第14話 抱き枕は健康に良いんです
尊がフェルナと出会ってから15日、試験まであと1ヶ月になろうとしていた。阿蘇よりも広大なカルデラは東西50km、南北60kmとほぼ円形になっている。アソノウチは阿蘇とは違ってほとんど完全な死火山となっており、数億年前に活動を停止したらしいことが分かる。それでも地熱は周辺より高く、大地に深く穴を掘れば60℃ほどの湯が湧き出す。場所によっては浅い地下水が地熱の高いところを通るため、湯が直接地上に湧き出す。
中央火口丘はそのまま火王城の敷地となり、一見すると山に囲まれた広大な盆地に小高い丘があり、そこに城が建てられているようにしか見えない。つまり、火王城は領地全てが見渡せる絶景のポイントとなっているのだ。
城からは放射状に道が延び、住宅地や耕作地、そしてカルデラ内の8割を占める森林の間を縫っていく。耕作地が住宅地とほぼ同じ面積でありながら、自給自足の生活ができているのは魔法、水の加護による生長強化のためだ。作付けをしてから僅か5日で収穫ができるため、作付け面積はほんの僅かで済んでいる。その効果で、森林面積を維持できているのだ。
(いつ見ても綺麗な街だなぁ)
尊は火王城に来るたびにその光景に目を奪われる。いつまで見ていても飽きないほど自然と調和した街並みが、心の平穏を与えてくれた。
「サヤカ、のんびりしている場合ではないぞ」
「は、はい父上…」
「マイカ姫だけならまだしも、フェルナ姫までサヤカの家に住み着くようになってしまったそうではないか」
「はい…。ミコさんが次々と求婚していくので…」
火王に呼び出されたサヤカは、他家の王女を自宅に留まらせていることについて咎められていた。
「太陽王だと自覚していればこそだろう。だがまだ、正妃は確定していない。サヤカがその座を射止めるには」
「射止めるには!?」
「夜這いだ。ミコト殿の寝所に潜り込め」
「はっ、はい!!」
ほんの少し離れた謁見の間でそのような不穏な計画が練られているとは、見晴らし場にいた尊は知る由もなかった。サヤカが呼ばれたというので何事かとついてきてみれば、別々に話をするからと追い出されたのだった。
(まあ、王族同士でしかできない話だってあるだろうしなあ)
今の尊の立場は、火王家から特別地域振興大臣の地位を与えられ給与まで支払われており、何不自由ない生活を送ることが可能になっているだけでなく、自由に火王城に出入りすることも可能となっていた。
火王城内には見学コースが作られ、1日あたり先着100名が近衛兵に付き添われて規定のコースを歩くことができる。これも12歳以下の子どもはその数に入れないというやり方で、家族連れが朝から先着順を手に入れるために1時間以上も並ぶという事態を巻き起こしていた。そのコースの中には見晴らし場もあるので、尊のすぐ横では子ども達が壮大な景色を見てはしゃいでいた。
「おじさん何してるのー!」
(うぉぉい。おじさん言われたぞ…。まだ21歳になったばっかりだってのに。はあぁ、初めておじさんと言われたのが異世界でとはね…)
「我はこの領地の行く末を考えておるのだ…」
尊が遠い目をしながら真面目に答えると、その子の母親がぎょっとする。
「あのっ!? もしかして火王家の候補者の方、ミコト様では!?」
「いかにも、我はミコト。ヤマトダイムーカノミ家のミコトである」
「お目にかかれて光栄です! どうかこの子の頭を撫でてやってください!」
(頭を撫でる? ちびっ子の頭を撫でるとなんかあるのか? そういう風習なのか)
「よかろう」
10歳になろうかという背の小さな男の子の頭を撫でてやると、父親と母親は感激して何度も頭を下げていた。
「おじちゃん、偉い人なんだー!」
「我は偉くなどない。ただの下僕である」(サヤカちゃんのね)
「あなた! このお言葉…」
「間違いない。伝承にある二代目、三代目の言葉と同じ…」
「今日という日を、私たちは忘れません! ありがとうございました!」
(大げさだなあ。なんか旅先で頭を撫でてもらうといいことでもあるんだろうか。そういうおまじないみたいなものか)
その夫婦が知っていた伝承、それは二代目と三代目の太陽王はたいへん気さくで、自らを国民の下僕と称したということだった。図らずも同じ言葉を尊が言ってしまったものだから、その夜、夫婦は温泉宿に戻りその言葉を方々からやって来た旅人たちに伝えていき、今度の火王家候補者が待望の太陽王に間違いないという噂が数日中のうちに惑星ヴェガルを駆け巡ることになる。
(俺分かっちゃった! サヤカちゃんの頭を撫でるのは間違ってない! ようし、もっと撫でちゃろう! いや、決して俺が撫でたいからだけでじゃないぞ!? ちびっ子の頭を撫でるのは良いことなんだー!)
