第15話 強い敵はレベルアップしてから
毎朝朝5時に日が昇る前から、自宅から火王城まで走って折り返し、温泉宿まで走る。魔法の力を借りず自分の足で走るという設定をしたその距離、約20キロ。既にハーフマラソンの領域だ。2時間半ほどかけて走りきる頃には7時半となっている。温泉でその汗を流した後に宿にある食堂でで朝ごはんを食べ、自宅まで歩いて帰る。
尊が無理矢理設定した、体力増強と瞑想を同時に行う修行だ。惑星ヴェガルではマラソンという発想が無かったらしく、そうやって走ることに何の意味があるのかとマイカが尊に問いかけたが、尊は「そこに道があるから」と意味深な言葉を吐いて答えた。
別に、尊は走るのが好きなわけではない。彼なりに導きだした、それを日課とするくらいでなければ第3試験の5400メートル級高山の制覇が不可能だろうという、飽くまで最低ラインだった。
しかし実は、20キロを走るという設定をして一番後悔したのは尊自身だった。実際、5キロほど走ったところでもう足が上がらなくなるほど疲れるのだ。20キロも走れば膝がおかしくなる。
「おいらは無理っす。ここで折り返すんであとはミコト殿だけで頑張るっす」
「はー…。はー…」
フォルクスが途中で抜けても、それに返答するという余計な体力すら無い。とにかく限界ギリギリなのだ。その姿を見てさすがのフェルナも「それは意味が無いのでは」と心配になっていたくらい、ただ体を痛めつける作業だった。
自宅まで戻ればマイカが回復の詠唱をかけてくれるからこそできることだが、自宅に辿り着くまでが精神的な戦いとなる。突然思いつきで始めたことだが、そこには尊なりの理論的な意味があった。
走り出すと意識が完全に飛び、余計なことを考えなくなる。その状態で魔法の仕組みについて深く考えると思考の進みは遅いが、深く考えられるのだ。トレイスから教わった詠唱は前提とする魔法の仕組みが抜けていた。その前提は全て、ソクラテスの教えからしか導き出せないものだ。この走りながら考える状態がまさに、尊が必要としていた瞑想状態だった。
地、水、火、風。そして古代の賢者ソクラテスの弟子プラトンは、そこに最後の要素を加え、「イデア」と呼んだ。イデアとは目に見えないもの、心の目によって見るものという意味のようで、その実体はよく分からないものだった。その単語は「アイデア」という言葉になり、現在では別の使われ方をしている。
4元素論、イデア論などと呼ばれる体系を古代ヨーロッパでは信じていたのだ。原子どころか陽子・中性子や電子、はたまたそれらを構成するクォークまでも理解している現代から考えると、幼稚な体系に見えるのだが、この惑星ヴェガルでは魔法の体系として存在しているのだ。
そこに奇妙な一致性を感じた尊は、さらに深く知ることで何か新しいものが得られそうな予感がしていた。
「マイカ殿、回復を頼む…」
「昨日より戻ってくるのが早くなったのう。どこまで速く走るつもりじゃ?」
「20キロを1時間30分で走れれば上等だ」
「狂気の沙汰じゃな」
マイカの右手が青く光り、尊の両足にその光を当てる。これだけで疲労が吹き飛ぶわけではないが、先に温泉に入っているため回復の度合いは早い。
「フェルナ殿。それでは昨日の続きを教えてくれ」
「ああ、任せておけ」
魔法の仕組み、魔獣の生まれる仕組みについてのさわりしか理解していなかった尊には、現役騎士が持つ知識は、この世界で生きていくには重要なものだった。尊はただ魔獣を倒していくだけの話よりも、魔獣がどのようにして生まれてくるのかを知る方が、倒す為に重要だと考えていた。
自宅に戻った尊が居間の長椅子に腰掛けると、同じようにくつろぐ居候の面々の前で、フェルナが新しい知識を与えていく。
「まず加護の元となるのは、中央王家の宮殿地下にある大型の虹色水晶。その水晶は珪素系生物で、どうやら意識がある」
「この星の住人はそこから力を借りているのだったな。我もその仕組みは驚いたぞ。我の父が言っていた通りだ。だが珪素系生物とはさすがに予想外だ」
「そう。ただしその力を引き出すには黒水晶が必要。黒水晶も意識を持つ水晶だ。その黒水晶の側へ行くと加護が開眼するのは昨日も話したとおりだ」
「我が何故、既に開眼しているのかは聞いていなかったが」
「極稀にいるんだ。虹色水晶の繋がっている先、あの太陽から直接力を借りられる人間が」
「ほう。それでは我は、変り種ということか?」
「そういうことだ。あまりいないが、それでもたまに現れる。それで、その黒水晶にどれだけ近づいたら開眼するかで、体内の加護の初期量が決まる」
「それを正確に計るのがこれだったのか。ちょうど計って欲しいと思っていたのでな」
「そう、これが計測水晶。それぞれ1つ1つに各属性の力を込めてある4つの水晶をまとめたもので、既に加護は許容量限界ギリギリまで入れてある。これに加護を注入できる距離で加護量が計れるのだが、計ることができた瞬間に水晶が破裂する」
