第20話 線路上の異物は排除しましょう
「さて、加護の発動については加護生物学を基準に考えなければなりません。ミコト様、生物学や人体の構造にはお詳しいでしょうか?」
トレイスさんがこう聞いてくるってことは、やっぱり理科で習った内容に近いものがあるんだろうなあ。まあ多少の知識はあるけれども、別に得意だったわけじゃないから忘れてることも多いよな。人体の構造と言われても肺とか胃とか、神経とか血管とか、大雑把なものしか分からないのが普通だからなあ。
「我もそこそこの知識はあるが、専門家ほど詳しいわけではない」
「なるほど、加護が廃れたアマテラスから来たわけだから、誰もが生物学を理解しているわけではないのだな」
ああ、フェルナさんがこう言うってことは、こっちでは生物学が当たり前になってるってことか。加護と生物学は密接なのか? どういう仕組みだろう。
「ヴェガルでは詠唱学と同時に加護生物学も覚えていきます。そこそこの知識があるということですので、大雑把に進めますがよろしいですか?」
「うむ。トレイス殿、それで頼む」
話を聞いているうちに思い出すことも多いかもしれないし、こういうものは生活と密着することでやっと覚えるものでもある。生物学なんて生活に密着するわけないから、覚えなかっただけだ。そういえばウチの親父は、書斎にいっぱい人体構造の本を持ってたっけなあ。
「ではまず、生命の誕生についてからざっくりと。生命はかつて何十億年も前に、海で生まれました。このときはその生命の体はとても小さく、いろいろな体系の生物がおりましたが、本来生物にとって毒となる酸素が増加する事態が生まれ、生物たちはひとつに寄り集まったのです」
それって細胞核と細胞小器官が共生うんたらっていうやつだったっけな。それがないと酸素呼吸できるようにはならなかったんだよな。
「そのとき、遺伝子を複製するのに長けた生物が中心となり、酸素を使って力量を生み出す生物を細胞の中へ共生させたのです。これは細胞共生というもので、私たちの体にある60兆の細胞一つ一つに、大昔に共生したままに共生体が巣食っているのです。この酸素利用の共生体を加護体と呼びます。ここまで、分かりますでしょうか」
え? 酸素からエネルギーを生み出すやつはミトコンドリアだろ? タワシみたいなやつだろ。それを加護体って呼んじゃっていいのか? つまりミトコンドリアが加護を生み出すのか? 酸素を使ってエネルギーを生み出すわけだから間違いじゃないが、魔力も生み出せたのか。まあそういうことなんだろう。
「うむ。そのあたりのことは理解している。だが加護まで生み出せるものなのか?」
「ええ、本来この加護体は、生命活動を行うのに必要な力を生み出すものですが、実はこの加護体は小さな領域で高次元へと接続しているのです。私たちが知覚できる次元の力だけでなく、高い次元の力も生み出すことが可能な共生体なのです」
「それはどの人間にも、どの生物にも当たり前のように存在している共生体のはずであろう。それがどうして、人間だけに加護が使えるようになったのだ」
「はい、さすがミコト様です。そこが問題なのです。生物の細胞には加護体がたくさんあるわけですが、それらは常にこの次元の力だけを出す量しか含まれていません。余剰なものは非効率ですから存在しなくなるよう進化したのです。しかし人間は違います。文明を持ち、加護体はどんどん余剰となっていきました」
「ふむ分かった。加護体が余剰だと、高次元の力を得るための余剰力が顕れるのだな」
「そのとおりです。具体的には加護体内にある隔壁というところの表面で化学的反応が起こっているのですが、ほんのわずかな確率で量子的なゆらぎを発生させ、別の次元へ干渉してしまうのです」
おいおいゆらぎってなんだ。意味わからんぞ。それはどうやって意識すればいいのか分かりさえすれば、細かいメカニズムとかは考えなくてもいいようにできてたりしないのだろうか。加護を発動させるときにいちいちそんなこと考えられるわけがねぇ。なんかもっとこう、簡単にバーンといかねえのか?