尊は見晴し場から見える道筋を北へと目で追っていった。その先には他の領地へと延びる峠道があるのだ。鉄道はその峠道の途中から坑道を掘り、カルデラの外輪山を突き抜けていた。
城から延びる道をずっと北へ行くと水王領、そこはいくつもの湖が点在する人口180万人の大都市だということを、尊はサヤカから教わっていた。もちろん、大通りはそれらの湖を避けながら延びているので、鉄道の敷設にも問題は無い。
水王領への道を途中で東に向かうと、だいぶ行った先にフェルナの故郷、風王領がある。そこは丘陵地で、いくつかの谷に街が分散していつつも、それぞれの谷が人口50万人を超えており、合計200万人を超えるというこちらも大都市だということだ。
火王領、風王領、火王領の3つが「ヤマト大陸」にあり、すぐ隣接したところに陸橋を通じて「ムー大陸」がある。ムー大陸への陸橋は風王領への分かれ道を逆に行くとすぐに辿り着く。その先に、中央領があるのだ。地王領は中央領のさらに先にある。
(あの先にあるのが、まさかのムー大陸だよ…)
地理について尋ねた尊がその大陸名を数日前にサヤカから聞いたとき、尊は飛び上がるほど驚いた。考古学でもムーと言えば胡散臭いものと考える研究者がほとんどだったのに、蒼然は堂々と「実在する」と言い放っていたものだ。だがまさか、この異世界にあるとは思いもよらなかった。
(この様子だとアトランティスもあるんじゃないか? 馬鹿親父の言ってたことがどこまで正しいのか、試験に合格した後で調べられるだけ調べてやる)
うっすらと青い靄に包まれた遥か遠い外輪山を眺めながら、尊は考古学的見地から挑戦的になっていた。瞑想の内容はしばらく、蒼然の発言を思い出すことと、同じ研究室にいたソクラテス博士の言葉で埋め尽くされることになると、尊には思われた。
――瞑想というものは、常に行っていればいい。普段考えないことを深く考える。「何故」を10回繰り返せば、それで瞑想になる。フェルナさんが教えてくれた言葉は、わざわざ岩の上まで登って瞑想しようとしていた俺を嘲笑うようなものだった。あんなところに登ったって、コツが掴めていなければ瞑想も糞もねえ。俺の料理はそのコツを教えてくれたフェルナさんへの恩返しみたいなもんだ。
「さて、フェルナ殿」
「ふ、ふむっ!?」
「たんと食べられよ。これは我からの気持ちだ。この味を出すのは苦労したぞ」
「くっ。なんと嬉しいことを言ってくれるではないか…。して、この料理は何という料理か!?」
「ラーメンである。早く食べぬと小麦で作った麺が伸びるぞ」
「あい分かったッ! お主の気持ち、一身に受けこの料理いただこう! これでオレはお主のものだッ! 覚悟はできている!」
「うむ。では我もいただこう。む? 皆どうした?」
「この男、恐るべしじゃ」
「派手っすね。この後、何人捕まえる気っすかね」
「ミコさんの馬鹿ぁー!」
「皆も早く食べると良い。すぐに食べねばこの料理は不味くなるのだ」
「へいへい。いただきやっす」
なんでサヤカちゃんに馬鹿と言われたのかよくわからん。もしかしたら、メシはゆっくり食べるものじゃないと駄目なのかもしれないな。すぐに伸びて不味くなる料理を作っちゃだめってことか。
「うまいッ! これはうまいぞミコト殿!」
ハハハ、でもフェルナさん喜んでるし。すごい美味そうに喰うなぁ。あれっ、この人涙目? 顔真っ赤だぞ、急いで喰うからだよ。そうそう、蒸気が目に入ると涙目になるんだよな、むせたりもするし。それにしても男らしくていい喰いっぷりだなあ、見てるこっちが惚れ惚れするぜ。
――ミコト殿、いやミコト様と今日からお呼びすることにしなければ。オレはミコト様の手料理を、求愛の料理を食べた。「我からの気持ち」とは、熱いことを言うじゃないか。嬉しくて泣きそうになってしまったぞ。ミコト様もオレがちゃんと食べているのを、熱い目で見ていてくれた。
ミコト様はオレを一人の女として認めてくれたのだ。この世に生を受けて17年、王族の末席として憂き目に遭ってきたオレがミコト様に出会えたのは運命としか考えようがない。こんな考えを持つなんて、今までのオレでは考えようもなかったことだ。気恥ずかしい乙女心というものを忘れずに持っていたことに気づいたとき、オレの加護量は跳ね上がった。
他人を許容すること。それが多ければ多いほど加護量は増加する。ミコト様はおそらくそれに気づいていて室を増やそうと考えている。その考えにはオレも賛同する。太陽王は必ず大いなる災いを退けなければならないのだから、必要とする加護量も想像以上のものなのだ。
