっただけで、相当に失礼なことをしてしまった可能性がある。それにしても、3人ともそんな長い名前だったのかと呆れた尊は、今のは覚えきれないからまた今度聞いて覚えなおそうと思っていた。
「フェイノルス殿、どうか許してほしい」
怒り出した王族をなだめる方法なぞ一切分からない尊には、礼を尽くすということしかやれることは無い。仕方なく、マイカをなだめるのに使った手法を試してみることにして、フェイノルスへさっと近づき、その手をとって甲へ口づけした。
「にゃっ……!?」
「またやったかミコト様ッ!? ハハハ! フェイがしゃべらないのはそういう性格なんだ、気にするな」
驚きの表情を見せて口をあんぐりと開けるフェイノルス。よく見ると八重歯がちらりと見えたが、しばらくしてそれに気づいてさっと口を塞いだ。王族は容易に口を開けることを庶民に見せてはいけないのだろうと尊は考えた。
「可愛らしいではないか」
すぐに口元は塞がれてしまったが、前髪で隠れていたフェイの顔が露わになると尊は素直に感想が口から洩れた。王女を褒めることなら別に構わないだろうという考えで、その言葉を訂正することもしない。どうやら怒りは収まったようだと尊は感じたが、そもそも最初からフェイノルスは怒ってなどいなかった。単に、目の前の太陽王に緊張していただけだったのだ。
「私で良いのかにゃ!?」
「何がだ、我は良いと思うぞ」
突如行われた求婚の儀に、驚いていないのは尊だけだった。アフラなどは「良いものを見させていただきました」などと目を輝かせていた。
ベディヴィアは実際のところ、あの巨大な城壁を見てここに尊がいると分かった時から、尊が太陽王であると信じていた。自身も水王家の候補者だったが、そんなものはどうでもよかった。
「良かった……。良かったぞな……」
ベディヴィアにとって重要なことは、彼が1年半前に忠誠を誓ったフェイノルスが幸せになること、ただひとつだけだったが、それは八重歯を理由に太陽王認定者がフェイノルスを娶ることを断る可能性が高かったと考えていたからだ。にも関わらずその懸念をきれいさっぱり拭い取られ、フェイノルスの未来が明るいものとなることが確約されたこの瞬間に立ち会うことが、彼にとって何よりの僥倖だった。だから、自然と涙が溢れた。
「どうした、ミコト様?」
華やいだ部屋の中で、尊は一人真剣な顔でアフラの夫の腕を見ていた。隣国アグシルとの争いの中で失った左腕は、肘から少し先は布にくるまれている。その腕を復活できないかと考えていたのだ。尊の真剣な様子に気づいたフェルナが声をかけていた。
「アフラ殿、夫殿の腕は水の加護で治せないのか?」
「いいえ、水の加護で欠失した腕を戻すなど聞いたことがありません。夫のスクライの腕は1年前に失ったので……。斬られてすぐならまだしも」
「ミコト殿、さすがにそれは無理ぞな」
アフラにもベディヴィアにも否定されたが、尊にはできないということが無い気がしていた。それは、夢の中で死者を取り戻すことができていたからだ。今回は夢の内容を覚えていたが、他にもいろいろと夢を見ていた気がする。あれが実際に昔あった出来事なら、腕の1本くらいなら戻せるのではないか。だが、どうやって戻すかはすぐに考えが浮かばない。
「スクライ殿と言ったか、腕を見せてくれないか」
「は、はい」
「できるのか、ミコト様? オレもさすがに無茶だと思うがな」
「できるだけやってみたい」
腕に巻かれた布を取ると、傷口はきちんと塞がれていて、適切な治療を受けたことだけは分かる。運が悪ければ化膿が長引いたりなどして命を落とすことすらあるかもしれないが、スクライの場合はそれが無かったのだろう。
ただ単に、新しく腕を作るというのは不可能だ。だがそれが、既にある右腕を反転コピーしてみるというのならどうだろうか。後は神経、血管、骨、筋肉などをうまく繋げば良いのだ。反転した状態で、情報をコピー、そして空間にその状態を貼りつける。これも自分の加護流は媒介として使い、構成に必要な加護は別次元から持ち出す形がいいだろうと分かった尊は、すぐに試してみることにした。
「スローライフを担う腕を! 逆転写立体複写!」
右腕と同じものを空間に構成するため、必要な元素は空気や外の地面から風のようになってそこに集まりだす。
