第2話「このロミオ、仕様外です」
仮面舞踏会の夜が来た。
キャピュレット家の大広間は、色とりどりの仮面をつけた貴族たちで溢れ返っている。シャンデリアの灯りがきらめき、弦楽器の調べが流れ、貴婦人たちのドレスが華やかに揺れる——いかにも中世イタリアの社交界、という光景だ。
で、私はその片隅で柱の影に隠れている。
控えめに。目立たないように。
今夜のミッションは単純だ。ロミオを観察する。それだけ。
原作では、この仮面舞踏会でロミオとジュリエットが出会い、一目惚れし、運命の恋が始まる。つまり、ここが全ての起点。ここさえ慎重にやれば、その後の展開をコントロールできる。
焦るな。焦るな、私。
> ティボルト決闘フラグまで:あと20時間
> 心中バッドエンドまで:あと4日
まだ余裕がある。原作のロミオは「繊細で詩的なナイーブ青年」だ。仮面の下からドキドキしながらジュリエットを見つめて、甘い詩を囁いて——という流れ。
私はそれに合わせて、程よく距離を取りながら、穏やかに会話を——
ドォォォォン!!
「——え?」
大広間の正門が、吹き飛んだ。
比喩じゃない。文字通り、吹き飛んだ。厚さ10センチはありそうな樫の木の扉が蝶番ごと引きちぎれて、大理石の床を滑っていく。
弦楽器が止まった。
貴族たちの悲鳴が上がった。
そして——煙の向こうから、それは現れた。
身の丈ほどもある巨大な野太刀を右肩に担ぎ、仮面もつけず、目を血走らせた超絶美少年が、破壊された門の残骸を踏みしめてゆっくりと入場してきた。
全身から湯気のような闘気が立ち上っている。
その第一声が——
「名乗るでごわす! モンタギュー家が嫡男、ロミオにごわす!」
会場が、凍った。
文字通りの、完全なる沈黙。
シャンデリアの蝋燭がジジ、と音を立てた。誰かのワイングラスが手から滑り落ちて、パリン、と割れた。
モンタギュー家。
——モンタギュー家!?
ここはキャピュレット家の舞踏会だ。モンタギュー家は数世代にわたる不倶戴天の敵。その嫡男が、仮面もなしに、正面から、名乗って、しかも——
「な、なんだこの扉は! 誰がやった!」
「ロミオにごわす! 門番が通さぬゆえ、チェストした!」
チェストした。
チェストしたって何。
——待って。「チェスト」。その単語、前世の記憶にある。
> ジュリエットの脳内Wiki:チェスト
>
> 確かテレビで見た。日本の剣術で叫ぶ掛け声。
> 薩摩示現流——鹿児島の剣術流派が使う気合。
> 初太刀に全てを賭け、上段から一刀両断。
> 「二の太刀要らず」。最初の一撃で終わらせる。
>
> そしてこの掛け声の語源が——「チェスト(知恵を捨てろ)」。
> 考えるな。迷うな。ただ、斬れ。
>
> ……なんでイタリアの貴公子がこれを叫んでるの?
私は柱の影で、口をぱくぱくさせていた。思考が追いつかない。
原作のロミオは、仮面で変装して、こっそり忍び込んで、人混みに紛れて、ジュリエットを遠くから見つめて、ドキドキしながら——
——正面から名乗った!? 扉を破壊して!?
「このロミオ……仕様外だ……!」
私の知っているロミオは、どこにいったの。
---
「貴様! モンタギューの犬が!」
最初に動いたのはティボルトだった。華麗なフェンシングスタイルでレイピアを構え、ロミオに詰め寄る。
私の脳が警報を鳴らした。
(まずい! ティボルトが仕掛けたら決闘フラグが——!)
だが、その前にキャピュレット卿——私の「父」が割って入った。
「ティボルト、やめろ! 客人であるぞ!」
「しかし叔父上! こやつはモンタギューの——」
「わかっている! だが舞踏会で血を流すわけにはいかん!」
原作通りだ。原作でもキャピュレット卿がティボルトを止める。ここは仕様通り。
私はほっと息をついた——
「キャピュレットの主殿! おいどんは今宵、貴殿の娘を嫁に貰いに来たでごわす!」
——息を吸い直した。
待って。
なんて言った今?