「加護が発動する際に意識するのはそんなことなのか」
「はっ! 失礼いたしました、つい学術的になってしまい……。そのあたりのことは意識する必要はございません。意識するのは、体中にある細胞の一つ一つが、別の次元と重なっていることを自覚することです。ここではないどこかの世界とつながっているということを意識するわけです。ここで、精霊学の領域へ入ります」
ああ、それなら分かるぞ。精霊的なものをもともと人間は持ってるわけで、それを強く意識すればいいんだな!
「なるほど、理解した。精霊とはどのようなものか」
「はい、それは別の次元に存在する、力を持った存在のことです。実は人間は死んだらこの精霊になるのですが、この次元の肉体を持った私たちには知覚できない存在になるだけです。でも生きている人間それぞれが、肉体と精霊的精神をともに所有しています。魂というやつですね」
「ほう、そうきたか。魂という概念は理解できる。それは加護の力を司るものだったのか?」
「そうです。加護の力とは、言ってみれば魂の力なのです。ただし自分の魂の力ではなく、別の次元に存在している精霊から借りた力です。ですから、その別次元とのやりとりをするのに必要なだけの力を使い果たすと、魂が肉体から分離してしまいそうになりますので、加護体は肉体側の活動を抑制して魂の固定に注力し始めます。これが加護切れ現象です」
「なるほど! それで体が動かなくなるのか!」
つまり、別次元の力ばっかり使うと魂が抜けて死んでしまうから、ミトコンドリアが通常の活動を止めてMPの回復につとめるってことだな。
「ええ、そのような理由だったのです。そしてそのような精霊が存在することをしっかりと理解しなければ、詠唱をしても加護は使えず意味はないのですが……」
「理解しないまま使うとどうなるか?」
「恐るべきことです。そのようなことをしますと、1年は体が動かせなくなりますが……」
「なるほど……」
それで以前、俺の体は動かなくなったってわけか。ただの加護切れじゃなくて、魂が半分ぐらい持って行かれた状態、つまり植物人間寸前だったってことかよ! あっぶねえ。こっちに来てからは普通の加護切れの状態にしかならなかったってことは、なんとなく魔法が別次元の力を利用することを無意識に理解していたからかな。じゃああの時、俺はMPを使ってしまったのか。いったいどんな魔法を使おうとしてたんだよ。自分のことながら全然わからねえな。
「ですから子供のころから生物学、精霊学、詠唱学を覚えて、加護を使えるようになるまで時間をかけるのです。そのための学校というわけですね。さて、ざっくりとした説明でしたがご理解いただけましたでしょうか」
「うむ、加護の仕組み、よく理解できた。このような大切なことを教えてくれたことに深く感謝する」
本当にありがたい知識だ。これがあればもっと質の高い魔法を使えるだろうからなあ。トレイスさんにはいくら感謝してもしきれないぐらいだ。
「ミコト様に喜んでいただけて、私も講師冥利に尽きます。また何かあればいつでもお呼びください。それに、中央王家の書庫にはもっと詳しいものもありますし、いずれご覧になることと思います」
あっ、そうか。古い文献があるんだっけ? それを読めばさらにすごい魔法とかも手に入れられるかもしれねえな! めっちゃワクワクするな。トレイスさんは試験に落ちても見せてもらえたようだから、俺が試験に落ちちゃっても少し見せてくれるかもしれないし。
「ミコさんが加護に詳しくなってきたら、さらに加護の効果が増しますね! 本当に楽しみですよー!」
イエッサー! そのとおりですよマイシスター・サヤカちゃん! これでヒモみたいな生活からはおさらばできるわけですからね! 一人で生きていけるようになるわけだけど、でも……この、親しい人たちと共に居る生活も悪くない気がしているわけで。今までこんなこと考えたことがなかったからなあ。
「さて、私は子供たちの宿題を見てやることになっていますので、そろそろ失礼せねばなりません。どうもお邪魔いたしました」