「昨日、我がやったときは何メートルだったか? 少し離れていたようだが」
「12.1メートル。加護量は約242だ。無詠唱で大規模加護流を必要としない詠唱なら242回使える」
「ふむ、そんなものか。1000ぐらい行かないのか」
「あのな、ミコト様。これは既に異常な数値なんだぞ」
「そうなのか?」
「普通は0.8メートルとか1.5メートルとか、そういう数値だ」
「ほう、では常人の10倍ということだな」
「桁外れってことだ。それでもまだほんの少ししか開放していないみたいなんだからな」
「1000や2000は当たり前だろう。7000ぐらいはいかねば」
「それはもう加護量の数値じゃないな…。正直、オレはミコト様が恐ろしくなってきた」
よくあるロールプレイングゲームでの最終MP値ぐらいは無いといけないと考えていた尊には、240余りというのはかなり少ない数値に感じられた。
「ちなみにじゃが」
マイカがフェルナと尊の話に口を挟む。
「妾が最初にミコト殿に出会ったときには、今の3割ほどしか加護流を感じなかったのじゃ」
「ほう、それは興味深い。やはり最近何故か量が増えているのだな。肌で感じるぞ」
「やっぱり分かってたのか。オレもその増加が分かって驚いているんだ。普通、ここまで変化しない」
「まあいい、それはおいおい謎を調べるとしよう。魔獣の仕組みを頼む」
「そうだな。魔獣というのは、実はそれぞれ虹色水晶を体内に持っているんだ。人間が大型虹色水晶から力を得られるのと同じように、魔獣も体内の虹色水晶から力を得ている」
「つまり、体内の水晶の大きさで敵の強さが変わると」
「そう。虹色水晶の大きさが300グラムまでが準5級、500グラムまでが5級、700グラムまでが準4級、1キログラムまでが4級の魔獣だ」
「待て、その強さは見た目で分かるのか? そうでなければ級分けをする意味が無かろう」
「対象の生物が虹色水晶を得たときに変化する度合いで、だいたい何グラムの水晶を持っているかが分かるので級分けができるんだ」
「なるほど。たとえばどのような形になるのだ」
「簡単に言えば大きさ。100グラムあたりで体長が10センチは大きくなる。後は加護量がなんとなく分かる者には判定ができる。4級ともなると、加護量が50を超えるように見えるからな」
「見えるのか?」
「そう、見える。なんとなくだけどね。その上は2キロが3級、3キロが準2級、4キロが2級。そこから上はあまり居ないが5~7キログラムが準1級、7~10キログラムが1級だ」
「なるほど。水晶は10キログラムまでということだな」
「いや、その上がある」
「あとは全て1級ということか?」
「いや、10キロ以上は全て特級魔獣だ。三代目の太陽王は30キロの魔獣と戦ったらしい。ちなみに準1級が現れたら、火王領は下手すると全滅だな。こないだ現れたみたいだが」
「そうだ、そういえばこのあいだ龍が現れたときには、大きな音が街中に響いていた」
「大都市には魔獣が出没すると警報が鳴るんだ。オレも聞いたことがあるのは2級までだが、市民は全員警報の種類を知っている」
「種類があるのか」
「太鼓をドン、ドンと鳴らすのが4級まで。鐘をガーン、ガーンと鳴らすのが3級まで、ウーウーと低い音が鳴るのが2級までだ。準1級はウー、と高い音が鳴る。まあそれも市街地周辺に現れたときだけだな。魔獣が普通に生息している大陸ではそんな音は出てくれないからな」
「ほう、この間は確かに高い音だった。して、1級は?」
ウォンウォンウォン…。突然高い警報音が外から鳴り響いてくる。
「1級はそうそう、こういう音だ。ああッ!?」
「フェルナ様! これはヤバイっすよ!」
「ちょっと、どういう冗談よ!?」
突然の警報音にフォルクスとサヤカは飛び上がった。生まれてから一度も聞いたことが無かったが、それでも知識だけはあった音。絶対に聞いてはいけない音が今、鳴り響いていた。
外へ飛び出すと多くの市民がバタバタと走り回り、家屋へと逃げ込んで行くのが目に付いた。観光客は本来逃げ場が無いものの、近衛兵たちの指示に従って火王城内へと避難するようだ。そのかわりに鎧を着た者たちが、ちらほらと住宅から飛び出してくる。平均より強い加護を持つ者たちの自警団だ。
その市民たちが遠くアソノウチ南の外輪山頂を指さす。そこにはバサリと大きな音を立てて、赤い鱗を持つ巨体の魔獣が降り立っていた。
「赤龍ではないか…」
「1級か?」
「アレが攻撃の意思を持っていたら、死者の数は跳ね上がるんじゃ。200年前に水王領に現れたときには10万人が死んだんじゃぞ。だが何故火王領に…。これは、妾も覚悟せんといかんかもしれんのう」
マイカはなかば諦めるように、魔獣を見つめながら大きく溜息をついた。
今そんなのと戦ったら、死んぢゃうよ!(´Д`;)