ロミオが会場の中央で、大剣を肩に担いだまま、堂々と宣言していた。
「噂に聞く絶世の美姫、ジュリエット殿! どこにおるか! 名乗り出よ!」
会場の全員の視線が、きょろきょろとジュリエットを探し始めた。
私は柱の影でさらに小さくなった。
出たくない。絶対に出たくない。
だって、あれはロミオじゃない。あれはなにかの間違いだ。原作のロミオは繊細で、ポエマーで、「おおジュリエット、太陽よりも美しい」とか言うタイプで——
「おなご! そこにおるな? 柱の影から気配がするでごわす!」
バレた。
ロミオがずんずんとこちらに歩いてくる。一歩ごとに石の床が軋む。野太刀の切っ先が揺れるたびに、道を開ける貴族たちが将棋倒しになりかけている。
そして——私の目の前に立った。
近い。近すぎる。顔面がいい。とんでもなくいい。原作の設定通り超絶美少年なのだが、しかしその瞳は完全に据わっていて、全身から放たれる威圧感が尋常じゃない。
「おなご! 名を申せ!」
「いやまず名乗る前にその剣しまって!?」
気づいたらツッコんでいた。本能的なツッコミだった。
ロミオが不思議そうな顔をする。
「剣? これはおいどんの魂にごわす。寝る時も食う時も手放さぬ」
「寝る時も!?」
「当然にごわす。武士が刀を手放すなど、裸で戦場に出るに等しか」
「ここ戦場じゃないの! 舞踏会なの!」
「似たようなものにごわす! 敵地への殴り込みじゃからな! わっはっは!」
笑い事じゃない。本気で笑い事じゃない。
周囲の貴族たちが引きまくっている。ティボルトが剣を握る手をわなわなと震わせている。キャピュレット卿が額に手を当てている。
なのに、このロミオという男は——
「して、おなごの名は?」
「……ジュリエットよ。ジュリエット・キャピュレット」
言ってしまった。
ロミオの目が、かっと見開かれた。
「おお! ジュリエット殿か! 噂に違わぬ美しさ!」
ロミオの手が——私の手を取った。
握力がおかしい。指の骨が軋んでいる。これは手を握っているのではなく、手を拘束している。
「おいどんと共にモンタギューへ来るか! それとも今ここでキャピュレット家を平定するか! 二つに一つにごわす!」
「選択肢のスケールがおかしいのよ!」
思わず叫んだ。
結婚してください、じゃないの? 付き合ってください、じゃないの? なんで「一緒に来るか、ここを制圧するか」の二択なの?
「モンタギューへ来るか」っていうのは百歩譲って求婚として、「キャピュレット家を平定する」ってなに? 私の実家よ?
「ロ、ロミオ」
声が震えている。だめだ。圧が強すぎて思考がまとまらない。
「あの……少し、話し合いませんか。もう少し穏やかに——」
「話し合い?」
ロミオが首を傾げた。
「話し合いとは、小細工にごわす?」
「小細工じゃないの! コミュニケーションって言うの!」
「こみゅに……?」
「会話のことよ! お互いの気持ちを言葉で伝え合う行為!」
「ふむ」
ロミオが真剣な顔で腕を組んだ。
「ならば——チェスト、にごわす」
「……は?」
「おいどんの気持ちは、チェスト、ただそれだけにごわす」
「情報量がゼロなの!」
無理だ。この人と会話が成立しない。
コミュニケーション不足が悲劇の原因? 違う。コミュニケーション不足以前の問題だ。この人には伝えるべき「言語」がそもそも備わっていない。全部「チェスト」で完結する思考回路なのだ。
——語源が「知恵を捨てろ」らしいけど、納得しかないわ。
---
「ジュリエット! あの野蛮人から離れなさい!」
キャピュレット卿が衛兵を引き連れてきた。ティボルトもレイピアを構えて後ろに控えている。
ロミオは振り返りもしなかった。
「キャピュレットの主殿。おいどんはジュリエット殿を嫁に貰う。異存はあるか」
「あるに決まっておろう! モンタギューの小僧が、我が娘に——」
