第3話「バルコニーの密会(物理)」
深夜。
仮面舞踏会の惨劇から数時間後。キャピュレット家は騒然としていた。
破壊された大広間の修復作業。気絶した衛兵たちの介抱。「モンタギューの狂人が来た」という恐慌。そして何より——「ジュリエット様がモンタギューの男に嫁ぐと言った」という衝撃。
キャピュレット卿は書斎にこもって頭を抱えているし、ティボルトは「必ずあの男を斬る」と息巻いているし、使用人たちはひそひそと噂話に花を咲かせている。
私のせいだ。全部私のせいだ。
いや、正確にはロミオのせいだ。あの仕様外のバグのせいだ。
——でも、勢いで「嫁に行く」と宣言したのは、紛れもなくこの私だ。
はぁ。
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寝つけなかった。
当たり前だ。寝つけるわけがない。転生2日目にして人生が崩壊している。
私はドレスのままバルコニーに出た。
夜風が心地いい。ヴェローナの夜空には星が散りばめられていて、月が煌々と輝いている。これだけ見れば最高にロマンチックだ。中世イタリアの令嬢として、月を眺めながら恋に思いを馳せる——原作通りの美しい夜。
原作通り。
そう、原作では、この夜——ジュリエットがバルコニーで独白するのだ。
世界一有名なあの台詞を。
「おおロミオ、ロミオ。あなたはなぜ、ロミオなの」
原作のジュリエットは、ロミオがモンタギュー家の人間だから嘆く。敵の家の男を好きになってしまったという、運命の残酷さを嘆く。
私はため息をついた。
「おおロミオ……」
口をついて出た。半ば無意識に。
「あなたはなぜ——そんなに物理なの」
原作とちょっと違う嘆きになってしまった。
まぁでも、気持ちは同じだ。「なんでよりによってあんなのが」という嘆き。家柄の問題じゃなくて、人格の問題だけど。
「なぜ普通のロミオになってくれないの……繊細で、優しくて、詩を吟じるような——」
ガゴォォォォン!!
バルコニーの真下から、衝撃音。
見下ろすと——石壁が砕けていた。キャピュレット家の外壁に、人がひとり通れる大穴が開いている。
そして、その穴から——
「ジュリエット殿! 呼ばれた気がしたでごわす!」
ロミオが、石壁の破片を全身に浴びながら、満面の笑みで立っていた。
「呼んでないわよ!!」
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「門番はどうしたの!?」
「チェストした」
「だから全員気絶させるのやめて!」
「気絶ではなか。眠らせたでごわす。優しくチェストしたゆえ、死人は出ておらぬ」
「優しくチェストってなに!?」
ロミオは私の叫びを完全に無視して、バルコニーの下から見上げていた。
「ジュリエット殿! 今から行くでごわす!」
「行くって、ここ2階——」
言い終わる前に、ロミオは動いていた。
バルコニーを支える石柱に手をかけ——
ばきっ。
素手で柱の出っ張りをへし折って足場にし、そのままとんでもない跳躍力で2階まで一気に飛び上がった。
バルコニーの手すりを片手で掴み、大剣を背負ったままひょいと乗り越えて着地。
「——到着にごわす」
「壁のぼるな! 階段使って! ていうか来るな!」
「招かれたゆえ来たでごわす」
「招いてない!」
「『おおロミオ』と呼んでおったではないか」
……聞こえていたのか。
よりによって、あの独り言を。
恥ずかしさで死にたい。転生先で二回死ぬことになる。
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ロミオは遠慮なくバルコニーの椅子に腰を下ろした。大剣を手すりに立てかける。手すりがミシミシ言っている。
「ジュリエット殿。明日の段取りを伝えに来たでごわす」
「段取り?」
「祝言の段取りにごわす。夜明けと共に教会へ向かう。ロレンスという神父がおるとの情報を得た」
ロレンス神父。原作で秘密の結婚式を執り行う人物だ。その情報は正しい。
——が。
「情報を得たって……どこから?」
「チェストした」
「誰を!?」
「街の酒場の主人にごわす。『ヴェローナで一番の神父は誰か』と訊いたら教えてくれた」
「それ普通に訊いただけでしょ! チェストしてないでしょ!」
