第5話「ティボルトの決闘(物理)」
結婚式を終えて、教会を出た直後のことだった。
ヴェローナの中央広場を通りかかった時、私の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。
広場の向こう側に——ティボルトがいる。
キャピュレット家の剣の達人。私の従兄弟。そして原作において、悲劇のデスマーチを起動させる最大最悪のトリガー。
(来た……! 原作最大のデスフラグ!)
> ジュリエットの脳内Wiki:ティボルト決闘イベント
>
> 原作では——
> ティボルトがロミオに決闘を挑む。ロミオは最初は断るが、
> 親友マキューシオがティボルトに殺された怒りでティボルトを刺殺。
> この殺人によりロミオは追放処分。
> 追放 → 仮死薬 → すれ違い → 心中、という
> デスマーチの起点になるイベント。
>
> 重要度:最大。ここを回避できればバッドエンド確率は激減する。
つまり、ここでロミオとティボルトを戦わせてはいけない。
原作では、ロミオはティボルトに「戦いたくない」と言う。ジュリエットと結婚したから、ティボルトはもう親戚だからだ。でもティボルトがマキューシオを殺して——
いや、待て。
このロミオは「戦いたくない」とか言うタイプじゃない。
このロミオは——
「ジュリエット殿、あの男は何者か」
ロミオの目が、ティボルトを捉えていた。
獲物を見つけた猛禽類の目だ。全身の闘気が一瞬で臨戦態勢に切り替わっている。
「ちょ、待って! あれは私の従兄弟のティボルトで——」
「仇か味方か」
「どっちでもない! 親戚よ! 私たち結婚したから、あなたの親戚でもあるの!」
「ふむ」
ロミオが腕を組んだ。
「……しかし、あの男からは殺気が出ておるぞ」
振り返ると——ティボルトが、レイピアを握りしめて、こちらに向かって歩いて来ていた。
まずい。
「ロミオ、お願い、戦わないで! ここは私が交渉するから——」
---
「モンタギューのロミオ!」
ティボルトの声が広場に響いた。
華麗なフェンシングスタイルの、イケメンの貴公子。原作ではキャピュレット家きっての剣の名手で、その腕はヴェローナでも屈指とされている。
堂々とした足取りで近づき、レイピアの切っ先をロミオに向けた。
「昨夜の無礼、この剣で清算してもらう。覚悟しろ!」
広場に居合わせた市民たちが、慌てて距離を取った。「決闘だ!」「モンタギューとキャピュレットだ!」とざわめきが広がる。
マキューシオ——ロミオの陽気な親友が、横から飛び出してきた。
「ティボルト! お前の相手は俺だ! ロミオには指一本——」
「出会えェェェ!!」
——ジュリエットの交渉も、マキューシオの仲裁も、ティボルトの決闘の作法も。
すべてが、終わる前に。
ロミオが動いた。
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速い。
いや、速いとかそういう次元の話ではない。
ロミオは大剣を上段に構え、猿叫と共に——
「キェェェェェェ!!」
——広場を一直線に駆け抜けた。
ティボルトが反応した。さすがはヴェローナ屈指の剣士。華麗なステップワークでレイピアを構え——
「見せてやろう、不滅のパッサード! プント・リヴェルソ!」
イタリア最先端のサヴィオロ式フェンシング。美しい足運び。完璧な構え。ヨーロッパ貴族の剣術の粋を集めた——
迎撃の体勢を取る暇がなかった。
ロミオの野太刀が、一閃。
上段から真一文字に振り下ろされた刃が、ティボルトのレイピアごと——
ゴバァァァン!!