「ならば」
ロミオが大剣を肩から降ろした。
ずん、と空気が変わった。大広間の温度が3度くらい下がった気がする。
「——チェストで決着をつけるでごわす」
衛兵たちが一歩後ずさった。ティボルトの顔から血の気が引いた。
「やめて!」
私は反射的にロミオの前に立ちはだかった。
「やめて、ロミオ! ここで暴れたらもっと話がこじれるの! 分かる? 分かるよね? ……分からないか」
ロミオが私を見下ろす。目が完全に据わっている。
「ジュリエット殿。おいどんの嫁になる気はあるか、ないか」
「……あるわよ! あるから! だからいったん剣しまって!」
言ってしまった。
勢いで言ってしまった。
会場がざわめいた。キャピュレット卿が崩れ落ちた。ティボルトが「なんだと!?」と叫んだ。
でも、こうするしかなかった。ここでロミオが暴れたら——原作の5日間どころか、今夜中にヴェローナが更地になる可能性がある。
ロミオの顔が——ぱあっと輝いた。
据わっていた目が、少年のように無邪気に光った。
「真か! ジュリエット殿!」
「真よ! だ・か・ら・剣・を・しまって!」
「おお! これは目出度い! キェェェェェェ!!」
猿叫。
大広間の窓ガラスが全部、びりびりと振動した。シャンデリアの蝋燭が半分吹き消えた。何人かの貴婦人が気絶した。
ロミオは歓喜のあまり大剣を振り回しながら——
「明日、夜明けと共に神父のところへ祝言を挙げに行くでごわす! チェストォォォ!」
「やめて振り回さないで! 人に当たって——あ、当たった」
パリン。バキ。ドサドサ。
倒壊するテーブル。吹き飛ぶ食器。逃げ惑う貴族。気絶する衛兵。阿鼻叫喚の仮面舞踏会。
その中心で、ロミオは嬉しそうに笑っている。
私は、瓦礫の中でぽつんと立ち尽くしていた。
---
仮面舞踏会は、歴史的な大惨事のうちに幕を閉じた。
死者はいない。奇跡的に。
だが負傷者は17名。気絶者は23名。大広間の修理費は見積もり不能。キャピュレット家の社交的な信用は地に落ちた。
ロミオは「気持ちの良い宴であった!」と上機嫌で帰っていった。
私の「生存計画 ver.1.0」は、起動してから6時間で完全に崩壊した。
---
深夜。
自室のベッドで天井を見つめながら、私は今後の方針を再検討していた。
> ジュリエットの生存計画 ver.1.0 → ステータス:破棄
>
> 理由:ロミオが仕様外のバグ。想定していた
> 「繊細でポエマーなナイーブ青年」は存在しなかった。
> 実際のロミオは、武装した狂人だった。
まずい。非常にまずい。
原作の知識が使えない。原作のロミオと、目の前のロミオが、名前以外に共通点がない。
原作のロミオ:繊細、詩的、ロマンチスト、涙もろい。
このロミオ:大剣、猿叫、チェスト、門を破壊する。
別人だ。完全に別人だ。
しかも……嫁に行くと言ってしまった。勢いで。原作では秘密の結婚式のはずが、会場の全員の前で婚約宣言してしまった。隠密もクソもない。
思考を整理する。
悪い面:計画が全壊。ロミオが制御不能。隠密路線は不可能。
良い面:……ロミオは、意外と単純かもしれない。「嫁になるか」にYesと言ったら、それだけで満足して暴走を止めた。つまり、私がYesと言い続ければ、ロミオは機嫌がいい。機嫌がいいロミオは、たぶん……まだマシ。
……マシ?
石壁を粉砕して門番を全員気絶させる男が、「マシ」?
基準がおかしくなっている。すでに。
だめだ。考えるのをやめよう。明日の朝、ロミオが神父のところに来る。そこでなんとかする。なんとか……する。
「……私のサバイバル計画、いったいどうなっちゃうの~~~!?」
ジュリエットの叫びは、ヴェローナの夜空に虚しく消えていった。
> ティボルト決闘フラグまで:あと14時間
> 心中バッドエンドまで:あと3日と18時間