「まさかミコト様、もう加護が回復していたのか!?」
「うむ、全快しているな」
「気を失ってからまだ1時間しか経っていないぞ……これは、地と風、それから水の加護か……」
「すごいにゃ……」
「スクライ殿、腕を上げるのだ」
「す、すごい……。はい、これをくっつけるのですね?」
気が付けば、左腕らしきものが空間に浮いていた。やがてその左腕はスクライの欠損部位に接続し、青い光を放ち始める。淡く、幻想的な青い光が収まると、そこには何事もなかったかのようにスクライの左腕が存在していた。
「神経などはうまくつなげたかどうか分からぬのだが」
「温かい……! 腕が、腕の感覚があります!」
スクライは左腕をつねって感触を確かめてみると、どうやら痛みがあったようだ。感覚があるということは神経はつながったようだ。温かいということは血管もうまくつながったのだろう。あとは動かせるかどうかが問題である。
「どうだ、動くか?」
ほんのわずかに、親指が内側へと曲がる。成功だ。
「動かしにくい……ですが、動きます! ありがとうございます! 奇跡だ!」
「おとうさん、てがもどったの? おじちゃんがもどしてくれたの!?」
「そうよリンカ! ミコト様が戻してくださったのよ! この御礼はどうやってお返しすれば良いの!?」
「おじちゃん……ありがとうございました!」
「慣れれば以前と同じように動かせるようになるであろう。動かないものを無理に動かそうとすれば痛みも出るかもしれぬが、そのうち収まるので努力して痛みに耐えるのだ。礼は物流拠点の構築に関わってくれれば良い」
「はい! 分かりました! 私たち3人とも、いえ一族皆で協力して従事いたします! 本当に、本当にありがとうございます!」
以前に尊自身もリハビリセンターに居た時、神経が傷ついて動かなくなった部位を抱えた患者などは、激しい痛みを乗り越えて再び動かせるようになるまで、リハビリテーションという努力を繰り返していたのをよく見ていた。幸いにして尊は激痛に見舞われることは無かったが、スクライもリハビリをしていけば欠損前と同じ動きをすることができるはずだと、尊は確信していたのだ。
「ミコト様に至っては、あり得ないということがあり得ないのだな。フェイ、お前も分かっただろう、この加護」
「フェイノルス様、ミコト殿で間違いはありませんぞな」
「……すまにゃーでな、ベディヴィア。でも試験は水王家の面子もあるから受けるんにゃー」
「ええ、理解していますぞな」
これでこの一家は、畑仕事をするにも、ムサシまで物を売りに行くにも人手が一つ増えたわけだ。だがこれだけですべてが良くなった訳ではない。あの城壁だけでは、それを乗り越えてこられれば打つ手は無いので巡回兵士を設置する必要がある。
「ここの領主と会わねばならんだろうな」
「ミコト様、それもいいが城壁に門を設置してくれ。外からも入れないが内からも出れないのでな」
「そうか、壁だけしかなかったのだな。うっかりしておった。しかし、やるべきことをやってからでなければ我は外に出んぞ」
「フェル、ミコト殿は頑固だにゃー」
「だが、そこがいい。ミコト様に任せるんだ。すべて丸く収まる気がする」
「領主様にお会いするなら、私たちがお連れいたします!」
「うむ、頼むぞスクライ殿、アフラ殿」
「リンカ、おばちゃんの家で留守番してるのよ?」
「うん、わかったよおかあさん! あれ、でもおばちゃんしろめむいてるよ!?」
「え? きゃああぁっ!? さっきから静かだと思ったらっ! おみずっ、おみずっ!」
そこには、壁にもたれたまま気絶していたアフラの妹がいた。先ほどから起きた事実すべてが常識の範囲外だったためだろう。なにせ、遠くに巨大な城壁がゴゴゴと音を立ててせり上がったと思ったら王族が2人も詰めかけ、寝ていた男は噂の太陽王。王族の求婚の儀が突如として始まり、そして失われたスクライの左腕が取り戻された。なぜこんなことに、と気絶するしか彼女にはできなかったのだろう。もしかしたら緊張の連続で、呼吸を止めすぎていたのかもしれない。
アフラの妹はそのままそこで寝かせ、留守番というより看病という形で娘を置いていく形となったスクライ・アフラ夫妻に連れられて、尊たちは領地の中心に位置する城郭へと向かうのだった。
「領地は思ったより広いのだな」
