第4話「教会でのドタバタ祝言」
夜明け前。
約束通り——いや、約束「以上」に、ロミオは来た。
「ジュリエット殿! 迎えに来たでごわす!」
バルコニーの下から聞こえる声。私は寝不足の目をこすりながらバルコニーに出た。
下を見る。
ロミオが立っている。大剣を担いで。闘気を全身から放ちながら。朝焼けの中で、まるで出陣前の武将のようだ。
そしてその足元に——キャピュレット家の門番が5人、綺麗に並べられて寝ている。
「ロミオ」
「なんにごわす」
「チェスト自粛は?」
「善処したでごわす」
「どこが!?」
「昨夜は12人チェストしたが、今朝は5人で済ませた。これは善処にごわす」
数が減っただけだった。善処の定義がおかしい。
でも、壁は壊していない。柱も折っていない。ロミオなりの「善処」なのだ。
——基準がおかしくなっている。2日目にしてもう。
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私は使用人に気づかれないように——というか、ロミオが門番を全員気絶させたおかげで見張りがゼロだったので——堂々と正門から出て、ロミオと合流した。
「教会はこっちにごわす。道は昨夜チェストして聞いた」
「だから先にチェストしてから聞くのやめて」
「その方が効率的にごわす」
「効率の問題じゃないのよ……」
早朝のヴェローナの街を、私たちは歩いた。
超絶美少年と絶世の美少女が並んで歩く——本来なら絵画のような光景になるはずだが、片方が身の丈ほどの野太刀を担いでいるせいで、すれ違う市民が全員壁に張りつくように避けていく。
パン屋の主人が悲鳴を上げて店のシャッターを閉めた。中世にシャッターはない。板戸を全力で閉めた。
「ロミオ、街の人が怖がってるんだけど」
「失礼な話にごわす。おいどんは今日、人生で最も晴れやかな気分なのに」
あなたの晴れやかな気分と、街の人の恐怖は、比例しているのよ。
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ロレンス神父の教会に着いた。
石造りの小さな教会。朝の光がステンドグラスを通して柔らかく差し込んでいる。静謐で、神聖で、厳かな——
バァァァン!
ロミオが教会の扉を蹴り開けた。
「神父殿! 祝言を挙げろ! 今すぐにごわす!」
静謐が3秒で粉砕された。
祭壇の前で朝の祈りを捧げていたロレンス神父が、飛び上がるように振り返った。温厚そうな中年の修道士。穏やかな目元。——が、今はその目が限界まで見開かれている。
「な、なんだ貴様は! こ、ここは神の家であるぞ!」
「おいどんはモンタギュー家のロミオにごわす! この女子と祝言を挙げたい!」
ロミオが私の手を掴んで、ずいっと前に押し出した。
神父と目が合った。
「……あなたが、ジュリエット・キャピュレット嬢ですかな?」
「はい。あの、すみません、いきなりで」
「モンタギュー家の男と、キャピュレット家の娘が……結婚……?」
神父の顔が、混乱と驚愕と、そして——ほんの少しの希望で揺れた。
原作のロレンス神父は、この結婚を「両家の和解のきっかけになるかもしれない」と考えて引き受ける。その判断自体は同じらしい。
ただし。
「き、今日中にか……?」
「今すぐにごわす!」
「今すぐ!? 婚姻の手続きには——」
「断れば」
ロミオが大剣を床に突き立てた。石床にヒビが走る。教会が揺れた。
「——この寺ごとチェストするでごわす」
神父の顔から血の気が引いた。
私は慌ててロミオの前に割って入った。
「あの、神父様! 彼が申しておりますのは——」
翻訳だ。翻訳しなければ。薩摩語からイタリア語に——いや、人間語に翻訳するのだ。
「彼はですね、非常に結婚を楽しみにしているという意味です」
「えっ」
「一日も早く神の祝福を受けたい、という敬虔な信仰心の表れです」
神父が私を見た。ロミオを見た。床に突き刺さった大剣を見た。ヒビの入った石床を見た。
「……翻訳してくれているのは分かるが、内容がだいぶ変わっていないかね」
「気のせいです」
「チェストとは何語かね」
「鹿児島弁です」
「かごし……? ここはイタリアだが……?」
ですよね。