そのための協力ならいくらでもしたい。いや、してあげたい。どうもミコト様は抱きしめてあげたくなる男だ。今晩はオレが一晩中抱きしめていてやろう。
ん? ミコト様の部屋の扉の前に何かが…。くっ、先客がいたか…!? サヤカか。何をウロウロしているんだ。
「サヤカッ、何をしている」
「ええっ!? フェルナさんも!?」
「夜這いとははしたないぞ」
「フェルナさんだって同じでしょ!」
「オレは添い寝しようとしただけだ」
「わっ、私だって添い寝するんだもん!」
「声がでかいな。ミコト様が起きてしまわれる」
「もうっ、ここで喧嘩してるわけには…」
「もういい。2人でミコト様を温めて差し上げるのだ」
「ええー。2人でー?」
「不満か。オレだってそうだ。しかし仕方あるまい」
「むー」
「そう膨れるな。これからは妻同士、仲良くやろうではないか。そこを理解してやらねばつらくなるのはミコト様なんだぞ?」
「あぅ、そっか…」
「おっ、鍵がかかっていないな。いいか、こっそりとだぞ」
「う、うん」
――気持ちのいい布団だ。暖かくていい匂いがする。ああー、惰眠を貪るって最高だぜ。ん~、柔らかいな~。あれ? とうとう夢の中にまでサヤカちゃんとフェルナさんが出てきたか。やべえ、2人とも可愛いな。でもここにはマイカ姫はいないのは、騒がれるといやだからか。フハハハ、夢の中なら撫で放題だぜ。
「ミコしゃん…」
随分とリアルな感触だな。うーん、意識が遠のく…。
瞼の向こうに朝の光が当たる。だがおかしい、体が重い。それに女の匂いがする。あれえ? なんで3人で寝てるんだ? 記憶が無い。
「なっ、何だ…? 夢ではなかったのか?」
「む? 目が醒めたかミコト様」
「むにゃ」
「何をしている」
「夜這いのつもりで来たのだが。サヤカはまだ寝ているようだな」
「…結婚前の乙女がそのようなことをしてはいかん」
「乙女となッ」
「大事にせねばならぬ」
「だッ、大事に…? オレは…」
「どうした? 泣くな。可愛い顔が台無しぞ。むぐっ!?」
なんだ、いきなり抱きしめられちまったぞ!? なんだなんだ!?
「むにゃ? あっ! 何してるんですか!?」
それはこっちの台詞ですよ? チミたち、人様の寝床で何を、そして朝っぱらから突然、なんなんですかー!? ほらほら、ちびっ子の教育に良くないぞおおお!
「そういうことか。サヤカ、フェルナ。お主ら節操が無さすぎじゃぞ」
うわあ、超怒ってるよマイカ姫。なるほど、分かってきたぞ。こっちの世界では女が男を選ぶんか。まるっきりモテるつもりなんて俺にはなかったんだが、異世界人は興味深いからその気になっちゃったってことだろうな。
それってね、一時だけの幻想なんですよ。俺に見慣れてきたら飽きるって、絶対。そうやって結局捨てられるのは俺だって嫌だし。でもサヤカちゃんは違うよね。小動物的に暖を求めてきた感じ? まあ、この地方は今、暖かい季節っぽいけど朝は少し冷えるしね。
あ、そうか。いや待て、俺がモテるわけがない。分かった分かった。俺は抱き枕ってことかー! 男として見られてないってことだ。そうそう、俺は見た目平凡だからこっちの世界に生まれてたらこんなことにもなるわけがない。まあ抱き枕ぐらいにならなってやっても良い。そのくらいの自制心は持ち合わせてるっての。従者だし、抱き枕を要求されたら応えないと。
「そのくらいは良い」
「そうなのか、ミコト様」
「えっ! いいんですかー!」
「む…。妾が悪かった。そういえばミコト殿が一番節操無かったんじゃな」
あれ? マイカ姫は怒りを失ったようだな。そりゃそうだ、俺はサヤカちゃんの従者だし。そういえばフェルナさんの従者にも二重でなっちゃったんだっけ? そりゃしょうがねえよな。
次の日から、何故かマイカ姫まで俺を抱き枕にするようになっちまった。くうっ、この人たちは人様の睡眠を何だと考えてやがるんですか。超寝づらいんすけど…。頭がくらくらしてくるが、寝づらいがために体が動かせないのが幸い。下僕だからこそこんなもの耐えちゃるわー! でもこれじゃあ正直、どこまで耐えられるのかわからねえ。耐えられなくなったら勘弁してもらおう。一人で寝たいって言ったら勘弁してくれるんだろうか?
でもなんだかMP値がめちゃくちゃ増えた気がするのはなんでだ!? MP値については、そろそろ計る方法を聞いたほうがいいな。
じゃじゃ馬なフェルナ姫の心はこれでガッチリと(´Д`;)
にゃーにゃー言ってる水王家の姫は試験まで出てきません。
あと一人、地の立会い王女がおります。
姫たちとのドタバタに紛れて物語は静かに進行していきます。