「トレイス殿、今日は助かったぞ」
「ありがとうトレイスさん!」
「良い講義じゃったな」
「さて、そろそろ出発せねばならぬ日がやってきたわけじゃ」
「というか居候しすぎっすよマイカ様」
「良いではないか、良いではないか」
「どこぞの悪大臣みたいなこと言われても困るっす」
「悪大臣とはなんじゃ! 妾はそんなにあくどい面構えはしておらんわ!」
ひい。出かけるときぐらい静かにしてくださいませマイカ姫。
「なあ、そうじゃろうミコト殿……」
こっちに振ってくるなってば。マイカ姫は切れ長の目をした超美形だから。あくどい顔なんてしてませんから。
「マイカ殿は、とても美しい」
「うつっ……く……? は、はい……」
「うへえ。ご馳走様っす」
ふう、おとなしくなった。
さて試験開催まで残り6日になっちゃったわけでありますが、ギリギリまで居候し続けたマイカ姫はなんだか、やりきった感が溢れる表情だな。先週に全線開通した高速鉄道を使えば2日もかからずに中央王家へ行けるが、フォルクスさんが住まわせてもらっていたという家に挨拶をしないままこちらへ来てしまったため、試験を受ける前にしっかりと挨拶回りをしたいというので6日前の出発となった。つまりマイカ姫の無計画ぶりがここで暴露されてしまったわけだ。まったく、とんでもねえ姫様だな。
4日ほど余るが、それは中央領の見回りがてら観光でもすれば良いだろうということで、俺たちも一緒に向かうことになった。俺と、サヤカちゃん、フェルナさん、マイカ姫、フォルクスさんの5人パーティで冒険だったらいいが、試験へ向かうだけの受験旅行ってわけだ。
もうこの屋敷には戻らない可能性もあるからということで、衣服はすべて袋へ詰めて持っていく。中央王家に進呈するカレー粉を詰めたビンも持っていこう。あとは鎧と正宗くんぐらい。俺にとっては私物と言えばこれぐらいしかない。まだこの世界へ来て2か月も経っていないのだからこんなもんだろう。
でもできればまたここへ戻ってきたい。それが可能ならば。馬鹿親父はさておき、おふくろには一切親孝行をしてこなかったし、トオルと江里、それからカオルとかテツヤたち、高校の同級生たちとも、またみんなで騒いで遊びたい。最初はそれほどショックはなかったけれども、時間が経つに連れて、次第にもの悲しさが増していくこの感じはなんとかならないものか。失って初めて気づくんだな、人間ってのは。でも、もう二度と彼らに会うことはできないし、親孝行もできない。
だからこの子たちとも、今後もこうやって会うことはなくなるかもしれないが、それでもたまには酒を交わしたりしていきたい。騎士の試験に合格すれば騎士の道が待っているが、合格しない方がまた火王領に戻ってきて馬鹿ができるかもしれない。この2か月弱のスローライフは何物にも替えがたかった。こんなことを考える人間じゃなかったはずだったが、暖かい心に触れて俺は少し変わったんだ。でもそれがありがたい。何か恩返しをしたいが、俺にできることも限られている。
「もっと、恩を返さねば……」
「これ以上返すつもりかミコト殿!? これ以上無いほどの恩を与えたのはミコト殿の方で、恩を返さねばならないのは火王領民の方だとオレは思うのだがな」
「フェルナさん、ミコさんの言っている恩っていうのは、イデアの恩の方だと思うよ」
「イデアの恩だと? サヤカ、ミコト様はそれを分かって言っているのか? それは精霊の根幹だぞ。しかしそう考えればつじつまは合うか……」
「父上もその恩がミコさんには見えているようだとおっしゃっていたわ」
「イデアの恩が……見えるだと!? そんなものが見えたら、世界が創造できてしまうほどの力が取り出せるではないか」
「だから、それが太陽王という存在の強大さなのよ」
「オレは太陽王の力をまだまだ見誤っていたということか。もはや、神の領域だな」
「そうよ、だって太陽神の化身なんだから」