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ロレンス神父は、震える手で聖書を開いた。
結局、やるのだ。やるしかないのだ。
目の前に石床を割るほどの大剣を突き立てられて「No」と言える聖職者は、この世に存在しない。少なくともヴェローナには。
「で、では……かいつまんで、進めましょう……」
「神父様、ありがとうございます。本当に、本当にすみません」
「いえ……両家の和解のためならば……」
神父は自分に言い聞かせるように呟いた。原作通りの判断だが、原作の5倍くらい怯えている。
「汝、ロミオ・モンタギューは、ジュリエット・キャピュレットを妻として迎え——」
「チェスト!」
「……」
神父が止まった。
「あの、それは『はい、誓います』という意味でよろしいかな」
「チェストにごわす」
神父が私を見た。助けを求める目。
「……はい、彼は『誓います』と申しております」
「やはり翻訳が入るのだね……」
神父が深いため息をついた。
「では、汝、ジュリエット・キャピュレットは——」
「誓います」
「……」
神父が少し驚いた。
「ジュリエット嬢は、普通にお話しになるのだな。言葉の通じる方で助かる」
「ええ、私は普通の人間です」
「では、なぜこの男と?」
いい質問だ。私も聞きたい。なぜこうなったのか。
「……成り行きです」
「成り行き……」
神父の目に深い同情が浮かんだ。この人は分かってくれる。この人だけが分かってくれる。
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「——神の名において、二人を夫婦と認めます」
ロレンス神父は、疲れ切った声でそう宣言した。
結婚式はものの15分で終わった。参列者ゼロ。装飾ゼロ。花嫁のベールもない。あるのは、石床に突き刺さったままの大剣と、ヒビだらけの教会の床と、胃を押さえる神父だけだ。
原作では——ここはしみじみとロマンチックなシーンのはずだった。秘密の結婚式。二人だけの愛の誓い。ロレンス神父が優しく二人を見守る——
現実は、威圧と恐怖と翻訳で成立した強行結婚だった。
「ジュリエット殿! これでおいどんたちは夫婦にごわす! キェェェ——」
「しっ! 教会で叫ばないで!」
猿叫を寸前で止めた。ロミオは不満そうだが、ここは教会だ。さすがに。
「……ジュリエット嬢」
神父が私にそっと近づいてきた。
「何かあったら、いつでも相談に来なさい。この教会はいつでも開いている」
「ありがとうございます、神父様……」
「胃薬の持ち合わせはないかね」
「ありません。でもお気持ちは分かります」
私たちは無言で握手した。戦友の握手だった。
ロレンス神父——ツッコミ仲間にして、胃痛仲間。この人がいなかったら、私はこの5日間を精神的に生き延びられない。
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教会を出ると、朝日が完全に昇っていた。
ヴェローナの街に、新しい一日が始まる。
結婚した。
転生して2日目で、結婚した。
原作通りではあるが、原作の10倍は乱暴だった。秘密の結婚式のはずが、教会の床がヒビだらけという物的証拠を残してしまった。
だが——考えようによっては、悪くない。
原作では、この秘密結婚が後のすれ違いの原因になる。秘密だから、パリス伯爵との縁談を断れない。秘密だから、両家に話が通らない。
でも、昨夜の舞踏会で会場の全員の前で婚約宣言してしまった今、もう秘密でもなんでもない。キャピュレット家の全員が「ジュリエットはモンタギューの狂人と結婚する」と知っている。
つまり——原作の「秘密結婚による情報の非対称性」というバグは、ロミオが秘密にする能力がゼロだったおかげで、勝手に修正されたことになる。
……デバッグしたのではなく、バグがバグを潰した。
こんな修正方法があるのか。
「ジュリエット殿、これより二人の新しい日々が始まるでごわす!」
「ええ。そうね」
新しい日々。
それがどれほどの嵐になるか——私はまだ、半分も理解していなかった。
> ティボルト決闘フラグまで:あと5時間
> 心中バッドエンドまで:あと3日
> 教会の修理費:見積もり中
> ロレンス神父の胃薬消費:1瓶目