「訊く前にチェストした」
「先にチェストしたの!? 訊いてからチェストするならまだ分かるけど、順番逆じゃない!?」
「チェストしてからの方が、相手が素直に話すでごわす」
……反論できない。論理は滅茶苦茶だが、事実としては正しい。チェストされた後に嘘をつける人間はいない。いないけど、それは恐喝というのだ。
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「して、ジュリエット殿」
ロミオが急に真っ直ぐな目で私を見た。
月明かりに照らされた横顔は——悔しいけど、本当に綺麗だった。原作設定通りの超絶美少年。この顔で「おおジュリエット、君はヴェローナの月よりも美しい」とか言ってくれたら100点なのに。
「おいどんは、明日よりジュリエット殿を命に代えても守るでごわす」
——oh。
ちょっと、それは。
「何人たりとも、ジュリエット殿に指一本触れさせぬ。キャピュレットの親父殿が反対しようと、ヴェローナ大公が立ちはだかろうと、おいどんの剣がある限り——」
「ロミオ、」
「——チェストで、全て解決するでごわす」
「台無しよ」
いい感じだったのに。着地が全部チェストなの、どうにかならないの。
でも——
不思議と、嫌じゃなかった。
この人は、言葉が圧倒的に足りない。語彙の9割がチェストで構成されている。だけど、目は本気だ。命に代えて守る、というのは比喩じゃない。この人は本気でそうする。本気で剣を振るう。
原作のロミオは、言葉は美しいけど、最終的にすれ違いで死ぬ。
このロミオは、言葉はチェストしかないけど、すれ違いが発生する余地がない。なにせ全部正面突破だから。
——もしかして、これはこれで、悪くないのかもしれない。
いや、悪いよ。悪くないことはないよ。石壁を壊すな。門番を気絶させるな。
「……分かったわよ。明日の朝、教会ね」
「おお! ジュリエット殿!」
「ただし! 条件がある」
「申せ!」
「教会に行くまでの間、誰もチェストしないで。一人も。一回も」
ロミオが目を丸くした。
「……一回も?」
「一回も」
「…………それは、難儀にごわす」
「難儀じゃないの! 普通の人は一生の間に一回もチェストしないの!」
「一生チェストせぬ?」
ロミオは心底信じられない、という顔をした。呼吸するなと言われたような顔だ。
「……ヴェローナの民は、どうやって問題を解決しておるのか」
「話し合いで!」
「……」
ロミオは腕を組んで、長い長い沈黙の後——
「善処するでごわす」
善処。
この人から出る日本語の中で一番不安な言葉が出た。薩摩武士の「善処」は、現代社会の「善処します」と同じくらい信用ならない。
でも、今はそれで妥協するしかない。
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「では、明日。夜明け前に迎えに来るでごわす」
「迎えに来るのはいいけど、正門からは——」
「わかっておる。今度は壁を壊さぬ」
「ありがとう」
「柱を折って登るでごわす」
「それもダメ!」
ロミオはにやりと笑い、バルコニーの手すりから外側に身を乗り出すと——そのまま2階から飛び降りた。
ドォン、と重い着地音。
石畳にヒビが入っている。
「明日、夜明けに! キェェェェ!」
猿叫が夜のヴェローナに響き渡った。
遠くの家から犬が吠え始め、さらに遠くからも犬が呼応し、夜のヴェローナに犬の合唱が広がっていく。
「お嬢様! いま何か恐ろしい声が——!」
慌てて駆けつけた乳母に、私は疲れ切った笑顔で答えた。
「大丈夫。夫からの、おやすみの挨拶よ」
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バルコニーのシーンは、原作では世界で最もロマンチックな場面として知られている。
月明かり。甘い詩。永遠の愛を誓う二人。
現実はこうだった。
石壁が破壊された。柱がへし折られた。「チェスト」がプロポーズ代わりだった。門番は全員気絶していた。犬が遠吠えしていた。
……情緒もクソもない。
> ティボルト決闘フラグまで:あと8時間
> 心中バッドエンドまで:あと3日と12時間
> ロミオのチェスト自粛:あと(善処中)