さあ意気揚々と客車に乗ったわけだが、ものすごい数の人たちが見送ってくれる。いや、別に俺を見送ってるわけじゃない。サヤカちゃんを見送ってるんだって。なんせこの領地のお姫様だからな。俺もサヤカちゃんの横でそれとなーく手を振ろう。あくまでサヤカちゃんの引き立て役として! うわ、うわー。みんな平服しちゃったよ。サヤカちゃん、やっぱり偉い人なんだなあ。
それにしてもいい音だ。蒸気機関車だけど石炭を使わず、火の加護を込めた力石を使ってるから黒い煙はでないし環境にもいい。でも音は蒸気機関車そのまんまだな。一度乗ってみたいと思っていたけど、初めて乗ったのが異世界とはね。それも自分で設計してるんだから世話がねえ。いやあ、良いものを作った。ちょっと振動が強いけど、馬車に比べたら格段に快適だ。
「おお、走り出したな。ふむ、ふむ。これは良いのう! 妾は気に入ったぞ!」
「飛空船だと風に揺られてちょっと気持ち悪くなるっす。鉄道はそんなに揺れないっすね。乗り物としては最上級っすよこれ」
マイカ姫もお気に入りのようで何よりでございますってか。できればマイカ姫は客車の揺れにまかせて眠りこけててくれればいいんだが。
「ご乗車ありがとうございます。アソノウチ特産の温泉卵はいかがですかー? お酒もございます。いかがでしょうかー?」
「おっ、お姉さん。お酒をください」
「毎度ありがとうございますー」
「こっちもください!」
「はい! ありがとうございます!」
おお、車内販売物を買ってる客がいっぱいいるな。こうやって土産を車内で売れば、売り上げは2倍。うんうん、俺の出した政策がちゃんと現場に落とし込まれてるな。まあJRの真似事ですけどね。つい買っちゃうんだよね、新幹線の中とかだと。なんでだろうね、不思議だね。
「さて、我は少しばかり眠るぞ。サヤカ殿も眠ると良いだろう」
「はい、ミコさん。出発の準備でお疲れですものね。じゃあ私も」
俺の隣に座っているサヤカちゃんはそう言うと、俺の膝の上に頭を乗せて横になってしまった。ちょっ、これなんて小動物? うはー、癒されるー。そして眠気が増大。いい夢見れそうだな。
キキィィィィ。
強烈なブレーキ音とともに機関車が止まってしまったことで、やっと目が覚めたが、あたりは既に暗くなりかけている。一体どうしたというのか。この周辺は林がまばらにある平地のようだ。
<お客様にお知らせいたします。この先で野生動物が線路上に居座っているという連絡が入り、念のため停止いたしました。追加の情報が入るまで、そのままお待ちください>
「なんじゃ、野生動物じゃと?」
「まさか魔獣ということもないであろう。落ち着いて待っていれば動き出すはずだ」
「ええと、確かにこの大陸では、魔獣は駆逐されましたが、それは単に現存する魔獣が駆逐されたというだけで、新たに虹色水晶を手に入れた魔獣が生まれれば、この大陸でも魔獣に襲われることになりますよ」
「サヤカ殿、ということはこの先の線路にいるのは……」
「そうです、魔獣の可能性もありますから気を付けるに越したことはありませんよ、ミコさん」
「もう少し行くと小さな街と駅があるはずだが。オレはアソノウチに来る際、そこへ立ち寄ったのだ。そのときはまだ工事をしていなかったが」
「まさか街が……」
「どうするっすか、ミコト殿」
え? 野生動物を追っ払いに行くかどうかってこと? まあ、加護でちょっと脅せば逃げていくだろう。
「よし行くぞ」
「さすがミコト殿だ」
俺たちは薄暗くなってきた外へと出て、運転手へこの先へ様子を見に行くことを伝えると、線路をつたって先へと進んでいった。
小難しいのはここまでですw
皆様、加護の仕組みは分かりましたでしょうか!?
これは基本で、この先物語の中でさらにミコトくんが深く掘り下げてくれるはずです。
中学の理科で習った内容だけど忘れちゃったって人がほとんどのはず。
だって生活で使わないですもんねw
さてさて、線路の先にいるのはいったい何でしょう。
そして5人は無事に中央領に到達できるんでしょうか!?