「はい。これでも長年、小さくなっていった方です。昔は400万人もいたのですが」
「アフラ殿、少し教えてほしい。今の人口は?」
「25000人程度です。減少率は他と似たり寄ったりですが、少し減りすぎです」
「なるほど。では隣国のアグシルはどのくらいの人口だ?」
「90000人を超えているのではないかと思います」
「そんなに人口を増やして、一体何をしようとしているのか?」
「私たちには分かりませんが、良からぬことを考えているのではないかと……」
「ふむ……そのあたりは領主殿に確認してみるか」
「そうですね、領主様の方が詳しいでしょう」
話をしながら歩いていると、すぐに領主の住む城郭へたどり着いた。だが上空から見たときはそこそこの防御を誇ると思われた城郭も、近くから見ればところどころ崩れていて無残だ。税をかけないといってもこれはやりすぎだ。
「そこの者っ! モーシェ様の館に何の用……あっ!? 風のっ……」
「番士さん、この方はミコト様です! さきほど領地全域に城壁を張り巡らせてくださったんですよ!」
「その鎧は噂にたがわず。それに後ろの方がお出しになっている印章は風王家のものですな。失礼いたしました。領主もあの城壁に驚いております。どうぞ中へ!」
後ろの方? と思って振り返ると、フェルナが肩掛け袋から緑色に光る水晶を取り出して門番へ見せていた。その表面には五芒星が描かれ、その五芒星の中心には尊の鎧の背部分に刻まれた5つの文様のうちのひとつと同じ、風を現すものと思しき模様が光っていた。それが、王家の印ということなのだろう。なんだか某時代劇に出てくる隠居の殿様みたいだなと感心していると、門番が冷や汗をかいて急かしだしたので、尊は中へ入ることにした。しかし尊が気になったのは、領主の名前の方だった。モーシェという名前について、まず確認したいと思ったのだ。
これは城郭ではない。むしろ廃墟だろうという風情で、修繕など100年以上やっていないのではないかというのが素直な感想だ。城郭の中には館があったが、こちらも第一印象は廃墟だ。柱が折れているというほどではないが、屋根は瓦のようなもので覆われているのに、その瓦の色が一様ではない。ところどころ申し訳程度に修繕したような状態になっているのは、雨漏りだけは防がなければならないから適当にやった、という言い訳が聞こえてきそうなモザイク様の屋根だ。おそらく徹底した低予算で無税を貫いたのだろう。そんなみすぼらしい館に住まおうとも民は領主を敬うことをやめないのは、この領主が真に民のためを考えていたからだろう。だから、新たに軍事税が必要となったとしても、民は喜んで利益のすべてを領主へ捧げるのだ。
なるほど、城郭の中にいる兵士たちにはきちんと鎧や武器が割り当てられている。ここのところ徴収した軍事税でそういったものを購入したり、兵士の給与となっているのだろう。それでも急場しのぎであるので治安効果は城郭とその周辺に限られる状態だったのだ。
中へ通されると、すぐにモーシェという名のひげ面の領主が走り出してきた。城壁を造りだした男の名が『ミコト』というものだったために、本来謁見室で客を待たせるはずが、広間まで領主が出てきて謁見室へ案内することになったのだ。
謁見室に全員が腰を落ち着けると、すぐに尊は話を切り出した。必要であろうと思ったとは言え、勝手に領地に改造を加えたのだからまず謝罪が必要だろうと思ったのだ。
「モーシェ殿とおっしゃったか。急に押しかけてまことに申し訳ない」
「は、はい! アウグストゥス・ヘブライ・モーシェと申します。領地を守る城壁を造りだしていただいたとお聞きしたのですが……」
「うむ、城壁は勝手に作らせていただいてしまったので、事後となるが承諾を得なければと思ってな」
「城壁についてはどのように御礼申し上げたらよろしいかと思うほど、感謝しております。領民もおそらく喜ぶことでしょう」
良かった、領主も怒っていないようだと安心した尊は、自分の知りたいことを質問してみることにした。
「モーシェというのは家名か? 12000年前から領主の家系であったのか?」
「家名については、左様でございますが……」
「ミコト様、どうしたのだ? 領主殿の家名に聞き覚えがあるのかッ?」
「うむ、そうなのだフェルナ殿。すまぬがモーシェ殿、この星へそなたの先祖がやってくるとき、一部の民とそなたの家系の誰かが残らなかったか知らぬか?」
