第8話「パリス伯爵の受難」
ロミオが追放されて二日後。
まず、乳母が来た。
「お嬢様……ロミオ様はもうヴェローナには戻れません。いっそ、パリス伯爵をお受けになっては? あちらは裕福で、お顔も美しく……」
原作通りの台詞だ。原作では、この乳母の「手のひら返し」にジュリエットが深く傷つき、唯一の理解者を失って完全に孤立する——悲劇の重要な転換点。
だが。
「乳母。ロミオは三日で帰ってきますよ」
「三日で……? お嬢様、追放ですのよ?」
「三日で帰ってきます。そしてパリス伯爵の話をしたら、たぶんこの屋敷ごとチェストされます」
「…………パリス伯爵の件は、なかったことに……」
乳母の裏切りフラグ、即座に消滅。原作で最も悲痛なシーンが3秒で終わった。
---
そして案の定、キャピュレット卿が動いた。
「ジュリエット。パリス伯爵がお前との結婚を望んでいる。今度こそ、まともな相手と——」
「お父様」
「なんだ」
「私、もう結婚してます」
「……あの狂人とのことは認めておらぬ! あれは脅迫による無効な婚姻だ!」
まぁ、気持ちは分かる。大剣で脅されて認めた結婚式を有効と思いたくないだろう。
だが、事実は事実だ。ロレンス神父が正式に執り行った。神の名において。石床にヒビが入った教会で。
「とにかく、パリス伯爵とお会いしなさい。あちらが来てくださる」
断れない。いや、断ってもいいのだが——原作でも父の命令を拒否すると事態が悪化する。ここは穏便に、パリス伯爵本人を説得して辞退させる。
自分で処理する。現代人のコミュニケーション力で。
---
パリス伯爵は、見るからに「いい人」だった。
端正な顔立ち。穏やかな笑顔。紳士的な物腰。普通にスペックが高い。原作でもジュリエットの正式な婚約者候補として選ばれるだけある。
——普通なら、喜んで嫁ぐだろう。この人が夫なら、穏やかで幸せな結婚生活が送れるに違いない。
普通なら。
「おおジュリエット。こうしてお会いできて光栄です」
「パリス伯爵。わざわざお越しいただきありがとうございます」
「お父上からお話は伺っております。あなたを妻に迎えられるなら、これほどの喜びは——」
「パリス伯爵」
私は単刀直入に切り出した。回りくどいことをしている余裕はない。
「率直に申し上げます。私には既に夫がおります」
「……モンタギューのロミオ、ですか」
パリス伯爵の顔が少し曇った。だが、紳士的な態度は崩れない。
「聞いております。しかしキャピュレット卿は、あの婚姻は無効だと——」
「無効かどうかはさておき。パリス伯爵に、一つだけ事実をお伝えしたいのです」
「事実?」
「私の夫は——石壁を素手でへし折る方です」
パリス伯爵の笑顔が固まった。
「門番を一人で全員気絶させる方です」
「……」
「ティボルトを一撃で壁にめり込ませた方です。広場に人型のクレーターを作った方です」
「…………」
「そして、その人は三日で追放先から帰ってきます。もし私が他の男と結婚していたら——」
パリス伯爵の顔から、完全に血の気が引いた。
「——どうなるかは、ご想像にお任せします」
「…………」
「あなたのお気持ちは嬉しいんです。本当に。でも、巻き込まれたくないなら、今のうちに——」
「辞退いたします」
即答だった。
「この縁談は——光栄ですが——辞退いたします。キャピュレット卿にはそのようにお伝えください」
パリス伯爵は、紳士的に、しかし全力で逃げていった。
背中が少し震えていた。
「なぜよりによってあの狂人を……!」
書斎から漏れ聞こえるキャピュレット卿の嘆きが、廊下に響いた。
---
パリス伯爵、処理完了。
原作ではパリス伯爵は最終的に墓所でロミオに殺される。だが今回、パリス伯爵は自主的に撤退した。ロミオの噂の破壊力だけで。
つまり——ロミオは物理的にフラグを折るだけでなく、「噂」だけでもフラグを折れるということだ。もはや本人が不在でも被害が出ている。放射能みたいだ。
> パリス伯爵フラグ:消化済(伯爵が自主撤退)
> パリス伯爵の容態:無傷(精神的ダメージのみ)
> 心中バッドエンドまで:あと1日(ただしルートほぼ消滅)
> ロミオ帰還予想:明日
> キャピュレット卿の精神状態:限界




