第1話「転生先は悲劇のヒロインでした」
死んだ。
……らしい。
正直、よく覚えていない。確か仕事帰りに横断歩道を渡ろうとして、信号が青で、それなのになぜか視界の端から猛スピードの光が——というところで、記憶が途切れている。
つまり、私は死んだ。
交通事故。即死。享年二十四歳。独身。彼氏なし。趣味は動画鑑賞とコンビニスイーツの新作チェック。遺産はワンルームの家具と、半分だけ貯まったポイントカード。
——なんて人生だ。
せめてもう少しドラマチックな死に方はなかったのか。戦場で銃弾に倒れるとか、愛する人を庇って刺されるとか。いや別にそんなの望んでないけど、せめて「横断歩道で轢かれました」はあんまりじゃないか。
で。
なぜか私は、今、生きている。
生きている——のだが。
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「お嬢様、おはようございます。素晴らしい朝ですわ」
目を覚ましたら、知らない天井だった。
石造りの天井。高い。やたら高い。教会かと思うくらい高い。そしてベッドがでかい。ワンルームの部屋より広いんじゃないかこのベッド。枕元にはレースのカーテンが垂れ下がっていて、部屋中に花の香りが漂っている。
そして目の前には、中世ヨーロッパの衣装を着た、ふくよかな中年女性が立っていた。
「……どちら様?」
「まぁ、お嬢様ったら。乳母のことを忘れるなんて、昨晩のお酒が過ぎましたかしら。うふふ」
乳母。
お嬢様。
石造りの天井。
中世ヨーロッパ。
嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。
「あの……ここ、どこ?」
「どこって。キャピュレット家のお屋敷に決まっていますわ。お嬢様ったら、おかしなことを仰る」
キャピュレット家。
——キャピュレット家?
私の脳内で、高校の国語の授業が高速再生された。
キャピュレット家。モンタギュー家との遺恨。ヴェローナ。仮面舞踏会。バルコニー。「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの」。追放。毒薬。墓。心中。
シェイクスピアの、あの「ロミオとジュリエット」。
私はゆっくりと、ベッドの横にあった鏡を覗き込んだ。
——絶世の美少女が、こちらを見ていた。
金色の巻き毛。透き通るような白い肌。宝石のような青い瞳。どう見ても14世紀イタリアの令嬢で、どう見ても私の顔ではない。
「……嘘でしょ」
「お嬢様? お顔の色が優れませんわ」
「嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ」
転生だ。
ニュースとかで見たことがある。異世界転生。トラックに轢かれて目覚めたら別の世界。小説とか漫画ではよくある設定。まさか自分がそうなるとは思わなかったけど。
しかも転生先が——ジュリエット。
シェイクスピア四大悲劇の前座にして、世界で最も有名な「5日で死ぬヒロイン」。
私はベッドの上で頭を抱えた。
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落ち着け。落ち着くんだ、私。
乳母に「少し一人にして」とお願いして部屋から出てもらった後、私はベッドの上であぐらをかいて(ジュリエットとしてはあり得ない姿勢だろうが、知ったことではない)、状況を整理した。
まず、確認。
私はジュリエット・キャピュレットに転生した。場所はイタリア・ヴェローナ。時代は中世。家はキャピュレット家で、モンタギュー家とは数世代にわたる血の遺恨がある。
そしてこの物語は——5日間で終わる。
原作の展開を、覚えている限り思い出してみる。高校の授業でやっただけだから細部は怪しいけど、大筋はこうだ。
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> ジュリエットの脳内メモ:原作の仕様書
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> Day 1(夜):仮面舞踏会でロミオと出会う → 一目惚れ
> Day 2(早朝):バルコニーで愛を誓い合う → 秘密の結婚式
> Day 2(午後):ティボルトとの決闘 → ロミオが追放される
> Day 3:ロミオ、マントヴァへ出発
> Day 4:ジュリエット、仮死の薬を飲む(ここが最大のバグ)
> Day 5:墓所ですれ違い → 心中(バッドエンド確定)
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> 結論:クソゲー。
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冷静に分析すると、この悲劇の原因は明確だ。
第一に、コミュニケーション不足。ロミオとジュリエットは秘密主義すぎる。両親に黙って結婚するから話がこじれる。
第二に、周囲の暴走。ティボルトが喧嘩を売らなければロミオは追放されない。ロレンス神父が仮死薬なんて回りくどい計画を立てなければ、すれ違いの心中は起きない。
第三に——そもそも5日で結婚から心中まで行くタイムスケジュールが異常。どんなデスマーチだ。ブラック企業でもここまでの短納期は要求しない。
つまり、対策は簡単。
すべての原因を事前に潰せばいい。
私には原作の知識がある。「仕様」が分かっているなら、バグを回避するのは難しくない。
私はベッドの上で(あぐらのまま)、生存計画を策定した。
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> ジュリエットの生存計画 ver.1.0
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> 【方針】5日間を生き延びる。誰も死なせない。
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> 対策1:ロミオとは穏やかに交際する
> → 秘密主義をやめて、適切なタイミングで両家に公表する外交ルートを構築。
>
> 対策2:ティボルトとの決闘フラグを事前に回避
> → ティボルトとの和解、または物理的に広場に行かせない。
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> 対策3:ロレンス神父の仮死薬ルートを絶対に使わない
> → 神父には「薬はダメ」と事前に釘を刺す。代替案を準備。
>
> 対策4:最終手段として二人で逃亡
> → 最悪の場合、ヴェローナを離れる。心中する必要はゼロ。
>
> 【目標】全員生存でエンディング。心中は回避。
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よし。完璧だ。
原作のシェイクスピアは「すれ違い」と「コミュニケーション不足」で悲劇を作ったけど、現代人の私にはそんな非効率な失敗は起こせない。報連相は社会人の基本だ。
ロミオがどんな人かは分からないけど、まぁ原作通りならポエマー気質のナイーブな美少年だろう。上手くリードしてあげれば、穏やかに恋愛して、穏やかに結婚して、穏やかに両家を和解させられるはず。
今夜は仮面舞踏会。
そこでロミオと出会う——というのが原作Day 1のイベントだ。
私はまず、ロミオを観察する。控えめに。目立たないように。彼がどんな人間か見極めてから、慎重にアプローチする。何事も初動が大事。焦らない、焦らない。
「よし。現代人の知恵をなめるなよ、シェイクスピア」
私は鏡の中の美少女——ジュリエットの顔に、自信満々の笑みを浮かべた。
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この時の私は、まだ知らなかった。
> ティボルト決闘フラグまで:あと22時間
> 仮死薬イベントまで:あと3日
> 心中バッドエンドまで:あと4日
——そして、バルコニーの下から石壁を粉砕して現れる男が、私の計画を初手から根底から完膚なきまでに破壊することを。
デスマーチの、始まりだった。