広場の石畳が、真っ二つに割れた。
衝撃波。粉塵。悲鳴。
煙が晴れた時——ティボルトは、広場に面した建物の壁にめり込んでいた。白目を剥いて。全身が石壁にクレーターの形でめり込んで、人型の穴が出来上がっている。
レイピアは折れていた。というか粉砕されていた。鋼の刃が紙のように千切れ飛んで、広場に金属の破片が散らばっている。
ロミオが大剣を肩に担ぎ直した。
「——峰打ちにごわす」
静寂。
完全なる静寂。
広場の全員が石像のように固まっていた。マキューシオが口を半開きにして震えている。市民たちは悲鳴を上げる余裕すらない。
「……お前、殺したのか……?」
マキューシオが、かすれた声で訊いた。
「生きちょるわ! たぶん!」
たぶん。
全員の思考が一致した——「たぶん」じゃ困る。
私は慌ててティボルトに駆け寄った。壁にめり込んだ従兄弟の体に触れる。
……脈はある。息もしている。
ただし、腕が変な方向に曲がっている。足も変な方向に曲がっている。たぶん全身の骨が折れている。
「生きてる……一応生きてる……」
「であろう! おいどんは手加減したでごわす!」
これが手加減。
石畳を真っ二つにして、人間を壁にめり込ませて、全身の骨を折るのが、手加減。
フルスイングだったらどうなるの。ヴェローナに更地ができるの。
---
「ロミオ!」
私はロミオに詰め寄った。
「なんで交渉するって言ったのに! 話を聞いてって言ったのに!」
「聞いておったぞ。『戦わないで、交渉する』と」
「聞いてたなら何で突撃したの!?」
「相手が先に剣を抜いたでごわす。剣を抜いた者には、チェストで応えるのが礼儀にごわす」
「どこの礼儀!?」
「薩摩の礼儀にごわす」
「ここはイタリアなの!!」
ロレンス神父が聞いたら泣いて共感するだろうツッコミが、私の口から飛び出した。
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広場が騒然としている。
ティボルトは壁にめり込んだまま動かない。マキューシオは「あり得ない……人間技じゃない……」と呟き続けている。市民たちが衛兵を呼びに走っている。
私は頭を高速回転させた。
(落ち着け。状況を整理しろ)
原作では、ロミオがティボルトを「殺して」追放処分になる。それがデスマーチの起点。
だが——ティボルトは生きている。全身骨折だが、生きている。
つまり、「殺人」ではない。傷害事件だ。
原作より軽い。追放で済むかもしれないし、もしかしたらもっと軽い処分で——
「ロミオ・モンタギュー!」
広場に、ヴェローナ大公エスカラスの使者が到着した。
「大公閣下の命により、ただちに裁きの場に出廷せよ!」
——来た。
原作通り、裁きのイベントだ。
でも大丈夫。ティボルトは生きている。殺人じゃない。正当防衛を主張できる。ティボルトが先に剣を抜いた。ロミオは——まぁ、やりすぎたけど——応戦しただけだ。
弁護すれば、なんとかなる。
なんとか——
「チェストォォォ! 裁きでも何でも受けてやるでごわす! 武士は裁きを恐れぬ!」
ロミオが嬉しそうに大剣を振り上げた。
「やめて! その大剣しまって! 反省してる感じ出して!」
「反省? 正々堂々の決闘で反省など——」
「お願いだからしまって! 裁判で不利になるの!」
ロミオは首を傾げたが、私の形相が本気だったからか、渋々大剣を背中に回した。
——「渋々」で収めてくれる。
このロミオ、全く制御が効かないように見えて、私の「お願い」にだけはギリギリ応じる。昨夜の舞踏会でも、バルコニーでも、そして今も。
それが唯一の——本当に唯一の——希望だった。
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広場には、ティボルトがめり込んでできた人型のクレーターが残された。
後日、この穴は「チェスト広場の奇跡」として語り継がれ、ヴェローナの新たな観光名所になるのだが——そんなことは、今の私には知る由もない。
> ティボルト決闘フラグ:消化済(物理的に)
> 追放処分フラグ:発生中
> 心中バッドエンドまで:あと3日
> ティボルトの容態:全身骨折、意識不明、生存
> マキューシオの容態:無傷(精神的ダメージのみ)
> ロレンス神父の胃薬消費:1瓶目(まだ事態を知らない)