「ええ、残りました。旧ヘブライの民が一部と、当時の領主の弟が残りましたが、ほとんどはヴェガルへ移動できました」
「そしてそなたの一族は、水の加護が得意だな?」
「まさに、そのとおりでございますが、それが一体何か……? 城壁に関係しますのでしょうか?」
「いいや、少々確認したいことがあって質問させていただいた。モーシェ殿、どうやらそなたの遠い親戚は我の生まれた星で、水の加護を使って民を守ったようだ。海を割って奴隷化された民を逃がしたのだ。あちらではモーゼ、モーセなどと呼ばれていたようだがな。星を分かつ一族そろっての民想いの政治、見事である」
尊が言っているのは、海を割ってエジプトで奴隷となっていたヘブライ人を救い出した、モーゼのことだ。海を割ったというのは、測量してみると海面下にやや小高い峰があり、干潮になると道が出来上がるということだったのではないか。地球ではモーゼの伝説をそのように分析していたのだが、その位置が海面下15mと低く、どう干潮になっても道はできないので不思議に思われていたのだ。地殻変動で海底が沈降したのか、それとも本当にそんな魔法のようなことができたのか。尊の父・蒼然は、後者を支持していたので中東・地中海の歴史家からは総スカンを食らっていたのだ。加護の失われた地球でも、加護を使える者が稀にいたのではないか。しかし、それはあくまで稀であり、ヴェガルのように誰もが使えるようなものではなかったということだ。
「おお……あちらでもうまくやっておりましたか……! 遠いとはいえ親類の近況を聞くことができて感謝の念に堪えません」
「む、しかしあちらの民は現在、苦境に立たされていてな……」
元ヘブライ人は、現在ではパレスチナ地域近辺に居住するアラブ系の民族だ。彼らが今苦境に立たされているのは、あのあたりは争いが絶えない複雑な問題をはらんでいるからだ。モーゼが海を割ったのは近況ではない。はるか昔のことだ。
「左様ですか……」
「そちらは今となっては我に手を施すことができぬ。だがこのヘブライ領地はまだ望みがある。どんなに良政を敷いたところで、外圧があっては民に平穏は訪れぬ。そこで、頼みたいことがあるのだ」
「はい、なんでございましょう!? 城壁を造っていただいたのでその御礼でございましょうか。金銭はご納得のいくものがお支払いできるか不安なのですが……」
「金銭ではない。人を出してほしいのだ。条件は、四肢の一部が欠損している人間すべてだ。何人ほどいるか調べてほしい。領地防衛に300人、火王領との品物のやりとりやムサシでの販売に30人は欲しい。もしもっといるようなら、すべて領地復興に従事できるように割り振ってくれ」
「防衛を、そのような者たちに行わせることはできません……」
「領主様! 私はエメセスのスクライと申します。お話に割り込んでしまい申し訳ございませんが、一言お伝えしたいことがございます」
「ふむ、エメセスのあたりは防衛が行き届かなくて苦労をかけているな……。どうした、話せ」
「はい、実はついさきほどまで私には左腕がございませんでしたが……」
「何? 左腕はついているではないか」
「は、ミコト様が治してくださったのです。まだすぐに自由に動かせる状態にはなっておりませんが、それも努力すれば動かせるようになるとのことで」
「なんと!? そんな詠唱は聞いたこともない!」
「現にそれを目の当たりにした義妹は気絶してしまいましたが、これは真実なのです」
「うむ、分かった。スクライの申すことは本当なのですな、ミコト様」
「いかにも。命を失ったものを取り戻すことはおそらくそう簡単にはできまいが、四肢の欠損ならば我の加護で取り戻せることが分かったのだ。ついでに防衛兵士となる者へは身体強化も施して防衛力を強化すれば、アグシルとの争いにも終止符が打てるではないか? 我は、火王領とムサシ、そしてヘブライの経済が豊かになることを望む。どうか我の頼みを聞いてくれないだろうか」
尊は、そのアイデアに目を大きく開くモーシェの前で、優しく微笑んでいた。
改訂しながら更新ってきっついんですね;;
これからもがんばりますので、
どうぞよろしくお願いいたします(´∀`*)
参考文献
福永武彦『現代語訳 日本書紀』河出文庫